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2012年10月 1日 (月)

「法の日」と司法の独立について

101日は「法の日」。昭和22年(1947年)のこの日、最高裁判所で初めての法廷が開かれた。最高裁判所初代長官である三淵忠彦は、大法廷が開廷された初日、「開廷の辞」を次のとおり述べ、司法権の独立を熱く宣言した[1]

「民主主義下の新憲法は,三権分立の精神を徹底せしめて,立法権,行政権に対して司法権の完全な独立を宣言し,立法権は国会に依って,行政権は政府に依って,そして司法権は裁判所に依って行使せられることになったのである。従って裁判所は,外部の如何なる勢力にも屈することなく,良心に従い,独立してその職権を行使する。憲法及び法律に拘束せらるる外,何等の拘束をも受けませぬ」

だが今や、司法権の独立という山脈は、崩壊寸前だ。遠目には盤石と見えるかもしれないが、その山麓は至る所で崩落し、土砂が流出している。

その原因は、司法権独立の意味を、われわれ法曹がおろそかにしてきたことにある。

戦前、司法権の独立は、戦後ほどには保障されていなかった。「翼賛選挙」無効判決を出した吉田久判事や、不敬罪に問われた尾崎行雄に無罪判決を出した三宅正太郎判事のような気骨ある裁判官もいたが、大半は、軍部や政府の意向を忖度し、時局に迎合した判決を書いた。だが、身分保障の脆弱だった戦前の判事に、職をなげうち法理を貫く覚悟は期待できないし、組織的独立性の保障されていない裁判所に、裁判官を守り抜くことは期待できない。

そこで、戦後の憲法は、裁判官の身分保障を強化し、裁判所の組織的独立性を保障した。

つまり、司法権の独立は、政府や議会に対してもの申す判決を出させるための制度的担保であった。いいかえるなら、政府や議会から反撃を受けても立ち向かえるように、あらかじめ裁判所にハンディキャップを付けたのだ。そしてこの制度改革は、内藤頼博ら、日本人法曹の手によってなされたのである。

だが、戦後の裁判官の主流は、制度設計者の意図に従わなかった。彼らは、司法権の独立を背景に政府に異議申立をするのではなく、政府や議会に異議申立をしない代わりに、司法の独立を守ろうとした。司法と政府・議会の、いわば相互不干渉・相互独立を図ったのである。

しかし、政府・議会に対して異議申立を行わないなら、司法の独立を守る意味は薄れる。事実認定と法律適用をするだけの裁判所なら、政府の下部組織で十分だからだ。

戦後65年以上を経て、内藤頼博らの設計した司法制度は瓦解を始めている。給費制は廃止され、統一修習も形ばかり。内藤頼博も描いた法曹一元の夢は露と消え、弁護士自治の消滅も時間の問題だ。裁判官の在任中は給与を引き下げることができないと定めた憲法796項にもかかわらず、平成17年24年と裁判官の給与が引き下げられたが、公然と異議を述べた裁判官は、ただの一人もいなかった。裁判官の俸給は、未だ官僚より遙かに高いが、そうでなくなるのは時間の問題だろう。官僚の決めたことを追認するだけの裁判官が、官僚より高い給料をもらえる道理はない。

司法制度の問題点は、弁護士制度や、法曹養成制度の崩壊として認識されている。だがこれらは、司法全体が崩壊を始めた、その一部でしかないことは、まだ広くは認識されていないと思う。


[1] 最高裁のルーツを探る』(西川伸一)

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