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2013年5月 7日 (火)

中坊公平氏死去

もと弁護士の中坊公平(以下、歴史上の人物とみなし敬称を省略する)が3日、死去した。

戦後日本を代表する弁護士の一人であるとともに、彼ほど毀誉褒貶の相半ばする弁護士は、ほかにいないだろう。

批判の多くは、司法改革の「失敗」の責任を問うものであり、具体的には、弁護士激増政策「失敗」の責任を問うものだ。「死者に鞭打つな」との声もあるが、中坊公平は、死してなお批判にさらされるべき公人であろう。だが、だからといって何を言ってよいわけではない。「中坊のせいで(司法試験合格者年)3000人政策が決まった」とか、「司法改革のA級戦犯」といった薄っぺらな批判なら、しない方がマシだ。

弁護士激増政策に至った最大の原因は、日弁連が、高度経済成長にもかかわらず、60年代以降30年にわたって、増員に抵抗し続けてきたことにある。ただ、この30年間は、冷戦下の高度経済成長という世界・経済情勢が、「小さな司法」を必要とし、日弁連のワガママを許容していた時代でもあった。だから、冷戦終結による社会変動に柔軟に対応していれば、弁護士増員政策についても、ソフトランディングの可能性は残されていた。しかし、「最低でも年1000人」の要請を真っ向から無視し、「800人の5年間据え置き」を決議した平成71221日の日弁連臨時総会決議が、全てをブチ壊したのである。これにより日弁連は、「ギルド社会の既得権擁護の思い上がり」という非難にさらされ、国民から支持されなくなり、発言力を失って、当事者の椅子から引きずり下ろされることになり、その後1000人→1500人と続く法曹増員政策に歯止めをかけることができなくなる。中坊公平が3000人を提唱した平成11年(1999年)当時、経済界や法曹界の一部には、5000人、6000人を主張する勢力がいたことも忘れてはならない。中坊公平が3000人で収めなければ、6000人になっていたかもしれないという議論も、あながち嘘ではない。

このような事態に至った「A級戦犯」は、800人案を提案した故辻誠もと日弁連会長であり、これを受け入れた故土屋公献日弁連会長(当時)、辻誠弁護士とともに800人決議案を提案した前田知克弁護士、そして、800人決議をめぐる「陰謀」(『こんな日弁連に誰がした?』94頁)に関わった全ての弁護士である。

多少の想像を交えて言うと、冷徹なリアリストであった中坊公平は、司法改革問題に再登板した平成10年、「日弁連が主導権を回復できるギリギリの線」として「3000人」を見極めたのだと思う。「3000人」は法科大学院制度を導入できる最低限の数字であるから、文科省や大学とも共闘できるし、「法曹一元」とセットにすることによって、矢口洪一もと最高裁長官とも手を組めるし、戦前からの悲願を目標とすることによって、分裂寸前の日弁連を糾合することができるからだ。1990年(平成2年)の日弁連会長選挙で「司法改革」を掲げ、分裂していた左右両派の圧倒的多数票を集めた中坊公平は、「法曹一元」によって、日弁連は再び団結すると考えたのだ。そして実際その通りになった。

おそらく中坊公平にとって最大の誤算は、日弁連が持つ「法曹一元」のトラウマなり怨念なりが、予想以上に大きかったことだろう。司法制度改革審議会で法曹一元が露と消え、法曹大増員だけが残ったとき、中坊に対する憧憬は憎悪に豹変した。中坊は、「法曹一元」に代わる糾合策として、「政府と連携した不良債権回収業務」(RCC)や「弁護士費用敗訴者負担制度」を実践し提案するが、もはや支持を集めることはなかった。敗訴者負担制度は、日弁連自身によって葬られたし、中坊自身がRCC時代の不正を追及されたとき、日弁連は全く援護しなかった。弁護士バッヂを外した中坊が再び弁護士登録申請をしたとき、大阪弁護士会内で復帰を歓迎する声はほぼ皆無だった。かつて、熱狂的に中坊を支持した弁護士も多いはずなのに。

中坊公平に対して、型どおり「ご冥福をお祈りします」と述べるのは、相応しくないと思う。弁護士中坊公平の魂が、安らぐことはないからだ。日弁連は、中坊公平を賞賛し、そしてたたき落としたのだから。

われわれはむしろ、中坊公平を批判し続けるべきだと思う。ただし、その目的は、死者を鞭打つことではない。中坊の思想と行動の探求を通じ、彼を支え、踏みつけた人びとの「今」を明らかにすることにある。

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コメント

小林正啓先生
>中坊公平が3000人を提唱した平成11年(1999年)当時、経済界や法曹界の一部には、5000人、6000人を主張する勢力がいたことも忘れてはならない。中坊公平が3000人で収めなければ、6000人になっていたかもしれないという議論も、あながち嘘ではない。

という部分ですが、平成11年当時、5,000人、6,000人を主張する勢力があった、というのはどのような資料に基づいているのでしょうか。
 経済界」「法曹界の一部」というのは、具体的にはどのような組織、人物だったのでしょう。
 

投稿: M.T. | 2013年5月12日 (日) 22時28分

M.T.様、お尋ねの点につき、手元資料未整理ですぐに全部ご指摘できませんが、取り急ぎ、2000年4月21日の「司法改革フォーラム」提言をご紹介しておきます。ここには、「司法試験合格者は2001 年から毎年1,000 名ずつ増やし、2011 年には12,000 名へ」と明記してあります。また、経営法友会は当時、会の見解として、「中期的な目処として年4,000~5,000人」としていました。http://www.keieihoyukai.jp/opinion/opinion9.html

投稿: 小林正啓 | 2013年5月13日 (月) 16時24分

小林正啓先生
 司法改革フォーラムは翌年ですね。
 経営法友会の提言は平成11年12月のようですが、中坊氏の3000人発案とどっちが先だったのでしょうか。また、経団連はどうだったのでしょう。

 いずれにせよ、中坊氏の3000人発案当時、それほど強い増員圧力があったようには思えないのですが。

 最近でも規制改革会議が9000人などと言っていましたが、何の合理的根拠もない数字でしたので、結局支持を得られず、消えていきました。

 中坊氏の3000人発案前に、仮に5000人、6000人の主張があったとしても、何の合理的根拠もない数字でしたので、日弁連がきちんと反対論を構築して抵抗していれば(そして中坊氏が3000人などという大見得を切らなければ)、やがて消えていった主張だったのではありませんか。

