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2012年11月30日 (金)

福岡県弁護士会木曜会講演原稿より(5)

1116日、福岡県弁護士会木曜会設立40周年記念講演『弁護士の近未来予想図~弁護士に明日はあるか?』で40分間の基調講演を行う機会を頂きました。実は、この企画は2年前にあったが、私が倒れたためキャンセルされていたものです。折角の機会だったのですが、リベンジということで、気負いが先に立ってしまい、やや盛り込みすぎの内容になってしまいました。そこで、以下数回に分け、原稿に基づき、実際の講演内容に加除修正を加えてブログに記します。

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第三に、個々の弁護士の近未来を考えてみたいと思います。

現在の弁護士の経済的困窮の主要因が、司法制度改革にあるのか、長期不況にあるのかは、一概には言えないと、私は考えています。しかしいずれにしたところで、弁護士が生き残るためには、業務形態の大幅変更が求められていることは、間違いないのだろうと思います。

まず考えるべきは、「弁護士はなぜ儲からないのか?」という点だと考えます。私を含め、「働いても、働いても、全然儲からない」と考える弁護士は多いと思います。その原因は、「弁護士は頭脳労働者である」点にあると考えます。脳みそは一つしかなく、かつ一日は24時間しか無いので、弁護士一人の業務時間は当然限定されます。その範囲でしか収入がないから、儲からないのです。

言い換えれば、「不労所得がない」ということです。具体的にいうと、弁護士は他の職業に比べ、無資格者に同種の労働をさせることが、法律で厳しく制限されています。大手事務所や過払い専門事務所は、弁護士業務を事実上、無資格者にやらせることで利益を上げていますが、一般の弁護士は、そのようなやり方を軽蔑しています。それ自体は結構なことですが、そういった旧来型の弁護士は、依頼者からの事情聴取や、サラ金担当者への電話や、弁論への出頭を、全部弁護士自身がやらなければなりません。それが、自らの首を絞めていることに気づいていないのです。

実は、旧来型の弁護士には、不労所得がありました。それが顧問料です。顧問先を10社以上持ち、しかも相談はほとんど無い、という状態が、事務所経営の基礎を支えていたのです。ところが、この「顧問料ビジネスモデル」は、消滅しつつあります。その結果として、中堅以下の弁護士は、事務所経営の危機にさらされているわけです。

このように考えてくると、業務形態変更の方向性は、多少見えてきます。一つは、弁護士法72条を改正ないし撤廃して、非資格者による弁護士業務代行を合法化することです。具体的には、事務員や代行業者に出頭代行を委託するのです。眉を顰める向きもあると思いますが、遠くの支部の弁論に行くだけで一日を使うことが、どれほど我々の足かせになっていることか、考えたことがないのでしょうか。もう一つは、同じく72条を改正して、事件紹介業を合法化することです。また、事件紹介業を合法化することは、事件獲得のアウトソーシングとして、一つの合理的な選択とはいえないのでしょうか。すでに、たとえば「弁護士ドットコム」は事実上弁護士紹介業として機能しています。ただ、現時点では弁護士法72条により、完全無償であるため、経済的事業としては成立しえていません。また、経費削減としての、弁護士会費の大幅削減も、当然、議論の俎上に載ってくると思いますし、会務活動に投じる「時間」も、当然、削減の検討対象になります。会務が減れば、会議室も必要ないので、弁護士会館も小さいもので足りることになります。

実は、日弁連や大阪弁護士会は、弁護士紹介限定つき解禁の検討を始めています。韓国は、日本より一足早く、弁護士紹介業の一部解禁に踏み切ろうとしています。しかし、弁護士広告解禁の例が示すとおり、一定限度に保ちつつ解禁などということは、あり得ないと考えます。

私は、弁護士法72条を廃止してしまえと言いたいのではありません。私が言いたいのは、かつて日弁連が、すべてに優先して守ろうとした弁護士自治や弁護士法72条を、弁護士自身がうち捨てることが、現実問題となりつつある、ということです。(続)

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2012年11月28日 (水)

福岡県弁護士会木曜会講演原稿より(4)

1116日、福岡県弁護士会木曜会設立40周年記念講演『弁護士の近未来予想図~弁護士に明日はあるか?』で40分間の基調講演を行う機会を頂きました。実は、この企画は2年前にあったが、私が倒れたためキャンセルされていたものです。折角の機会だったのですが、リベンジということで、気負いが先に立ってしまい、やや盛り込みすぎの内容になってしまいました。そこで、以下数回に分け、原稿に基づき、実際の講演内容に加除修正を加えてブログに記します。

