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2012年4月28日 (土)

日弁連会長再選挙の分析

平成24427日、日弁連会長再選挙の投票が行われ、山岸憲司候補が現職の宇都宮健児候補を破り当選した。

例によって開票仮結果を分析してみよう。

まず投票率は51.1%で、再投票時より0.24%上昇した。得票数は、85467673で、票差は873。これは、再投票時の投票差1067票に比べ、宇都宮候補が194票を詰めたことになる。

前回は、「投票率の下がった方が宇都宮候補に有利」と書いたので、この結果は、矛盾するように見える。

しかし単位会ごとに見ると、投票総数を85票減らした東弁が、山岸候補獲得数-103.73票に対し、宇都宮候補獲得数が+19.73票となっているのを筆頭に、投票総数を減らしたベスト5単位会(東京、二弁、埼玉、一弁、和歌山)では、二弁を除き、宇都宮候補に票が流れている。これは、東弁と一弁では、3回目の投票となって派閥の締め付けが及ばず、投票率が低下する一方、宇都宮陣営による浮動票へのアピールが、ある程度奏功したことを示しており、ここでは、「投票率の下がった方が宇都宮候補に有利」のセオリーが妥当している。

他方、総投票数の増えた5単位会のうち、仙台を除く4単位会(横浜、千葉、福岡県、大阪)では、いずれも、宇都宮候補に票が流れている。これらの単位会では、派閥の締め付け力の低下(=投票率の低下要素)に比べ、新たに投票した浮動票(=投票率の上昇要素)の影響力が大きかったことになる。興味深いのは、選挙人数500人以上の大・中単位会(東京三会、大阪、愛知、横浜、福岡、兵庫、札幌、埼玉、京都、千葉)では、二弁を除き、再選挙の方が宇都宮候補に票が流れていることだ。これは、以前指摘したとおり、地方単位会の方が派閥の拘束力が強く、都市圏の方が弱いことを示している。地方で強い宇都宮候補は、地方の派閥票に支えられているのだ。

全体としては宇都宮候補が票を伸ばしているが、それでも敗北したのは、山岸候補が総得票数で逃げ切った上に、19地方単位会を獲得し、当選要件を満たしたからである。山岸候補は、前回獲得単位会14のうち、3単位会(山口、旭川、函館)を落としたが、8単位会(仙台、広島、沖縄、新潟、三重、愛媛、釧路、鳥取)を獲り、差引5単位会上乗せして、19単位会を獲得した。もっとも、票差3票以内が8単位会(旭川-2、函館-2、仙台1、愛媛1、釧路1、鳥取2、沖縄3、宮崎3)もあり、血を血で洗う一票獲得競争の繰り広げられたことが分かる。獲得単位会の帰趨に変化がなくても、投票率上昇の著しい単位会のうち、岡山(2)、滋賀(3)、山梨(6)、宮崎(3)、長崎(9)、秋田(6)、高知(10)、大分(0)でも一桁の票差が見られる。これらの事実は、山岸陣営が18単位会獲得という当選要件充足に戦力を集中し、これを阻止しようとする宇都宮陣営との間で激戦になったことを示している。

まとめると、山岸候補は、総得票数での差を詰められたものの、単位会要件を満たしたため当選し、宇都宮候補は、山岸候補の単位会獲得を阻止できなかった上に、総得票数で逆転できなかったため落選した、ということになる。

山岸陣営は、総得票数で逆転されるおそれは少なかったのだから、単位会要件獲得に注力するのは戦略として当然だった。18単位会を獲得できるかについて、私は五分五分と予想し、実際その通りだったが、仙台から事務総長を選任するという人事作戦が奏功(仙台では山岸獲得票が70票伸び、これに対して宇都宮獲得票が20票減った)し、かろうじて単位会要件を満たした、ということになる。

実は、山岸候補勝利にもう一つ貢献したと思われる単位会は広島であり、山岸獲得票が27票伸びたのに対して、宇都宮獲得票が8票減り、逆転して山岸陣営が獲得した。何があったか知らないが、たぶん、地元の有力者が数人動いたのだろう。

これに対して宇都宮陣営は、山岸候補に2030単位会をくれてやってもいいから、総得票数で山岸候補を逆転しなければならなかったのに、地方での戦いに戦力を分散し、大都市会での集票が伸びず敗北した、ということになる。子細に見ていくと、選挙人数500人以上の12単位会のうち、二弁を除く11単位会(東京、一弁、大阪、愛知、横浜、福岡、兵庫、埼玉、札幌、京都、千葉)ではすべて票差を伸ばし、合計353.76票差を稼いでいるが、最大の票田であった筈の二弁では山岸陣営より票を減らしているし、一弁、二弁、埼玉では3割台の投票率しかない。宇都宮陣営は、最初から最後まで、大都市会の浮動票にアピールできなかった。

その原因の一つは、「地方の力で日弁連を変えよう」(327日はがき)等と主張し、「都会対地方」という対立軸をつくった宇都宮陣営の作戦ミスだろう。大都市の弁護士としては、旧主流派批判層といえども、都市に対する反感をむき出しにする宇都宮候補に投票する気にはならない人が多いだろうから。

「派閥か無派閥か」という対立軸も、大都市会の浮動票を感銘させることはなかった。当の本人や、有力な支持弁護士が「消費者族」という派閥の領袖だったりするので、説得力がないと受け取られたのかもしれない。あるいは、「無派閥」とか「市民派」を標榜する人に限って、決してニュートラルではないことが、すでに常識となっているのかもしれない。

給費制運動が、64期の投票行動に全く影響しなかったことは、私自身予想外だったし、宇都宮陣営も読み違えたのだろう。宇都宮会長が当選していなければ、64期が給費を受けることはなかったのに、彼らは、300万円をもらった「恩返し」をしなかった。その理由を探求することは、今後の給費制復活運動はもちろん、日弁連の進路を検討する上でも、重要な宿題であると思う。

宇都宮候補が二弁の票を失った理由は分からない。ただ、再投票での得票数630が、第1回目投票での宇都宮票(410)と森川票(109)の合計とほぼ一致することから想像をたくましくすれば、再選挙の際、森川陣営との政策協議が決裂するなどして、森川陣営の組織票を失った可能性はあると思う。もしそうだとすれば、「脱派閥」を掲げた宇都宮陣営が組織票を失って負けるという皮肉な結果となる。

