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2011年12月19日 (月)

スマホとSNSは「不幸な若者の幸福感」を醸成しているのか

「過酷な現実を背負わされた社会的弱者」という若者像に異議を唱え「今が幸せ」と主張する論客が話題を呼んでいるという(1217日日経朝刊文化欄より)。『絶望の国の幸福な若者たち』(古市憲寿)によると、20代男女の7割前後が現状に満足していて、その割合はこの10年で15%上昇しているという。

上村祐一氏は、この結果は信じがたいとし、「ひょっとしたら誰もが先が見えずに貧しくなっていくこの国に、投げやりになっているだけかもしれない」という。だがおそらく、この推測は当たっていない。この国の若者の7割前後は、実際のところ、他人にどう思われようが、幸福感を持っているようだ。ローカルな例で言えば、司法修習生をめぐる状況は、20年目の我々から見れば、ものすごく不幸だが、彼らは、先輩が思うほどには、自分を不幸と考えていないし、投げやりになってもいない。

すると問題は、この幸福感はなぜか、ということになる。

悪魔の辞典』(A.ピアス)に、「他人の不幸を眺めることから生ずる気持ちのよい感覚」とあるとおり、幸福感は相対的な感覚だ。幸福と感じるのは、自分より不幸な他人を見ているからであり、不幸と感じないのは、自分より幸福な他人を見ていないからだ。そうだとすれば、若者の多くは、幸福な他人を見ていないことになる。

20年前、東欧諸国で革命が起き、共産主義政権が打倒された原因の一つは、衛星テレビの普及にあったと言われている。西側の豊かな生活ぶりが放映されたからだ。もちろん、他人の豊かな生活ぶりを見ただけでは、人は自分を不幸と断定しないし、政府を倒そうとも思わない。ハリウッドのセレブリティや、ドバイの王族の暮らしぶりを見たところで、何とも感じないことと同じだ。だが、ある身近な範囲(たとえば、ベルリンの壁の向こう側、程度の差)で、自分とさほど変わらぬ身分の人間が、理不尽かつ不公平にも、自分よりはるかに豊かな生活を送り、はるかに異性にもて、はるかに社会的意義のある生活を送っていると知ったとき、自分を不幸と感じ、犯人捜しを始めるのだろう。

そうだとすると、日本の若者は、身近なところで、自分より幸福な人間を見たことがない、ということになる。物心のついたときにはバブルは崩壊し、会社の同期は言うに及ばず、10年先輩でも就職氷河期世代。会社に残れているだけで幸せと思わなければバチが当たる世代だ。世代間格差を感じようにも、部長・社長クラスがバブル当時、どれほどオイシイ思いをしたか、知るすべもないのだろう。最近のテレビは、海外の同世代の若者の暮らしぶりなど紹介しないし、そもそも、若者はテレビを見ない。同じような社会的地位の若者とSNSでつながり、身内で情報を共有するだけだ。

かつて日本人は、アメリカのホームドラマに憧れた。日本のトレンディドラマは、アジアの若者に、日本への憧憬を植え付けた。そうだとするなら、例えば中国のトレンディドラマが日本でヒットして、彼の地の若者の豊かな生活ぶりを描いたとき、この程度の実に些細な出来事によって、日本の若者は不幸に打ちのめされるかもしれない。

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