投稿: M.T. | 2013年5月14日 (火) 07時48分

M.T.さんへ
1 経済人ではありませんが、1996年12月23日の毎日新聞で本最高裁長官の矢口洪一が4000人を提言しています(『こん日』161頁)。その後司法制度改革審議会が設置されたのは矢口洪一のシナリオに基づくものと私は考えています。たとえばこの4000人案が、なぜ「それほど強い増員圧力ではなかった」と言えるのか、おしえてください。
2 中坊公平がきちんと反対していれば3000人はなかったとのご主張ですが、ではこの当時、何人という選択が可能だったのか、理由とともにご教示ください。
3 「きちんと反対論を構築して抵抗していれば」とのことですが、「きちんとした反対論」というのは、たとえばどういう反対論なのか、概要をお示し下さい。また、M.T.さんは95年の800人5年据え置き決議について、日弁連は「きちんと反対論を構築して抵抗した」と評価されているのか否か、あわせてご意見をお聞かせ下さい。
4 最後に、この議論にお付き合いはしますが、実名を開示されることを希望します。

投稿: 小林正啓 | 2013年5月15日 (水) 21時39分

小林正啓先生

 上記ご回答、感謝致します。

 ところで、このブログのコメント欄は、実名を開示しないと受け付けないということなのでしょうか。

>最後に、この議論にお付き合いはしますが、実名を開示されることを希望します。

他の匿名コメントの方には、このようなことをおっしゃられてはいないようですが。

投稿: M.T. | 2013年5月16日 (木) 03時38分

M.T.さn
この議論は意義のある議論だと思いますし、一回で終わるものでもないでしょうから、相手のお名前を知りたいと思うのは当然と考えます。
ただ、すでに記したとおり、あくまで希望であり、実名を開示されなくても議論にお付き合いはします。

投稿: 小林正啓 | 2013年5月16日 (木) 10時03分

小林先生

 ブログ上では、初めまして。ということになります。
 私も先生のご見解を読み、違和感を覚えました。

 それについては、私自身のブログでもコメントさせて頂きました。
http://inotoru.dtiblog.com/blog-entry-739.html

 先生は、コメントの中で、矢口長官の4000人が圧力でないというのは何故かという問いかけをされていますが、それは、小林先生が、このような圧力だったということを主張すべきではないでしょうか。

 もちろん、私は圧力ではないと考えます。ブログ上にも記載しましたが、法曹一元の中で述べるのと、規制緩和の要請から述べるのでは全く意味が異なるからです。

投稿: 猪野亨 | 2013年5月17日 (金) 11時53分

猪野先生
司法試験合格者数が734人だった年(1996年)に、「4万人のせめて1割」の司法試験合格者を出すべきだという「もと最高裁長官」の発言を載せた毎日新聞論説委員の記事が、なぜ増員圧力と言えないのか、しかも、この記事に「4000という数字が見当たらない」となぜ言えるのか、全くわかりません。私の計算が正しければ、4万人の1割は4000人です。

投稿: 小林正啓 | 2013年5月17日 (金) 22時14分

 先生が引用した『こんにち』161頁に記載がないという意味です。

 私は、その毎日の記事は目にしていませんので、どのような趣旨で発言されているのか、前後の脈絡がわかりません。
 ただ、先生が紹介された箇所を見る限り、法曹一元の箇所で触れているので、私は、それでは増員の圧力とはいえないでしょうと申したのです。

 なお、それが何故、圧力なのか、と言う点は、むしろ先生が述べるべきではないでしょうか。
 誰かが人数を発言したからといって、それが何を背景にしているのかということが重要であり、それを抜きにして、単に4000人と言った人がいると言ってみたところで、それが「圧力」とはいえないでしょう。

 要は、最高裁長官であろうと、それが最高裁の意を受けたものというのであれば、最高裁が何故に4000人の合格者数を必要としているのかなどが問われるということです。

投稿: 猪野亨 | 2013年5月17日 (金) 23時41分

当方が原典を指摘しているのに、原典にあたらず論及されるとは、少し驚きました。
著作権の問題があるので、肝心な部分以外見出しの引用にとどめますが、原典は1996年12月23日毎日新聞朝刊4頁で全5195字です。
********************************
[争点論点]司法改革は緊急課題 元最高裁長官・矢口洪一さん/論説委員・坪井明典

◇「国民参加」の裁判を/法曹の数の充実必要
◇判事補制度の廃止も
矢口 どう考えても、わが国の法曹人口は少なすぎる。加えて、行政改革による「小さな政府」が叫ばれ、行政機関が事実上果たしてきた紛争解決の役割が、あげて司法の場に持ち込まれることになります。あらゆる分野での規制緩和は、自己責任の原則の確立として必然的に司法の場で解決すべきトラブルの増大につながります。法律扶助制度や被疑者を含む国選弁護制度も画期的に拡大されざるを得ないでしょう。
司法に対する国民の要望に応えるべき緊急・最大の方策は法曹の数の充足です。ちなみにアメリカの法曹人口は約90万人、イギリスは7万6000人、ドイツは10万6000人、フランスは3万6000人です。フランスの総人口は5800万人。その2倍以上の総人口を抱えるわが国の法曹人口は、わずか2万人です。こんなに少なくては法治国家とは言えない。「法の支配」もおぼつかない。今日現在でも4万人は最低限必要な数です。
司法試験合格者を1000人とするという合意のことは知っている。しかし、それが実現しても4万人に達するのは30年余も先のようです。これではだめです。法学部卒業生は毎年4万人を超えるのですから、せめてその1割の合格者を出すべきでしょう。
坪井 問題はどう増員を進めるかです。急激な増員をしても、弁護士が増えるだけです。日本弁護士連合会は承知しないかと思います。
矢口 ただ、増員とだけ言っても無理でしょう。法曹養成制度などの改革が必要です。その第一としては、判事補制度の廃止です。「原則として一人で裁判することができない」裁判官が判事補ですが、これはあくまで戦後の過渡的なものと考えるべきでしょう。すでに憲法50年、廃止されるべきです。
これと関連して第二には、最高裁の司法研修所を日弁連か日本法律家協会、あるいは独立の新設機関のいずれかに移管すべきです。修習もこれまでの判決起案中心の教育からリーガルマインドを養うための教育に移行させるべきだ。司法修習は検事と弁護士を養成することとなりますが、なお、ドイツのように一部上級の行政官の養成を加えることも考えてよいでしょう。法の支配に役立ちます。
第三は、必然的に裁判官の任用についての法曹一元(裁判官を弁護士、あるいは検事から任用)制度の採用です。一元制度は、今のキャリア裁判官制度と同列の「一つの望ましい制度」ではなく、国民の信頼に応える「もっとも望ましい制度」なのです。
◇官僚的統制も問題
◇陪審制度導入も一考
◇消極主義、返上へ

◇やぐち・こういち
「ミスター司法行政」とか、「司法官僚のドン」といわれ、1985年に第11代最高裁長官に就任。「消極主義」の批判もあったが、従来の枠をはみ出した改革にも乗り出し、陪審制の研究や裁判官研修などを実行した。90年退官。76歳。

投稿: 小林正啓 | 2013年5月18日 (土) 08時17分

小林正啓先生

>ただ、すでに記したとおり、あくまで希望であり、実名を開示されなくても議論にお付き合いはします。

 とのことですので、このままM.T.で続けさせて頂きます。
 別に実名を明かしてもかまわないのですが、先生のご意見に肯定的なコメントは匿名でもよし、批判的なコメントのみ実名を開示せよ、ということには納得がいきませんでしたので。