いずれにせよ、再選挙が決まった際、宇都宮候補が勝利するためには若手浮動票にアピールする新公約が必要であり、手ぶらでの出馬は許されないと書いたにもかかわらず、宇都宮候補は新公約を打ち出すことなく出馬し、予想通り敗退した。これは無駄に日弁連を混乱させたという意味において、無責任のそしりを免れない。

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2012年4月26日 (木)

大阪弁護士会のお金は余っている

大阪弁護士会法律相談センターの赤字は年々増加しているが、弁護士会全体の会計は黒字だった。(「だった」というのは、23年度に初めて、赤字に転落すると言われているから)

とはいえ、非営利団体である弁護士会の会計が黒字というのは、不正確だろう。「お金が余っていた」という方が正確かもしれない。

平成22年度のキャッシュフローを見ると、大阪弁護士会の総収入は約165000万円。うち91500万円余が会費で、65300万円余が負担金会費(法律相談センター負担金会費のほか、破産管財人報酬、国選弁護報酬等の負担金も含む)である。

一方、総支出は102000万円余。大半が職員の人件費(推定で55000万円)と、会館の維持管理費及びローンの返済(15000万円)である。

総収入と総支出を差し引きすると、71600万円ほど余る。だが、法律相談事業(36000万円余)、法律扶助事業(約2300万円)等の特別会計の赤字に食われ、最終的には約31900万円余っていた。

ところで、大阪弁護士会最大の借金は平成18年に完成した会館のローンだが、その残高約23億円については、これと同額の引当金が積み終わっている。従って、2億円とも言われる違約金を支払えば、繰り上げ返済が可能だ(23年度に一部繰り上げ返済済み)。2億円といえば安くないが、今支払い続けている利息が年6000万円と聞けば、どう考えても、一括弁済の方が得だろう。

会館のローンを返済してしまえば、毎年57000万円ほどのお金が余ることになる。破産管財人報酬の負担金を全部廃止しても、おつりが来る金額だ。

さらに想像をたくましくして、法律相談事業や扶助事業を廃止してしまえば、どうなるのだろう。

大阪弁護士会の職員数は約120名。会員数において倍以上の東京弁護士会より多い。職員の半数が法律相談事業に関わっている。法律相談事業や扶助事業を廃止し、職員を半減すれば、会費負担額を半額にしても、弁護士会の運営は十分可能である。

もちろん、法律相談事業等を廃止すれば、弁護士会での法律相談をきっかけとする事件受任もなくなるから、その分弁護士報酬が減ることになる。したがって、法律相談事業等を廃止するか否かは、会費負担の減少と、弁護士報酬の減少との比較にかかっていることになる。

もう一つ、この問題に法テラスが絡むことになる。(続く)

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2012年4月25日 (水)

「衆議院」不要論

ねじれ国会や、首相だけころころ変わって、閉塞状況は何も変わらない日本政治を悲観してか、参議院不要論が盛んだ。

しかし、なぜ「参議院」不要論だけで、「衆議院」不要論が無いのだろう。首相が短期間で変わる原因は、参議院ではなく、衆議院にあるのに。参議院と異なり、衆議院には解散があるので、与党は、常に解散を恐れながら首相を担がなければならない。ほぼ毎週報道される内閣支持率に一喜一憂し、「この総理では選挙に勝てない」となれば、その首をすげ替える。短気な民意がダメなのかもしれないが、民意とはそういうものだ。つまるところ、日本の議院内閣制は、民意の変化がその都度反映する仕組みになっているからこそ、短期間で首相が替わるのである。短命政権を憂いつつ参議院不要論を唱えるのは、自己矛盾ということになる。ちなみに、55年体制下で長期政権が可能だったのは、「11/2政党制」の結果として、政権交代の可能性が無かったからだ。

そこで、思考実験をしてみる。参議院不要論ではなく、衆議院不要論だったらどうなるか。あるいは、二院制としても、参議院優位で、首相は参議院議員から指名されることにすればどうか。

この場合、参議院議員は3年ごとの半数改選なので、首相の任期は最低でも3年だ。民意の変化は、衆議院ほど頻繁に反映されないので、与党や内閣は、大所高所から腰を据えて政策に取り組める。国民から見れば、3年間は政権与党が代わらないため、ハズレを引いたら悲惨だから、短期的な政策よりも人格重視で、長期的な見地から投票することになろう。

この思考実験が示唆するところは何か。参議院不要か、衆議院不要かという問題は、単純な組織改廃の問題ではなく、「民意をその都度反映するが、短命政権になる」方がよいのか、「民意をその都度反映しないが、長期政権が生まれる」方がよいのかという問題、ということだ。いいかえれば、民主主義のあり方として、どちらが正当か、という問題であり、さらにいいかえれば、どちらが国益にかなうか、という問題である。

このような問いの立て方は、直接民主主義こそ理想とする立場からは、民主主義の冒涜に他ならない。だが、我々はアテナイ市民でないのだから、間接民主主義こそ現代民主主義の要諦との考え方もあってよい。

そうだとするなら、「衆議院」不要論は、我々の民度を問う、貴重な思考実験になるかもしれない。

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2012年4月24日 (火)

給費制復活完全消滅と、修習専念義務の見直しへ

司法修習生に対する貸与金の返還条件に関する裁判所法改正案について、17日までに自公民の合意が成立した。

合意された改正内容は、現行裁判所法67条の2の第3項前段
「最高裁判所は、修習資金の貸与を受けた者が災害、傷病その他やむを得ない理由により修習資金を返還することが困難となったときは、その返還の期限を猶予することができる。」を、
「最高裁判所は、修習資金の貸与を受けた者が災害、傷病その他やむを得ない理由により修習資金を返還することが困難となったとき、又は修習資金の貸与を受けた者について修習資金を返還することが経済的に困難である事由として最高裁判所の定める事由があるときは、その返還の期限を猶予することができる。」
と、赤字の部分を追加するものであり、要は政府提出法案そのままである。

参議院の大臣問責決議により、やや政局含みとなっているため、今国会での成立は不確実だ。だが、貸与制の停止を内容とする裁判所法改正案を提案していた公明党が三党合意に応じたことによって、給費制が復活しないことは事実上確定した。

