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2013年2月 8日 (金)

学校教育法と武器輸出三原則について

学校教育法は、体罰を例外なく禁止している。愛情をもって殴れば合法、という見解は、学校教育法11条の解釈としては成立しえないし、人格育成のため必要最小限の体罰なら合法、という考え方も、学校教育法11条の解釈としては成立しえない。

もちろん、そのような考え方そのものを否定しているのではない。現行法の解釈としては容認できない、と言っているだけだ。だから、一定の範囲で体罰の合法化を主張することは自由だし、法改正を目指すことも自由だ。多数を取れば法律改正が可能になる。それが民主国家というものである。

前回書いたように、体罰を例外なく禁止するわが国の法律は、1879年(明治12年)に制定された。しかし、その時点から体罰は容認されていたし、今も容認されている。しかも、体罰をめぐる議論が喧しいにもかかわらず、学校教育法11条を改正すべきか否か、という議論は聞かない。つまり日本人は、体罰を例外なく禁止する法律を守る気が初めから無かったし、現に守らなかったし、実情に合わせて法律を改正しようという考えもない、ということになる。

ところで、2月初旬の各紙によると、安倍内閣は、自衛隊の次期主力戦闘機F35用として、日本国内で製造される部品の輸出を、武器輸出三原則の例外として認める方針を固めた。読売産経は賛成の論陣を張り、朝日毎日は反対している。

だが、武器輸出三原則という法令は存在しない。国是という意見もあるが、憲法にすら、武器輸出の禁止は規定されていない。実際、朝鮮戦争までの日本は、武器を輸出していたし、それが憲法違反とされることはなかった。

武器輸出三原則は、佐藤内閣以来の、歴代政府の見解にすぎない。法令でない以上、政府の見解といえども、国民を拘束することは、決してない。F35の部品がどういうものか不明だが、何にせよ民間が製造しているのであれば、これを規制するのは外為法であって、武器輸出三原則ではない。外為法上、輸出に政府の許可が不要であれば、政府に差し止める権限はないし、外為法上、輸出が政府の許可を要するのであれば、許可することができる。

ただそれだけのことである。武器輸出三原則は、関係ないのだ。

ところが各紙の主張を見ると、立場の違いこそあれ、武器輸出三原則の遵守を前提としたうえで、その例外のあり方や範囲について、議論している。

武器輸出三原則が最初に提言されてから40年以上経つ。その間、法制化する機会はいくらでもあった。われわれ日本人は、武器輸出三原則を法令化する気は全く無いのに、可能な限り遵守しようとしていることになる。

学校教育法を守る気が無い一方、法律ですらない武器輸出三原則を遵守しようとする日本は、とても不思議な国である。

そのような国家を、法治国家とは言わない。

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