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2012年10月31日 (水)

内藤頼博の理想と挫折(13)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

「気骨の判決」と内藤頼博(7)

昭和16(1941)12月、日本海軍の機動部隊がハワイ真珠湾の米艦隊を奇襲攻撃して、太平洋戦争が始まった。

翌昭和17430日に行われた第21回衆議院議員選挙では、候補者には「翼賛政治体制協議会」の推薦を受けるか否かの選択肢しかなく、推薦を受けず立候補した者は、露骨な選挙妨害を受けた。いわゆる翼賛選挙である。

昭和175月、翼賛協議会の推薦を受けず落選した鹿児島二区の候補者富吉栄二が、大審院に対し、選挙無効の裁判を提起する。他にも複数の選挙無効事件が提起されたが、「事実が訴状記載のとおりであるなら、選挙は無効を免れない」と考え、積極的な証拠調べを行ったのは、唯一吉田久大審院判事の主宰する第3民事部のみであった。

昭和187月、吉田久判事らは、鹿児島出張を敢行して、百数十人を超える証人尋問を行い帰京する。後は、事実関係を整理して判決を書くのみであった。

吉田久判事が翼賛選挙無効判決を出すかもしれない、という情報は、軍や政府も当然把握していた。しかし、吉田久判事を更迭するなど、人事上の妨害工作が行われた形跡は一切見られない。

一方、戦局は急坂を転がり落ちるように、敗色を強めていた。

昭和17年(1942年)65日、ミッドウェー海戦で、日本海軍は機動部隊の主力を失った。吉田判事が証人調べのため鹿児島に出張した昭和183月には、「餓島」と呼ばれたガダルカナル島で、2万人ともいわれる戦死者を出し、回復不能な損失を被る。昭和18年(1943年)418日には山本五十六連合艦隊司令長官が戦死し、5月にはアリューシャン列島のアッツ島守備隊が玉砕する。日本軍は守勢一方となっていた。

国内でも、東条内閣は追い詰められていった。複数の首相暗殺計画も存在したようである。

このような情勢下、大審院が翼賛選挙無効判決を出すことは、東条内閣にとって致命傷となりかねない。軍部としては、吉田判事なり大審院長を更迭して、無効判決を阻止できればベストだが、裁判官の人事権は、司法省が握っており、軍部といえども口を出せなかった。そこで東條英機首相は、吉田判事と大審院に対して、露骨な圧力をかけるという選択を行う。のちに「東條演説事件」と呼ばれる事件がそれだ。

昭和19(1944)228日、臨時の全国司法長官会同が開かれ、全国から参集し宮中に参内した128名の司法幹部は、首相官邸での昼食会に臨んだ。

このとき、東條英機首相が行った挨拶は、時の司法を揺るがすことになった。

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2012年10月29日 (月)

韓国の司法制度改革について

韓国の政府官僚は、日本のやろうとすることをじっと観察し、日本が議論したり試したり失敗している有様を参考にして、到達点だけ取り入れることがある。たとえるなら、要領の悪い兄貴と、よい弟の関係だ。司法改革の分野でも、ロボットの分野でもそうだから、きっとどの分野も同じなのだろう。韓国では、「日本に先んじた」ということが、評価される一つの基準なのかもしれない。

だが、韓国人はズルい、と不平を言うのは大人げないというものだ。韓国が先んじてくれた結果、日本ではまだ経験できない未来を、韓国に見ることができる。

国立国会図書館海外立法情報藤原によると、20123月、韓国初のロースクール出身弁護士が誕生した。

韓国では、2009年に25校のロースクールが誕生した。政府により定員は2000人と決められ、ロースクールと法学部の併置は禁止された。日本の「失敗」を避けるため、定員数を厳格に管理した結果、20121月に行われた弁護士試験の合格率は70%を超え、併存する旧制度(司法研修院)出身者と合計して2500人の法曹が誕生した。韓国の人口は日本の3分の1強だから、日本に換算すると約7000人になる。この法曹人口増加政策の結果、2010年に約1万人だった開業弁護士数(人口比で換算すると現在の日本とほぼ同じ)は、2020年代前半には約3万人に達するという。また、韓国では法曹一元化が段階的に実施され、2022年以降は、10年以上検察官又は弁護士の経験のある者から裁判官が選任されることになる。

韓国は、実に見事に、日本の失敗や試行錯誤や骨抜きを回避して、日本が掲げた理想通りに司法改革を実行したことが分かる。その結果、ロースクールの設立は日本より3年遅いものの、法曹一元の実現では日本を追い越すこととなったし、法曹志望者の減少も、日本ほど急激にならずに済んでいる。

では、韓国法曹界で起きつつある、日本ではまだ見ぬ未来はどうか。

記事によると、韓国は米韓FTAにおいて合意された国内法律市場の開放を実施するため,2009年に「外国法諮問士法」が設立され、EU韓では20167月、米韓では20173月以降は、国内外法律事務所が合同で事務所を設立し、国内弁護士を雇用して訴訟業務も担当できるようになる。韓国国内法律事務所は、大規模化と海外進出で対抗する構えだという。

もう1点、「弁護士仲介制度導入の動き」があると記事は伝えている。これは、弁護士を紹介する事業を、一定の条件の下で許可する制度であり、韓国弁護士会がすでに実施している「弁護士専門分野登録制度」と連動させる予定だという。これらは、日弁連レベルでも同様の取り組みがなされているが、様々な議論があって足踏み状態にあるものだ。この点も、試行錯誤する兄貴を要領の良い弟が追い越した例だろう。その先に何が待っているのか、兄貴としては、じっくり観察したいところである。

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2012年10月26日 (金)

大谷、予備試験挑戦へ

岩手県花巻東大学の大谷翔兵衛君(21)が、来年度の司法試験予備試験を受験すると宣言した問題に関し、日本ロースクール連合会の佐藤麹会長は、「予備試験を受験した者は、ロースクール入学を志願しても、20年間、願書を受け付けない」と述べた。これにより、司法試験予備試験に落第した場合、ロースクールへの道が事実上閉ざされることになるため、大谷君の去就が注目されている。