そして、法曹養成制度については、改正裁判所法の附則案や、裁判所法改正案の附帯決議等に基づき、合議制の検討組織が立ち上げられることになった。

その合議制の組織とは、附帯決議案によれば、次のようなものだ。

(1) 閣議決定に基づく、従前の検討体制より強力な、
(2)
 法科大学院及び法曹関係者以外の多様な意見も反映する組織で、
(3)
 1年以内に、法曹養成制度全体についての検討結果をとりまとめる

組織が検討する内容について、次の点に特段の配慮をすることとされている。

(a) 法科大学院教育、司法試験及び司法修習等の法曹の養成に関する各過程の役割と相互の連携を十分に踏まえる。
(b)
 司法を支える法曹の使命の重要性や公共性に鑑み、高度の専門的能力と職業倫理を備えた法曹を養成するために、法曹に多様かつ優位な人材を確保するという観点から、法曹を目指す者の経済的・時間的な負担を十分考慮し、経済的な事情によって法曹への道を断念する事態を招かないようにすること。
(c)
 司法修習生に対する経済的支援については、修習専念義務の在り方等多様な観点から検討し、必要に応じて適切な措置を講ずること。

要するに、「法曹養成フォーラム」より格上で、政府直結の「法曹養成制度検討審議会」的組織を作り、法科大学院・法曹三者に加え、いわゆる有識者による合議体によって、1年かけて、法曹養成制度全体の見直しを行い、政府に提言せよというのである。明らかに、「司法制度改革審議会」と同様の会議体を想定している。

注目すべきは、「経済的負担緩和策」の一例として、修習専念義務の検討が挙げられている点だ。来る審議会では、修習専念義務の撤廃が検討の俎上に上がることになる。

仮に修習専念義務が撤廃されるとしても、いきなり、肉体労働や水商売、受験予備校講師や採点のアルバイトが許されるようになるとも思われない。したがって、修習生の勤務先は最高裁判所の許可制となり、事実上、法律事務所・裁判所・検察庁の事務員や、企業法務部の従業員、行政庁の職員等に限定されることになると予想する。そして、数的多数は、弁護士の卵として法律事務所で働くことになろう。文字通り、戦前の「弁護士試補」制度が復活することになる。

だから言っているでしょう?「司法制度が現在直面している状況は、明治以降の司法制度改革史を、逆にたどっているだけ」だって。したがって、修習専念義務が廃止されようがされまいが、次に検討対象になるのは、統一修習の廃止だろう。

海渡雄一日弁連事務総長は、今回の自公民合意を、「次の闘いへの橋頭堡を築いた」と評価している。どう読むとそうなるのか、理解不能だ。政府直結の審議会委員の人選を、日弁連主導で行えるのなら別だが、できるわけがない。できるなら、なぜ「法曹養成フォーラム」のとき、やらなかったのだ?

ちなみにこの対応は、司法試験合格者数年3000人は確定したのに、法曹一元の夢は露と消えたにもかかわらず、「法曹一元への足がかりは残った」と強弁した平成12年当時の久保井一匡日弁連会長の対応と、そっくり同じだ。要は負けたのに、負けを認められないのである。

日弁連は、また負けたのだ。それを認めない宇都宮執行部は、旧執行部が犯した過ちを、繰り返しているのである。

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2012年4月23日 (月)

法曹養成制度に関する総務省提言と未来予想

総務省行政評価局は420日、「法曹人口及び法曹養成制度の改革に関する政策評価」を行い、弁護士は供給過多であり、質の低下が懸念されるとして、「司法試験合格者数年3000人」の閣議決定の見直し、法科大学院の統廃合や定員数削減等を、文科省と法務省宛に勧告した。

総務省行政局は、他省庁の政策評価を行う部局でありながら、政策仕分けの対象になるという赤っ恥をかき、組織存亡を賭けて評価対象に選んだのが、法科大学院制度である。だから、同局が上記提言を行うことは、当初から予想されたことであり、新味はない。

もっとも、予想通りの勧告とはいえ、その影響を見ると、興味深い点もあるので指摘しておきたい。

まず、平野文科省は20日、閣議において上記勧告を「しっかり受け止める」と発言し、法科大学院の教育内容や組織変更に取り組んでいく旨、記者会見で述べた。これは、事前に両省間ですりあわせがあったことを示している。今後文科省は、総務省勧告を追い風に、法科大学院の統廃合に向け積極的に取り組むだろう。

また、地方紙が上記勧告を大きく報じている。知る限りでも、北海道新聞夕刊が1面に793文字、信濃毎日新聞夕刊が1面に586文字と143文字、静岡新聞夕刊が2面に645文字、西日本新聞夕刊が1面に660文字だ。文字数がバラバラなのは、配信記事ではなく、地元記者が執筆したから。地方紙が独自の記事を載せるのは、地元法科大学院の存廃がかかっているからと思われる。

全国紙の取り扱いも大きい。特に日経は、20日夕刊1面トップと社会面に記事を載せた。基本的には事実のみの報道だが、最後に、「安易な合格者数削減」に反発する「都内法科大学院で教員を務める弁護士」の声を紹介している。2面と社会面に二つの記事を載せた読売新聞は、「名誉ある撤退」に言及する中山幸二法科大学院協会事務局長の言葉を紹介した。両紙とも、法科大学院の統廃合に関心を持っていることがわかる。

それでは、上記勧告と、文科省は、法科大学院の総定員数をどの程度まで削減することを考えているのだろう。

持つべき視点は三つである。第一は、法科大学院卒業生の合格率目標「78割」が、司法制度改革審議会意見書(平成13年)当時は「単年度合格率」を意味していたのに、いつの間にか、卒業生1人あたりの合格率(累積合格率)にすり替わり、上記提言も、「累積合格率78割」を目標としている点だ。従って、文科省が目指す法科大学院総定員数は当面、「累積合格率」7割ということになる。

第二は、法科大学院のランク付けと損益分岐点だ。『こん日』151頁以下にも書いたとおり、東大以下の旧帝大と有力公立・私学の法科大学院定員数だけで、総定員数は2000人から2500人となる。ただ、日弁連をはじめ、地方の法科大学院廃止に反対する勢力も強いから、総定員数の削減には様々な障害が予想される。一方、法科大学院を維持するためには、1学年最低30人必要だから、この学生数を確保できない法科大学院は順次消滅するだろう。

