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2012年8月 1日 (水)

内藤頼博の理想と挫折(3)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

大津事件(2

大津事件に関する論考は、戦前戦後を通じ、多数存在する。その全てに目を通すことはできないし、本稿の目的でもない。平成4年(1992年)、児島惟謙が創設者の一人に名を連ねる関西大学が刊行した『危機としての大津事件』(関西大学法学研究所)と、同大学山中敬一法学部教授著『論考 大津事件』が、事実関係や学説を網羅的にまとめている。その後に出版されたものとしては、被告人弁護の視点で故鎌倉利行弁護士(ご指摘により関係者にお詫びして訂正いたします)が著した『大津事件考』がある。興味のある人はそちらに当たってほしい。

ここでは、昭和47年(1972年)に刊行された田岡良一大阪経済法科大学教授(当時)の『大津事件の再評価』をご紹介しておきたい。というのは、田岡教授の思考過程を辿ることが、論点の理解に有益と考えられるからである。

その思考過程というのは、こうである。児島惟謙はなぜ当時の政府と戦ったのか。それは、「法の厳格適用」のためではないか。だがそれなら、堤裁判長ら個別の裁判官を説得した行為は、裁判所構成法143条の明白な違反だし、その他にも、法律上疑義のある児島の行為はいくつもある。何より児島は、故意で法律違反を犯しているから、「法の厳格適用」が守るべき最高の価値であったとは思われない。

では、罪刑法定主義に基づき旧刑法116条を限定的に解釈し、被告人の人権を守ることが目的だったのか。だが児島惟謙は、どうしても津田三蔵を死刑にしたければ緊急勅令を発すれば良いと政府に具申しており、この発言は明白に罪刑法定主義(法律不遡及の原則)に違反する。だから児島惟謙が被告人の人権を第一に考えていたとはいえない。

以上の考察を経て、田岡がたどり着いた児島の動機は、西欧特にロシアに対する軟弱外交に終始してきた政府が、大津事件という未曾有の国難に際して法を曲げて適用することによりロシア皇帝の歓心を買おうとしたことへの反発にあるという。児島が「わが民族の独立と興隆のため是非護らなければならぬ重大な価値と考えているものが、政府の便宜主義によって押し潰されようとするのを見て、身を挺してこの価値を救おうとしたこと、これが、児島の政府に対する抗争の真因であると私は確信する」と田岡教授は結ぶ[1]

このいささか感情的な結語に刺激されてか、山中敬一教授は「児島の思想に過度にナショナリスティックなものを見る観点は、そのナショナリズムが排外主義的なものを意味していると解する限り、疑問である」と批判している[2]。しかし、「児島の行動を支えた、根源的な思想的動因は、対内的・対外的な明治立憲国家と憲法秩序の維持にあった」[3]とする山中教授の結論と、田岡教授の見解に、実質的な差異は無いと思う。


[1] 『大津事件の再評価』283

[2] 『論考 大津事件』219

[3] 『論考 大津事件』219

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