大谷君は、大学1年生から司法試験の受験勉強を始め、3年生になってからは、模擬試験で3回連続全国一位を獲得した「逸材」。大谷君を迎えれば、大きな宣伝となるため、各ロースクールは水面下で獲得競争を繰り広げていた。しかし大谷君は、「今受験しても合格するのに、なぜ2年も3年もロースクールに行かなければならないのか。自分は早く法律家になりたい」として、予備試験の受験を決断した。

司法試験予備試験は、ロースクールを卒業しない者にも法曹資格を取得する途を開くために設けられた試験。これに合格すれば、司法試験を受験することができる。今年度の司法試験では、ロースクール卒業生の合格率が約25%だったのに対して、予備試験組の合格率は約68%となり、特に現役学生の合格率はほぼ100%に達した。

これに危機感を募らせているのが日本ロースクール連合会。中西事務次長は「ロースクールは、実務家のため必要な教育を行う場所。『早く受かりたい』という理由で予備試験を選ぶという態度は、制度の趣旨とかけ離れている」と述べたが、「本音は、優秀な学生に見捨てられるのが怖いだけ」と、事情通は解説する。東京大学の丼上総長は、「大谷君のメジャー挑戦はロースクールの危機」と述べ、『予備試験』と『メジャー』との言い間違いに気づかないほどの狼狽ぶりを示した。

一旦予備試験を受験したら、事実上ロースクールに行けなくなるという「佐藤ルール」は、予備試験ルートで法曹を目指す若者に対して、一定の「脅し」になろう。「教育の機会均等の理念に背く」(文科省幹部)という批判もあるが、「要は、学生獲得のため、なりふり構わぬ手段に出た」(事情通)というところだろう。

だが、「佐藤ルール」は本当に、優秀な学生のロースクール離れを阻止できるだろうか。模擬試験で大谷君と常にトップを争う田沢純次君(21)は、「僕も予備試験を受けますが、もし落ちても、ロースクールには行くつもりは、初めからありません。だって、ロースクールから司法試験に受かっても、予備試験合格組には一生勝てない。トップグループに入れないなら、ほかの業界でトップを目指すだけ。『佐藤ルール』なんか、怖くも何ともありません」と言い切った。

「佐藤ルール」は、思惑通り、ロースクールに人材を取り戻す切り札になるのか、それとも、法曹界から人材を追い出すことになるだけなのか。発足して10年足らず。ロースクールは、早くも、大きな曲がり角を迎えている。

注;このエントリはフィクションです。実在する個人または団体とは、何の関係もありません。

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2012年10月24日 (水)

内藤頼博の理想と挫折(12)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

「気骨の判決」と内藤頼博(6)

翼賛選挙を批判し、「気骨の判決」を出すことになる吉田久、松尾實友判事を応援する座談会「戦時下の裁判道」に出席した内藤頼博だが、その発言はとても少なく、3つしかない。大先輩に囲まれて、遠慮したのかもしれない。だが、その発言を吟味すると、興味深いことを言っている。

内藤の発言の第一は、裁判官が司法大臣の監督を受けると、癒着しているとの国民の疑惑を招く、という根本松男判事を受けて、「大審院長や検事総長の地位をもっと高くして、大臣の監督を受けぬような制度にするのがよいと思いますね。つまり大臣が最高ではなくて、大臣になるのはなり下がりだという様にして置く。これなら弊害も比較的少ないでしょう。」という発言である。

第二は、翼賛選挙の話題を離れ、裁判官の待遇が問題となったときの、「アメリカの連邦大審院判事の俸給は大臣より高い」という発言、第三は、裁判制度と調停制度の違いに関する発言である。

興味深いのは、これらの発言はすべて制度論だ、という点である。すなわち、他の判事の発言が、「裁判道」という大仰な論題が示すとおり、裁判官個人の心構えに重心を置いているのに対して、内藤の発言は常に、人間ではなく制度に重心を置いている。

たとえば他の判事は、政府が裁判に介入することは許されないという。だが、裁判官が適切な判決を出すにはどうすれば良いかを言わない。丁野暁春判事は、「反省すべきは裁判官の独善恣意になってはならない。…そのためには裁判官は明智が必要だ。その明智は畏れ多いことだが大御心を推しはかり奉って得るべく又そこではじめて信念が得られると思ふ、それが矢張り児島院長の態度になっている。それがなければ裁判官の職責も巡査部長辺りと選ぷ所はないのだ。」と述べているが、要するに裁判官の心がけ次第ということだ。

これに対して内藤は、裁判官に高待遇を与え、経験を積んだ弁護士から選任するという制度(英米型の法曹一元制度)によって資質を担保し、さらに、国務大臣より高い地位を保障するという制度によって政治介入を排除することを考えている。

他と比べれば先進的だが、結局は大和魂的な発想から抜けきらない他の裁判官と異なり、常に制度論によって問題の解決を図る内藤頼博の発想は、内藤自身の資質にもよるのだろうが、昭和15年の米国留学が大きく影響していると推測される。

この制度論的アプローチは、敗戦後占領下の日本で内藤が活躍する一因になるとともに、内藤が最後まで周囲の理解を得られなかった原因でもあった。

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2012年10月22日 (月)

法は、ロボット技術とどう向き合うべきか

 以下は、EUで今年3月に開始されたRoboLawプロジェクトを紹介するEconomist紙の記事(2012年9月1日付)を翻訳したものである。何というか、こういうことに巨費を投じてマジメに探求するヨーロッパの人びとは大したものだ、と思う。かつて日本が"Japan as No.1"と浮かれていた80年代、私の守備範囲だけでも、欧州の人たちは、ネットワーク技術によってプライバシーが侵害される時代を予測し、適切な法制度を一生懸命模索していた。今の日本人は、20年後を見越した法制度検討に19億円を投じることができるだろうか。

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君はロボットかい?それとも…

「法は、人間と機械の境界を曖昧にする技術とどう向き合うべきか?」を研究するプロジェクトが発足した

今年初めに開催されたエコノミスト主催の会議で、MITのロボット研究家であるHugh Herr氏は、21世紀のテクノロジーは画期的な進歩を遂げるであろうと大胆な主張をした。舞台を歩き回ってスピーチしていた彼は、この大胆な主張を裏付けるため、突然ズボンの裾をたくし上げると、人口足となった両足を観客に示し、少し踊って見せた。「将来、人びとは不自由で、痛む四肢を人工手足に交換することになるでしょう」と彼は言う。