第三は、上記2点から、司法試験の合格者数はある程度自動的に割り出される、ということだ。法科大学院の総定員数が2500名で、累積合格率が7割なら、司法試験合格者数は年間1500人前後となろう。但し、これは従前の有資格者数(すでに約15000人はいる)をカウントしていない。また、受験回数制限を3回から5回にした場合、司法試験合格者数を2000人よりさらに増やさなければ、累積合格率7割は達成できない。

すなわち、上記提言に基づき文科省が考える「落としどころ」としては、法科大学院の統廃合と定員数削減を進めるとともに有資格者の退場を待ち、5年後には、総定員数2500人から3000人、累積合格率7割として、司法試験合格者数年1500人から2000人、というところだろう。

以上の推論から導き出される結論は、次の2点である。第1点は、上記勧告は「1500人でも多い」と踏み込んだ表現を用いたにもかかわらず、文科省に勧告した達成目標を「累積合格率78割」としてしまったため、この勧告に従う限り、司法試験合格者数1500名は、ほぼ実現不可能、ということだ。要するに、法科大学院制度を前提にする限り、司法試験合格者数年1500名以下は無理なのである。

2点は、翻って司法試験界の実情を見ると、今年度の法科大学院入学者総数がおそらく3000名を下回った事実が示すとおり、政府の対応より現実の方が早く進行している、ということである。このまま進めば、政府の提案する法曹養成制度が実現されるより早く、制度そのものが自壊することになるだろう。

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2012年4月20日 (金)

総務省、弁護士増員見直し勧告

【下記は2011年1月27日付記事「日弁連が総務省に噛みついた?」の再掲です】

 総務省行政評価局が主宰する「法科大学院(法曹養成制度)の評価に関する研究会」が昨年12月に発表した報告書に対し、1月25日、日弁連が意見書を提出し公表した。法科大学院制度と法曹人口増員政策の見直しを示唆する行政評価局を牽制しようとする日弁連の意見書については、特に増員反対派から非難が巻き起こっている。

 確かに、日弁連の意見書はひどい。「外野は黙ってろ」と書けば7文字で済むところを、5ページに引き延ばして書いたので、読んで退屈なこと甚だしい。

 なぜ総務省は、文科省・法務省管轄の制度に口を出したのだろう。行政評価局という組織は、もともと各府省の政策評価を行うための機関である。だから、「外野は黙ってろ」という日弁連の意見は筋違いだ。ただ、その評価局自身が、昨秋、中央官庁の既存組織として初めて事業仕分けの対象になる、という赤っ恥をかき、「機動性がない」(2011510日建設工業新聞)とハッパをかけられ、慌てて「機動調査チーム」を作り、大急ぎで7つ選んだ評価対象の一つが法科大学院制度だ。つまり、行政評価局が組織存亡をかけ、その存在意義をアピールする格好の素材として、法科大学院制度を選定したのだ。このことから、法科大学院制度は、政府内部においても、問題が多いと評価されていることが分かる。

 この経緯からすれば、行政評価局は、日弁連が何を言ったところで聞く耳を持たず、「法科大学院数・定員数の大幅削減」「司法試験合格者数年3000人の政府目標は下方修正が妥当」という意見書を出すだろう。何しろ組織存亡がかかっているのだ。日弁連の上記意見書には、守旧派の焦りを自白した以上の意味はない。

 しかし他方、事業仕分けの対象になったような組織が、急ごしらえで作った意見書に、どれほどの効果があるのか、疑問である。また、片山善博現総務相は、昨秋の日弁連司法シンポに、(地方)法科大学院存続支持の立場から出席した経緯もあるので、上記研究会の最終報告書には、それなりの圧力がかかる可能性がある。もっとも、片山総務相にしても、法務・文科相にしても、いつまで大臣でいられるか、分かったものではない。要するに、このお話におつきあいしても、未来は全く予測できない。

 私が思うに、行政評価局がどのような意見書を書いても、日弁連がどれほど抵抗しても、法科大学院数と定員数は削減の方向を歩むだろう。しかし他方、法科大学院制度そのものが廃止されることや、総定員数が3000人を下回るようなことはないだろう。

 つまり、法科大学院数や定員数を減らしたところで、現在の法曹人口問題は全く影響を受けない、ということになる。

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防犯カメラ設置運用基準にとって最も大事なこと

先日京都市で、防犯カメラの設置運用基準について話をする機会をいただいた。だが、話の核心部分が、なかなか理解してもらえないので、整理をかねて、まとめておく。

防犯カメラを使って商店街や住宅街などの公道を撮影する場合、これを許容し又は規制する法律は存在しない。政省令もない。条例は地方によってあったりなかったり。ガイドラインも同様だし、そもそも法令ではないから裁判所を拘束しない。つまりガイドラインに従っても、裁判所が違法と判断する場合はある。

では判例や裁判例はどうかというと、「京都府学連デモ事件」(最高裁判所大法廷昭和441224日判決)を筆頭に、警察等による写真・ビデオ撮影と録画について、いくつかの裁判例が存在する。これらの裁判例から抽出されるルールは、大雑把にいうと、「撮影・録画が許されるのは、犯罪の直前、最中、直後に限る」というものだ。犯罪が起きる一般的抽象的可能性がある、というだけで、容疑者でもない一般人を撮影・録画をすることは違法となる。したがって、このルールをそのまま適用すると、現在、商店街や駅前などに設置されている防犯カメラは全部、許されないことになってしまう。

それなら、全部撤去すべきかというと、そうではない。ごく一部―たとえば、いわゆるバリバリの左翼系人権派弁護士―を除けば、防犯カメラに一定の有用性を認めつつ、行きすぎては困る、と考える国民が大多数だろう。そうだとするなら、我々法律家は、上記判例ルールの適用範囲を狭く限定したうえで、適切な防犯カメラの設置・運用基準を考えていかなければならない。

適切な防犯カメラの設置・運用基準を策定するにあたって重要なのは、実体(中身)の問題と、形式(手続)の問題だが、とりわけ、形式(手続)の重要性を強調したい。具体的にいうと、防犯カメラの設置運用基準と実際の運用は、必ず成文化し記録して紙に書き、これを公開(または請求があれば直ちにコピーを交付できる状態に)しておく必要がある。なぜなら、法律も判例も存在しない以上、実体(中身)の適正を担保するのは、第一に、その形式(手続)だからである。

すこし噛み砕いて説明しよう。法律も判例もない以上、防犯カメラの設置運用基準は、しょせん、自主ルールに過ぎない。自主ルールの実体(中身)が違法では論外だが、適法だとしても、実際の運用がルール通りになされていなければ、画に描いた餅に過ぎない。そうならないためには、設置運用基準と実際の運用を記録し公開して、いつでも第三者のチェックが受けられるようにしておかないといけない。いいかえれば、いつでも第三者のチェックが受けられるほど、逃げも隠れもせぬ運営をしているということそれ自体が、運営の中身も適正だろう、という信頼を招くのである。

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2012年4月18日 (水)

法曹は聖職か、竹光を差した偽武士か?