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自治の問題に関して、弁護士自身が案外問題視しないのは、単位会自治の問題です。単位会は他の単位会とは完全に独立しており、日弁連とすら、上下の関係にありません。これほど高度な自治権を保障されている理由は、理念的なものではなく、歴史的背景にしかありません。懲戒権の独立を保障するだけなら、全国一つの弁護士会でも差し支えないはずです。これほど高度な自治権が必要なのか?という議論が、もうすぐ出てくると私は予想します。

例えば大手企業のインハウスや、弁護士法人の勤務弁護士が、転勤のたびに入会申請と多額の入会金を要するには、どう考えても不合理です。また、高齢になり引退を考える弁護士のうち、事務所と自宅が他府県をまたぐ弁護士にとって、入会金の存在は、事務所を引き払って自宅で開業する妨げになります。そもそもグローバル化した現代社会において、弁護士会だけ県単位で強力な自治権を保障される意味なんてあるのでしょうか。

また、弁護士会費の大半が会館建設・維持費と職員の人件費に使われていることをお話ししました。この人件費が高い理由の一つは、総務的な業務が単位会ごとにバラバラで、統一できないことにあります。例えば九州で弁護士会を統廃合して一つにすれば、人件費は大幅に節約できます。これは道州制と同じ発想であり、政治家や役人はこの構想を真剣に考えているわけですが、なぜ弁護士が誰一人、同じ発想を持たないのか、私には不思議で仕方ありません。

イギリスの弁護士会が自治権を失ったことを、危機的に語る日本の弁護士は多いと思います。そう言う人に私は問いたい。「それで、誰か困っているのか?」と。少なくとも私は、自治権の喪失で困ったイギリス人がいるという話を聞いていません。

自治権イコール懲戒権だと考える弁護士が多いのも情けないことです。自治権の要件は、人事権の独立、規則制定権の独立、予算権の独立、そして建物の独立です。この中身を、もう少し真剣に考えてほしいと思います。

私は、弁護士自治がなくなってほしいとは考えていません。しかし、弁護士の経済的困窮は、間違いなく、弁護士会を自治権喪失に向かわせています。一方で弁護士は、自治権の本質やその存在意義を、余りに表面的にしかとらえていないように思います。こんな状態なら、給費制同様、弁護士会は自治権を保持することはできないでしょう。(続)

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2012年11月26日 (月)

福岡県弁護士会木曜会講演原稿より(3)

1116日、福岡県弁護士会木曜会設立40周年記念講演『弁護士の近未来予想図~弁護士に明日はあるか?』で40分間の基調講演を行う機会を頂きました。実は、この企画は2年前にあったが、私が倒れたためキャンセルされていたものです。折角の機会だったのですが、リベンジということで、気負いが先に立ってしまい、やや盛り込みすぎの内容になってしまいました。そこで、以下数回に分け、原稿に基づき、実際の講演内容に加除修正を加えてブログに記します。

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第二に、単位弁護士会の未来を予測してみます。とはいえ、全単位会の予測は手に余るので、「大阪弁護士会の今日は福岡県弁護士会の明日か?」と題しておきます。触れるのは、会財政の問題と、弁護士自治の問題です。

大阪弁護士会は、平成18年(2006年)に、新会館に移転しました。そして昨年度、会の会計は初の赤字決算となりました。その原因は、倒産事件の減少を主要因とする負担金会費収入の減少と、法律相談センターの赤字です。この赤字額は、15000万円に達しました。計算方法によっては7000万円という見方もありますが。

赤字の原因は、相談件数の減少です。実は平成14年がピークで、以後一貫して減少しています。減少の原因はよく分かっていません。法テラス、他士業、そして、一般事務所も初回法律相談無料を謳うようになったからだという説明が有力ですが、証明されていません。

大阪弁護士会は現在、赤字緩和策を検討中です。検討されているのは、件数増加策と経費削減策であり、増加策として1119日より、ネット予約が開始されます。しかし、私の予測としては、様々な手を尽くしても、焼け石に水でしょう。残された手段は、負担金会費の増額と、弁護士会職員のリストラしかないと思います。どちらも、担当執行部としては、茨の道ですね。

大阪弁護士会は、110人という、東京弁護士会より多い職員を抱え、その半分が法律相談センター業務に従事しているそうです。つまり赤字の原因は、職員の人件費です。このまま相談件数が減り続け、他の機関が受け皿になっているとすれば、法律相談センターはその役目を終えたという見方もありえます。

