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2012年1月31日 (火)

政府は、パニックの回避を最優先する

129日、山梨県東部で地震が頻発し、すわ富士山噴火かと、日本中が緊張した。周辺住民のご心労にお見舞い申し上げたい。

しかし気象庁は、今回の地震は富士山噴火と無関係と発表し、翌日は余震も無かったため、ひとまず安心といった空気がただよっている。

私はもとより、火山や地震の専門家でも何でもないから、今回の地震と富士山噴火の因果など、全く分からない。

しかし、私が火山や地震のことを何も知らないのと同じくらい、富士山が噴火しないという政府発表が信用ならないことは、確かなことだと思う。

なぜなら、原発事故をめぐる政府の一連の対応で明らかになったことは、

政府は、パニックの回避を最優先する

という行動原理だからである。

火山の爆発は、ある意味で、原発事故に似ている。

マグマだまり周辺での地震が頻発し、地面が隆起し、ガスが噴出すれば、気象庁でなくても、爆発が近いことくらい分かる。原子炉格納容器の温度と圧力が上昇し、原子炉建屋内に水素が噴出すれば、素人でも、爆発が近いことくらい分かるのと同じだ。だが、これらの異常には程度があり、爆発が、いつ、どのような形で起きるかを正確に予測することは極めて困難だし、ましてや、その影響が、どの程度の規模と時間で、どの範囲に及ぶかなど、正確に予測することは無理だ。

もちろん、爆発する日時場所と規模影響が100%確実に予測されたなら、政府も公表に躊躇しないだろう。だが、多くの予兆は、とても曖昧な形で現れる。問題は、五分五分のときに、公表するか否かだ。

人命と健康を最優先するなら、五分五分でも公表すべし、という考え方もある。だが、公表する以上はパニックが起きるリスクがあるし、時としてパニックは、災害より多くの人命を奪う。人命が失われたうえに、「結果的に誤報でした、仕方ないです五分五分だから」では済まない。必ず責任問題になる。他方、五分五分のとき公表せず、結果的に災害がおきて人命が失われたとしても、責任問題にはならない。「予測できませんでした残念ですがこれが科学の限界です」で済む。すなわち、五分五分のときに公表しないことは、政府担当者にとって合理的行動なのである。同じことは、六分四分、七分三分までは確実にいえる。日本の場合、八分二分でも、政府は、パニックの回避を優先するような気がする。いいかえれば、不確実な情報を公表してパニックを起こすより、公表せず被害が出る方を選ぶのだ。原発事故の直後、最悪のシミュレーションを政府が黙殺したことも、同じ行動原理から説明できるし、この判断は、結果的には正しかったという見方もできる。

したがって、政府が「富士山が噴火します」と言うときは、100%信用できるが、「富士山は噴火しません」と言うときは、信用ならない。もちろん、信用ならないということは、「噴火する」ことを意味しない。「噴火しないとはいえない」と言えるだけだ。

じゃあどうすれば良いかって?このサイトを見て、自分で判断するしかないのである。

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コメント

一連の「富士五湖群発地震」に関して、地図上で震源地を確認できるサイトを見てみたら「日本地震マップ地震の発生状況を地図+アニメーションで表示」というのを見つけました。
このサイトの特徴は、何と言っても「大陸プレート」を表示していることでしょう。
そこで、この「富士五湖群発地震」の震源地を見てみると、あることに気づきます。
それは、震源地がフィリピンプレートと、北米プレート、ユーラシアプレートの、接合部分に近いところだということです。
言うまでもなく、北米プレートと、ユーラシアプレートの境界面が、有名な「糸魚川静岡構造線」なわけですが、件の震源地は、その南端部分にあって伊豆半島が食い込んでいる、地点の近傍にあるわけですね。
これは、単に富士山噴火どこの騒ぎではないのではないでしょうか(最悪日本列島断裂とか)。
あと、このサイトで過去1カ月の地震の様子を見てみると、中央構造線の線上や、富山から静岡にかけてのライン上でも地震が頻発していることが分かります。
もちろん、東北地方の地震の多さは異常ですが。

投稿: 我無回 | 2012年1月31日 (火) 16時39分

パニック回避」その考え方も有効だろう。だが、ここは日本。3.11でも「パニック」はなかった。原発事故でも、同様になかった。
「パニック=無秩序状態」とするならば、日本では起こりえないのではないか。
そのような無秩序を許容する肉体的エネルギーを、高齢化が進む我々はもはや持ちえていないのではないだろうか。

政府の行動原理、もしくは行動の理由はほかにもあるように思う。

われわれは、天変地異が予想されるときに、実は政府なり誰かなりに「指揮」してほしいと願っている。
そして一旦、「指揮」が発動されたら、どこへ逃げろ、手段は何で、
どのように、から始まり、逃げた先の住居は、学校は、収入を得る手段は・・・・と芋づる式に繋がる「生活の維持」について
どうするんだ、方策を立てろ、と要求するだろう。

実は、政府にすらそんなことの解決能力はまったくない。だから、命令=指揮など極限まで発令しない(できない)。
政府は、パニックを恐れているのではなく、数万数十万人の生活の維持についての方策を要求されることを恐れているのではないだろうか?

旧共産圏なら銃で脅してコルホーズへ強制移住で済んだかもしれない。しかしここは世界でももっとも高度に発達した自由主義の日本である。
複雑に絡み合う「今の利権」を調整しながらの「指揮」など誰がどうやってできようか?
それが可能なのは本当の緊急避難の一瞬だけだろう。

ここの考え方を我々の側も捉えなおしてみる必要はあるかもしれない。
政府、自治体には、我々の生活の維持についての方策などを立てる能力はまったくないという前提にたち、
そこに期待するのはただ科学的な情報のみである、というように。

そして、基本的には避難行動を含め生活の維持は一人ひとりがなんとしてでもするほかはないのだ、
という愕然とするようでいて、しかも実際は当たり前な事実を受け入れるべきなのではないか。

このコンセンサスが得られるとするなら、政府は(自治体は)「安心して」真実を流すことができる。
そこにいたって初めて、国民に不都合な情報を隠し立てする必要はなくなるからである。

そうであるなら、今の政府は大きすぎるということになり、小さい政府を求め、実行させていくのが
我々に突きつけられた課題になるのではあるが。

投稿: 1371 | 2012年2月 1日 (水) 01時19分

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