「法学セミナー」5月号は、平野哲郎龍谷大学法科大学院教授(もと裁判官で現弁護士)による、『法曹は聖職か、サラリーマン・ビジネスマンか―司法修習生の修習資金貸与制に寄せて』という論考を掲載した。

ごく大雑把に要約すると、「法曹はかつて聖職であったが、その権威は失墜しつつあった。今般の司法制度改革は、その理念とは裏腹に、法曹の非聖職化を推し進め、貸与制への移行によって、その方向性は決定的になった」というもの。だが筆者は、若い法曹や法曹を目指す若者に対して、「正しい聖職意識」、―たとえば、傷ついた当事者の心に寄り添う想像力―を持つべきだと説く。

「法曹の非聖職化への方向は決定的になった」と述べつつ「正しい聖職意識を持て」と説く論述は、一見、矛盾しているようにも見える。しかし、矛盾するように見えるからこそ、そこには、激動する時代の中で、「法曹であること」とは何かを模索するという、筆者の真摯な迷いが顕れていると思う。

話は飛ぶが、この論考を読んで、私は『切腹』という映画を思い出した(昭和37年小林正樹監督。昨年市川海老蔵主演『一命』でリメイクされた)。

この映画のテーマは、一言で言うと、時代の変化に翻弄される武士の悲劇である。困窮し傘貼り内職で糊口をしのぎつつ武道の鍛錬を忘れない主人公も、武士の体面だけ保ち官僚化する敵役も、ともに、太平の世における「武士であること」とは何かを模索しつつ、避けられない破滅に向け突き進んでいく。結局のところ、戦国時代が終わった以上、武士は用なしなのであり、どうあがいても、職業としての「武士」は成立しないのである。

日弁連会長選挙の混迷に象徴される弁護士界の末期症状に辟易し、悲観的な未来図しか描けない私にとって、「聖職とは何か」を模索する法曹の姿は、「武士の魂とは何か」を模索する武士の姿と重なって見える。

ちなみに、『切腹』で最も悲惨な最期を遂げたのは、主人公の娘婿であった。病弱の妻子を抱えた彼は、生活費を強請(ゆす)るため、大小を売り竹光を差した身でありながら家老宅での切腹を申し出たところ、「あっぱれ武士の鑑」と逆手にとられ、切腹を強制された。もちろん竹光だから腹は切れない。追い詰められた娘婿は、竹光の上に身を投げ出して腹を刺し、舌をかみ切って悶絶した。

このエピソードは、聖職でない(=刀を持っていない)にも関わらず、聖職者ぶる(=武士らしく腹を切りたいと啖呵を切る)者には、最も悲惨な最期が訪れるぞ、という警告のように、私には思われる。

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2012年4月16日 (月)

原発再稼働問題の本質と司法救済

414日、枝野経産相は福井県庁を訪れ、大飯原発の再稼働を求めて知事らと面談した。

大飯原発再稼働に向けた政府の動きについては、拙速との批判もある。橋下徹大阪市長は、民主党批判のトーンを強め、再稼働反対を次期選挙の争点とする考えを示した。

だが、仮に枝野経産相の要請が1年後であったとしても、地元や関西圏は同じように反対しただろう。だから、再稼働問題の本質は、拙速か否かではない。

枝野経産相は6日の記者会見で、新たな安全基準に基づき再稼働させた原発で重大な事故が起きた場合、「政治的な責任は間違いなくこの4人野田首相はじめ関係閣僚が負う」と述べたという。負いたければ負ってもらって結構だが、その程度で、反対の拳を下ろす人はいまい。そもそも、首相だろうが経産相だろうが、個人で責任を取れる問題ではない。これも、再稼働問題の本質を外れた話だ。

7日の毎日新聞によれば、御前崎市長選に立候補した水野克尚氏(57)は、住民団体のアンケートに対し、「安全性が確認されない限り浜岡原発の再稼働は認められない」と回答したという。愚かな回答だ。水野氏は、原発の安全性が確認されることもある、と思っているらしい。「想定の範囲内なら」という限定つきの安全を受け入れない限り、安全性が確認されることは、ありえない(そのことを、まだ学んでいない人がいるとは驚きでだ)。したがって、安全性が確認されるか否かも、再稼働問題の本質ではない。

原発再稼働問題の本質はなにか。それは、司法救済が保障されていない点にあると思う。

福島原発事故は、一般住民の死者を出していない。健康被害さえ、公式には確認されていない。もちろん、被災者が失ったものは、物凄く大きいが、交通事故や薬害で命や健康を永遠に奪われた被害者に比べたら、本来、財産給付による救済が可能な損害だ。ところが、彼らは未だ被害救済を(ごく一部しか)受けていないし、おそらく将来にわたって、受けることはない。財産的損害ですら、被害総額がとてつもなく大きいとき、国は絶対に救済してくれないことを、我々は知ってしまった。なにより、被害救済を担う国家機関であるべき司法が、全く無力であることが、あからさまになってしまったのだ。事後救済が受けられないなら、事前に反対するしか、途はない。だから、原発の再稼働に地元が反対するのは、至極当然である。

司法制度の存在意義は、被害者救済だけではない。事後救済を保障することによって、事前の政策遂行を可能にしているのだ。だから、事後救済が保障されなければ、原発再稼働政策が滞るのは、当たり前なのである。

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2012年4月13日 (金)

プライバシー保護後進国ニッポン

日本経済新聞は411日と12日、「グーグルの個人情報指針を考える」と題して、玉井克哉東京大学教授と新保史生慶應義塾大学准教授の論考を掲載した。どちらも、グーグルのプライバシーポリシー一元化に関する問題提起である。多少重複しているところもあるが、どちらも平明な文章で、問題点を指摘している。

