« 内藤頼博の理想と挫折(15) | トップページ | 福岡県弁護士会木曜会講演原稿より(1) »

2012年11月14日 (水)

無罪判決が続いたら、強制起訴制度が見直されるべきなのか?

政治資金規正法違反の罪に問われた小沢一郎被告が12日、控訴審でも無罪判決を受けた。13日の日経朝刊は「強制起訴(制度の)見直し」が必要との社説を掲載した。12日の毎日新聞も、「今後も無罪が続けば制度の見直し議論に発展する可能性もある」としている。

だが、強制起訴事件で「無罪が続いたから強制起訴制度を見直す」という論調には、疑問を感じる。なぜ、「裁判を見直す」という主張が出ないのだろう?あるいは、「法制度を見直す」という主張が、なぜ出ないのだろう。

たとえば、強制起訴事件50件全部について、無罪判決が出たらどうか。日経は当然、強制起訴制度を見直すべしとの主張になろうし、毎日新聞も同様だろう。

だがそうだろうか。この場合、無罪ばかり出す裁判所こそ間違っている、とは考えられないのだろうか。あるいは、裁判所が有罪判決を出せない仕組み(それは刑事法そのものかもしれないし、訴訟法かもしれない)が間違っている、という考えにはならないのだろうか。

強制起訴は正しいのに、それを受け止める裁判所側や法制度側に不備がある、という主張は、少なくとも、あって然るべきだと思う。そうだとするなら、強制起訴事件が6件に過ぎない現時点ですら、裁判所や政治資金規正法、あるいは刑事訴訟法こそ間違いを正すべきだという議論も、あって然るべきである。

いうまでもなく、強制起訴制度は、刑事司法に国民の視点を反映させる制度だ。当然、国民の視点が100%正しいとは限らないから、強制起訴事件が全部有罪になる必要はない。だが、全部無罪になるなら、それは、国民の視点が国家制度に反映されていないことを示す、と受け取らなければならない。そうだとするなら、悪いのは判決なのか、司法制度なのか、それとも、法制度そのものなのかを考え、改善策を検討しなければならない。

今回の判決に即していうと、読売新聞によれば、高裁は小沢氏の違法性の認識を否定したという。そのような事実認定なら、現行法上、無罪は当然だ。しかし、違法性の認識を立証しなければ有罪にならないなら政治資金規正法は有名無実のザル法ではないか、という議論は、あって当然である。現に朝日新聞社説は「『秘書に任せていた』『法律の知識がなかった』ですんでしまう制度の不備」と指摘している。他方、刑事処罰を科す以上、被告人の故意は必須という主張もあって当然だから、妥協策として、故意を不要とする代わり、刑事処罰ではなく、例えば「数年間の被選挙資格停止」という折衷案があっても良い。大事なのは、この裁判を通じ、法制度に不備がないか検討し、よりよい法制度の在り方を考えることだと思う。

お断りしておくが、私は小沢氏が有罪であるとも言っていないし、政治資金規正法が不当だとも言っていない。私が言いたいのは、様々な国家制度を国民がチェックし、よりよくするための議論を重ねることの重要さである。これが民主主義だ。少なくとも、強制起訴は、その議論を引き起こす引き金として機能している。

「無罪判決が出たから強制起訴制度を見直すべき」という主張は、裁判所や検察庁の判断に間違い(ここで間違いというのは、裁判所や検察庁のよって立つ法制度が間違っている場合も含む)が起こりえないことを前提としている。だが、その前提に異議を差し挟むことこそ、強制起訴制度が設けられた制度趣旨だった筈である。

|

« 内藤頼博の理想と挫折(15) | トップページ | 福岡県弁護士会木曜会講演原稿より(1) »

コメント

議論のすり替えのサンプルみたいな文章ですね。
単に「無罪が続いたから強制起訴制度を見直」せと言われてるわけじゃないでしょう。
この裁判では強制起訴制度の問題点が山ほど噴出しましたが、それについて何ら触れることなく見直し論の論点を単に「無罪が続いたから」と
勝手に矮小化した上で、それに格好ばかりの批判を加えて反論を装うとは卑怯卑劣な手口です。

貴方はこの事件で浮上した検察審査会制度自体の異様さ・不透明さやそれを巡る検察の不可解な動き等をどう考えているのか ?
それらに一切触れようとせず綺麗ごとで閉めようとする貴方の態度には偽善性しか感じない。

投稿: | 2012年11月14日 (水) 22時26分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/192469/56108283

この記事へのトラックバック一覧です: 無罪判決が続いたら、強制起訴制度が見直されるべきなのか?:

« 内藤頼博の理想と挫折(15) | トップページ | 福岡県弁護士会木曜会講演原稿より(1) »