福岡県弁護士会は、新会館の建設を決議したと聞いています。これについて、いろいろな議論はあって当然ですが、是非、大阪の現状を参考にしていただきたいと思います。

さて、会財政の問題は、弁護士会自治の問題と、密接に関係しています。なぜなら、弁護士会自治は、経済的には会費によって支えられているからです。会費が高いと文句を言う弁護士は多いですが、その会費が何に使われているかを知る弁護士は少ないように思います。答えは簡単で、会館建物のローンと維持費、そして職員の人件費です。つまり、弁護士自治を支える会費は、会館の建設維持と、職員の給料に使われているのです。

その自治は、外と内から、大きく揺らいでいます。外の問題とは不祥事の多発です。ご案内のとおり福岡では、この1年の間に5件の重大な不祥事がありました。先ほど控え室で幹事の方とお話をしたところ、皆様一様にショックを受けておられることに接し、「福岡の弁護士さんはウブだなあ」と、ある意味新鮮な驚きを感じました。自慢にも何にもなりませんが、大阪でも一昨日一人が逮捕され、まだ次があるという噂すらあります。問題は大阪の方が比較的慣れっこになってしまっていることで、これは、弁護士自治にとって危険な兆候です。『こんな日弁連に誰がした?』にも書きましたが、平成6年(1994年)にはバブル崩壊のあおりを受け、弁護士が相次いで逮捕され、土屋公献日弁連会長と東京弁護士会長が謝罪会見を開き、また、事務総長が国会に呼ばれ厳重注意を受けたことがあります。不祥事が続き、弁護士会の自浄能力が信頼を失えば、弁護士自治は崩壊につながります。

では、弁護士会が自浄能力を備えることは可能でしょうか。私は無理だと思います。自浄能力を回復するには、弁護士会に監察室を設け、捜査権限を持つ専従弁護士を置くしかないと考えます。「特命武装弁護士」ですね。問題は、この弁護士にかなり高い給料を払わないといけないことであり、それを現在の会財政が支えられるか、だと思います。例えば大阪弁護士会が34名の専従弁護士を雇い、担当職員と合わせて6000万円の人件費をかければ、会員1人あたり2万円弱の会費増となります。これこそ端的な「自治権の維持費」ということになります。しかし、「それほど多い費用を負担するなら自治はいらない」という意見が出てくるのは当然だと思います。(続)

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2012年11月21日 (水)

福岡県弁護士会木曜会講演原稿より(2)

1116日、福岡県弁護士会木曜会設立40周年記念講演『弁護士の近未来予想図~弁護士に明日はあるか?』で40分間の基調講演を行う機会を頂きました。実は、この企画は2年前にあったが、私が倒れたためキャンセルされていたものです。折角の機会だったのですが、リベンジということで、気負いが先に立ってしまい、やや盛り込みすぎの内容になってしまいました。そこで、以下数回に分け、原稿に基づき、実際の講演内容に加除修正を加えてブログに記します。

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次に、講演のお題に従い、近未来を予想してみたいと思います。順に、日弁連ないし司法制度の未来、単位会の未来、弁護士の未来、の3つにわけてお話しします。

第一に、日弁連ないし司法制度の未来に関する最大の問題は、司法試験合格者数年2000人は大幅に減るのか、あるいは、法科大学院制度は廃止されるのか、という問題でしょう。私は、どちらも起きない、と考えています。もちろん、法科大学院の統廃合は進むでしょう。でも、制度そのものが無くなることはありません。なぜなら、法科大学院制度は、年1500人を超えて法曹を養成するという国家意思決定を前提とする制度であり、かつ、国民は、この国家意思決定を変更する必要がある、とは考えていないからです。

「何を言うか、法曹大増員政策の失敗は明白ではないか」と言う弁護士もいるでしょう。ですが、それは弁護士の感覚でしかありません。現時点での国民は、失敗したとは思っていません。困っているのは弁護士だけで、自分たちではない、と考えています。この考えが変わらない限り、司法試験合格者が2000人を大幅に下回ることはない、と予想します。

弁護士の中には、日弁連として1000人決議を行うべく、奔走している人がいます。この行動は、無意味とは言いませんが、私はあまり支持できません。今が1997年であれば、意味はあったことは認めます。なぜなら、『こんな日弁連に誰がした?』にも書いたとおり、1997年までは、日弁連は、司法試験合格者数を決定する法的権限を有していたからです。有していたと言っても3分の1ですが、それでも有していたことに変わりはありません。

しかし、1999年以降、日弁連はこの法的権限を失いました。失った今、日弁連が1000人や1500人の決議を行ったところで、法的効力はゼロです。強いて言うなら、死刑廃止の会長声明程度の、事実上の影響力しかありません。それほど意味の薄い決議を行うために、多大な労力を費やすのは、コストメリットに乏しいと考えます。

