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2012年10月 9日 (火)

陰謀史観はだめなんだってば

法律新聞編集長氏が、「日弁連はなぜ弁護士大増員を受け入れたのか」という問題について、次のように述べている。

「多くの弁護士の経済的な破綻、さらに、それだけではなく、弁護士制度そのものを揺るがしかねない選択に、(それによって被害を受けるはずの弁護士自身が)躊躇なく踏み出した」のはなぜか。それは、地盤・看板を確保した「持てる弁護士」が、世襲を図るため、愚息(娘)が司法試験を通りやすくするよう、増員に賛成したのではないか。

繰り返し述べていることだが、このように考えて弁護士大増員に賛成した人が実在した可能性は否定しない。全国に何人か、あるいは何十人かはいたと思う。だが、その可能性と、日弁連の組織的意思決定とは、全く別の問題だ。ここを取り違えてはいけない。絶対にいけない。

ある歴史的な意思決定が、集団の多数の意思ではなく、ごく少数の人間の私利私欲を満たすために行われたのではないか、という「ものの見方」を「陰謀史観」という。陰謀史観は世に蔓延し、消滅のそぶりさえないが、これ与してはならない、と私は思う。その理由は次のとおりである。

第一に、経験則上、陰謀史観は真実を明らかにしない。正確にいうと、陰謀が集団を動かしたことは、歴史上皆無ではないが、極めて希である。従って、陰謀史観を採用するなら、陰謀があったことを示す、確たる証拠を提示しなければならない。

編集長氏は、弁護士大増員という日弁連の決断は、あまりに愚かだから、誰かが裏で糸を引いたとしか考えられない、と言いたいのかもしれない。だがその認識は誤りだ。集団というものは、愚かな決断を普通に行うし、個人の合理的な思考パターンを取らない。

例えば78年前、日本国は、米国に戦争を挑むという、とても愚かな決断を行った。政府中枢は、個人個人としては、およそ勝ち目がないことを十分承知していたのに、それでもなお、愚かな決断を誰も止められなかった。それをなぜか?と問われたとき、「私利私欲のために、誰かが裏で糸を引いていたに違いない」と考えることが、歴史認識として正しいのだろうか。

第二に、集団の意思と、構成員個人の意思とは全く別だ。いいかえるなら、集団には、その集団独自の意思が存在するのであり、それは、構成員の意思の総和でも平均でもなく、まして、リーダー個人の意思でもない。だから、集団の構成員に”A”という考えを持った人がいた、ということを立証したところで、その集団が”A”という意思を持ったという証明にはならない。

もっとも、集団には集団の意思がある、という事実は、科学的に立証されるには至っていないかもしれない。しかし断言するが、集団には集団の意思がある。日弁連には日弁連の意思があり、日本国には日本国の意思がある。ロシアにはロシアの、中国には中国の意思がある。国家の意思を形成する要素は第一に地理であり、第二に歴史だ。だから政権や国家体制が代わったくらいでは、国家の意思は変わらない。

やや脱線したので、本題に戻ろう。

第三に、不幸な出来事の責任を個人に求めるのは、人間が、あるいは日本人が飛びつきやすい陥穽だから、極力避けなければならない。責任を誰かに押しつけて血祭りに上げれば、気分は晴れるだろうが、問題の解決にはならない。ムッソリーニと愛人を吊したところで、ファシズムの病巣は取り除けない。余談だが、唯物史観を信奉する一方、陰謀史観を取る人がいるけれど、矛盾していると思う。

第四に、不幸な出来事の原因を個人に求め、問題の本質から目をそらすことは、その集団が再び同じ間違いを繰り返す原因になる。いいかえるなら、個人責任を追及して、問題の本質を見逃した人は、その集団が再び同じ間違いを犯した責任の一端を負わなければならない。負えないなら、個人責任の追及には、大いに慎重であってほしいと思う。

編集長氏は、「年合格3000人体制に 『大丈夫』と太鼓判を押したのは、当時の日弁連会長だった」と書き、その後に、「弁連内部に巣くう『持てる弁護士』(多数の顧問先を既に確保し、顧問料収入だけでも十分に食えるブル弁・企業弁護士)…が…経済的利権を手放さず、弁護士業務の『世襲化』を図るには、愚息・愚女()が弁護士資格を取りやすくする」ために大増員を受け入れたという説を紹介している。文脈上、愚息(娘)に事務所を嗣がせるため司法試験合格者大幅増員に賛成した筆頭として、当時の日弁連会長を挙げているわけである。

ちなみに、当時の日弁連会長であった久保井一匡弁護士には、聡明(としあき)氏というご子息があるが、同氏は46期であって、日弁連が大増員を受け入れた平成12年の9年も前に司法試験に合格しているし、この当時、日弁連は必死に増員に反対していた。この一点だけを取っても、久保井一匡日弁連会長には、事務所を世襲させるため増員に賛成する動機はない。なお、久保井聡明弁護士はとても優秀であり、人格識見とも優れた方である。

同会長の行動は歴史的批判に晒されなければならないし、私自身、大いに批判している。しかし、だが、同会長の行動が私利私欲に基づくものだと批判するなら、それ相応の裏付けを示していただく必要がある。

私は久保井元会長を擁護する気は全くない。歴史を正しく見るべきだと言っているだけである。

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コメント

「第二に、集団の意思と、構成員個人の意思とは全く別だ。」

確かに,そのとおり。

そうであるからこそ,

「弁連内部に巣くう『持てる弁護士』(多数の顧問先を既に確保し、顧問料収入だけでも十分に食えるブル弁・企業弁護士)…が…経済的利権を手放さず、弁護士業務の『世襲化』を図るには、愚息・愚女(娘)が弁護士資格を取りやすくする」ために大増員を受け入れたという説」の論者は,「当時の日弁連会長であった久保井一匡弁護士」が「個人の意思」として,当該経済的エゴイズムを推進した,などとは全く考えていない。「文脈」から,そのような誤解を受けたかもしれないが,当時にあっても,「中坊の一声」がどれほどのものじゃい,といった程度の常識は,論者ももっているつもりだ。

しかし,当時の日弁連の「集団の意思」を構成した大半の中核的弁護士が(人権派も含め)『持てる弁護士』であったことは紛れもない事実であり,それ故にこそ,かかる『持てる弁護士』の「集団の意思」が,『マチ弁』(「個人顧客中心の零細経営者弁護士」,「自腹を切ってでも無償性ニーズに対応してきた古きよき弁護士」ら)の経済基盤を無視したこと,そして,大量増員が自らの「弁護士業務の『世襲化』を図る」のに都合がいい,という思いの集積が,「歴史的愚挙」に対する積極的な反対姿勢を鈍らせたことは,否定できない内情であったと思われる。新司法試験制度のお陰でめでたく合格された,としか思えない,『二世弁護士』はチラホラ見かけますからね。

投稿: 匿名弁護士 | 2012年10月 9日 (火) 12時23分

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