技術者が投げかける、このような法的あるいは倫理的な難問に取り組むためのプロジェクトが、今年3月に設置された。たとえば、人工手足は法的に見て、人間の一部なのか?人間の手足を切断し、人工手足に取り替えることが許されるのはいつか?全身麻痺で、ブレイン・マシン・インターフェースを介してのみ意思表示を行える人の持つ権利は何か?脳に機器をインプラントしたり、身体能力を強化したりする装置は、「障害」の定義を変更するのではないか?このたび設置されたRoboLawプロジェクトは、バイオ技術や神経交感技術の進展に伴い、法的枠組みのどこをどのように変更しなければならないか、という問題に取り組むことになる。このプロジェクトには、1900万ユーロが投じられ、技術・法律・規制・哲学、そして人間科学の専門家が集められる。

このプロジェクトの指揮をしている聖アンナ大学のエリカ・パルメリーニ氏は、人工器官のような新技術を規制し限界づける緊急の必要があると主張する。「もしあなたがロボット車椅子を使用している場合、その車椅子はあなたの体の一部なのでしょうか?」という問いに対し。米国弁護士であり生命倫理学者でもあるグレン女史はイエスと答える。RoboLawプロジェクトの一員ではない彼女は、航空会社の職員が損傷した「歩行介助具」は、単なる私的所有物ではなく、依頼者の肉体の延長であると主張して、最初は懐疑的であった保険会社を説得し、航空会社との示談に持ち込んだ。また、色盲のニール・ハビッソンは、イギリス当局に対し、色彩を音に変換する器具「アイボーグ」を装着した写真をパスポートに貼り付けることを認めさせた。それが、彼の体の一部であるとの理由で。これらは、これから多発するであろう法的問題の先駆けなのだ。

RoboLawプロジェクトでは、領域ごとにわかれて研究を進めている。オランダのティルブルフ法技術社会研究所においては、技術法の専門家が、ロボットデバイスを分類し、人間の自律、障害、正常、平等という定義に関連する法的問題と関連づける試みを行っている。例えば、ロボットデバイスが視覚や運動能力を回復させるなら、これらに関する「障害」を再定義しなければならない。

一方、ベルリンのフンボルト大学においては、哲学者の手によって、ロボット技術によって、「人間とは何か」という概念に挑戦する様々な方法を模索している。人間である、ということは、その肉体によって、姿によって、あるいは何か文化的な要因によって定義されるのだろうか?強化外骨格や、記憶力を強化する脳内機器は、人間とは何かという定義を揺るがすだろう。レディング大学の能力強化研究者は、脳に埋め込むだけで、感覚や記憶力を強化し、考えるだけで操作できる技術を検討している。これらの技術は、最初のうちは障害を克服するために用いられるだろうが、そのうちに、健常者の能力を増進させるために使われるだろう。ロボット技術と倫理との関係は、障害を克服する場合ではなく、肉体に埋め込まれて能力を増強する場合に問題となるだろう、と聖アンナ大学のペリクル・サルビーニ氏は言う。

脳インプラントは、プライバシーや後見に関して、新たな問題を提起している。既に、ブレイン・コンピューター・インターフェースは、全身麻痺患者と他人とのコミュニケーションを可能にしている。この場合、この患者はどのような法的地位にあるのだろうか?機器によって完全なコミュニケーションがとれる者に、後見は必要なのだろうか?

規制の強化には慎重でなければならない。シェフィールド大学のコンピュータ科学者であるノエル・シャーキーは、過度な規制は技術革新を阻害すると警告している。他方、規制があるかないか不明瞭では、ロボット技術者や医師や患者を暗闇の中に置き去りにすることになる。RoboLawの研究者は、2014年に成果を発表するときに、一定の回答を出したいとしているが、今のところ、答えより疑問の方が多いように見える。

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2012年10月17日 (水)

内藤頼博の理想と挫折(11)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

「気骨の判決」と内藤頼博(5)

昭和174月に行われ、軍部と政府が露骨な干渉を行った翼賛選挙だが、その無効訴訟が複数係属した大審院では、担当裁判官の大勢が、時局に配慮した判決を出そうとしていた。これを憂慮した丁野暁春ら数名の判事が企画した座談会「戦時下の裁判道を語る」(法律新報)に、当時35歳の内藤頼博も出席していた。

注目すべきは、この座談会の目的である。

丁野暁春判事は、「司法権独立を天下に示す…ことを中心に」すると述べているから、この座談会の目的は、一見、司法権独立にあると思われがちだ。だが、出席者の発言は、「裁判所(官)が時の政府の方針に迎合してはならない」という点に集中しており、「司法権の独立」は主題でないことが分かる。もし「司法権の独立」が主題なら、結果的に政府に迎合しようがしまいが、裁判所(官)が自主独立に判決を行えばそれで良い。また、前述したとおり、この時点で政府・軍部が裁判所に対してあからさまな干渉を行っていなかったことは、選挙無効判決を出すことが当初から予想された吉田判事が暗殺も更迭もされず、裁判長の地位に留まることができたことからも明らかだ。つまり、この時点で「司法権の独立」は、それなりに守られていたのである。

それにもかかわらず、出席者が口々に「あるべき裁判道」を説く目的は、他にあるとみなければならない。

すなわち、出席者は明らかに、翼賛選挙を弾劾する判決を裁判所に求めている。「司法権の独立」どころか、他の裁判官の職権行使の独立に土足で踏み込むような発言だ。それでもよいと考えていたということは、彼らにとって、「司法権の独立」とは、それを上回る価値を実現する手段に過ぎないことを意味している。その価値とは、藤江忠二郎判事のいう「国家の正義」であり、松尾實友判事のいう「国家の道義」だ。この正義や道義のためなら、他の裁判官の職権行使に介入することも許されるのだ。

この考え方は、大津事件の際、西欧列強にわが国の立憲主義を示すことを第一優先順位として、担当判事の職分に介入した児島惟謙の考え方と全く同じである。河本喜輿之判事が盛んに大津事件に言及するのも、児島惟謙の優先順位を是とするからであろう。