私が1000人ないし1500人決議運動を支持できない理由は、あと二つあります。一つは、今や司法試験合格者数を絞って解決する問題ではない、という点です。5年前なら、司法試験合格者数を絞ることに、多少の意味はあったかもしれません。しかし、今の状態は、たとえて言うなら、風呂の底が抜けたも同然です。まだ底が抜けず、溢れそうになっているときなら、蛇口を絞ることは有効でしょう。しかし、風呂の底が抜けて、家中水浸しになろうとしているときに、蛇口を絞ることにどれほどの意味があるのか、私にはよく分かりません。

もう一つは、今日本の司法が直面する問題の本質は人数問題なのか?という疑問です。追々話しますが、私は、問題の本質は人数問題ではないと考えています。もちろん人数も大事ですが、日弁連の人材と資源の有効配分の観点からは、もっと重大な問題の分析と検討に力を注ぐべきだと思います。

なるほど、司法試験合格者数年1000人は、現状では、適切な数かも知れません。しかし、壊れた時計の針を現在時刻に合わせても、修理したことにはならないのです。

給費制運動がなぜ失敗したのかについても、触れておきたいと思います。まず戦術的な失敗がいくつもありました。貧乏人が弁護士になれないという馬鹿げた主張をしたこと、日弁連自身がかつて給費制廃止に賛成するよう国会議員に働きかけた事実に頬被りして、当時を知る議員の反発を買ったこと、修習生の経済的負担を論じながら受験生の経済的負担の問題に踏み込まなかったこと、などです。

しかし、根本的な問題は、「なぜ『日本の弁護士』だけが、国家から給料をもらって養成されて当然なのか?」という疑問に、日本の弁護士自身が的確に答えられなかったことにある、と私は考えています。もちろんその答えで国民を説得できなければダメですが、それ以前の問題として、我々自身がその答えを持たない、という点が致命的です。この問題が解決できない限り、給費制が復活することはあり得ないと思います。

修習専念義務から給費制の権利性を導く見解もあるようですが、「それなら司法修習を無くしましょう」と言われるだけだと思います。

給費制は、戦後占領下の司法改革において、内藤頼博(よりひろ)ら、日本人法曹によって創設されました。しかしその利益を享受した我々は、内藤頼博という名前すら知らないし、彼がなぜ給費制を創設したかも知らないのです。そんな有様だから、「既得権」という批判に対抗できないのです。(続)

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2012年11月19日 (月)

福岡県弁護士会木曜会講演原稿より(1)

1116日、福岡県弁護士会木曜会設立40周年記念講演『弁護士の近未来予想図~弁護士に明日はあるか?』で40分間の基調講演を行う機会を頂きました。実は、この企画は2年前にあったが、私が倒れたためキャンセルされていたものです。折角の機会だったのですが、リベンジということで、気負いが先に立ってしまい、やや盛り込みすぎの内容になってしまいました。そこで、以下数回に分け、原稿に基づき、実際の講演内容に加除修正を加えてブログに記します。

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福岡県弁護士会木曜会は、登録10年目までの若手会とのことですが、若手の皆様は法科大学院や司法研修所、弁護士会などで、司法改革の理念理想を聞いたことがあると思います。しかし、今この会場にいらしているということは、その理念と現実とのギャップに戸惑っておられるのだと思います。

その思いは、2008年の私も同じでした。ご縁があって日弁連会長選挙のお手伝いをすることになった私は、日弁連のいわゆる主流派の唱える司法改革の理想が、現実と余りに違うことに戸惑いました。もちろん、当時既に、司法改革と法曹増員に反対する人たちはいました。しかし彼らの主張は、「政府は戦争を準備するため、弁護士を攻撃している」というもので、およそ信じがたいものでした。わが国に戦争を起こしたがっている人のいることは否定しませんが、もし本気で戦争をやりたいなら、弁護士を攻撃するよりほかに大事なことが、たくさんあるはずです。そこで、自分で調べてみることにしました。その結果、書いたのが『こんな日弁連に誰がした?』です。

私の疑問は単純でした。弁護士会は業界団体でもある以上、過当競争をもたらすような増員には反対するのが、団体としての本能なのに、なぜ大幅増員を必死で実現しようとしているか、というものです。調べてみると案の定、日弁連は司法試験合格者数の増加に反対し続けていました。1961(昭和36)から1990(平成2)までの30年間、司法試験合格者数は年500人です。この期間のGDPは名目で40倍になりましたが、弁護士数はたった2倍になっただけです。このギャップが弁護士の希少価値を高め、先輩はこれを謳歌したわけです。