玉井教授は、EU(欧州連合)が本年1月、加盟各国のデータ保護法を一元化し、独立のデータ保護機関が全欧州にわたる一貫した法執行を担うとの新法を提案していることや、EUや米FTA(連邦取引委員会)がグーグルの独占禁止法違反について調査中であることを指摘し、わが国の法整備の遅れを批判した。

新保准教授は、「問題解決のための糸口」として、①新たな利用者保護の仕組み、②個人情報保護方針のあり方の再検討、③国境を越えた個人情報保護と国内における統一的な法執行機関の設置、を挙げている。

「ネットワーク・プライバシー」の問題は、特定のプライバシー情報が漏洩する、というだけにとどまらない。人はパソコン、携帯電話、ATM、街角の監視カメラ、その他あらゆる媒体を通じて、意識的・無意識的にプライバシー情報をネットにばらまきながら生活している。このばらまかれた情報を、いわゆるビッグデータ活用の名の下に、拾い集めて再構成すれば、ネット上にその主体となる人間の人格を造り出すことができる。それは、マーケティング等の分野で、多くのビジネスチャンスを生み出すだろう。

しかし、ネット上における人格の再創造は、その人のプライバシーをあからさまにするものだ。ペルソナ(人格)の語源が「仮面」であることが象徴的に示すとおり、異なる世界で別の顔を使い分けることは、人間が社会生活を営む上で不可欠の行動だから、「別の顔」を暴露されない権利は、その人の基本的人権として保護されなければならない。

さらに恐ろしいのは、プライバシー情報の再構成過程で過誤や情報脱落が発生し、別の人格が創造されてしまうことだ。

このこと自体は、情報法学者によって20年以上前から指摘されていたが、いよいよ現実の問題として浮上してきたわけだ。

欧米では1980年にOECDプライバシー・ガイドラインが制定され、1995年のEUデータ保護指令へと発展した。欧州を初めとする各国には政府から独立した第三者機関としてプライバシー・コミッショナーが設置されたが、日本では、2003年にようやく個人情報保護法が制定されたものの、私人間効力のない行政法規に過ぎず、しかも監督官庁ごとにバラバラで実効性に欠けるもの。この時点ですでに「周回遅れ」の差を付けられていた。

ところが、玉井教授によれば欧州は国際機関を設けて法執行を委ねるという。国際的な情報流通が当たり前になった今日、プライバシー保護制度のあり方としては、当然の進化形といえよう。

しかし日本では、未だ省庁縦割りすら解決できず、グーグルに対する行政指導も、司法判断も、完全に無視される始末。

案外知られていないのは、このプライバシー保護後進国において被害を受けるのは、一般市民ばかりではない、ということだ。本来、「プライバシーを侵害する側」である筈の日本の情報産業の方こそ、被害者とさえいえる。なぜなら、欧米の企業にとって「ルールがない」ことは「何をやっても自由」であることを意味するが(グーグルの振舞がその典型)、日本企業にとって「ルールがない」ことは、「何をやるのも禁止」を意味するからだ。実際、日本の大手情報産業は、総務省に日参し、「規制を作ってくれないと競争に参入できない」と陳情していると聞く。

こうして、日本の法制度が2周遅れになる中、日本の情報産業は3週遅れへの道を歩むのだ。

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2012年4月11日 (水)

北朝鮮「ミサイル」を正しく怖がることについて

しょせん素人の床屋談義だが、最近の北朝鮮「ミサイル」発射実験への自衛隊の対応とその報道は、なんだか変だと思う。

報道によれば、北朝鮮が打ち上げる予定なのは「人工衛星」ではなく「ミサイル」であり、それが予定進路を外れて日本に落下する場合に備え、イージス艦とパトリオットミサイル部隊を配備したという。イージス艦は3隻が東シナ海と日本海に、パトリオットミサイルは沖縄本島、宮古島、石垣島のほか、東京市ヶ谷の防衛省、陸上自衛隊朝霞訓練場、習志野演習場に配備された。

しかし、「人工衛星ではなくミサイル」という言い回しは変だ。私の理解によれば、「人工衛星」とはロケットの「積荷」のことであり、「ミサイル」とは、「爆弾を積荷とするロケット」のことだ。だから、「人工衛星ではなくミサイル」という言い方は不正確だし、そもそも今回のロケットは弾頭に爆弾を積んでいない(そりゃ北朝鮮がなんぼアレな国でも、弾頭に爆弾は積まないでしょう)のだから、「ミサイル」ではない。

これに加えて変なのは、パトリオットミサイルの要否と配備場所だ。今回のロケットが日本領土に落下するのは、事故が発生した場合に限られる。事故が起きれば北朝鮮は自爆させるはずだし、韓国軍や在韓米軍、東シナ海と日本海に展開する米軍が撃墜を試みるだろう。つまり、パトリオットミサイルの出番は、①ロケットが進路を外れて日本に向かい、②自爆装置が故障し、③韓国軍と米軍がともに撃墜に失敗した場合に限られる。この条件をことごとく満たして「ミサイル」が日本領土に落下する確率は、ものすごく低い。

そうだとすると、次に分からないのは配備場所だ。今回の「ミサイル」に事故が起こった場合、日本の何処に落ちるかは全く分からないのだから、せいぜい半径30㎞しか守れないパトリオットミサイルは全く無力であり、東京と沖縄にだけ配備する意味は何もない。百歩譲って首都防衛の重要性は認めるとしても、なぜもう一箇所が沖縄なのか。しかもなぜ宮古・石垣島にまで配備するのか、意味不明だ。今回の「ミサイル」が宮古島を直撃する可能性は、たぶん、時々落ちてくる古い人工衛星が宮古島に落下する確率と同程度だろう。要するに、無視しても良い確率だと思う。

このように考えてくると、イージス艦とパトリオットミサイル配備の目的は、北朝鮮の「ミサイル」に対抗することではない。おそらく、その意味するところは第一に、日米韓合同の軍事演習であり、仮想敵国は中国だ。第二に、日米共同して沖縄県民を守るというアピール、すなわち広報活動である。

この仮説に立てば、中国が北朝鮮の説得に消極的なことにも合点がいく。中国から見れば、自国の軍隊を動かさずに、仮想敵国(日米韓)軍のミサイル対応能力を観察できる好機だからだ。いま東シナ海では、日米韓中ロによる熾烈な情報収集合戦が展開されているのだろう。