>この議論は意義のある議論だと思いますし、一回で終わるものでもないでしょうから、

このご意見には賛同致します。

 ただ、このコメント欄で議論しても、あまり効果的ではないようにも思うのですが。
 まずは、ここで議論した後、また別の場で公表させて頂くことになるかもしれません。

 議論の前に、なぜ、私がこのようなコメントを書く気持ちになったのかをご説明致します。

 小林先生は、司法試験合格者数3000人となってしまったのは、反対派(主に左翼弁護士)が無駄な抵抗をしたためである、責任はその人たちにこそあるのだ、中坊公平氏はむしろこれ以上の増員に向かわないように頑張った功労者だ、というご主張のようです。

 しかし、私はそうではないと思っています。

 今の法科大学院を中心とする法曹養成制度、そして法科大学院制度を前提とする司法試験合格者数の激増路線は、はっきり言って失敗です。その責任は、誰に、どこに、あったのか。

 これを明らかにしないまま、曖昧にしておいては、真の「司法改革」はあり得ないのではありませんか。

 そして、私は、小林先生に罪を着せられて愚かな「左翼反対派」というレッテルをはられた方々が気の毒でなりません(私自身は左翼でもなんでもありませんが)。
 当時のことを知らない若い弁護士たちが、真に受けてしまいそうで心配です。

 ですから、あえて、議論をさせて頂こうと思った次第です。
 お時間のあるときに、お付き合い下さい。
 私も、時間に余裕のあるときに、適宜書き込ませて頂きますので。

投稿: M.T. | 2013年5月18日 (土) 08時34分

M.T.さん
今回のコメントは概ね私と同意見です。
違うところだけ言うと、私は批判的なコメントだけ実名をだせとはいっていません。すれ違って会釈(罵倒)をする程度の相手なら名前を知りたいとも思いませんが、面と向かって相当な時間話をする相手なら名前を知りたいと思うだけです。
また、私は中坊公平を功労者だというつもりはありません。私の考えでは、日弁連が「Point of no return=後戻りのできない曲がり角」を曲がったのは、94年12月21日臨時総会の800人5年据え置き決議です。それ以降の日弁連は墜落が決まった飛行機も同じであり、2000年当時の中坊は、その操縦桿を必死で引っ張っていただけです。この考えからすれば、2000年の中坊に全責任を負わせ、94年決議を正当化する人びとこそ責任逃れであり、若い弁護士に歴史を見誤らせることになります。

少し話は違いますが、94年決議には中坊も関与していた疑いがあり、そのことは私の以前のブログでも少し触れています。この疑いが事実なら、私の立場でも、中坊は責任を免れないことになりますが、証拠不足で、現時点では何とも言えません。

投稿: 小林正啓 | 2013年5月18日 (土) 09時03分

>1 経済人ではありませんが、1996年12月23日の毎日新聞で本最高裁長官の矢口洪一が4000人を提言しています(『こん日』161頁)。その後司法制度改革審議会が設置されたのは矢口洪一のシナリオに基づくものと私は考えています。たとえばこの4000人案が、なぜ「それほど強い増員圧力ではなかった」と言えるのか、おしえてください。

私も、『こん日』161頁をすぐ見ましたが、そこには法曹人口についての記載がなく、アレッと思っていました。
 原典のご指摘ということでしたら、こん日を引用される必要もなかったのでは。

 矢口洪一元最高裁長官については、こん日でも法曹一元に関する部分でよく触れておられますが、法曹人口についての部分ではあまり触れておられなかったのではありませんか。
 小林先生ご自身も、矢口氏からの増員圧力というのはあまり意識して書かれておられないようにお見受け致しました。

 (余談ですが、矢口氏がどうして法曹一元を言い出したのか、小林先生は「最終目的は裁判官の待遇改善のためであり、弁護士会に大増員を受け入れさせるためのニンジンだった」等と結論づけておられますが、その証拠はあるのでしょうか?矢口氏の「オーラル・ヒストリー」にありましたか?)

 既に最高裁を退官した矢口氏が一新聞社に語ったこと(それも、細かいようですが、4000人であって、先生の言われる5000人、6000人ではありませんね)がそれほど圧力になったのでしょうか。
 私の記憶では、確かに矢口氏はいろいろ意見を述べる元裁判官でしたが、中坊氏ほどマスコミ受けはしておらず、マスコミへの影響力はさほどなかったという印象です。

 また、最高裁や法務省が、当時、法曹大増員を望んでいたという証拠はどこかにありますか?

 最高裁自体は、若くて優秀な人材を裁判官にしたいという願望は強かったでしょうが(そのための丙案でした)、法曹一元や法曹人口激増を望んでいたとは思えません。それに、任官希望者も、合格者800人、1000人頃には増加しており、最高裁の願望も充たされていたと記憶しています。

 小林先生の言われる矢口氏の「強い増員圧力」というものの実体(誰に対するどのような圧力だったのか)をぜひお教え下さい。

投稿: M.T. | 2013年5月18日 (土) 09時43分

 原典に当たらないとは、というご指摘ですが、もともと先生のブログ記事には原典の記載というより、先生の著作の紹介だけではないですか。
 それでいて驚きとは何ともいえませんが。

 それはさておき、ご紹介部分を読んでも、やっぱり従前の評価と変わりませんね。法曹一元と絡めているではないですか。

 これが何故、圧力なのですか。全く理解できません。

 矢口長官は、最高裁の意向を述べているんですか。どうみても個人的見解ですが。
 圧力というからには、相応の政治的背景があり、それを受け入れなければ不利益を被るよ(不利益の内容はいろいろ、ありますけどね。)というものであって、毎日新聞に掲載されたことをもって、何故に圧力なのか、しかも誰がそれを圧力と感じていたのか、などを述べなければ、「圧力」などとはいえません。