このとき日弁連が司法試験合格者数増に反対した理屈は、「弁護士の経済的自立論」というものでした。これは、「弁護士は経済的に自立していないと、弱者や少数者の人権擁護活動ができなくなる」という理屈です。しかし1980年代に入り、グローバル化が進むと、先進国に比べ余りに少ない弁護士数に危機感が高まります。ところが日弁連は抵抗を続け、1994年(平成6年)の土屋公献会長の時には、司法試験合格者数をそれまでの年700人から800人に増やして5年間様子を見る、という決議を圧倒的多数で可決しました。これは、当時既に1000人か、1500人か、という議論をしていた政府から見れば、まるで問題外の内容であり、日弁連は、物凄いバッシングにさらされることになります。ある弁護士が、私に直接言ったところによれば、自民党の大物政治家が、土屋公献会長に直接、弁護士自治と弁護士法72条の廃止を告げたそうです。これに対して、日弁連が土下座させられるに等しい目に遭ったことは、その後の土屋公献執行部の迷走、800人→1000人→1500人と、ずるずる敗北していった歴史を見れば、明らかだと思います。

しかし他方、政府も頑強な日弁連の抵抗には手を焼いていました。そこで、日弁連に対して、法曹一元をはじめ、日弁連が提唱するいくつかの司法改革の実現を約束するかわり、司法試験合格者数の大幅増員に応じよと迫ります。日弁連はこれに飛びつき、それまでの抵抗が嘘のように、法曹人口増員に突き進みます。しかし、司法試験合格者数を年3000人にすることが事実上決まった数日後、法曹一元は実施されないことが決まります。

2000(平成12)121日の日弁連臨時総会の決議は、日弁連として2010年からの司法試験合格者数年3000人を受け入れたものですが、その決議文には、実に42回も「法曹一元」と書いてあります。しかし、この時点で法曹実現の夢が露と消えたことは、ほぼすべての弁護士には分かっていたことでした。しかし、「それなら年3000人にも応じない」と「ちゃぶ台返し」をする選択肢は、もはやありませんでした。この総会は、反対派が議長席を実力で占拠して採決を妨害するなど、大荒れに荒れた総会ですが、評決ではダブルスコアで、法曹人口大増員を受け入れたのです。

なぜ「ちゃぶ台返し」の選択肢をとれなかったのかについては、私は次のように考えています。

第一に、日弁連総会決議には、もはや司法試験合格者数を決定する法的権限がないこと。1998年までは、日弁連は司法試験合格者数を決定する法的権限を3分の1だけ有していたが、翌1999年以降、この権限を失っていたこと。従って、仮に3000人に反対しても、法的意味が無かった。

第二に、1994年の土屋公献執行部の間違いを繰り返せないこと。当時、司法試験合格者数5000人や7000人という勢力もあった中で、日弁連が再び世論の総バッシングを浴びたときは、本当に5000人や7000人が実現しかねなかったこと。

第三に、2000年当時は、弁護士にとってはまだ「倒産バブル」の時代であり、「これから10年の間に業域開拓を行えば、何とかなる」という意識があったこと。

そして私は、最も大事だと思うのですが、第四に、司法改革を推進することによって、司法における主導権と発言力を取り戻そうという、執行部の悲壮な決意があったこと。これは、当番弁護士の推進により刑事司法での発言力強化を勝ち取った福岡県弁護士会の取組を知っておられる皆様であれば、ご理解いただけることと思います。それまでの10年間、世論の批判を浴び続け、ついに司法試験合格者数の決定権限を奪われてしまった日弁連が、司法あるいは国政での発言力を取り戻すための、起死回生の賭だったのが、司法改革の推進だったのです。いわゆる日弁連主流派が、なぜ司法改革の推進に固執するのか、その動機は、この点にあると、私は考えています。

さて、それから10年が過ぎました。司法制度改革は、もちろん、すべてが失敗だったというわけではありません。しかし、全体としてみれば、失敗だったと思います。何より、法科大学院制度を初めとする法曹養成制度は、大失敗です。そのことは、法科大学院志望者数の激減が、明白に示しているところです。

つまり、日弁連は、司法試験合格者数の決定権限を失い、その代わりに得ようとした司法制度改革にも失敗した、ということになります。その結果、日弁連は、戦後得たすべての価値を失うことになるでしょう。第二日弁連などという話もありますが、そのようなドラスティックな動きは起きないと思います。日弁連と弁護士は、滅びに向けた長い黄昏の時を迎えた、というのが、『こんな日弁連に誰がした?』に書いた、私の考えです。(続)

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2012年11月14日 (水)

無罪判決が続いたら、強制起訴制度が見直されるべきなのか?