いずれにせよ最も変なのはマスコミの対応である。どれも判で押したように「ミサイル」の脅威をあおるだけ。フクシマを経験している我々は、「正しく怖がる」ことの重要性を理解したはずではなかったのか。

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2012年4月 9日 (月)

裁判官よ、腹が減ったら飯を食え。

1215分にならないと、昼飯を食いに行けないんだ」と、友人の裁判官がぼやいていた。公務員である以上、指定された時間にならなければ、昼休みを取れないのだという。時計とにらめっこしたあげく、1215分になると「それっ」とばかり飛び出すが、裁判所回りの店はすでに満員。帰るころには午後の法廷時間が迫っている。それでも「上がうるさくて」と、彼は言った。

馬鹿げた話である。しかも絶望的だ。

裁判官は国家公務員だが、労働者ではない。自分の時間を使用者に売り、その対価を得て、口を糊する者ではない。そうではないと言うなら、5時に法廷を途中で打ち切る裁判官や、残業代を請求する裁判官を認めなければ一貫しない。

裁判官は、法廷の時間を守る以外は本来自由だ。勤務時間を遵守したか否かで評価される職業ではなく、事件処理の中身(結論の妥当性や処理件数や迅速性、進め方など)によってのみ、評価される職業なのだ。だから、盆も正月もなく働いてもらうこともあれば、英気を養うため、平日一日寝てもらうこともある。昼休みの時間くらい何なのだ。腹が減ったら飯を食え。

「赤の他人の昼休み時間に何を熱くなっているのか」と思うなかれ。これは、司法の根源に関わる問題である。なぜなら、裁判官は法と良心のみに従い(憲法763項)、国民の権利を守るため必要なら、会社の業務命令、法令や行政処分を無効にする強大な権限を有する。とはいえ、「強きをくじき、弱きを助ける」のは、それなりに度胸が要ることだ。「上」が怖くて時計とにらめっこするような裁判官に、違憲判決など、書けるはずもない。裁判官に昼休み時間を厳守させることは、つまるところ、司法の自殺であり、国民のためにならないのである。

同じ話は、いわゆる高級官僚にも当てはまる。公務員給与削減に溜飲を下げた国民もいるようだが、彼らは、結局のところ自分の首を絞めていることに気づかないのだ。官僚各位も、ストをしろとは言わないが、国会期間中に、5時になったら、一人残らず帰宅されたらいかがだろう。

1215分にならないと昼休みを取れない裁判官」の話が絶望的なのは、この話が、それによって不利益を受ける、当の国民に端を発するからである。具体的なクレームがあったか否かは分からないが、「公務員たる者、勤務時間を厳守するべし」との「国民の声」を慮った裁判所内の馬鹿上層部が、昼休み時間の徹底遵守を下達したのだろう。上記のような「正論」もあったかもしれないが、「国民の理解が得られない」と退けられたのだろう。

こうして、嫉妬を行動原理とする国民と、一部のクレームを針小棒大に受け取る裁判所上層部と、ヒラメ裁判官が、この国をどんどん駄目にしていくのだ。

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2012年4月 6日 (金)

弁護士と顧客満足(CS)

大坂弁護士会最大級の派閥である友新会が「利用者の視点で弁護士・弁護士会のあり方を考える~真の顧客満足とは何か~」というシンポジウムを開き、その有様を会誌に掲載した。

ゲストはもと大阪家庭裁判所所長の林醇氏と、北野病院病院長の藤井信吾氏。林氏は「大阪家庭裁判所CS向上プロジェクト」を発足させ、家事調停における「顧客満足」を追求した。家事調停とは主に離婚と相続だが、調停成立率が低く、当事者が満足を得られていないのではないかという問題意識のもと、裁判官や調停員らにより構成するワーキングチームを作り、CSの向上を目指した。

藤井信吾氏はもと産婦人科医。年間1000分娩ある病院の医長から病院経営の手腕を発揮し、赤字病院を次々黒字化した。患者を断らない、病院スタッフの責任感と奉仕の精神を醸成する、接客に必要な言葉遣いの徹底など、あらゆる面で病院のCS向上を図っている。

対する弁護士からは、藪野恒明現大阪弁護士会長ら。弁護士側からは、弁護士大増員時代を踏まえ、依頼者の視点に立った業務のあり方について、様々な意見が出されたが、ゲストの二人に比べ、焦点がぼやけてしまった印象がある。林もと大阪家庭裁判所所長からは、「調停などをやっておりますと、実は弁護士さんがいなければ簡単に成立するのに、弁護士さんがついているためにいろいろと難しいことを言われて成立しないということが非常によくあります。そのことが本当に依頼者のためになっているのか」とか、藤井院長からは、「医療というのは、本当に命がけで、我々は体を削ってやっているんです。だけど…裁判に負けたからといって、負けた側の弁護士さんというのはどういうふうな形でパニッシュメントをうけているのか。ただ報酬がもらえないだけ。これはやはり甘い世界だと思うんです。極めて甘い世界で仕事を依頼されているということは、そこに何か甘えがあるんじゃないか」などと、かなり厳しい苦言も放たれているが、弁護士側からは反論もなく、やや肩すかしであった。

とはいえ、「客を待たせて平気」な施設の二大巨頭だった裁判所や病院が、一部かもしれないが顧客満足を追求しているという事実は、素直に受け止めるべきだと思うし、翻って弁護士にとっての顧客満足とは何かは考えなければならない。

弁護士と、裁判官や医師の仕事には相違点も多いが共通点もある。たとえば、しばしば、ものすごく筋の悪い事件(症状の患者)を引き受けなければならない、という点だ。離婚しようがしまいが、絶対に幸福になれない夫婦、難病で、およそ助かる見込みのない患者を引き受けたとき、裁判官や医師は、どうやって「顧客満足」を追求するのだろうか。

そこには、弁護士のあるべき姿に対するヒントが含まれているような気もする。

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2012年4月 4日 (水)

社会正義のため会員に身銭を切らせる日弁連

323日、「東日本大震災の被災者に対する援助のための日本司法支援センターの業務の特例に関する法律」、通称「法テラス震災特例法案」が参議院を通過し、4月から施行された。

