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2013年2月27日 (水)

内藤頼博の理想と挫折(20)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

「さつき会」と内藤頼博(3)

東京を中心にした少壮裁判官の集まりであった「さつき会」は、「よき裁判」を阻害する元凶が司法省による裁判所支配であるとの認識から、優秀な裁判官が司法省官僚に「出世」する制度や、「出世」を望み司法省におもねる裁判官を批判した。その帰結として、「さつき会」に属する優秀な裁判官が司法省入りの打診を拒絶する「事件」が起きる。

もと裁判官の西理(にしさとし)氏によれば、「高名な大審院部長判事であった前田直之助は、後輩の裁判官に与えた訓戒の手紙の中で『判事としては一生判決を書くことを天職と心得なければならない。所長・院長などはこの仕事には無関係の人物であり、唯の床の間の置物に過ぎないのであるから、構えてあんなものになろうなどと思ってはいけない』と戒めている」[1]が、この戒めを実践した少壮裁判官グループが「さつき会」であったという。

内藤頼博自身も、昭和14年(1939年)、三淵乾太郎とともに司法省入りの打診を断った、と述懐している[2]。この行動に対しては、我孫子ゴルフ倶楽部のコンペで司法省批判を繰り広げていたという井上登、藤田八郎判事らも批判的であったらしく、内藤自身、「思想だけならいいのですけれども、そういう実践的な行動に入ったので…問題視されたわけでしょうね」と述べている。

『さつき会の由来と信条』(藤江忠二郎あの人この人訪問記96回)には、着任の挨拶に来た若い判事が、佐々木良一東京地裁所長に「さつき会などにはいってはだめだぞ」とクギを刺された、というエピソードを紹介している。

おなじく「さつき会」のメンバーであった畔上英治裁判官も、「こんな反抗(筆者注、司法省入拒否のこと)は可成り派手に見えたらしい。その外の感情も加わったりして一部には「さつき会」の連中は、青年将校気取りで司法省に反抗しているとか、裁判至上主義に陶酔しでいるとか、同志的政治結社だとか、様々の悪評が行われ[3]」たと記している。


[1] 出典は『司法権独立運動の歴史』62頁。手紙を受け取ったのは渡辺好人もと東京高裁判事

[2] 『法の支配』199412月号「内藤頼博先生に聞く」

[3] 畔上英治『事務屋になった頃』(「法曹」47号)

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コメント

誤字訂正しました。わかさぎさん、ご指摘ありがとうございました。

投稿: 小林正啓 | 2013年2月28日 (木) 00時28分

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