投稿: 猪野亨 | 2013年5月18日 (土) 09時57分

矢口の発言が「増員圧力」と考える理由はすでに述べたとおりですし、「(司法制度改革審議会の)メンバーに法曹関係者は一人も委員には入れないようにすべきです。裁判所・法務省・弁護士会の法曹三者からは、専門的助言者各一名を限定的に選出することとしたらどうでしょう」(1998年2月8日日経)と述べたとおりに司法制度改革審議会が設置され、大増員へのレールが敷かれた経緯等から推して、その影響力は極めて強かった、というのが私の考えです。
「誰に対する圧力か」という質問は意味が分かりません。私は単純に、「司法試験合格者を増員する圧力」という意味で使っています。当時、司法試験合格者数の決定権限を事実上有していたのは、法曹三者協議会でした。しかし、矢口は法曹三者協議会に対して4000人を受け入れさせようとしていたわけではないので、同協議会に対する圧力とは言えません。
法曹一元と絡めると、なぜ増員圧力にならないか、規制緩和の視点となぜ違うのかに至っては、その論理がさっぱり分かりません。どんな理由だろうが視点だろうが、「司法試験合格者を増やせ」と言うことは(強弱の差こそあれ)増員圧力です。しかも、矢口は規制緩和も明言しているのに、その文字は見えないのですか。
矢口が、当時の最高裁や法務省の意思を体して発言したとは、私は考えていません。最高裁はもちろん、法務省もおそらく、3000人は拙速と考えていたと思います。つまり矢口は、最高裁の指図を受けて4000人と言ったのではありません。組織的背景を持たなくても、隠然かつ強力な政治的実力を持つ人間はいるのです。中坊の方がマスコミ登場回数は多いでしょうし、現代社会ではマスコミの利用も必要でしょうが、マスコミ登場回数の多寡が政治的実力の強弱に直結するわけではありません。私の考えでは、矢口は、政治的実力において中坊よりも、最高裁よりも、遙かに上であり、当時の最高裁に指図されるような人間ではありません。
矢口の真意についての私の理解の当時の到達点は、『こん日』に書いたとおりです。その真意の源流がどこにあるかについては、勉強中です。勉強の過程に興味があれば、連載中の「内藤頼博の理想と挫折」をお読みください。

投稿: 小林正啓 | 2013年5月18日 (土) 19時54分

>組織的背景を持たなくても、隠然かつ強力な政治的実力を持つ人間はいるのです。

つまり、矢口洪一元最高裁長官は、最高裁という組織とは全く別に、個人の政治的影響力をもって、増員圧力となっていた、というご主張なのですね。

 当時の有力政治家あるいは行政官僚に対して、法曹人口4000人(先生の記事では5000人、6000人)となるよう圧力をかけていたということですか?
 
 矢口元長官は、フィクサー!?
 
 一体どこに、そのような証拠があるのでしょうか?

 なお、この宮本康昭氏(司法改革推進派)の論考http://repository.tku.ac.jp/dspace/bitstream/11150/338/1/genhou10-04.pdf
によれば、司法審には政治勢力の介入がなかった(82頁)とされています。

 司法審の議事録を読んでみても、中坊氏以外には、(法科大学院制度推進派の学者以外は)財界、最高裁、検察庁のどの委員も法曹人口激増に積極的ではなかったことが分かります。特に、財界からの委員は、慎重です。

 日弁連執行部と中坊氏は、一体どこの誰から、5000人、6000人の増員圧力を受けていたというのでしょう。

 

投稿: M.T. | 2013年5月18日 (土) 21時01分

小林先生

 「矢口の発言が「増員圧力」と考える理由はすでに述べたとおりですし」ということですが、どこにも述べられていません。
 むしろ、先生は、何故、これが圧力にならないのかと開き直っていらっしゃいます。
 毎日新聞に掲載されただけで「圧力」というのでしょうか。
 矢口元長官(先の私のコメントは、「矢口長官」と記載されていました。誤りです。)は、影響力があるということを指しているのであれば、全く理由が付されていません。結論のみの記載です。

 「法曹一元と絡めると、なぜ増員圧力にならないか、規制緩和の視点となぜ違うのかに至っては、その論理がさっぱり分かりません。どんな理由だろうが視点だろうが、「司法試験合格者を増やせ」と言うことは(強弱の差こそあれ)増員圧力です。しかも、矢口は規制緩和も明言しているのに、その文字は見えないのですか。」

 という部分も部分的に「規制緩和」だと言ってみたところで、法曹一元だなどという主張を絡めては、その時点で終わりです。先生が日弁連に対して、よく主張されているように実現の見込みもない法曹一元なるものをくっつけた時点で相手にはされません。
 ましてや、4000人だという数字、しかも、計算上でしか出てこない数字をもってして大増員への圧力だというご主張は、それ自体、未だ一定の政治勢力となっていない場合、一元長官の発言をもって「圧力」というには飛躍がありすぎます。
 先生は、中坊公平氏がA級戦犯という主張を薄っぺらと評されていますが、先生の論法は、中坊が言う前から、5000人、6000人という規制緩和に基づく圧力があり、中坊が3000人と言わなければ、もしかするとそれ以上の数字になっていたかもしれない、というものです。
 そうであれば、それを「阻止」しなければならないほどの「圧力」があったということを論証しなければ、先生の主張は前提を欠くことになります。

「「誰に対する圧力か」という質問は意味が分かりません。私は単純に、「司法試験合格者を増員する圧力」という意味で使っています。」
の部分にしても、「誰」というものが全くないなどということがあり得るのでしょうか。それでは単なる意見表明のレベルではないですか。

 そもそも、中坊が言い出す前の「圧力」は、毎日新聞に掲載された元長官の発言だけですか。それ以外にもありそうですが(私のブログで紹介した「堀田力・法務大臣官房長(当時)の記事)、それが主流であるということが論証されなければ先生の立論は成り立ちません。
 もっといえば、宮内氏らの規制改革委員会は後に9000人だ、12000人だなどとはしゃいだ発言を始めますが、それまでの財界は、経済同友会が抽象的な増員を述べているだけで、それ以上の要求が財界から出されているという状況ではありません。要は切実な要求としてです。結局、財界からの需要がなかったことをみても明らかです。
 一部のグローバル化した企業の担当者からの浮かれたヒアリングはありましたが、それ以上のものはなく、誰もがこの大増員は一体誰の利益のためだったんでしょうねというのが現実でしょう。規制緩和の視点に立ったとしてもです。
 米国からの要求ということであれば、政府も財界も非常に大きな「圧力」と感じるでしょうが、一元長官の私的発言がなぜ、「圧力」と言えるのか、先生のご見解は、論理的に破綻しています。

投稿: 猪野亨 | 2013年5月19日 (日) 10時53分

M.T.さん
私からすれば、なぜ日弁連(執行部)が誰からどんな圧力を受けていたのか、という疑問にこだわること自体、理解できません。
もしかして、M.T.さんは、日弁連(執行部)が、誰かから圧力を受けて、その圧力に(不当にも)屈したため、3000人計画が実現した、とお考えなのですか?もしそうであるとすれば、その考えは間違いです。

猪野先生のご指摘は、特に反論を繰り返す必要を感じませんので、ご意見として拝聴しておきます。

投稿: 小林正啓 | 2013年5月19日 (日) 22時22分

小林正啓先生

>もしかして、M.T.さんは、日弁連(執行部)が、誰かから圧力を受けて、その圧力に(不当にも)屈したため、3000人計画が実現した、とお考えなのですか?もしそうであるとすれば、その考えは間違いです。

ということですが、

>当時、経済界や法曹界の一部には、5000人、6000人を主張する勢力がいたことも忘れてはならない。中坊公平が3000人で収めなければ、6000人になっていたかもしれないという議論も、あながち嘘ではない。

>1 経済人ではありませんが、1996年12月23日の毎日新聞で本最高裁長官の矢口洪一が4000人を提言しています(『こん日』161頁)。その後司法制度改革審議会が設置されたのは矢口洪一のシナリオに基づくものと私は考えています。たとえばこの4000人案が、なぜ「それほど強い増員圧力ではなかった」と言えるのか、おしえてください。

とおっしゃったのは、小林先生ですよ!

