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2013年6月 3日 (月)

内藤頼博の理想と挫折(31)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

平沼騏一郎と内藤頼博(10)

三宅正太郎の著した『裁判の書』は、永く裁判官の座右におかれた名著とされている。今でも新刊が販売されているようだが、大阪弁護士会図書室にあるそれは、茶色に焼けていた。表題を揮毫したのは三淵忠彦。最高裁判所初代長官である。

『裁判の書』は「裁判の精神」の項で始まる。

「裁判の精神は正義の実現にある。このことは古今に通じ、東西に亘って政道の大本をなすものと認められてきたものであるのに、何故かそれが現代の政治の上に、自分の期待する程に高く昂揚され(ないことが)…不思議でならなかった。それは裁判の学問が法律学の奴となっていたからだ、と私は思うのである。」と続く。

三宅によれば、法律学は西洋に学んだけれども、裁判を西洋に学ぶことはできない。日本人を裁けるのは日本人だけであり、日本独特の考え方をもって裁判に臨まなければならない、裁判の道に於いては、日本古来の学問の伝統が(裁判官の)身について完全にその人自体となることを目的とするべきであり、(裁判官は)常に一歩たりとも修身齊家の道から踏み外してはならず、それで初めて正義の実現という言葉が許される、と説く。

「三宅さんの法廷は修身の教室みたい」という内藤の言葉を彷彿とさせる表現であり、現代の法感覚からすると何とも微妙な感じもあるが、三宅が当時の法曹界の雄として尊敬を集めていたことからすれば、これこそ当時の裁判官の主流をなす考え方であったとみて間違いないだろう。

現代風に平たく言い直すならば、日本における裁判は日本人としての正義感に合致しなければならないし、そうでなければ、統治機構としての裁判所の地位は獲得できない、ということになろうか。

ところで、「裁判の精神」の項において非常に興味深いのは、僅か4頁の中に2箇所も、内藤頼博と関係のある記述が含まれていることだ。

第一は、江戸「幕府の奥女中、江島の後記紊乱事件」に触れている点である。これは正徳4年(1714年)、江戸城大奥御年寄の江島が歌舞伎役者の生島新五郎らを相手に遊興に及んだことが引き金となって、関係者多数が斬首をはじめとする粛正にあった綱紀(ご指摘により訂正しました)紊乱事件であり、江島自身は高遠藩にお預けとなって生涯を終えたが、このとき江島を預かった内藤清清枚は、高遠藩内藤家初代藩主であって、内藤頼博の家系上の祖先に当たる。

第二は、三宅が「最も端的にわれわれに裁判の精神を伝えるもの」として紹介する板倉周防守重宗である。板倉重宗は名奉行として知られる板倉勝重の長男として駿府で生まれ、自身も名判事として後世に名を残した人物であるが、内藤頼博との関係では、血縁上の祖先に当たる。

当時の裁判所きっての知性と謳われた三宅であり、内藤頼博を自宅に呼ぶ程の親交があった以上、この二つの文章が内藤を意識して記された可能性は高いと思う。

内藤の三宅に対する、何とも表現しがたい評価ぶりといい、『裁判の書』冒頭の内藤に関連する記述といい、おそらくこの二人の間には、愛憎ともいうべき、曰く言いがたい関係があったと推測せざるを得ない。

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