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2012年10月17日 (水)

内藤頼博の理想と挫折(11)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

「気骨の判決」と内藤頼博(5)

昭和174月に行われ、軍部と政府が露骨な干渉を行った翼賛選挙だが、その無効訴訟が複数係属した大審院では、担当裁判官の大勢が、時局に配慮した判決を出そうとしていた。これを憂慮した丁野暁春ら数名の判事が企画した座談会「戦時下の裁判道を語る」(法律新報)に、当時35歳の内藤頼博も出席していた。

注目すべきは、この座談会の目的である。

丁野暁春判事は、「司法権独立を天下に示す…ことを中心に」すると述べているから、この座談会の目的は、一見、司法権独立にあると思われがちだ。だが、出席者の発言は、「裁判所(官)が時の政府の方針に迎合してはならない」という点に集中しており、「司法権の独立」は主題でないことが分かる。もし「司法権の独立」が主題なら、結果的に政府に迎合しようがしまいが、裁判所(官)が自主独立に判決を行えばそれで良い。また、前述したとおり、この時点で政府・軍部が裁判所に対してあからさまな干渉を行っていなかったことは、選挙無効判決を出すことが当初から予想された吉田判事が暗殺も更迭もされず、裁判長の地位に留まることができたことからも明らかだ。つまり、この時点で「司法権の独立」は、それなりに守られていたのである。

それにもかかわらず、出席者が口々に「あるべき裁判道」を説く目的は、他にあるとみなければならない。

すなわち、出席者は明らかに、翼賛選挙を弾劾する判決を裁判所に求めている。「司法権の独立」どころか、他の裁判官の職権行使の独立に土足で踏み込むような発言だ。それでもよいと考えていたということは、彼らにとって、「司法権の独立」とは、それを上回る価値を実現する手段に過ぎないことを意味している。その価値とは、藤江忠二郎判事のいう「国家の正義」であり、松尾實友判事のいう「国家の道義」だ。この正義や道義のためなら、他の裁判官の職権行使に介入することも許されるのだ。

この考え方は、大津事件の際、西欧列強にわが国の立憲主義を示すことを第一優先順位として、担当判事の職分に介入した児島惟謙の考え方と全く同じである。河本喜輿之判事が盛んに大津事件に言及するのも、児島惟謙の優先順位を是とするからであろう。

「司法権の独立」や「裁判官の独立」は、より高次の国家的正義・道義を実現するための手段に過ぎない、という彼らの考え方は、正論に見えるが、少数派であった。多数の裁判官はむしろ、司法権の独立を守るためには、政府に迎合する判決を出すことも許される、と考えたのである。この思想の違いは戦後に持ち越され、内藤らの掲げる理想と対立することになる。

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