 「5000人、6000人を主張する勢力があったからこそ、中坊公平氏が3000人で納めなければ6000人になっていたかもしれない」というのが、小林先生の仮説なのではありませんか?

 そこが、この議論の出発点です。
 
 私は、当時、中坊氏が、青山教授の「3000人」提案をのまざるを得ない、5000人、6000人を主張する「勢力」ないしは「増員圧力」が何だったのかを、お尋ねしているのです。

 それに対して、小林先生は「経営法友会」と「矢口洪一元最高裁長官」を掲げられました。
 経営法友会と矢口氏が、上記「勢力」ないしは「増員圧力」だったというのが、小林先生のお考えということでよろしいのですね?

 そして、経営法友会と矢口氏が当時そのような「勢力」や「増員圧力」であったという証拠は、2000年4月21日の「司法改革フォーラム」提言と1996年12月23日の毎日新聞ということでよろしいのですね?

 まず、そこからお答え下さい。

投稿: | 2013年5月20日 (月) 09時48分

私もM.T.さんや猪野さんのご意見や質問には大変合理性があると思いますので、小林先生には是非とも真摯なご回答及び反論をお願いします。

 私は、平成12年11月1日の「3000人決議」の時には弁護士をしていましたが、当時、4000人、5000人等といった声が強力で圧力になっていたなどといった事実は(私の知る限り)存在しませんでした。
 勿論、このような意見が全く存在していなかったとは申しません。
 しかし、このような意見は、いかにもブラフのそれとわかる意見であり、誰も歯牙には掛けていませんでした。

 世の中には、ありとあらゆる意見が存在します。
 ①ある意見が存在するか否かといった問題と②その意見が有力であったか否かといった問題は別問題です。

 M.T.さんは、後者(②)についての問題を小林先生に聞かれているのだと思います。
 それに対して、小林先生は、①ある意見が存在することについては指摘され、資料を挙げて証明されていますが、②について「有力であったか否か。」「有力であったと結論づける根拠及び資料は何か」といったM.T.さんの質問に真面目に回答しようとしておられないように見受けられます。
 これは、小林先生を高く評価する方々からすれば、大変残念なのではないでしょうか。

 また、小林先生はブログの最後に「われわれはむしろ、中坊公平を批判し続けるべきだと思う。」と書かれています。しかし、小林先生は上記ブログで中坊氏に対する積極的評価については書かれていますが、批判はされていないようです。
 このような一つのブログで矛盾されるようなことを書かれると論理がわかっておられないように思われ、小林先生の高い評価が汚されると思うので、注意された方が良いと思います。この点は、蛇足ではありますが、先生のご活躍を拝見している者として老婆心ながら敢えて指摘させて頂きました。どうぞ気を悪くなさいませんようにお願い申し上げます。
 
 是非M.T.さん及び猪野さんの質問や意見に回答及び反論をお願いします。 

投稿: 匿名希望 | 2013年5月21日 (火) 16時57分

匿名希望さんと名無しさんへ

「司法試験合格者数年3000人」は、日弁連が圧力をかけられ、受け入れ(させられ)たことによって決まった目標値ではありません。
遅くとも2000年までには、日弁連は、司法試験合格者数を決定する権限を失っていたからです。
権限のない者に圧力をかけても無意味です。
矢口洪一も、政財界も、日弁連に圧力をかけたわけではありません。

2000年当時の私の記憶は、匿名希望さんの記憶とは大分異なります。
もし匿名希望さんの記憶の方が正しいなら、なぜ、あれほどの大差で執行部案が可決されたのでしょうか?
しかし、重要なことは、2000年当時の日弁連の誰かが歯牙にかけており、誰かが歯牙にかけていなかったとしても、「司法試験合格者数年3000人計画」の成否にはあまり関係が無かった、ということです。なぜなら、繰り返しになりますが、この当時、日弁連は司法試験合格者数を決定する権限を失っていたからです。極端な話をすれば、2000年11月の日弁連総会で執行部案が否決されたとしても、3000人の目標値設定は実現していた、ということです。

私は、「日弁連はなぜ負けたのか」というブログを書き続けていますが、「負けた」ことの意味を、「3000人を呑まされた」ことと考える弁護士が未だに多いことを、残念に思います。日弁連は、3000人を呑まされたことによって負けたのではありません。その前に、司法試験合格者数決定権限を失ったことによって、負けていたのです。3000人は、日弁連の敗戦が決まった後、日弁連のそとで決定されたことに過ぎません。だから私は中坊のことを「敗戦処理投手」と呼んでいます。

繰り返しますが、私にとって「増員圧力」とは、単に司法試験合格者を増やせ、という意見のことを意味します。憲法改正、とか、改正反対、とかいう意見と同じ意味であり、誰かに対する圧力という意味ではありません。

この点の認識を共通にしないと、以後の議論は無駄です。匿名希望さんが指摘する、様々な意見のある中で、中坊を含む司法改革審議委員会がなぜ3000を選択していくのか、という問題は、誰かの圧力対日弁連、という間違った視点では理解できません。

以上の点は、私のブログに散々書いてきたことです。
M.T.さんらは私の意見をご承知の上でご質問されたと思っていたのですが、私が誤解したようです。

投稿: 小林正啓 | 2013年5月21日 (火) 18時51分

小林正啓先生
 繰り返しますが、

>当時、経済界や法曹界の一部には、5000人、6000人を主張する勢力がいたことも忘れてはならない。中坊公平が3000人で収めなければ、6000人になっていたかもしれないという議論も、あながち嘘ではない。

 とおっしゃったのは、小林先生ですよ。
 私は、単純に、このご意見に合理的根拠があるかどうかを問うているだけのことです。

>私の考えでは、日弁連が「Point of no return=後戻りのできない曲がり角」を曲がったのは、94年12月21日臨時総会の800人5年据え置き決議です。それ以降の日弁連は墜落が決まった飛行機も同じであり、2000年当時の中坊は、その操縦桿を必死で引っ張っていただけです。この考えからすれば、2000年の中坊に全責任を負わせ、94年決議を正当化する人びとこそ責任逃れであり、若い弁護士に歴史を見誤らせることになります。

私は、94年臨時総会の合格者数800人は当時の弁護士需要からすれば不自然な人数ではなかったと思っています。社会の弁護士需要を検討しつつ需要に見合った増員をしていき、過剰増員による弊害や無駄な法曹養成費用の負担が生じないようにするのが国民に対して誠意ある選択だと思っています。