この法律により、法テラスでは、被災者の資力要件が3年間、原則撤廃され、刑事を除いたすべての法律相談が無料になるほか、東日本大震災に起因する裁判はもちろん、ADR(裁判外紛争解決手続)や東京電力との交渉についても、資力にかかわらず、弁護士費用の立替払いが受けられる。しかも返済開始は、一般の法テラス案件と異なり、事件解決まで猶予される(以上法テラスのHPより)。

ここに「被災者」とは、災害救助法が適用された地域に居住する個人をいう。適用地域の一覧はこの通り。宮城県全域も適用されているから、県民230万人(但し子どもも含む)は、どんな大金持ちであっても、法テラスの援助を受けられる。

これに対し、地元の弁護士から、早くも異議の声が上がっている。法律相談の一律無料は、個々の弁護士や弁護士会による有料法律相談否定であるとか、法テラスが弁護士報酬の独占価格を形成することになる、という批判だ。

弁護士報酬に関する法テラス基準は、平均的な弁護士報酬よりかなり安い。弁護士にとって赤字事件も多い。弁護士側も、法テラス利用者は経済的困窮者だから半分ボランティアと思って処理しているが、全部が全部法テラス基準になってしまったら、経営が立ち行かなくなる事務所が出てくるかもしれない。たとえるなら、田舎の個人商店街に国営のスーパーマーケットが進出して、安値攻勢をかけるようなものである。

とはいえ、この特例法の適用対象は個人に限られ、法人は含まない。また、弁護士と親密な人は、あえて法テラスの援助を受けないだろう。だから、企業や富裕層を顧客に持つ老舗法律事務所は、特例法の影響をさほど受けない。モロに受けるのは、弁護士会の法律相談やホームページを経由した「一見さん」を主な顧客とする個人事務所で、世代としては若手・中堅が多いのだろう。弁護士報酬を安くせざるを得なくなるなら、特例法は、彼らに身銭を切らせたことになる。単価は下がっても震災関連事件が増えるから売上は減らない、という楽観的予測もありうるが、その保障はない(関東大震災後は訴訟が頻発したが、阪神大震災後はむしろ減ったと言われている)から、不安な気持ちはよく理解できる。仙台で開業するある弁護士は、特例法は議員の人気取り等に過ぎないとして、公正取引委員会に対する申立を準備しているとも聞く。

だが、この特例法はもともと、日弁連の強い要望があって成立したものだ。被災者が法テラスの援助を受けようとしても、義援金や生命保険金を受け取っていたり、家賃免除の仮設住宅に住んでいたりして、援助基準を満たさないケースがあり、これはいかにも不当だと、日弁連が議員への陳情を強力に行った。公明党や、給費制では冷淡な民主党も賛成に回ったし、マスコミも総じて法制定を支持した。財務省は消極であり、法務省内にも法制定は不要、運用改善で対応すればよいとの意見もあったが、法制定が必要と押し切ったのは、日弁連と、これを支持した議員である。

この経緯に照らせば、特例法の実施に対して、地元弁護士が異議を申し立てることは、外部の目には、とても奇妙に映ると思われる。日弁連なり地元弁護士会なりが、適切な内部意思決定手続を踏んでいるなら、異議は今更ということになるし、踏んでいないなら、日弁連・地元弁護士会の組織としての一体性・信用性が疑われることになろう。ただ、内部意思決定手続きを踏んでいるとしても、被災地弁護士会の弁護士は、今までも収入を犠牲にして被災者支援に駆け回っていたはずであり、その収入をさらに減らす措置を弁護士会が推進して顧みないというのは、いかがなものか、という気がする。現地の空気感が、大阪からはつかめないところであるが。

付言すると、特例法の制定に対して、宇都宮執行部が積極的に活動したことは上記のとおりであり、同会長は特例法の制定を歓迎する声明を発表している。だが、仮に旧主流派の会長であったとしても、同じことになっただろうと思う。

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2012年4月 1日 (日)

猫ひろし、日弁連会長内定

Nekohirosi

カンボジア国籍のお笑い芸人でマラソンランナーでもある猫ひろし氏(34)が、日弁連(日本弁護士連合会)会長に就任することが内定した。弁護士資格がなく、日本国籍を有しない日弁連会長は史上初。

日弁連会長はもともと、日弁連会員である弁護士のみ就任資格を有していた。ところが、平成242月に実施された日弁連会長選挙に立候補した現職の宇都宮健児氏(65)と山岸憲司氏(64)の両方が当選要件を満たさず、再投票と再選挙を繰り返したあげく、両候補とも再々選挙への立候補を辞退したため、選挙管理委員会が、候補者の公募に踏み切ったもの。

日弁連会長の当選要件は、最多数票を獲得するとともに、全国52ある弁護士会の3分の1である18会以上の支持を得ること。山岸憲司候補は総得票数で上回ったものの、地方弁護士会の支持を得ることができなかった。この決着が付かない限り、理論的には、永遠に再投票と再選挙が繰り返されることになる。ある選挙管理委員は、「理論的に選挙が永遠に終わらない可能性があることは、選挙規程を制定した当時の弁護士にも分かっていた筈だが、まさか本当にそのような事態が起きるとは、想定外だったと思う。それだけ現在の(日弁連の)分裂状況が深刻、ということです」と語った。

しかし、弁護士資格要件を外して立候補者の公募を行ったものの、届出は猫ひろし氏ただ一人。日弁連幹部が著名な学者や政治家、経済人に立候補を打診したが、いずれも「泥舟には乗りたくない」と拒否されたという。

猫ひろし氏が立候補を届け出た際、「カンボジア人に日弁連会長資格があるのか」との疑問も指摘されたが、「公募資格に国籍条項を設けなかった以上、日弁連会長就任はやむを得ない。外国人が立候補してくるのは想定外だった」(ある選挙管理委員)と、ふたたび選挙規程のツメの甘さを露呈した格好だ。

もっとも、「異論の核心は国籍ではなく、無名のお笑い芸人の売名行為ではないかという点にある。大多数の弁護士は、ロンドンオリンピックを見るまで『猫ひろし』なるお笑い芸人の存在を知らなかった。だが、公募をしておきながら、職業差別的なことを口に出せないでしょう」(ある日弁連幹部)。

猫ひろし氏自身は批判もどこ吹く風。「給費制復活を訴えるノボリを背負って全国をマラソンしたいニャー!」と意気軒昂。記者会見では寒いギャグを連発していた。

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