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2012年7月13日 (金)

弁護士を依頼しない国民は淘汰されて当然

差し障りがあるので固有名詞は伏せるが、私が所属する某ADR(裁判外紛争解決機関)では、事件数が急増している。それも、弁護士が一方当事者の代理人として申し立てる事件が増えている。そのため、仲裁を申し立ててから、第一回目の期日が入るまでの日数が、50日から100日かかってしまう事態となった。本来、仲裁担当弁護士を増やして対応すべきだが、予算の関係もあり、ままならない。

そこで、このADRの首脳は何を考えたか。

「弁護士申立事件を受けつけない。または、弁護士申立回数を制限する」ことを、全国会議に諮る、というのである。その理由は、「弁護士が申立をすることによって、弁護士を依頼しない一般市民が(第1回期日の遅延という)不利益を被っているから」というのである。

常日頃温厚で有名な私だが、この発言を聞いたときには怒った。発言を求めて、こう言った。「国民は司法改革で弁護士を増やしたのだから、弁護士申立事件が増えて当たり前だ。それを受けつけないとか、回数制限するとか言うのは、司法制度改革の否定に等しい」。出席した他の弁護士は笑ったが、なぜだろう。

「法の支配を社会のすみずみに」とは司法改革の理念である。法の支配を社会のすみずみに行き渡らせるため、わが国は弁護士を大幅に増やした。つまり、弁護士こそが、法の支配の担い手である。国民は、弁護士に依頼することによって、法の支配の恩恵を受けるのである。

その意味するところは、こういうことである。すなわち、弁護士に依頼しない国民は、弁護士に依頼した国民に比べ、法の支配の恩恵を受けられないという不利益を被る。これは司法改革の理念から導かれる、至極当然の結論だ。だからこのADRでも、弁護士に依頼しない者は、不利益な扱いを受けて当然である。

もちろん、経済的な事情等により、直ちに弁護士を依頼できない者もいる。そこで司法改革は、法テラスを充実させた。経済的理由で弁護士を依頼できない人はいなくなった。それでも弁護士を使わないなら、使わない方が悪い。

司法改革で弁護士を増やせば、そこには当然、優勝劣敗が生じる。弁護士本人に限らず、その弁護士を依頼した国民も一蓮托生だ。最近、中央大学の安念潤司教授が「(司法試験)合格者数をどんどん増やせばよい。平均的な法曹の質は当然低下するが、誰が困るというのか。上位合格者の質は変わらないだろうし、良い弁護士に相談したければ、医者や歯医者と同じように、自分で探せばよい」と発言したとかで、一部弁護士の怒りを買っているが、司法改革の理念に照らせば、当たり前のことを言っているに過ぎない。弁護士を探せなかった国民や、悪い弁護士に当たった国民は、司法改革の理念に照らし、淘汰されて当たり前なのである。

これは善し悪しの問題ではない。大事なことは、このような社会を、日本国民自身が選択したということだ。「それでいいのか?」と問うことも大事だが、いっぺん選択し、撤回されていない国家政策である以上、上記ADRの如き公的機関としては、国民の選択に従うのが、あるべき姿である。

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コメント

善し悪しは別として、口下手な弁護士だね。

投稿: | 2012年7月13日 (金) 00時28分

「弁護士近未来小説」ですか?

投稿: なしゅ@東京 | 2012年7月13日 (金) 17時30分

どうして一方に弁護士が就くと、このような問題が生じるのですか?

弁護士先生の予定が合わないってことなら、まだ弁護士は足りていないのですね。

投稿: | 2012年7月16日 (月) 23時26分

「一方に弁護士が就くと」ではありません。申立件数が増えたからです。そう書いてあるのに、なぜ「弁護士先生の予定が合わない」と、書いてもいない理由を思いつくのでしょうか。

投稿: 小林正啓 | 2012年7月17日 (火) 06時51分

弁護士が代理人につくことで、その申立人(依頼者)の事件について日程調整が困難になって第1回期日が入りにくい、ということではなく(すみません、私も最初斜め読みでそうかなと思い込んでしまいました。)、弁護士がつくことで申立件数が激増し、そのせいで弁護士を頼んでいない申立人が割を食って期日が入りにくくなっている(とADR首脳部は主張している)、ということなのですね。

投稿: しんたく | 2012年7月17日 (火) 18時11分

しんたくさん、ご案内の通りです。ちなみに、「期日が入りにくい」のではなく、単純に、第1回期日の入る日が遅れている(本文に50日から100日かかっている、と記したとおり)、という説明でした。第1回期日が2ヶ月~3ヶ月先なら、弁護士の予定が入りにくい、ということはありませんよね。

投稿: 小林正啓 | 2012年7月17日 (火) 18時37分

 そのADR首脳が弁護士を付けない申立を弁護士を付ける申立よりも優遇しようとする意味が、どうしても分かりません。
 申立件数を減らすために代理人付の申立を制限するとすれば、申立をしたかった当事者の権利利益の実現が(弁護士を頼んだことによって)阻害されることになるのですよね。
 依頼者の希望でその手続を利用するのではなく、依頼を受けた弁護士の判断で他の手続ではなくそのADRを選択するという傾向があるのでしょうか。