政治資金規正法違反の罪に問われた小沢一郎被告が12日、控訴審でも無罪判決を受けた。13日の日経朝刊は「強制起訴(制度の)見直し」が必要との社説を掲載した。12日の毎日新聞も、「今後も無罪が続けば制度の見直し議論に発展する可能性もある」としている。

だが、強制起訴事件で「無罪が続いたから強制起訴制度を見直す」という論調には、疑問を感じる。なぜ、「裁判を見直す」という主張が出ないのだろう?あるいは、「法制度を見直す」という主張が、なぜ出ないのだろう。

たとえば、強制起訴事件50件全部について、無罪判決が出たらどうか。日経は当然、強制起訴制度を見直すべしとの主張になろうし、毎日新聞も同様だろう。

だがそうだろうか。この場合、無罪ばかり出す裁判所こそ間違っている、とは考えられないのだろうか。あるいは、裁判所が有罪判決を出せない仕組み(それは刑事法そのものかもしれないし、訴訟法かもしれない)が間違っている、という考えにはならないのだろうか。

強制起訴は正しいのに、それを受け止める裁判所側や法制度側に不備がある、という主張は、少なくとも、あって然るべきだと思う。そうだとするなら、強制起訴事件が6件に過ぎない現時点ですら、裁判所や政治資金規正法、あるいは刑事訴訟法こそ間違いを正すべきだという議論も、あって然るべきである。

いうまでもなく、強制起訴制度は、刑事司法に国民の視点を反映させる制度だ。当然、国民の視点が100%正しいとは限らないから、強制起訴事件が全部有罪になる必要はない。だが、全部無罪になるなら、それは、国民の視点が国家制度に反映されていないことを示す、と受け取らなければならない。そうだとするなら、悪いのは判決なのか、司法制度なのか、それとも、法制度そのものなのかを考え、改善策を検討しなければならない。

今回の判決に即していうと、読売新聞によれば、高裁は小沢氏の違法性の認識を否定したという。そのような事実認定なら、現行法上、無罪は当然だ。しかし、違法性の認識を立証しなければ有罪にならないなら政治資金規正法は有名無実のザル法ではないか、という議論は、あって当然である。現に朝日新聞社説は「『秘書に任せていた』『法律の知識がなかった』ですんでしまう制度の不備」と指摘している。他方、刑事処罰を科す以上、被告人の故意は必須という主張もあって当然だから、妥協策として、故意を不要とする代わり、刑事処罰ではなく、例えば「数年間の被選挙資格停止」という折衷案があっても良い。大事なのは、この裁判を通じ、法制度に不備がないか検討し、よりよい法制度の在り方を考えることだと思う。

お断りしておくが、私は小沢氏が有罪であるとも言っていないし、政治資金規正法が不当だとも言っていない。私が言いたいのは、様々な国家制度を国民がチェックし、よりよくするための議論を重ねることの重要さである。これが民主主義だ。少なくとも、強制起訴は、その議論を引き起こす引き金として機能している。

「無罪判決が出たから強制起訴制度を見直すべき」という主張は、裁判所や検察庁の判断に間違い(ここで間違いというのは、裁判所や検察庁のよって立つ法制度が間違っている場合も含む)が起こりえないことを前提としている。だが、その前提に異議を差し挟むことこそ、強制起訴制度が設けられた制度趣旨だった筈である。

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2012年11月12日 (月)

内藤頼博の理想と挫折(15)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

「気骨の判決」と内藤頼博(9)

昭和19228日、全国司法会同の席上行われた東條英機首相の挨拶は、「裁判所が時局を弁えず、戦争遂行上重大なる障害及ぼすような判決をするなら、政府としては緊急措置をとる。誠に遺憾だが、真に必要とあるなら、速やかに非常措置をとるから、十分注意されたい」というものであった。

翼賛選挙無効事件を念頭に置いた、裁判所に対するあからさまな恫喝である。

吉田久判事がこの司法会同に出席し、東條首相の演説を直に聴いたか否かについては、記録がなく、分からない。しかし吉田自身は「東條首相もサーベルをがちゃつかせながら裁判所にきて、裁判所はけしからん、時局をわきまえないと言うて回っていましたよ」と述懐している[1]。また、時の大審院長霜山精一は、「健康をこわして入院していまして、あの席には私は出ていなかったんです。いなくて幸いでしたよ」[2]と述べている。

いずれにせよ、裁判所に対する東條首相のあからさまな恫喝は、霜山、吉田ら当事者の耳に届いていた。

しかし吉田は、「しかし私はやられても、法を護る上にはやむを得ないと決心し、遺言状を書いて妻に渡し、今度の本件はよほどむずかしい事件で、或いは生きて帰らんかもしれないと、帰らん時はここにこの遺言状の通りに跡始末しておいてくれといって(鹿児島に)出かけたような次第です。」と述べているし、霜山精一大審院長も、「同じ鹿児島での選挙が係属している大審院14部と吉田のいる3部とで、別々の判決が出ても困るのではないか」という古川源太郎第4民事部長のお伺いに対して、「みんな、思うとおりにやられたらよかろう」と答えた。

