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2012年3月 2日 (金)

朝日社説と中坊の亡霊

226日朝日新聞社説「日弁連会長選―利益団体でいいのか」は、年約2000名の司法試験合格者数を年1500名以下に減らそうとしている日弁連を、「どんどん内向きになっている」と批判した。

この社説に対する弁護士ブロガーの反発が凄まじい。ニガクリタケ(以下略)氏は「もはや朝日社説は、弁護士に何か怨みがあるに違いない」と述べているし、他のブログも似たり寄ったりである(まとめはこちら)。総じて、朝日社説の批判は、何らかの悪意か間違った思い込みの、いずれかに基づくものだと言う。

だが、私は例によって、こういう反応は良くないなあ、と思う。

一般論として、公に他人を批判する者が、恨み嫉みといった悪意を動機にすることは、無いとみて間違いない。相手には相手の正義があって、こちらを批判しているのだ。このことは、弁護士業務上の常識なのだから、自分自身が批判された途端「あなた、私に恨みでもあるんですか?」と噛みつくようでは、修行が足りないと言われても仕方あるまい。なにより、(少なくとも主観的には)正論を唱えている相手に対して、悪意だ恨みだと反論しても、議論はすれ違うばかりで、およそ主張整理にならない。大事なことは、朝日社説の拠って立つ「正義」が何かを探ることであって、罵倒を浴びせることではない。

朝日社説は、「事務所で相談者が来るのを待ち、安くない報酬をもらい、法廷に出す文書を作るのが主な仕事で、あいまに人権活動も手がける」弁護士像を、「昔ながらの弁護士像」と批判する。この弁護士像は、「『御大師様の前の土産物屋』と揶揄されるように、裁判所の前に店を構え、立ち寄るお客だけをあてにする存在になり下が(り)、口では人権、人権と言いながら腹の中では金儲け主義に陥っている」弁護士像と、表現がよく似ている。

これは、中坊公平が『文藝春秋』199912月号『金権弁護士を法で縛れ』で用いた表現だ。

「弁護士は、法律事務の独占と弁護士会の自治という特権に見合うだけの役割を果たしているでしょうか」と中坊は続ける。「(弁護士人口が増えて小さくなった)パイにたくさんたかると分け前が減る、なんてケチくさいことを言わないで、パイを大きくする方法を今考えるべきではないか。そしてその方法とは、弁護士が積極的に社会的活動の場に出ていくことであり、また公益的な職務へ目を向けることだ」。

これが当時の中坊公平の主張であり、同時に、日弁連の主張であった。そして、朝日社説は、この主張を拠り所として、今の日弁連を批判している。確かに、当時の中坊の主張に比べれば、司法試験合格者数年1500人以下という主張が「内向き」なのは明らかだ。朝日社説は、論理としては一貫しているのである。

つまり朝日社説は、今の日弁連が以前の主張をなし崩しにしていると批判しているのであり、あのときの日弁連はどこに行ったのか、と怒っているだ。

「あれは中坊公平が勝手に言ったことで、日弁連の主張でない」と言えるなら話は簡単だ。だが歴史的事実は真逆である。当時、平成の鬼平ともてはやされ、首相候補とさえ言われた中坊を、日弁連は全面的に支持していたのだし、このときの態度を、公式には未だ、覆していない。

当時の中坊と日弁連の関係を象徴するエピソードがある。東京での会務を終え帰宅する中坊が京都駅で下車するとき、同乗していた幹部弁護士が我先にホームに降り、列を作って見送ったという。このときホームに降りた弁護士の多くは、未だ、中坊路線を継承し、日弁連の中枢にいる。

だから結論としてはこういうことになる。朝日新聞社説が間違っていると思うなら、闘う相手は朝日新聞ではない。日弁連に巣くう、中坊公平の亡霊なのである。

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コメント

朝日新聞の社説がどうというより、紹介されている各ブログでの反応が、そこに寄せられているコメントも含めて非常に子供っぽく残念に思いました。

その点小林先生のご意見は冷静ですね。
もっとも「弁護士が積極的に社会的活動の場に出ていくことであり、また公益的な職務へ目を向けること」自体は間違っているようには見えませんが、これも「亡霊」の中に含まれているとお考えなのでしょうか。

投稿: y | 2012年3月 2日 (金) 11時15分

yさん、コメントありがとうございます。
お尋ねについてですが、亡霊のやっかいなところは、全体としては実体に乏しく、向こうが透けて見えるほど薄っぺらいくせに、細部は恐ろしいほどリアルで、それなりに説得力がある点です。

投稿: 小林正啓 | 2012年3月 2日 (金) 13時23分

いつも先生の記事を見て勉強させていただいております。
 自分として納得できないのは、仮に先生のおっしゃるとおり、A新聞が、日弁連が「首尾一貫」していないことを非難しているのだとしても、巨大マスコミとしてのA新聞の姿勢としてそれが妥当なのか、日弁連が首尾一貫していれば全てがうまくいく、と考えているのか、ということです。
 修習が終了しても就職先のない弁護士が多数発生し、給費制が廃止され貸与制となり、ロースクールに多額の学費を徴収され、ひいてはロースクール志願者が年々減少し、法学部志望者まで減少傾向、という一連の事実には知らぬふりを決め込み、ただ単に日弁連の「首尾一貫性」が保たれればそれでいいのだ、という姿勢だとすれば、そもそも何のために日弁連の「首尾一貫性」を求めているのだ、という根本的な疑問を持たざるを得ません。

