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2012年6月22日 (金)

「利権狙い」と批判することについて

日弁連が法科大学院制度を推進した目的は、「法科大学院に絡む弁護士会の利権獲得を目的にしていた」とする黒猫氏の意見に対する反論「地獄への道は善意で敷き詰められている」に対して、黒猫氏からご反をいただいた。

反論をいただいたのは大変ありがたいのだが、法科大学院制度設立「前」に、これを推進した理由と、制度設立「後」の今、法科大学院制度に固執する理由とがごちゃ混ぜになっていて、分かりにくい。「法科大学院制度を推進した目的」とある以上、制度設立前の話かと思っていたのだが、そうでもないらしい。だがこの二つは、区別するべきだと思う。たとえは悪いが、結婚する理由と、結婚後も配偶者が好きな理由は、違うこともある。

冗談はさておき、「法科大学院制度設立前」、これを推進した弁護士が、法科大学院における教授等の地位という「利権」獲得を目的としていたか否かは、検証可能だから、是非研究していただきたい。当時の推進論者の主張等と、その後の経歴をつき合わせてみれば良いのだ。例えば中坊公平氏はどうか。宮本康昭弁護士は、2004年に東京経済大学経済大学法学部教授に就任し、2年で退職しているが、この「利権」が目的で司法改革の旗振り役を担ったのか。後藤富士子弁護士は法科大学院に務めていない(と思う)がどうか。斎藤浩弁護士が、「立命館大学法科大学院教授という利権」を獲得する目的で法科大学院制度を推進したかは、当時彼が記した多数の論文を読めば想像がつくはずだし、その地位が、彼のキャリアに照らして「利権」に値するか否かも、少し調べれば分かることだ。ちなみに、同じ立命館大学法科大学院教授である森下弘弁護士は、司法制度改革全般に批判的な意見を述べ続けていたが、黒猫氏の立場からは、なぜ法科大学院教授を努めているのか。同じく愛知大学法科大学院教授の森山文昭弁護士は、「自由と正義」20007月号に、「法科大学院(ロースクール)構想の隘路」と題する論考を寄せ、ロースクール構想を拙速と厳しく批判したが、同弁護士と「利権」の関係はどうなっているのか。岡田和樹弁護士は、一橋大学法科大学院教授であり、司法制度改革反対論者を厳しく批判するが、私の知る限り、法科大学院制度創設前には、何も言っていない。同弁護士の主張に反論すべき点は多いが、少なくとも、「利権」獲得を目的に行動した証拠は見当たらない。

司法制度改革当時、法科大学院制度創設に向けて奮闘した弁護士の名前は、あらゆる資料に列挙されている。彼らの動機を「利権狙い」と批判するなら、その現在の地位と、当時の主張を突き合わせる作業を怠ってはならない。個人攻撃になると躊躇する必要はない。彼らは、歴史的批判に値する公的役割を担ったのだから。

なお、あるとき社会的に評価される仕事をした人が、その後高い地位に抜擢されたり、相応の経済的利益を得たりしたことをもって、「利権狙い」と批判することは、道理の前後が転倒した発想だ。例えば宮川光治弁護士は、最高裁判所裁判官という「利権」が目的で、司法制度改革を推進したわけではない。江川紹子氏は、後に様々な政府委員に取り立ててもらう「利権」を目当てに、オウム真理教問題と取り組んだわけではない。ある働きが、結果として栄達をもたらしたとしても、それを「利権」とは言わない。

一方、「法科大学院制度設立後の今」、制度維持を主張する弁護士の動機は、どこにあるのだろう。法科大学院の教員を務める弁護士のうち、相対多数の動機は、「仲間意識」にあると考える。彼らは要請されて法科大学院に務め、それなりの理念を持って教育に当たり、学生に情が移り、同僚の教員と理想や立場を同じくするのだから、法科大学院の利益や主張を代弁するのは自然なことだ(もちろん、それが正当か否かは別の問題である)。彼らが、立場を同じくする同僚・学生の利益や主張を代弁することを、「利権」とはいわない。それが利権なら、依頼者の利益を、金をもらって代弁する行為は何というのだろう。

もちろん、法科大学院教授という自らの地位に連綿とし、司法制度改革の意義に固執する弁護士はいるだろう。だがこの動機は普通「名誉欲」といい、「利権」とはいわない。

一弁(渋谷シビック法律事務所)と駒沢大学法科大学院との関係は、寡聞にして知らなかった。だが、「利権」の「利」は「経済的利益」の「利」である以上、この関係を「利権」と批判するなら、最低限、渋谷シビック法律事務所または所長の比佐守男弁護士が、駒沢大学からいくら貰っているかの調査が不可欠である。いずれにせよ、弁護士会が法科大学院の運営に口を出す最大の理由は、利権云々というより、実務家である弁護士が法曹を養成することこそ理想と考えているからだと思う。

私は、法科大学院制度や、その側に立つ弁護士を擁護するつもりはない。だが、彼らの行為を軽々に「利権」と批判することは、止めるべきだと思う。「利権」という言葉は、多くの場合、「レッテル」でしかない。この言葉を使って批判することは、司法制度改革に反対する弁護士を「既得権益擁護」と批判するマスコミと同レベルに、自らを貶めることだ。このやり方は、嫉妬を行動原理とする人や、ステレオタイプにしか物事を見られない人、理解力の乏しい人を説得したり、仲間内で盛り上がるためには有益だが、心ある人の支持を受けないし、何より非生産的である。なぜなら、主観的には善意で行動している人に対して、「あなたの動機は利権です」と批判したところで、全く思い当たるところのない人からは「なんのこっちゃ。馬鹿か。」と思われるだけだからである。

それから、「法曹一元」の理念は、やや本題から外れるが、日弁連のDNAに深く刻印されており、決して消えていないし、司法制度改革を推進する弁護士の中にも、反対する弁護士(例えば武本弁護士)の中にも、法曹一元の理想は残っている。ある意味恐ろしいことに、「とっくに冷めて」などいないのだ。

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コメント

こんばんはm(_ _)m
利権の「利」には単に個人がいくらもらったかだけでなく組織としての権益拡大なども含めてとらえるべきではないでしょうか。それに構想時点のメンバーのことはもはやどうでもいいと思います。現時点で制度破綻をきたしているのに多くの税金が投入され学生から学費も取って生き残りを図っている。ポストに就いている弁護士にはもちろんボランティア同然の方もいますがいわゆるビッグな方はどうなのでしょうか?果たして仲間意識や名誉欲だけと言い切れるのでしょうか?人は複雑な生き物です。欲望だってあります。ポストや権益拡大やそれに伴う金の流れといった観点からの考察は不可避と思います。もっとも「利権」という言葉を使いたくないという先生のお気持ちはわかります。
駄文ですみません。失礼しますm(_ _)m

投稿: あさぎり | 2012年6月28日 (木) 23時45分

江川詔子さんと、宮川光治氏では全く違いますよ。

江川さんは利権目当てではないのは明らかですが、宮川氏のほうはどうなんでしょうか?利権目的ともそうでないとも情報が少なすぎて判断できかねます。

投稿: | 2012年7月10日 (火) 10時29分

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