穿った見方をすれば、既に「死に体」と化していた東条内閣の意向を無視したところで、何ほどのこともあるまい、と高をくくっていた可能性もあろう。だが、そうであるとしても、命がけの抵抗であることに変わりはあるまい。

敗色が深まり、司法に対する軍部のいらだちが頂点に達する中で起きた「東條演説事件」だが、沈黙し、あるいは面従腹背する裁判官の中でただ一人、公然と異議を唱えた者がいた。

細野長良廣島控訴院長である。


[1] 『法窓風雲録(上)』234

[2] 『法窓風雲録(上)』341

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2012年11月 7日 (水)

内藤頼博の理想と挫折(14)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

「気骨の判決」と内藤頼博(8)

昭和19(1944)、全国司法長官会同において東條首相が行った演説は、「流石に世間をはばかり一部を隠蔽した上で新聞発表を行ったので、一般にはまったく知られることなく終わった」[1]。しかし、家永三郎は、「新聞紙発表ノモノト相違ノ点アリ 朝刊限リトシ取扱御注意ヲ請フ」と表記し「秘」の朱印を附した謄写訓示書を入手したとして、その内容を紹介している。

できれば原文を読んでいただきたいが、現代文に書き下すと、次のとおりである。

「この機会に、司法の重責に当たる諸君にも、政府の期待するところを披瀝いたします。

(中略)

従来、司法の分野において取られてきた措置を自ら批判もせず、漫然と旧弊を踏襲するようなことは、司法の本旨にそう物であるか否か、とくと振り返ってみることが肝要かと存じます。

もとより、政府は、司法権の行使に対しては、衷心より敬意を表するものです。私も、司法権尊重の点においては、人後に落ちないつもりです。しかしながら、勝利なくしては司法権の独立もあり得ないのであります。それにもかかわらず、法文の末節にとらわれ、無益有害な慣習にこだわり、戦争遂行上に重大なる障害を与えるがごとき措置を(司法が)行うのであれば、寒心に堪えないところであります。

万が一にもかくのごとき裁判が下されるときは、政府としては、戦時治安の確保上、緊急措置を講ずることも考慮せざるを得なくなります。緊急措置の発動は、国家にとって不幸なことでありましょう。ですが、真に必要やむを得ざるならば、政府は機を失せず、この非常措置に出る考えであります。この点については、特に諸君の十分なる御注意をお願いいたします。以上、頭の切り替えについて申し述べた次第であります。

要するに、裁判所が政府の意に反する判決を下すなら、直ちに非常措置をとる、との宣言である。この余りに露骨な脅迫に、会場は静まりかえったという。

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2012年11月 5日 (月)

全法科大学院、廃校へ

田中真鬼子文部科学相は二日、すべての法科大学院に対する設置認可を取り消した。これにより、すべての法科大学院は今年度いっぱいで廃校となる。

霞ヶ関に再び激震が走った。文科相突然の決断は、法科大学院が「乱立」する中、弁護士への就職難、人材の司法離れによる司法の質の低下を懸念する声に応えた形だが、文科省と法科大学院は大混乱。一方で、法務省や司法試験受験生は比較的冷静に受け止めている。

二日に記者会見した田中文科相は、「法科大学院の乱立も一因となって、司法試験の合格率が低迷している。しかも、法曹界は就職難。司法試験に合格したのに就職できない若者が少なくない。その結果、優秀な学生が法曹を目指さなくなり、東京大学の法学部ですら、定員割れが発生している。抜本的な再検討が必要なのに、法曹養成検討会議のメンバーを見ると、現状維持どころか、事態の悪化を目指しているとしか思えない。」と述べ、法曹養成制度全体のゆがみが背景にあるとの認識を示した。

しかし、問題意識は正しいとしても、全法科大学院の廃止という劇薬は、多数の教員と事務職員の失職をもたらすうえ、学生にも多大な影響を及ぼす。ある法科大学院の教員は「(文科相は)司法試験を目指し日夜勉強する学生の気持ちを踏みにじり、未来を奪った」と憤る。

だが、文科省とともに法曹養成を担う法務省は、比較的冷静に受け止めている。ある法務省幹部は、「ウチも最初は慌てましたが、考えてみれば、予備試験の定員を増やせばいいだけなので、来年の司法試験に混乱はありません」と、文科省の「お家騒動」を静観する構えだ。