投稿: H.T | 2012年3月 2日 (金) 18時51分

ご回答ありがとうございます。

なるほど。
そういう「亡霊」はいろんなところに出没しますよね。
そろそろ退治する方法を知りたいです。

投稿: y | 2012年3月 2日 (金) 19時38分

HTさん、コメントありがとうございます。
この司法制度改革は、朝日新聞がシナリオを書いて日弁連に押しつけたものではなく、日弁連がシナリオを書いて、自分で演じようとしたものです。だから朝日新聞は、観客の立場で、「最近、シナリオと違うことをやってるぞ」と批判すれば事足りるのであり、シナリオが破綻したことを説明する責任は日弁連側にあると考えます。

投稿: 小林正啓 | 2012年3月 2日 (金) 20時11分

 小林先生、いつもお世話になっております。小林先生らしく、いつもながら、冷静(冷徹?)な、ご見解だと思われますが、今回は、若干の違和感を感じてしまいました。

 以前の中坊氏3000人合格(司法改革)主張の際に想定されていた、将来の法的需要の飛躍的増大は結局絵空事でした(過払い案件を除く訴訟件数、破産件数や法律相談数の減少等からも需要の飛躍的増大と言える状況にはないことは明らかだと思います)。

 司法改革時に散々記事なっていた記憶があるのですが、会社でも地方自治体でも弁護士が求められていたはずだったのに、これだけ弁護士が就職難でも、そこへの雇用の拡大は極めて微々たるものです。

 また、法律扶助予算の飛躍的拡充、法曹一元(私は実現は無理だと思っていますが)、裁判官・検察官の大幅増員などとセットでOKしたはずの弁護士増員だけが一人歩きしている状況なのですから、本当に当時念頭に置かれていた司法改革を実現すべきものと朝日新聞が考えているのであれば、そのあたりのすっぽかされて実現していない事実まで、視野に入れた社説を書いて然るべきではないかと私は考えます。

 つまり先生のお考え通り、日弁連はかつて中坊氏を担ぎ出し合格者3000名を主張したという点だけに関していえば、朝日新聞の社説は論理一貫しているものかもしれません。しかしそうであったとしても、朝日新聞は、日弁連の主張の一部だけを取り出して、批判しているものですし、故意にそのような取り上げ方をしているのであれば、弁護士バッシングを意図しているものと考えることはやはり自然ではないかと考えるのです。

 小林先生も「少なくとも主観的には」とお書きになっているので当然そこはお分かりの上、書かれていることは分かるのですが。


 とはいえ、京都駅での中坊氏お見送りエピソードは、驚きです。
 今回の記事に若干の違和感はあるものの、結論については、全く同感です。


投稿: 坂野真一 | 2012年3月 2日 (金) 20時22分

坂野先生、だから、間違ったシナリオを書いたのは朝日新聞ではなく、日弁連なんです。それから、そのシナリオを書いたのは日弁連の「一部」ではなく「多数」であり、日弁連としての組織的決定に基づくシナリオです。だから、当時の反対者や少数者といえども(それから、当時まだ弁護士でなかった人も)、対外的には組織的決定の結果を引き受けるのが、民主主義のルールというものです。それが嫌なら、多数派を掌握して組織的決定を覆すことが、民主主義には認められているのですから。

投稿: 小林正啓 | 2012年3月 2日 (金) 21時57分

ただ,日弁連が組織的決定を覆した時には,また朝日新聞は牙をむいて全力で日弁連に襲いかかってくるでしょう。組織的決定を覆さなければ覆していないとバッシングし,覆したら覆したでまた内向きとバッシングする。となれば,朝日新聞はどちらにしろ日弁連をバッシングする以外にしないわけですから,いろいろなブログで取り上げられているように,朝日新聞が悪意又は日弁連を支配しようという野望を持っているという取り上げ方もあながち間違いではないと考えております。

投稿: 菅本麻衣子 | 2012年3月 3日 (土) 20時55分

朝日新聞は、本当にただの傍観者なのでしょうか。
朝日新聞が弁護士会を支配する意味はなく、朝日独自の見解でここまで執拗に牙をむくということは通常考え難く、何らかの勢力の意を反映しているとみるべきだと思います。
この執拗さから察するに、朝日の攻撃は、経済的関係というより思想的背景によるものだと思います。
そうなると、何らかの勢力とは、やはり、弁護士会の中にあるとみるのが自然だと思います。
そうだとすると朝日新聞は、単なる武器であって、武器を振るものが姿を見せない以上、武器を受け返すしかないのではないでしょうか。
武器に対して攻撃するといっても、本来の敵は武器を振るっている者であり、それは、武器を攻撃している方々も重々承知していると思います。
そうなると、これは、朝日新聞vsブロガーの争いではなく、朝日新聞という場を舞台とした弁護士会内の思想対立であり、まさに、多数派を形成するための戦いの一つなのだと思います。
朝日社説が本選挙前、再投票前と二度行われたことは偶然ではないと思います。
つまり、弁護士の反応も朝日の背後にいる日弁連の一勢力に向けられたもので、背後の勢力が隠れてしまっているために朝日に対する批判となっているだけで、あながち不当に評価されるべきものではないと思います。

投稿: @ | 2012年3月 3日 (土) 22時09分

@様のご意見は、誰に対する批判又は支持なのでしょうか?朝日社説が傍観者ではなく、日弁連内の一勢力(=中坊の亡霊)の意見を代弁していることは私のエントリで述べたことであり、思想的な背景に基づくこともご指摘の通りです(つまりここまでは私の考えと同じです)。一部のブログで指摘されているとおり、この社説が「中坊の亡霊」と協働した反宇都宮キャンペーンである可能性を否定しませんが、もしそうなら、端的にそう指摘すべきであり、「弁護士に恨みがある」という類の「子どもっぽい」(yさんの言葉によれば)反発は逆効果でしかありません。

投稿: 小林正啓 | 2012年3月 4日 (日) 08時00分

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