 そもそも申立件数を制限しようとするという発想が分かりません。
 そのADR手続は手弁当で行っているので、たくさんの申立が来たら困るということなのでしょうか。
 手続を運営する側の発想としては、たくさんの申立を拒めないことを前提に1件あたりの負担を軽くする方向に物事を考えるのが自然だと思うのです。
 そうすると、代理人の付かない申立よりも代理人の付いた申立の方が、一般的には円滑かつ的確にその後の手続を進められるし、事件の処理も迅速化できるという意味で、弁護士代理を優遇するのが自然だと思うのですが。
 その意味では、東京地裁の破産再生部は、本人申立案件と弁護士代理申立案件を明白に区別して取り扱っており、司法制度改革を体現していることになりますね。

投稿: なしゅ@東京 | 2012年7月17日 (火) 20時18分

相手の意図を忖度しても詮無いことですが、私が聞いたところによれば、当該ADRは一般市民の利益のために設けられた制度であり、弁護士を付けた市民は裁判という本来的紛争解決手段があるのだから、そちらに行けば良い、ということのようです。

投稿: 小林正啓 | 2012年7月17日 (火) 21時49分

このような社会を、日本国民自身が選択したということだ・・・

選択する機会なんてありましたっけ?


投稿: とろ | 2012年7月18日 (水) 11時56分

ADRはそもそも弁護士委任に馴染み難い制度設計になっているかと思います。およそ家事調停事件と似たようなイメージといったほうが良いでしょうか。法律上の理屈ではなく、話し合いで当事者間で納得がいけばよいというのが、そもそものADRの制度趣旨かと思います。

そこに弁護士代理人がいることで、法律上の権利義務の話になってしまうとすれば、それこそ本末転倒であって、制度の予定する結論とは異なり、単なるミニ裁判所となってしまいかねないのではないかと思います。弁護士をつけて協議をするなら、ADRではなく普通の民事調停で十分に思います。

その点で、制度のすみ分けという観点からも、ADR首脳の判断は司法改革の理念に別に背く訳ではないと思います。

投稿: とおりすがり | 2012年7月18日 (水) 13時54分

交渉力と情報量の格差はどこにでも存在するので、完全に対等な当事者間のADRでない限りは(そんなのは存在しえないように思いますが)、弁護士代理人が着任する必要性は失われないと思います。

つまり、交渉力と情報量の格差がある以上、仮に話し合いで当事者間が納得がいったとしても、十分な情報を与えられていれば違う選択をしたり、対等な交渉力があれば納得はしなかったということが考えられるのではないか、ということです。

投稿: しんたく | 2012年7月19日 (木) 12時17分

ADRも訴訟も民事紛争解決のための複数選択しうるメニューに過ぎません。
手続きの柔軟性、解決スピード、強制力の有無その他諸々の事情でここのケースにおいてベターな方法はどれか選ぶと言うに過ぎません。
弁護士を付けたなら裁判所へというのは乱暴な話で、ADRにおいても法的知識や万一裁判になった場合の見通しを背景にした主張なり交渉が行われるわけです。
当然、ADRに弁護士が代理人として付くことは極めて有用ですし、そもそものADRの制度設計においても弁護士代理は想定されていると思うのです。
そもそもADRに申し立てが増えて~というのは、きちんと活用されていると言うことであり、嬉しい悲鳴だと思うのですよ。
そこで出てくるべきは、仲裁人を増やすなりといったADR機関強化の流れが自然ではないかと。

投稿: きゃんた | 2012年7月19日 (木) 12時57分

 確かに「当事者に弁護士が付かなければまとまったはずなのに、当事者に弁護士がついたせいで、話がぐちゃぐちゃになって、解決が長引いたりむしろ当事者の利益が害された事案」というものは、想定されうると思います。しかし、質の悪い弁護士が付いた例外的場合を想定して一般化すべきではありません。圧倒的に多くの場合は、弁護士に依頼することによって当事者の権利利益は、より実現されているはずです。
 また、権利義務を意識していない当事者を話し合いで丸め込むことがADRの特長であるということも、あってはならないはずです。ADRの特長は特定分野についての高度の専門性ではなかったのでしょうか。
 ADRの現場を知らない者の空理空論であることをおそれますが。

投稿: なしゅ@東京 | 2012年7月19日 (木) 14時18分

弁護士委任でADRが強化されていくのであれば、裁判所との違いは全く見えてきません。手続きの柔軟化があるとしても、弁護士が訴訟をにらんだADR機関手続きを進めるのであれば、それはミニ裁判所というべき機能に堕するのではないかと思います。

だったら、素直に裁判所の強化に充てれば良いのではないか、それをなぜADRで対応するのか。

そのあたりの理屈がわかりません。

投稿: とおりすがり | 2012年7月20日 (金) 12時17分

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