「司法権の独立」や「裁判官の独立」は、より高次の国家的正義・道義を実現するための手段に過ぎない、という彼らの考え方は、正論に見えるが、少数派であった。多数の裁判官はむしろ、司法権の独立を守るためには、政府に迎合する判決を出すことも許される、と考えたのである。この思想の違いは戦後に持ち越され、内藤らの掲げる理想と対立することになる。

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2012年10月16日 (火)

「67期修習生全員の就職内定」と公表は「オーバーに嘘をついた」

京都大学の中山教授がiPS細胞開発の功績によるノーベル賞受賞と報じられた翌日、日弁連就職支援委員会の森口委員長は記者会見し、「67期司法修習生全員の就職先が決まった」と述べた。森口委員長によると、弁護士志望者約1800人のうち、1000人は法律事務所への就職が内定し、残りのうち500人は民間企業への就職が、300人は地方公共団体への就職が内定したという。「長い時間がかかったが、民間企業や地方公共団体にも弁護士へのニーズがあるという、われわれの確信が証明された。これから弁護士は、司法改革の理念に従い、社会のすみずみに浸透していくだろう。」森口委員長はこう述べて胸を張った。これを受けて、日弁連の広報誌である日弁連新聞は号外を発行し、「67期の皆様、全員就職おめでとうございます」との見出しを躍らせた。

ところが、森口委員長が就職内定先として公表した企業や地方公共団体が、次々と「ウチでは弁護士の雇用を内定した事実はない」と、報道を否定。森口委員長は当初、「全員就職内定は間違いなく間違いではない」と主張したが、翌日の記者会見では、「全国の上場企業と都道府県市町村の地方公共団体全部が、弁護士を雇用してくれれば、就職難は解決するという『願望』を、ちょっとオーバーに言ってしまった。」と釈明。「それって、嘘ということですか」と問われると、「皆さんが嘘と言えば嘘になる」と、嘘をついたことを認めた。

その後、森口氏が本当に就職支援委員長なのかという疑惑が浮上。「就職支援委員会とは、何をしているのか」と問われた森口氏が「司法修習生に対する就職状況のアンケートをしている」と答えたが、「それは『調査』であって『支援』ではない。本当に就職支援をしているのか」との疑念が生じたためだ。日弁連は、毎年秋に司法修習生の就職状況を調査しているが、今年も調査を行ったにもかかわらず、その結果を公表していない。「昨年並み」との噂がある一方、「回答率が低くて信憑性がないため公表できない」との見方もある。ある事情通は、「10年前なら当たり前だが、今どき、修習生全員の就職内定なんて考えられない。日弁連新聞は、眉唾物のニセ情報に飛びつき、就職が決まっていない67期修習生の心を深く傷つけた。この罪は重い」と述べた。

日弁連評論家の小林正啓弁護士「この前、『iPS』を『いっぷす』と読んで大恥をかきました。」

注;このエントリはフィクションであり、登場する個人名や団体名は実在の個人団体と一切関係ありません。

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2012年10月15日 (月)

陰謀史観はダメなんだってば(2)

弁護士自らに苦境を及ぼした大増員に、当の日弁連自身が賛成したのはなぜか。それは、経済的基盤を確立したベテラン弁護士が、子どもに事務所を嗣がせるため、司法試験を易しくしたかったのではないか、と指摘する「元『法律新聞』編集長」氏のエントリに対し、「陰謀史観には与すべきでない」と批判したところ、「陰謀史観に与しないという主張は、それ自身が、陰謀を隠蔽し擁護することになる」との反論をいただいた。

わけ分からない議論だなあ、と読者は思われるかもしれないが、この議論のポイントは簡単だ。要するに、編集長氏のいう「日弁連中枢が、子どもに事務所を嗣がせるため弁護士大増員に賛成したという事実」(以下「陰謀」という)があったか、なかったか、という問題である。

編集長氏は、「陰謀」の存在を、確信とまではいかないかもしれないが、かなり信じておられるようである。

これに対して筆者は、「陰謀」の証拠が示されていない、と言っている。陰謀の認定には慎重であるべきだから、それ相応の証拠を示さなければダメ、というのが筆者の主張だ。筆者自身、平成61221日の日弁連臨時総会において、800人の特別決議が圧倒的多数の賛成で議決されたのは、辻誠、前田知克弁護士による陰謀だと主張したし、相応の証拠を示したつもりだ。また、「陰謀論って、ええーっ、何のこと…」という永尾廣久弁護士(福岡県弁護士会)に対しては、再度反論を行った(この論争は永尾弁護士の記憶違いにより、同弁護士は上記総会に出席していなかったとのオチで途絶えてしまったが)。

筆者は陰謀論を全否定しない。軽々に与してはダメ、と言っているだけだ。

だが、編集長氏は、ただの一個も証拠を示していない。ただの一個も証拠を示さずに、陰謀があったと主張することは許されない。これは「弁護士らしい反論」でも何でもない。弁護士でなくても、ジャーナリストであれば、ジャーナリストでなくても、健全な常識人であれば、当然のことだ。

編集長氏は、「『皆様のご子息が弁護士資格を取り易くするためにも、是非、この決議にご賛同を頂きたい』などという呼びかけがなされるわけもない」と述べている。これは、「証拠を示せと言っても、あるわけないじゃん」という趣旨かもしれない。だが、直接証拠がないからと言って、証拠がないとは言えない。情況証拠でも間接証拠でも、探せばいくらでもあるはずだ。

3000人決議を受け入れた当時の久保井一匡日弁連会長自身は、陰謀の当事者ではないことを、編集長氏はお認めになった。だが、久保井会長を支え、その後の日弁連会長になっている何人かの会長のご子息は、弁護士になっている(現会長のご子息も弁護士だ)。もし、陰謀の存在を主張するなら、これらの親子にどういう問題があったのか、なかったのかを調べ、問題があれば指摘していただかなければならない。編集長氏は、個人攻撃をする気はないと弁解されるが、ちょっとズルいと思う。これら歴代会長に、もしご指摘のような問題があるなら、ジャーナリストたるもの、その事実を白日の下に晒して批判すべきだ。ご子息には気の毒だが、日弁連会長を父親に持ったのが不幸と諦めていただこう。

