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2012年11月 7日 (水)

内藤頼博の理想と挫折(14)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

「気骨の判決」と内藤頼博(8)

昭和19(1944)、全国司法長官会同において東條首相が行った演説は、「流石に世間をはばかり一部を隠蔽した上で新聞発表を行ったので、一般にはまったく知られることなく終わった」[1]。しかし、家永三郎は、「新聞紙発表ノモノト相違ノ点アリ 朝刊限リトシ取扱御注意ヲ請フ」と表記し「秘」の朱印を附した謄写訓示書を入手したとして、その内容を紹介している。

できれば原文を読んでいただきたいが、現代文に書き下すと、次のとおりである。

「この機会に、司法の重責に当たる諸君にも、政府の期待するところを披瀝いたします。

(中略)

従来、司法の分野において取られてきた措置を自ら批判もせず、漫然と旧弊を踏襲するようなことは、司法の本旨にそう物であるか否か、とくと振り返ってみることが肝要かと存じます。

もとより、政府は、司法権の行使に対しては、衷心より敬意を表するものです。私も、司法権尊重の点においては、人後に落ちないつもりです。しかしながら、勝利なくしては司法権の独立もあり得ないのであります。それにもかかわらず、法文の末節にとらわれ、無益有害な慣習にこだわり、戦争遂行上に重大なる障害を与えるがごとき措置を(司法が)行うのであれば、寒心に堪えないところであります。

万が一にもかくのごとき裁判が下されるときは、政府としては、戦時治安の確保上、緊急措置を講ずることも考慮せざるを得なくなります。緊急措置の発動は、国家にとって不幸なことでありましょう。ですが、真に必要やむを得ざるならば、政府は機を失せず、この非常措置に出る考えであります。この点については、特に諸君の十分なる御注意をお願いいたします。以上、頭の切り替えについて申し述べた次第であります。

要するに、裁判所が政府の意に反する判決を下すなら、直ちに非常措置をとる、との宣言である。この余りに露骨な脅迫に、会場は静まりかえったという。

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