 それを、中坊氏は、司法審で一挙に3000人を提案し、強引に意見書作成まで推し進めました。司法審には、3000人という数字に不安を抱く他の委員も少なからずおられました。
 もし、中坊氏があのような態度を取らなければ、あるいは中坊氏が司法審委員でなければ、司法審で法曹人口5万人、司法試験合格者数3000人という無茶な意見書が作成されなかった可能性は高いと思っています。

 小林先生は、「2000年当時の中坊は、その操縦桿を必死で引っ張っていただけです」と言われますが、中坊氏は、操縦桿を思いっきり倒して機首を下に向けて墜落させた、あるいは逆噴射して墜落させた、恐ろしい機長だったと思います。

 

 

投稿: M.T.(管理人) | 2013年5月21日 (火) 20時11分

小林先生

 「私にとって「増員圧力」とは、単に司法試験合格者を増やせ、という意見のことを意味します。憲法改正、とか、改正反対、とかいう意見と同じ意味であり、誰かに対する圧力という意味ではありません。」

 「圧力」=「意見」という論理にも驚きましたが、これが何故、

「中坊公平が3000人で収めなければ、6000人になっていたかもしれないという議論も、あながち嘘ではない。」

 につながるのですか。
 1995年の臨時総会で日弁連が合格者数の決定権を失った? 「発言力」という言い方もされていますね。
 日弁連には決定権など最初からありませんでしたよね。
 三者協が崩壊したとしても、審議会で、1000人、1500人ではなく、3000人にまで一気に引き上げることが何故、6000人を阻止し得たのかという点の論証が全く欠如していますよね。6000人が飲まされる状況があったのかなかったのか、先生は何1つ説明されていません。
 特に6000人になっていたというのであれば、審議会の意見書の中で、6000人が明記される恐れということでしょうが、議論の経過をみても、そのような状況は誰が見ても存在しません。
 あったというのであれば、事実をもってお示しください。

投稿: 猪野亨 | 2013年5月22日 (水) 08時02分

M.T.さん
「あながち嘘ではない」と書いたことの「合理的根拠」ですか?
「あながち嘘ではない」というのは、「ありえないとはいえない」程度の意味ですが。
M.T.さんは、中坊が司法審委員でなければ、とおっしゃいます。この視点は重要だと思います。この点について、宮本康昭弁護士(司法改革の史的検討序説)は、法務省の難色を押し切って、「日弁連は内閣府に対して他に代替しうる者はいないと強力に主張した」と書いています。
また、中坊以外の委員についての選任過程を検証することも重要でしょう。たとえば、経済会を代表する委員としてなぜ宮内が選ばれず、東電の副社長という、ある意味おとなしい委員が選任されたのか、そして何より、大学関係者が、なぜあれほど大勢選任されたのか、といった点の検討も不可欠です。もちろん、誰を委員に選任するかについて、日弁連も他の団体も、熾烈なロビー活動を繰り広げたはずですし、それ以前の問題として、ある種の意思が働いていたはずです。
M.T.さんは、中坊が司法審委員でなければ、とおっしゃいますが、もし宮内が司法審委員だったらどうなったのでしょうか?また、中坊が委員に選任されず、「日弁連が強力に主張した」他の弁護士が委員になっていたら、どうなったのでしょうか?
念のため申し上げますが、私は中坊を擁護する意思は全くありません。本文に書いたとおり、中坊は批判され続けるべきだと思います。それによって、いま口をつぐんでいる生者の罪をあぶり出すことができるからです。但しそれは、正当な批判によってしか、なしえないと考えます。

猪野先生
「日弁連には決定権など最初からありませんでした」という認識は間違いです。
遅くとも臨司以降、司法制度改革審議会設置法制定までは、日弁連には司法試験合格者数の決定権限がありました。
もちろん、あるといっても3分の1ですし、その権限をどの程度行使し得たかについては、検証されてしかるべきところです。
しかし、権限の有無は事実の問題であり、その権限を行使したこと(しなかったこと)が正当か、は評価の問題です。
この二つを混同することは明白な間違いです。
たとえば800人5年据置の決議を行った1994年当時、日弁連には決定権がありました。
日弁連が承諾しない限り、司法試験合格者数を増やすことはできなかったのです。
その証拠に、日弁連は、猪野先生が言うところの「圧力」を受けています。
日弁連に権限があったからこそ、その権限を行使させないため、脅迫とも言うべき圧力を受けたのです。

それから、中坊が1000人や1500人を飛び越して3000人を主張したという認識をされているなら、それも間違いではないのでしょうか?
司法制度改革審議会設置当時、日弁連の立場は、1000人までは決定、将来の1500人も容認、というものだったはずです。

投稿: 小林正啓 | 2013年5月23日 (木) 10時34分

 小林先生は「2000年当時の私の記憶は、匿名希望さんの記憶とは大分異なります。」と書かれておられますが、小林先生は当時、司法改革には関わっておらず、あとになって文献等を調べて当時のことを検討され意見されたはずではないでしょうか?
 小林先生ご自身が過去のブログや公式の場で以前には司法改革に関わっておられなかった旨発言されていたと記憶しているのですが、私の記憶違いだったでしょうか?小林先生は平成12年当時、あまり関心がなく11月1日の日弁連臨時総会にも出席されなかった旨発言しておられたというのが私の記憶ですが、違いましたでしょうか?
 
 又、小林先生は「もし匿名希望さんの記憶の方が正しいなら、なぜ、あれほどの大差で執行部案が可決されたのでしょうか?」と書いておられます。しかし、そもそも前提が間違っていると思います。3000人決議は、出席会員総数10931人、賛成7437名、反対3425名、棄権69名」で、うち本人出席の賛成が583名、代理出席6822名、会出席32名、反対は、本人出席362名、代理出席3049名、会出席14名(棄権は省略)で、過去60年の日弁連の歴史における総会決議で(決議数を勘案すると60議決では足りないと思いますが)これほど反対の多かった決議は確か報酬規定撤廃の時以外、ほとんど存在しなかったと思います。3000人決議ほど日弁連臨時総会が荒れ、反対票を投じた人が多かった決議は珍しいくらいでした。従って、先生が指摘されるような「あれほどの大差で執行部案が可決」されたなどと言った客観的事情は存在しなかったと思います。日弁連の総会決議が通常どれほど圧倒的な賛成で可決されていることでしょうか。

 他にも申し上げたいことはありますが、続きは後ほど書き込ませて戴きます。宜しくお願いします。

投稿: 匿名希望 | 2013年5月23日 (木) 14時08分

匿名希望さん、もちろん私にも2000年当時の記憶くらいあります。本を書くほどじゃないだけです。また、「大差」ではないとのご主張のようですが、私の理解では、ダブルスコアは大差です。「誰も」歯牙にかけていないなら、なぜダブルスコアになったのか、という意味です。それから、1994年臨時総会の決議は執行部案5276対反執行部案3675で、票差は1601です。過去60年の決議云々とのことですが、たった6年前の決議の方が、反執行部派はよほど善戦しています。