もちろん、個人攻撃をしなくても、証拠を示す方法はいくらでもある。たとえば、新司法試験開始後の二世弁護士の割合を調べてみたらどうか。もちろん、旧試験時代から二世弁護士は多いが、同期に占める二世弁護士の割合が、新司法試験開始後有意に増えた、というなら、それは「陰謀」を示す一つの間接証拠になりうるだろう。

繰り返すが、筆者が言いたいのは、陰謀論は一切ダメ、ということではない。証拠も示さず、陰謀論を主張してはいけない、ということだ。証拠を探す努力さえしていないなら、なにをかいわんや、である。

編集長氏は、法曹でないにも関わらず、この業界の内情に通じ、しかも、数的多数のジャーナリズムに対抗して、司法制度改革の問題点を指摘し続けるという、極めて貴重な存在である。貴「重」な存在であるからこそ、その発言は重みを保ってほしいと熱望する。

上記陰謀論をまことしやかに語る若手会員が存在する、という事実は、私も知っている。だが、証拠もなく上の世代を批判するだけの行為は、居酒屋で上司の悪口を言い合うのと同レベルの情けない行為だ。ストレス解消にはなるだろうが、翌日の会社は、何も変わっていない。

 

追記;このエントリに対し、早速編集長氏からコメントをいただきました。ご指摘の通り、陰謀論是非論みたいな議論を戦わせること自体には、あまり意味がないし、問題意識は共有できたようなので、打ち止めにしたいと思います。考えてみれば、証拠の積み重ねで事実を明らかにしていくアプローチもあれば、まず仮説を立て、次に立証していくアプローチもあってよいわけです(前にせよ後にせよ証拠は必要だと思いますが)。その意味で、編集長氏には、司法改革の暗部を指摘し、これを証明してみせるという成果を期待したいと思います。

 

 

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2012年10月12日 (金)

青春18きっぷで弁護士逮捕

大阪地方検察庁特捜部は昨日、星野鉄朗弁護士(35)を逮捕したと発表した。容疑は詐欺罪。受任事件の出張旅費として、依頼者から東京往復の新幹線指定席料金として2万8100円の支払いを受けたにもかかわらず、実際には青春18きっぷを利用し、往復約4600円で出張した。星野容疑者が乗った小田原発戸塚行き快速電車が人身事故により3時間立ち往生したため、裁判所に出頭できなかったが、新幹線に乗っていれば遅刻しなかったため、不審に思った依頼者が問い質したところ、青春18きっぷを使って移動したことを認めたという。

今年に入ってから、出張旅費をめぐる弁護士の不祥事が相次いでいる。3件の裁判期日を同一日に入れたにもかかわらず、3人の依頼者からそれぞれ旅費日当全額を受け取っていたA弁護士(3人がたまたま知り合いであったことから発覚)、依頼者に新幹線グリーン料金を請求したのに、実際には自由席で出張していたB弁護士(隣の席に偶然依頼者がいたため発覚)、新幹線指定料金を受け取っておきながら、夜行バスで出張したC弁護士(夜行バスが事故を起こし救急搬送されたため発覚)など。

大阪地検特捜部は、星野容疑者の携帯電話の位置情報を入手しており、「位置情報は全部普通電車の路線上。この半年間新幹線に乗車した形跡がない」ため、多数の余罪があるとみて調べを進めている。星野容疑者は、「浮かせた旅費を事務所経費に流用した。依頼者には申し訳ない」と容疑を認めている。

日弁連の山串会長は、昨日午後に謝罪会見を行ったが、その晩の懇親会で「情けない弁護士が増えた。どうせ逮捕されるなら、依頼者の金1億円くらい横領しろといいたい」と発言したと報じられ、火消しに躍起になっている。

日弁連評論家の小林正啓弁護士「この事件の背景ですか?それはもちろん、弁護士には『乗り鉄』が多いからです(きっぱり)」

注;このエントリはフィクションです。

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2012年10月10日 (水)

内藤頼博の理想と挫折(10)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

「気骨の判決」と内藤頼博(4)

太平洋戦争中の昭和17年(1942年)に行われた翼賛選挙に対しては、その無効を訴える複数の訴訟が大審院に係属した。大審院民事第1民事部から第4民事部までのうち、吉田久が部長を務める第3民事部のみが、無効判決を念頭に置いて徹底した証拠調べを行った。言い換えれば、他の部は時局に迎合した判決を出すと見られており、現に第二民事部(矢部克己裁判長)は昭和181029日、原告敗訴の判決を言い渡す。つまりは、裁判所の大勢は、翼賛選挙を追認する立場をとりつつあった。

当時34歳だった内藤頼博は、この情勢を憂える丁野暁春東京控訴院判事(当時)らとともに、昭和18210日、法律新聞社主催の座談会「戦時下の裁判道を語る」に出席した。そこには、同月に吉田久の部へ異動する[1]松尾實友判事も出席しており、さながら、松尾壮行会の趣であった。

翼賛選挙無効訴訟に関しては、「これはある意味では第二の湖南事件(注;大津事件のこと)だとさえ言われています。裁判の結果はともあれ、大審院が鼎の軽重を問われるようなことがあっては末代までの恥辱だと思う。時の政治に迎合した(と)後世から批評されるようなことがあっては折角児島院長によって作られた司法部の歴史を台無しにしてしまうことになる」(河本)、「司法部の役割は…時の政府の尻ぬぐいでは断じてないのだ。国が死ぬか生きるかの瀬戸際にあるときにはどんな非常手段をとっても生きのびねばならぬという様な、便宜的間に合わせ的な措置は裁判の上には許されぬ」(丁野)、「こういう事件の裁判官は気の利いたやり方をしようなど思っちゃいけない。(中略)ヘーゲルの言う様に『国家は最高の道徳だ』という以上、国家生活において常にその正義を貫くものがあらねばならぬ。それが裁判所の任務です。裁判所にとっては時の政府の便宜に協力することに正義を見いだすべきではない。裁判所は独自の眼を以て正義を発見し、之を貫き時の政府にとっての便不便にかかわらず独往して正義を実現すべきなんだ。正義が地に委して国家の栄えることはあり得ない」(藤江)と、口々に政府に迎合する裁判のありかたを批判した。これを受けて、松尾判事はこう言う。

