« 福岡県弁護士会木曜会講演原稿より(1) | トップページ | 福岡県弁護士会木曜会講演原稿より(3) »

2012年11月21日 (水)

福岡県弁護士会木曜会講演原稿より(2)

1116日、福岡県弁護士会木曜会設立40周年記念講演『弁護士の近未来予想図~弁護士に明日はあるか?』で40分間の基調講演を行う機会を頂きました。実は、この企画は2年前にあったが、私が倒れたためキャンセルされていたものです。折角の機会だったのですが、リベンジということで、気負いが先に立ってしまい、やや盛り込みすぎの内容になってしまいました。そこで、以下数回に分け、原稿に基づき、実際の講演内容に加除修正を加えてブログに記します。

**********************************************

次に、講演のお題に従い、近未来を予想してみたいと思います。順に、日弁連ないし司法制度の未来、単位会の未来、弁護士の未来、の3つにわけてお話しします。

第一に、日弁連ないし司法制度の未来に関する最大の問題は、司法試験合格者数年2000人は大幅に減るのか、あるいは、法科大学院制度は廃止されるのか、という問題でしょう。私は、どちらも起きない、と考えています。もちろん、法科大学院の統廃合は進むでしょう。でも、制度そのものが無くなることはありません。なぜなら、法科大学院制度は、年1500人を超えて法曹を養成するという国家意思決定を前提とする制度であり、かつ、国民は、この国家意思決定を変更する必要がある、とは考えていないからです。

「何を言うか、法曹大増員政策の失敗は明白ではないか」と言う弁護士もいるでしょう。ですが、それは弁護士の感覚でしかありません。現時点での国民は、失敗したとは思っていません。困っているのは弁護士だけで、自分たちではない、と考えています。この考えが変わらない限り、司法試験合格者が2000人を大幅に下回ることはない、と予想します。

弁護士の中には、日弁連として1000人決議を行うべく、奔走している人がいます。この行動は、無意味とは言いませんが、私はあまり支持できません。今が1997年であれば、意味はあったことは認めます。なぜなら、『こんな日弁連に誰がした?』にも書いたとおり、1997年までは、日弁連は、司法試験合格者数を決定する法的権限を有していたからです。有していたと言っても3分の1ですが、それでも有していたことに変わりはありません。

しかし、1999年以降、日弁連はこの法的権限を失いました。失った今、日弁連が1000人や1500人の決議を行ったところで、法的効力はゼロです。強いて言うなら、死刑廃止の会長声明程度の、事実上の影響力しかありません。それほど意味の薄い決議を行うために、多大な労力を費やすのは、コストメリットに乏しいと考えます。

私が1000人ないし1500人決議運動を支持できない理由は、あと二つあります。一つは、今や司法試験合格者数を絞って解決する問題ではない、という点です。5年前なら、司法試験合格者数を絞ることに、多少の意味はあったかもしれません。しかし、今の状態は、たとえて言うなら、風呂の底が抜けたも同然です。まだ底が抜けず、溢れそうになっているときなら、蛇口を絞ることは有効でしょう。しかし、風呂の底が抜けて、家中水浸しになろうとしているときに、蛇口を絞ることにどれほどの意味があるのか、私にはよく分かりません。

もう一つは、今日本の司法が直面する問題の本質は人数問題なのか?という疑問です。追々話しますが、私は、問題の本質は人数問題ではないと考えています。もちろん人数も大事ですが、日弁連の人材と資源の有効配分の観点からは、もっと重大な問題の分析と検討に力を注ぐべきだと思います。

なるほど、司法試験合格者数年1000人は、現状では、適切な数かも知れません。しかし、壊れた時計の針を現在時刻に合わせても、修理したことにはならないのです。

給費制運動がなぜ失敗したのかについても、触れておきたいと思います。まず戦術的な失敗がいくつもありました。貧乏人が弁護士になれないという馬鹿げた主張をしたこと、日弁連自身がかつて給費制廃止に賛成するよう国会議員に働きかけた事実に頬被りして、当時を知る議員の反発を買ったこと、修習生の経済的負担を論じながら受験生の経済的負担の問題に踏み込まなかったこと、などです。

しかし、根本的な問題は、「なぜ『日本の弁護士』だけが、国家から給料をもらって養成されて当然なのか?」という疑問に、日本の弁護士自身が的確に答えられなかったことにある、と私は考えています。もちろんその答えで国民を説得できなければダメですが、それ以前の問題として、我々自身がその答えを持たない、という点が致命的です。この問題が解決できない限り、給費制が復活することはあり得ないと思います。

修習専念義務から給費制の権利性を導く見解もあるようですが、「それなら司法修習を無くしましょう」と言われるだけだと思います。

給費制は、戦後占領下の司法改革において、内藤頼博(よりひろ)ら、日本人法曹によって創設されました。しかしその利益を享受した我々は、内藤頼博という名前すら知らないし、彼がなぜ給費制を創設したかも知らないのです。そんな有様だから、「既得権」という批判に対抗できないのです。(続)

|

« 福岡県弁護士会木曜会講演原稿より(1) | トップページ | 福岡県弁護士会木曜会講演原稿より(3) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/192469/56156672

この記事へのトラックバック一覧です: 福岡県弁護士会木曜会講演原稿より(2):

« 福岡県弁護士会木曜会講演原稿より(1) | トップページ | 福岡県弁護士会木曜会講演原稿より(3) »