« 「飛ぶ弁護士バッジ」隠蔽「不祥事ではない」 | トップページ | 内藤頼博の理想と挫折(32) »

2013年6月19日 (水)

大動脈解離顛末記(6)  〈食事中は読まないでください〉

「結石は発見されませんでした。腎臓か膵臓の炎症を疑っています。」超美人の女医に代わって登場した若い男性医師にこう告げられ、私は造影剤を投与されて再びCTスキャンを受けた。こちらが激痛にのたうち回っているにもかかわらず、造影剤投与には本人の同意がいるとかで、医師は同意書を読み上げサインを求める。私は激痛に唸りながら震える手でサインし、頭の中でこんなサインに法的効力があるのかと疑っていた。

大動脈解離は、血管内膜が破れたところ(エントリ)から、血流が中膜に進入し、血圧の力で中膜を切り裂いて隙間を広げていく。私の場合、腰の内膜が破れ、下から上に、解離部分が広がっていった。痛みが腰から始まり上昇したのはそのためだ。この解離部分は、そのまま行き止まりになることもあるが、多くの場合、再び内膜の弱いところを破って(リエントリ)血流の本流と合流する。この破れ目が頸動脈との分岐点を越えて心臓に近づいた場合、命の危険が切迫する。破れた血管の破片が頸動脈を通って脳に運ばれ、脳梗塞の原因になるからだ。そこで、リエントリが心臓の近くに達した場合には、直ちに身体を20度前後に冷やして冬眠状態にした上、心肺を停止して心臓付近の大動脈をそっくり全部、人工血管に取り替える大手術が必要になる。もちろん手術が間に合わなくて死亡する人もいるし、解離が心臓に到達すれば死に直結する。

CT画像の判定を待つ間、私の背中で異変が起きた。肩甲骨の間、つまり心臓の真後ろに、痛みの中心が上がったのだ。ある意味で痛みに慣れていた私にも、それはとても不吉な痛みに思えた。たとえるなら、悪魔のよだれが背骨に落ち、まるでロールシャッハテストのコウモリに似た絵のように、左右に広がった、そんな感触だったからだ。そして、このコウモリからは、今までにも増して、激烈な痛みが発生した。巨大な鷲に背中にのしかかられ、両足のかぎ爪で両肩甲骨をつかまれて引き裂かれ、鋭いくちばしでその間の筋肉を食いちぎられるような痛みだ。

もはや大声を上げるしか、痛みに耐える手段はない。私は悲鳴を上げながら、ベッドの金具を両手でつかんで体を揺すり続けた。同時に、「もしかしてこれ、ヤバイんじゃないか?動物みたいに叫んでいないで、妻の名前とか娘の名前とか、叫んだ方がサマになるのではないか?」と考えていた。どんなときでも、脳への血流は最優先で維持されるので、思考はまともだし、非常事態でも常識的なことを考えるものだ。太平洋戦争時、瀕死の状態で「天皇陛下万歳!」と叫んで死ぬ兵士の気持ちが分かるなあ、などと暢気なことを考えていた。人間、死の間際でも、どう行動したら社会的に評価されるか、考えずにはいられないのだ。

そうは言っても、何時間もうなっていたので、声は嗄れかけていたし、意識は失われかけていた。昼食後、退屈な授業を受けているときのように、意識がぶつ切れになって、まるで映画の回想シーンのように飛び飛びになっていた。きっと死ぬときはこうなのだろう、と他人事のように考えていた。

気がつくと、初顔の医師が二人、私をのぞき込んでいた。20歳代で白衣を着ていたそれまでの医師と違い、40歳前後で青い半袖の手術着。浅黒い肌と短い頭髪、明るい眼光、何より修羅場を踏んできた者だけが持つオーラを目にしたとたん、私は「助かった」と思った。二人は心臓外科と循環器の外科担当と自己紹介した。

「病名が分かりました。大動脈解離です。」「それは確定ですか」「確定です。さっき撮影したCTで、偶然発見されました。」「これからどうなりますか」「あなたの場合、解離が頸動脈に及んでいません。ギリセーフです(医師はなぜか嬉しそうに「ギリセーフ」と繰り返した)。内科的措置を執ります。何かあったら、私たち外科医が対応します。我々が来た以上、もう大丈夫です。とりあえず救急救命センターに入っていただきます。」「何日くらい入院ですか?」「最低1ヶ月と思ってください。」「い、いっかげつですか?」

全く効かなかったそれまでの痛み止め(美人の女性看護婦に座薬まで入れてもらったのに)に代わり、モルヒネが打たれ、痛みは嘘のように消えた。戦争映画で撃たれた兵士がモルヒネを注射したとたん穏やかな顔になり、恋人への遺言とか、いろいろしゃべってから絶命するのは嘘ではないと実感した。様々な点滴薬が手際よく装着され、私はチューブだらけになりながらも、叫ばずに済むことにほっとしていた。異常発生から、4時間が経過していた。

実際のところ、予約した飛行機に乗っていれば、あるいは、病名の判明が1時間遅ければ、私の命はなかったかもしれない。少なくとも、心肺停止の大手術は避けられなかっただろう。それどころか、痛い痛いと叫びながら命を落とすという、戦場の兵士のような最期を遂げていたかもしれない。大動脈解離で亡くなられた方の報道を見るにつけ、私は本当に幸運だったと思う。

しかし、そのとき私の頭を占めていたのは、命が助かったという実感ではなかった。入院期間最低1ヶ月という医師の言葉に、それまで冷静だった頭がパニックを起こしかけていた。いくつかの裁判や進行中の事件、4つの講演、そして10日後に迫った原稿の締め切りは、一体、どうしたらよいのだ?

 

 

|

« 「飛ぶ弁護士バッジ」隠蔽「不祥事ではない」 | トップページ | 内藤頼博の理想と挫折(32) »

コメント

お待ちしておりました。

投稿: なしゅ@東京 | 2013年6月19日 (水) 21時01分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/192469/57619344

この記事へのトラックバック一覧です: 大動脈解離顛末記(6)  〈食事中は読まないでください〉:

« 「飛ぶ弁護士バッジ」隠蔽「不祥事ではない」 | トップページ | 内藤頼博の理想と挫折(32) »