「もし裁判官が猫の眼の様に変わり移っていく政治や、国民に或強いをなす権力や勢力に無反省に和していくことを以て(天皇に対する)ご奉公の一面だと心得たり、時局向けの忠実な態度だと考えたりするようだったら、それこそ大変だと思う。(中略)時局と深い関係も持つ選挙関係の訴訟などについては殊更この反省が必要と思うね。

個人にしても、国体としても司法部という様な国家機構にしても、また国家自体にしても、道義こそ根本じゃないかと思う。(戦局が悪化し国民の道義心が低下した)時代において、国民の道義を、国家の道義を、最後に担保するものこそわが司法部じゃないだろうか。だから司法部は常に自らの内部を清め、自らを道義の府としなければならぬ(中略)そういう点からして、本当に部内の現状にも猛省を要するのがありはしないか。」

余談だが、現役の裁判官が、進行中の事件について公刊紙上であれこれ意見を述べるなど、現在では考えられない。戦時中の言論統制下ですら、堂々と政府批判・裁判所批判を繰り広げる有様を見ると、言論が自由な時代はどちらかと思わずにはいられない。


[1] 座談会の開催日は210日であり、松尾は2月に吉田の部に着任したようだが、着任日は不明。だが、辞令は出ていたと思われる。

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2012年10月 9日 (火)

陰謀史観はだめなんだってば

法律新聞編集長氏が、「日弁連はなぜ弁護士大増員を受け入れたのか」という問題について、次のように述べている。

「多くの弁護士の経済的な破綻、さらに、それだけではなく、弁護士制度そのものを揺るがしかねない選択に、(それによって被害を受けるはずの弁護士自身が)躊躇なく踏み出した」のはなぜか。それは、地盤・看板を確保した「持てる弁護士」が、世襲を図るため、愚息(娘)が司法試験を通りやすくするよう、増員に賛成したのではないか。

繰り返し述べていることだが、このように考えて弁護士大増員に賛成した人が実在した可能性は否定しない。全国に何人か、あるいは何十人かはいたと思う。だが、その可能性と、日弁連の組織的意思決定とは、全く別の問題だ。ここを取り違えてはいけない。絶対にいけない。

ある歴史的な意思決定が、集団の多数の意思ではなく、ごく少数の人間の私利私欲を満たすために行われたのではないか、という「ものの見方」を「陰謀史観」という。陰謀史観は世に蔓延し、消滅のそぶりさえないが、これ与してはならない、と私は思う。その理由は次のとおりである。

第一に、経験則上、陰謀史観は真実を明らかにしない。正確にいうと、陰謀が集団を動かしたことは、歴史上皆無ではないが、極めて希である。従って、陰謀史観を採用するなら、陰謀があったことを示す、確たる証拠を提示しなければならない。

編集長氏は、弁護士大増員という日弁連の決断は、あまりに愚かだから、誰かが裏で糸を引いたとしか考えられない、と言いたいのかもしれない。だがその認識は誤りだ。集団というものは、愚かな決断を普通に行うし、個人の合理的な思考パターンを取らない。

例えば78年前、日本国は、米国に戦争を挑むという、とても愚かな決断を行った。政府中枢は、個人個人としては、およそ勝ち目がないことを十分承知していたのに、それでもなお、愚かな決断を誰も止められなかった。それをなぜか?と問われたとき、「私利私欲のために、誰かが裏で糸を引いていたに違いない」と考えることが、歴史認識として正しいのだろうか。

第二に、集団の意思と、構成員個人の意思とは全く別だ。いいかえるなら、集団には、その集団独自の意思が存在するのであり、それは、構成員の意思の総和でも平均でもなく、まして、リーダー個人の意思でもない。だから、集団の構成員に”A”という考えを持った人がいた、ということを立証したところで、その集団が”A”という意思を持ったという証明にはならない。

もっとも、集団には集団の意思がある、という事実は、科学的に立証されるには至っていないかもしれない。しかし断言するが、集団には集団の意思がある。日弁連には日弁連の意思があり、日本国には日本国の意思がある。ロシアにはロシアの、中国には中国の意思がある。国家の意思を形成する要素は第一に地理であり、第二に歴史だ。だから政権や国家体制が代わったくらいでは、国家の意思は変わらない。

やや脱線したので、本題に戻ろう。

第三に、不幸な出来事の責任を個人に求めるのは、人間が、あるいは日本人が飛びつきやすい陥穽だから、極力避けなければならない。責任を誰かに押しつけて血祭りに上げれば、気分は晴れるだろうが、問題の解決にはならない。ムッソリーニと愛人を吊したところで、ファシズムの病巣は取り除けない。余談だが、唯物史観を信奉する一方、陰謀史観を取る人がいるけれど、矛盾していると思う。

第四に、不幸な出来事の原因を個人に求め、問題の本質から目をそらすことは、その集団が再び同じ間違いを繰り返す原因になる。いいかえるなら、個人責任を追及して、問題の本質を見逃した人は、その集団が再び同じ間違いを犯した責任の一端を負わなければならない。負えないなら、個人責任の追及には、大いに慎重であってほしいと思う。

編集長氏は、「年合格3000人体制に 『大丈夫』と太鼓判を押したのは、当時の日弁連会長だった」と書き、その後に、「弁連内部に巣くう『持てる弁護士』(多数の顧問先を既に確保し、顧問料収入だけでも十分に食えるブル弁・企業弁護士)…が…経済的利権を手放さず、弁護士業務の『世襲化』を図るには、愚息・愚女()が弁護士資格を取りやすくする」ために大増員を受け入れたという説を紹介している。文脈上、愚息(娘)に事務所を嗣がせるため司法試験合格者大幅増員に賛成した筆頭として、当時の日弁連会長を挙げているわけである。

ちなみに、当時の日弁連会長であった久保井一匡弁護士には、聡明(としあき)氏というご子息があるが、同氏は46期であって、日弁連が大増員を受け入れた平成12年の9年も前に司法試験に合格しているし、この当時、日弁連は必死に増員に反対していた。この一点だけを取っても、久保井一匡日弁連会長には、事務所を世襲させるため増員に賛成する動機はない。なお、久保井聡明弁護士はとても優秀であり、人格識見とも優れた方である。