投稿: 小林正啓 | 2013年5月23日 (木) 16時22分

私は個人的に法曹一元という制度がなぜ実現しないかに興味があり、小林先生のブログもよく読んでいますが、こんなに議論が白熱しているのは初めて見ました。それだけ関心も高いということなんでしょう。

しかし率直に申し上げて、皆さんの議論はわけがわかりません。
法律家の皆さんには釈迦に説法でしょうが、まずお互いに前提とすべき事実を整理していただけませんか。その事実に対していかなる評価を与えるべきかはその後で議論して欲しいです。その事実を指摘すること自体に問題がありそうですが。

そこがゴチャゴチャなので、読んでいても途中で何を話しているのかよくわからなくなります。せっかく当事者である弁護士の皆さんが議論をしているというのに、もったいないと思います。

投稿: y | 2013年5月23日 (木) 18時36分

小林先生
>「あながち嘘ではない」と書いたことの「合理的根拠」ですか?
「あながち嘘ではない」というのは、「ありえないとはいえない」程度の意味ですが。

世の中の殆どの出来事が「ありえないとはいえない」といえるでしょう。
 小林先生ご自身もうお気づきでしょうが、これは明らかな詭弁です。

「当時、経済界や法曹界の一部には、5000人、6000人を主張する勢力がいたことも忘れてはならない。中坊公平が3000人で収めなければ、6000人になっていたかもしれないという議論も、あながち嘘ではない。」

 この文章からは、明らかに「5000人、6000人を主張する勢力」があったために、中坊公平氏があえて3000人を提案して、6000人となることをストップしたのだ、と読めます。そして、この中坊氏の行動を小林先生も評価しているのだと理解できます。

>また、中坊以外の委員についての選任過程を検証することも重要でしょう。たとえば、経済会を代表する委員としてなぜ宮内が選ばれず、東電の副社長という、ある意味おとなしい委員が選任されたのか、そして何より、大学関係者が、なぜあれほど大勢選任されたのか、といった点の検討も不可欠です。もちろん、誰を委員に選任するかについて、日弁連も他の団体も、熾烈なロビー活動を繰り広げたはずですし、それ以前の問題として、ある種の意思が働いていたはずです。

「ある種の意思」は私も知りたいですが、それが5000人、6000人の増員圧力だったという意味でしたら、司法審の議事録を読む限りでは考えられません。
そもそも、司法審委員の中に、中坊氏以外に、3000人を強引に推し進めようとしていた委員がいるのですか?

> M.T.さんは、中坊が司法審委員でなければ、とおっしゃいますが、もし宮内が司法審委員だったらどうなったのでしょうか?

 これも論点のすり替えです。
 当時、宮内氏は増員問題について、どのような主張をしていたのですか?また、どの程度の圧力になっていたのでしょうか?
 小林先生の言われる5000人、6000人の増員圧力とは、宮内氏のことでしょうか。もしそうでしたら、その証拠をお示し下さい。

>また、中坊が委員に選任されず、「日弁連が強力に主張した」他の弁護士が委員になっていたら、どうなったのでしょうか?

 これも論点のすり替えです。
 ただ、中坊氏ではなく、もっと弁護士需要について冷静な分析ができ、他の委員に対して理性的な説得のできる弁護士(たとえば、今の法曹養成制度検討会議における和田委員のような方)であれば、3000人、5万人という意見書が作成されることはなかった可能性はかなり高いと思っています。

> 念のため申し上げますが、私は中坊を擁護する意思は全くありません。本文に書いたとおり、中坊は批判され続けるべきだと思います。それによって、いま口をつぐんでいる生者の罪をあぶり出すことができるからです。但しそれは、正当な批判によってしか、なしえないと考えます。

前にも書きましたが、小林先生の「中坊公平は操縦桿を必死で引っ張っていただけ」という評価が「正当な批判」とは思えません。
 そのような評価を続けられる限り、「いま口をつぐんでいる生者の罪をあぶり出すことができる」とも思えません。

投稿: M.T. | 2013年5月23日 (木) 20時55分

小林先生

 匿名希望です。

 小林先生は「私は、「日弁連はなぜ負けたのか」というブログを書き続けていますが、「負けた」ことの意味を、「3000人を呑まされた」ことと考える弁護士が未だに多いことを、残念に思います。」と書いておられますが、私は、日弁連が「負けた」とも思っておりませんし、「(日弁連が)負けた」ことの意味を「3000人を呑まされた」などと申し上げたつもりもありません。ご自身で指摘されている通り「日弁連」が「負けた」と評価されておられるのは小林先生ご自身なのではないでしょうか。
 実は、私は、常々小林先生が何をもって、いかなる根拠をもって「日弁連」が「負けた」などと評しておられるのか不思議で仕方がありませんでした。

 また、後段は、あたかも私たち読者が小林先生のブログについて誤った理解をしているのが残念」かのごとき書きぶりですが、いかなる根拠をもって私たち読者が小林先生のブログを誤って理解していると言われるのでしょうか。

 私は、日弁連主流派(以下、「日弁連」と言います。)が「3000人を呑まされた」のではなく、むしろ日弁連や中坊公平氏が積極的に3000人路線を牽引していったと理解しています。そして、日弁連が思った通りの司法改革が実現したのですから、その意味ではむしろ日弁連は「勝った」と思っています。

 ちなみに、M.Tさんにしても猪野先生にしても小林先生のブログを正しく理解しておられると思いますし、私と同じようなご意見であると拝察致します。

 繰り返しますが、私たちは「日弁連が」「3000人を呑まされた」とも思っていませんし、「負けた」とも思っていません。ましてや、「(日弁連が)「負けた」ことの意味を「3000人を呑まされた」」などとも理解しておりません。日弁連が「負けた」とか「負けた」ことの意味を「3000人を呑まされた」ことと理解されているのは小林先生の方だと思います。
 
 小林先生は、M.Tさんのご意見に対しても同じ論法を用いておられますが、ご自分のご意見と他者の意見を故意にすり替えて批判されています。
 
 司法改革についての理解が深まってきたのに、「(日弁連が)負けた」或いは、「負けた」ことの意味を「3000人を呑まされた」ことと考える弁護士が未だに存在することを、大変残念に思います。

投稿: | 2013年5月23日 (木) 21時50分

yさん がっかりさせて申し訳ありません。yさんの感覚は正しいと思います。その証拠に、当ブログのアクセス数は全く伸びていません。実につまらない議論であることを、アクセス数が証明しています。願わくば、このコメント欄はスルーして下さい。法曹一元に関しては、現在の連載「内藤頼博の理想と挫折」をお読みいただければ幸甚です。「法曹一元」が出てくるのは多分半年ほど先だと思いますが、私としては、内藤が経験した戦前の経緯を丹念に追うことは、わが国において何故法曹一元が受け入れられなかったかを論証するに必要な作業だと考えています。

