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2011年12月 9日 (金)

福島県民は、生かさず、殺さず

128日の各紙は、東京電力が実質的に国有化される見通しを報じた。同日付毎日新聞によると、東京電力は巨額の損害賠償費用のほか、除洗、廃炉費用として巨額の費用が嵩み、将来債務超過に陥るのが確実視されるため、資本注入により実質国有化する方針という。つまり政府は、東電を潰さない、ということだ。

そうだとすると、損害賠償との関係はどうなるのだろう。

原発事故直後は、損害賠償請求権の行使により東電が債務超過に陥り倒産すれば、社債債権者に優先配当されるから、原発事故の被害者はかえって損をするという話だった。この話は、東電に対する国民の怒りとともに盛り上がりかけていた訴訟提起の機運に冷水を浴びせた。その後、ADR等の賠償スキームが整備され、細野特命大臣ができもしない「全部除洗」を連呼し、周辺市町村の住人1人あたり8万円といったニュースが流れ、「労せずして得られる、そこそこの賠償金」が配分されると決まった。こうして国民の怒りをなだめた上での「実質国有化」である。

だが、東電が倒産しないなら、損害賠償請求権を行使しても「かえって損」はない理屈だ。それなら最初に戻って、東電に損害賠償請求訴訟を起こせばよいことになる。裁判は手間暇かかるが、賠償金はADRで認められる金額より多い。まず予算ありきで、これを被害者の頭数で割って配分する賠償スキームより、それぞれの実情と費目に応じて金額を積み上げていく裁判手続の方が、賠償金額の多くなることは自明の理である。被害を受けた国民が、裁判手続で適切な賠償を受ける仕組みこそ法の支配であり、あるべき司法の姿だ。

 いまさら裁判に訴える原発事故被害者は少ないだろう。実際のところ、手間暇かけて多額の賠償金を勝ち取るより、手軽にそこそこの賠償金で手を打つことは、家と収入を失った彼らには一つの選択だ。

 国民統治のあり方としては賢いのかもしれない。しかし、政府の思惑通り懐柔され、本来の権利を失っていく原発被害者の姿は、基地反対を叫びながら基地無しでは生きられない某県民や、原発反対を叫びながら原発無しでは生きられない某県民と、どこかで重なり合う。

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