同会長の行動は歴史的批判に晒されなければならないし、私自身、大いに批判している。しかし、だが、同会長の行動が私利私欲に基づくものだと批判するなら、それ相応の裏付けを示していただく必要がある。

私は久保井元会長を擁護する気は全くない。歴史を正しく見るべきだと言っているだけである。

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2012年10月 5日 (金)

内藤頼博の理想と挫折(9)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

「気骨の判決」と内藤頼博(3)

平成174月に行われた第21回衆議院議員選挙、いわゆる「翼賛選挙」では、軍部と政府による露骨な選挙干渉が行われた。その選挙無効訴訟を担当した吉田久大審院判事は、時勢にもかかわらず敢然として無効判決を出し、後に「気骨の判決」と讃えられた。また、時の政府が吉田判事を更迭するなどの表だった介入は行われず、その意味では司法権の独立は保たれていた。だが、吉田判事の部のみが無効判決を出した事実は、他の部に係属したすべての翼賛選挙無効訴訟では、原告敗訴の判決が出たことを意味する。選挙区が異なる以上、一概には言えないとしても、当時の裁判官の大勢は、時局と政府の意向を忖度した判決を行ったことが、強く推測されるのである。

この大勢を憂い、吉田判事を応援するため立ち上がった裁判官のグループがあった。当時発行されていた「法律新報」紙上、『戦時下における裁判道』と題する座談会を行ったのである。

この座談会の参加者に、内藤頼博もいた。

座談会が企画された経緯は、丁野暁春(写真)によれば、次のとおりである。

「戦後一年もたたぬ間に、すでに暗雲は戦局をおおいはじめた。これと呼応するごとく、日本はいよいよ軍部独裁の恥部を露出しはじめていた。(中略)ことに昭和174月に行なわれた、いわゆる翼賛選挙につき、その前後にわたってなされた軍部ならびに政府の干渉・暴虐は、これを法の面からみても、とうてい選挙とはいわれないと思われるほどであったが、幸いにその有効・無効は裁判所(大審院)が民事事件として審判できることになっているので、私は河本(喜興之)氏と話し合ったすえ、法律新報社に対し、裁判所は選挙違反に対しては、軍部や政府の権力に屈せず堂々と法を適用し、もって司法権独立を天下に示すべしということを中心にして、裁判一般の使命を明らかにすることを目的とする座談会を開催し、かつこれを公表してくれるように相談した。法律新報社は幸いに私たちの志を容れて、昭和18210日、前記表題のごとき座談会を催してくれた。」[1]

解説を要するのは、「幸いにその有効・無効は裁判所(大審院)が民事事件として審判できることになっている」との部分であろう。これは、戦前、行政訴訟が通常裁判所の管轄でなかったことを前提としている。そのため、選挙無効訴訟は行政裁判所によって判断されるという法制度もありえたのだが、戦前の選挙法は、通常裁判所の管轄と定めていたのだ。

さて、座談会の出席者は三野昌治、藤江忠二郎、大野璋五、根本松男、松尾實友、丁野暁春、牧野威夫、河野喜興之、近藤完爾、内藤頼博の各判事。内藤は末席だ。出席者のうち、松尾實友はこの座談会の直後、大審院の吉田の部に転任しており、すでにその辞令は受け取っていたから、本人も出席者も、松尾が選挙無効事件を担当することは承知していたと思われる。

なお、この座談会の立会人として正木旲(ひろし)弁護士の名前が見られる。正木弁護士は、戦前戦後を通じ、八海事件など、多くの冤罪事件、反政府事件の弁護人として活躍した人物である。


[1] 『司法権独立運動の歴史』88

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2012年10月 3日 (水)

「火薬類」の解釈に関する通達改正について

 

ブログ「輸出管理ナビ」経由で入手した情報だが、平成22年3月5日、輸出貿易管理令の運用に関する通達が改正され、4月1日より施行されている。

改正点のうち輸出貿易管理令別表第一の1の(3)に規定される「火薬類」の解釈について述べたい。

改正の内容は、こうである。

改正前は、「火薬類取締法第2条第1項に掲げる火薬、爆薬又は火工品(輸出令別表第1の1の項(1)および(2)に該当するものを除く。)をいう」となっていたのが、改正により、「火薬類取締法第2条第1項に掲げる火薬、爆薬又は火工品(輸出令別表第1の1の項(1)および(2)に該当するものを除く。)を含む」と変わった。

改正の理由として、経済産業省は、「1の項の対象となる「火薬類」について、通達における解釈として、火薬類取締法の対象であることを規制対象の基準としていたところ、同法の対象ではない軍用火薬も対象に含まれうることを明確化」した(平成21年度政省令等改正の概要)と説明している。

要するに「火薬類」の適用範囲を従来から広げた、ということは分かるが、その理由に誤解がある。

すなわち、上記「改正の理由」は、こういっている。

 従前、軍用火薬は、火薬類取締法の対象ではなかった。

 今回の通達改正によって、軍用火薬も、輸出貿易管理令の定める「火薬類」に含まれることになった。

しかし、軍用火薬が、火薬類取締法の対象でないとは、どこにも書いていない。自衛隊法が、「自衛隊の行う火薬類の製造、貯蔵、運搬、消費その他の取扱については」、火薬類取締法を適用しない、と定めているだけだ。同じ軍用火薬でも、自衛隊が運搬するときには、火薬類取締法は適用されず、出入業者が運搬するときは、火薬類取締法は適用される。つまり、軍用火薬であろうがなかろうが、火薬類取締法の対象である。自衛隊が取り扱うときだけ、その適用が排除されるに過ぎない。だから、①は間違いである。①が間違いである以上、②も間違いである。少なくとも、通達改正の意味がない。