都内法科大学院一年生のA君(23歳)は、「法科大学院の廃止は大歓迎です。法科大学院卒業生として司法試験を受験できるのは再来年ですが、廃止されれば、来年から受験できますから。受験勉強も、もともと予備校での勉強に重点を置いていたので、(法科大学院の廃止は)影響ありません」と言い切った。

注;このエントリはフィクションです。実在する団体や個人とは一切関係ありません。

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2012年11月 2日 (金)

なぜ下鴨神社には大国主命が祀られているのか

京都家庭裁判所は、下鴨神社の境内にある。裁判の後、時間が余ったので、下鴨神社にお参りをした。

下鴨神社の本殿は二棟あり、「西本殿」には賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、「東本殿」には玉依媛命(たまよりひめのみこと)が祀られている。この二人は父娘だ。そして、玉依媛命の子である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)は、上賀茂神社に祀られている。つまり、祖父・母・息子の三世代が、鴨川のほとりの二つの神社に祀られているのだ。

ところで、本殿前には、7つの小さな社があって、十二支を祀っている。説明によると、これらは大国主命(おおくにぬしのみこと)の7つの別名だという。つまり、下鴨神社は、大国主命も祀っているのだ。だが、大国主命と言えば、出雲大社が本家。なぜ、下鴨神社に大国主命が祀られているのだろうか?

これは、京都の治水政策と深く関わっていると思う。

京都は巨大な盆地に、北から鴨川、西から桂川が流れ込んで作った複合扇状地である。盆地内の複合扇状地の河川は、氾濫しやすい。しかも北山から南東に流れ下る鴨川は、北東から流れ来る高野川と合流してYの字をなし、そのまま真南に流れ下っている。この合流地点は危ない。両河川の上流で豪雨があれば、たちまち合流地点から氾濫するだろう。白河法皇すら「賀茂河の水、双六の賽、山法師」は思いのままにならないと嘆いたという。古来、鴨川は暴れ川として知られていたのである。

このYの字の結節点に臨む三角地帯に建つのが、下鴨神社であり、鴨川側のやや上流にあるのが、上賀茂神社である。

この場所に両社を置いた大和朝廷をはじめとする統治者の目的は、鴨川の治水にあったというべきだろう。

古今東西、治水は政府の重要な任務であった(「政治」の「治」は、水を防ぐ台、すなわち堤防をあらわす)。したがって朝廷は、堤防の建設など、鴨川の治水に尽力したのだろうが、豪雨の方は、どうにもならない。文字通り、神頼みしかない。豪雨の先触れとなるのは雷だから、雷神を鎮める神力が必要だ。上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命は、「雷を別けるほどの力を持つ神」という意味であり、雷神に対抗させるには、これほどふさわしい神はいない。そこで朝廷は、上賀茂神社に賀茂別雷命を祀り、下鴨神社にその母親と祖父を祀って、親子三代の力で雷神を鎮めようと考えたのである。ごろごろごろ、と遠雷が響くと、上賀茂・下鴨神社の神官は総出で祈りを捧げ、雷神を鎮めようとしたのだ。馬鹿にしてはいけない。これは、当時としては最新の気象学に基づく、合理的な対策なのである。

さて、最初の疑問に戻ろう。なぜ、下鴨神社に大国主命が祀られているのだろうか。大国主命は、大和朝廷に対する「国譲りの神話」で古事記に記録されている。だが、「国譲り」とは勝者の勝手な言い分で、真相は大和朝廷による政権奪取だったという説もある。そうだとすれば、負けた大国主命は、怨霊となって祟るのがセオリーだし、怨霊の中で最もポピュラーなのが雷神だ。ちなみに、菅原道真は讒訴され左遷されて死に、天神すなわち雷神となって祟ったため、これを鎮めるため建立されたのが北野天満宮であり、これも、天神川のほとりに建てられている。

また、大国主命の本籍は出雲国だ。出雲国とは、文字通り雲出る国であり、雲は雨を呼び、雨は川を氾濫させる。雷の多くは西からやって来るが、京都から見て西が出雲国だ。大国主命について脛に傷持つ朝廷としては、神社に祀って魂を鎮め、雷になって暴れないよう、下鴨神社に祀った、とは考えられないだろうか。

ちょっと待てよ。すると下鴨神社には、雷を鎮める神様と、雷になった神様と、両方祀ってあるというわけかい?そんな呉越同舟みたいな解釈はおかしいんじゃないの、という批判は甘受しよう。それこそ、いかにも日本の神社らしいところで、という言い訳くらいしか考えつかない。いずれにせよ、アマチュアの戯言だと思って勘弁してほしい。

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