M.T.さん 今回のご指摘はご意見として掲載しておきます。すべき反論はしたと思いますので。

「匿名希望」さん、 あなたは以前の匿名希望さんと同じ人ですか、違う人ですか?IPアドレスは違うようですが。同一性すら分からない人と議論するのは嫌ですし、ご意見として掲載するだけにします。

投稿: 小林正啓 | 2013年5月23日 (木) 22時35分

小林正啓 先生

>M.T.さん 今回のご指摘はご意見として掲載しておきます。すべき反論はしたと思いますので。

 了解しました。
 今回の議論で、小林先生がどのような思考をする方かがよく分かりました。

>その証拠に、当ブログのアクセス数は全く伸びていません。実につまらない議論であることを、アクセス数が証明しています。

 私は、別にアクセス数で「つまらない議論」かどうか判断していませんよ。

 なお、コメント欄での議論は大変見にくくなっていますので、後は私のブログ「弁護士のため息」の記事の方で意見を述べさせて頂きます。

 このコメント欄の小林先生と私(M.T.)の議論もブログ記事の中で適宜紹介させて頂きますが、もし差し支えがあるようでしたら、ご指摘下さい。

投稿: M.T. | 2013年5月24日 (金) 08時01分

>「日弁連には決定権など最初からありませんでした」という認識は
>間違いです。
> 遅くとも臨司以降、司法制度改革審議会設置法制定までは、日弁
>連には司法試験合格者数の決定権限がありました。
> もちろん、あるといっても3分の1ですし、その権限をどの程度
>行使し得たかについては、検証されてしかるべきところです。

 この部分ですが、間違いと言われましても、どうかと思います。
 日弁連自身に決定権限はありませんし、拒否権もありません。決定権限がありましたと評価するのは違うのではないですか。
 少なくとも司法試験年間合格者数増員に対しては、少なくとも評決では拒否権はないのですから。
 しかも、その一票は日弁連としての一票ではなく、日弁連推薦だとしても、あくまで委員のものですよね。


>たとえば800人5年据置の決議を行った1994年当時、日弁連
>には決定権がありました。
>日弁連が承諾しない限り、司法試験合格者数を増やすことは
>できなかったのです。
>その証拠に、日弁連は、猪野先生が言うところの「圧力」を
>受けています。
>日弁連に権限があったからこそ、その権限を行使させないた
>め、脅迫とも言うべき圧力を受けたのです。

 この部分のご意見には具体性が全く見えません。
 というより、この場合の決定権とは何ですか。単に「賛成」し、決定に関与したというだけではないですか。逆に1000人されようとした場合、日弁連が反対したら否決された、即ち、決定に関与し得たということでしょうか。
 先生が「権限」として用いている意味がわかりかねます。
 また、圧力にしてみても、800人への増員圧力があったということですか。
 要は、その場合に権限があったという先生のご見解がどのようにリンクするのか、意味がわかりかねるということでもあります。
 むしろ、800人への増員圧力があったというのであれば、日弁連は800人への増員に賛成せざるを得なかったという評価であって、それを「決定権」と表現するのは誤りではないでしょうか。


>それから、中坊が1000人や1500人を飛び越して3000人を主
>張したという認識をされているなら、それも間違いではないの
>でしょうか?
>司法制度改革審議会設置当時、日弁連の立場は、1000人まで
>は決定、将来の1500人も容認、というものだったはずです。

 この部分のご趣旨がわかりかねます。
 日弁連の立場として、1000人、将来の1500人を容認していたとする点はよいとして、そこから何故、3000人になったのか、さらには3000人を日弁連が受け入れたのかということです。
 中坊氏が3000人を主張したのは、この日弁連が容認していた人数は飛び越えているのではないですか。
 当時の司法試験年間合格者数は800人、それが1000人であれば漸増ともいえなくもありませんし、1500人もまだ何とかなるかという数字です(もちろん、現状では1500人も多いです。徐々に増やしていくのであれば1500人もあり得る数字という意味です。)。それが3000人ということになれば、明らかに質が異なります。
 だから、中坊氏の3000人の主張は一気に飛び越えたと私は意見として述べました。
 先生のご意見の前段と後段のつながりがわかりかねます。

小林先生
 A級戦犯などという薄っぺらな評価ならすべきでないと先生はご意見を述べられました。
 やはり、「薄っぺら」だという表現は正しいのでしょうか。
 先生ご自身の見解と異なるというだけで、「薄っぺら」と表現されているようにしか見えませんでした。

投稿: 猪野亨 | 2013年5月25日 (土) 01時08分

 匿名希望です。
 「あなたは以前の匿名希望さんと同じ人ですか、違う人ですか?IPアドレスは違うようですが。」とのことですので、お応えします。同じ人物です。

「IPアドレスは違うようですが、」とのことですが、他人を装ったつもりはなく、自宅と仕事場から送ったらIPアドレスとやらが異なってしまっただけだと思います。
 この手の非難は2ちゃんねるではよく拝見します。実際、2ちゃんねるではよく行われている手法のようです。ただし、私の場合、上記のとおり、仕事場と自宅から送ったまでで、別人を装う意図がないこと、むしろ同じ人物であることは文面からご理解戴けるものと思っておりましたので、小林先生から別人を故意に装ったように言われて大変残念です。

 「同一性すら分からない人と議論するのは嫌」とのことですが、同じ人物であることがわかれば議論して戴けるとのことですので、今後とも議論を継続して戴ければ幸いです。

投稿: 匿名希望 | 2013年5月25日 (土) 14時06分

匿名希望さん、大変申し訳ないですが、このブログに関して、氏名の分からない人と議論はやめることにしました。
その理由は匿名希望さんとは全く関わりないことですが、私が氏名開示を求めたのに応じず、最後に素性を明らかにした寺本ますみ弁護士のやり口に腹が立ったからです。何かの意趣返しのつもりなのでしょうが、失礼な話です。こんな人間との議論に時間を費やすべきではありませんでした。
そんなわけで、匿名希望さんの書き込みにも返事はしません(前回のコメントは質問と言うよりご意見ですし)。あしからずご了承下さい。

投稿: 小林正啓 | 2013年5月25日 (土) 22時12分

猪野先生
猪野先生が法曹三者協議についてご意見を述べられているのだという前提で確認しますが、その法曹三者協議では日弁連に3分の1だけれども法曹人口の決定権限があった、また、参議院附帯決議から推して、少なくとも建前上、3者一致が原則であった、というのが私の理解なのですが、それが違うというご趣旨でしょうか?また、「その一票は、日弁連推薦だとしても、あくまで委員のもの」との下りですが、これは、委員が日弁連の意思と異なる投票行動をしたことがある、というご指摘なのでしょうか?そうだとするなら、根拠とされた文献などをご指摘いただければと思います。

それから、私に言わせれば、最低でも臨司からの歴史を踏まえた中坊批判でなければ、全部薄っぺらです。ちなみに、臨司でもまだ浅いというのが、今の私の考えです。だからもちろん、私の考えも浅いものです。

投稿: 小林正啓 | 2013年5月25日 (土) 22時29分

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