この通達改正の背景は、想像するに、こういうことであろう。

かつては、自衛隊が海外に火薬を持ち出すことはなかった。したがって、自衛隊の取り扱う軍用火薬は、外為法の適用外だった(火薬の性質上適用外なのではなく、海外に持ち出されないから適用外)。ところが、今日、自衛隊の海外派兵がありうるから、派兵部隊が火薬を海外に持ち出せば、外為法が適用される。ところが、従前自衛隊の取り扱う軍用火薬に外為法の適用がなかったことから、海外派兵の際も適用外ではないか?という疑義が生じたため、そうでないことを明確にするために、上記通達改正を行ったのではないだろうか。

だが、自衛隊法が適用を排除しているのは火薬類取締法であって、外為法ではないから、外為法の委任を受けた輸出貿易管理令の適用は排除されない

また、従前の解釈は、「火薬類取締法第2条第1項に掲げる火薬…をいう」と定めているのであって、「火薬類取締法第2条第1項が適用される火薬…をいう」と定めていない。だから、自衛隊法が規定する火薬といえども、火薬類取締法に掲げる火薬には該当するから、輸出貿易管理令が適用され、外為法の規定対象になる。このことは、通達による解釈改正の前後を問わず、同じことだ。したがって、上記通達による解釈改正は、自衛隊法との関係に関する限り、不要な改正だった、ということになる。

立法論的には、自衛隊海外派兵の際、いちいち経産省の輸出許可が必要なんて、ナンセンスじゃないか?という議論は、大いにありうるところだが措いておく。あくまで法解釈上は、自衛隊の海外派兵の際にも、輸出許可は必要であり、軍用火薬でさえ、その例外ではない。

ただし、今回の通達による解釈改正によって、運用上差異が発生した部分もある。

それは、従前、「火薬類取締法第2条第1項に掲げる火薬…をいう」と規定していたものが、「火薬類取締法第2条第1項に掲げる火薬…を含む」と改正したことによって、同条項に定めのない火薬も、輸出許可の対象に含まれうることとなったことだ。すなわち、火薬類取締法第2条第1項は、火薬・爆薬・火工品を列挙するほか、火薬と爆薬については経済産業省令で定めるものを対象としているが、これらのどれにも該当しない火薬・爆薬・火工品についても、輸出貿易管理令が適用されることになる。具体的に何だ、と聞かれると困るが、たとえば、新たに発見、もしくは合成された新種の火薬で、法令の掲げるどれにも当てはまらないものも、輸出規制の対象になりうる。

つまり、軍用火薬に対する誤解を避けるために行った、形式的な変更が、適用範囲の拡大、という実質的変更をもたらしたことになる。

なお、この通達に「含む」というのは、「概念的に含む」という意味であって、「貨物の一部に火薬そのものまたは火薬の成分を物理的または化学的に含有する」ことを意味しない。このような「火薬を含有する貨物」が外為法の規制を受ける火薬に該当するか否かは、要するに、当該貨物それ自身が「火薬」といえるのか否かや、火薬または火薬成分の分離可能性や容易性によって判断されることになる。

 

 

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2012年10月 1日 (月)

「法の日」と司法の独立について

101日は「法の日」。昭和22年(1947年)のこの日、最高裁判所で初めての法廷が開かれた。最高裁判所初代長官である三淵忠彦は、大法廷が開廷された初日、「開廷の辞」を次のとおり述べ、司法権の独立を熱く宣言した[1]

「民主主義下の新憲法は,三権分立の精神を徹底せしめて,立法権,行政権に対して司法権の完全な独立を宣言し,立法権は国会に依って,行政権は政府に依って,そして司法権は裁判所に依って行使せられることになったのである。従って裁判所は,外部の如何なる勢力にも屈することなく,良心に従い,独立してその職権を行使する。憲法及び法律に拘束せらるる外,何等の拘束をも受けませぬ」

だが今や、司法権の独立という山脈は、崩壊寸前だ。遠目には盤石と見えるかもしれないが、その山麓は至る所で崩落し、土砂が流出している。

その原因は、司法権独立の意味を、われわれ法曹がおろそかにしてきたことにある。

戦前、司法権の独立は、戦後ほどには保障されていなかった。「翼賛選挙」無効判決を出した吉田久判事や、不敬罪に問われた尾崎行雄に無罪判決を出した三宅正太郎判事のような気骨ある裁判官もいたが、大半は、軍部や政府の意向を忖度し、時局に迎合した判決を書いた。だが、身分保障の脆弱だった戦前の判事に、職をなげうち法理を貫く覚悟は期待できないし、組織的独立性の保障されていない裁判所に、裁判官を守り抜くことは期待できない。

そこで、戦後の憲法は、裁判官の身分保障を強化し、裁判所の組織的独立性を保障した。

つまり、司法権の独立は、政府や議会に対してもの申す判決を出させるための制度的担保であった。いいかえるなら、政府や議会から反撃を受けても立ち向かえるように、あらかじめ裁判所にハンディキャップを付けたのだ。そしてこの制度改革は、内藤頼博ら、日本人法曹の手によってなされたのである。

だが、戦後の裁判官の主流は、制度設計者の意図に従わなかった。彼らは、司法権の独立を背景に政府に異議申立をするのではなく、政府や議会に異議申立をしない代わりに、司法の独立を守ろうとした。司法と政府・議会の、いわば相互不干渉・相互独立を図ったのである。

しかし、政府・議会に対して異議申立を行わないなら、司法の独立を守る意味は薄れる。事実認定と法律適用をするだけの裁判所なら、政府の下部組織で十分だからだ。

戦後65年以上を経て、内藤頼博らの設計した司法制度は瓦解を始めている。給費制は廃止され、統一修習も形ばかり。内藤頼博も描いた法曹一元の夢は露と消え、弁護士自治の消滅も時間の問題だ。裁判官の在任中は給与を引き下げることができないと定めた憲法796項にもかかわらず、平成17年24年と裁判官の給与が引き下げられたが、公然と異議を述べた裁判官は、ただの一人もいなかった。裁判官の俸給は、未だ官僚より遙かに高いが、そうでなくなるのは時間の問題だろう。官僚の決めたことを追認するだけの裁判官が、官僚より高い給料をもらえる道理はない。

司法制度の問題点は、弁護士制度や、法曹養成制度の崩壊として認識されている。だがこれらは、司法全体が崩壊を始めた、その一部でしかないことは、まだ広くは認識されていないと思う。


[1] 最高裁のルーツを探る』(西川伸一)

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