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2012年4月25日 (水)

「衆議院」不要論

ねじれ国会や、首相だけころころ変わって、閉塞状況は何も変わらない日本政治を悲観してか、参議院不要論が盛んだ。

しかし、なぜ「参議院」不要論だけで、「衆議院」不要論が無いのだろう。首相が短期間で変わる原因は、参議院ではなく、衆議院にあるのに。参議院と異なり、衆議院には解散があるので、与党は、常に解散を恐れながら首相を担がなければならない。ほぼ毎週報道される内閣支持率に一喜一憂し、「この総理では選挙に勝てない」となれば、その首をすげ替える。短気な民意がダメなのかもしれないが、民意とはそういうものだ。つまるところ、日本の議院内閣制は、民意の変化がその都度反映する仕組みになっているからこそ、短期間で首相が替わるのである。短命政権を憂いつつ参議院不要論を唱えるのは、自己矛盾ということになる。ちなみに、55年体制下で長期政権が可能だったのは、「11/2政党制」の結果として、政権交代の可能性が無かったからだ。

そこで、思考実験をしてみる。参議院不要論ではなく、衆議院不要論だったらどうなるか。あるいは、二院制としても、参議院優位で、首相は参議院議員から指名されることにすればどうか。

この場合、参議院議員は3年ごとの半数改選なので、首相の任期は最低でも3年だ。民意の変化は、衆議院ほど頻繁に反映されないので、与党や内閣は、大所高所から腰を据えて政策に取り組める。国民から見れば、3年間は政権与党が代わらないため、ハズレを引いたら悲惨だから、短期的な政策よりも人格重視で、長期的な見地から投票することになろう。

この思考実験が示唆するところは何か。参議院不要か、衆議院不要かという問題は、単純な組織改廃の問題ではなく、「民意をその都度反映するが、短命政権になる」方がよいのか、「民意をその都度反映しないが、長期政権が生まれる」方がよいのかという問題、ということだ。いいかえれば、民主主義のあり方として、どちらが正当か、という問題であり、さらにいいかえれば、どちらが国益にかなうか、という問題である。

このような問いの立て方は、直接民主主義こそ理想とする立場からは、民主主義の冒涜に他ならない。だが、我々はアテナイ市民でないのだから、間接民主主義こそ現代民主主義の要諦との考え方もあってよい。

そうだとするなら、「衆議院」不要論は、我々の民度を問う、貴重な思考実験になるかもしれない。

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コメント

面白い視点だと思います。勉強になりました。

ただ少し疑問なのは、英国の庶民院はやはり解散の規定がありますが、サッチャーも、メージャーもブレアも10年前後やっていますよね。
日本とは何が違うのでしょう?

投稿: | 2012年4月26日 (木) 04時29分

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