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2013年7月 1日 (月)

内藤頼博の理想と挫折(33)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

 

平沼騏一郎と内藤頼博(12)

 

平沼騏一郎を黒幕とした「検察ファッショ」であり、時の齋藤内閣を瓦解させた疑獄事件である帝人事件を担当した藤井五一郎判事は、明治25年、山口県に生まれた長州男児で、三宅正太郎東京地裁所長(当時)の5歳年下にあたる。祖父は造り酒屋、父は弁護士で、裕福な家庭に育ったようだ。

大正7年に東京帝大を卒業して司法官試補となり、東京地方裁判所に勤務した後、大正12年に私費でドイツに留学し、陪審員選任に関する実情調査を命じられている。2年後に帰国した後も東京勤務が続く。相当のエリートだ。

昭和7年(1932年)3月に関係者が逮捕された血盟団事件では、法廷が荒れて担当裁判長が病に倒れたため、ピンチヒッターとして裁判長を務め、毅然とした訴訟指揮で対応した上、被告人らも納得する判決を下したとして、名裁判官と讃えられている。被告人の一人で、血盟団のメンバーであった四元義隆は、昭和15年に出獄した後、近衛文麿や鈴木貫太郎に重用されたほか、戦後も歴代総理の相談役として知られた人物だが、藤井の死後刊行された『藤井五一郎の生涯』に追悼文を寄せている。刑事事件の被告人が担当判事に追悼文を寄せるなど、こんにち考えられないし、当時としても異例だったのではないか。後の経歴と照らし、戦後も親交があったと思われる。

『藤井五一郎の生涯』によれば、藤井は明治神宮への参拝を毎日欠かさなかった。長男は東京帝国大学を卒業するが、藤井は海軍入隊を勧めた。戦時中、勤務した軍艦が撃沈され、九死に一生を得て帰ってきた長男に対して、藤井は「駆逐艦に乗ったらどうか」と言い、その駆逐艦は米潜水艦に沈められて長男も死亡した。「私が殺したようなものです」と藤井は述懐し、同時に「国を恨む気は全く無い」とも述べている。藤井の性格や思想的な立ち位置があらわれている。

昭和20年(1945年)10月、大審院判事を辞職して弁護士になるが、昭和27年(1952年)7月、公安調査庁長官となり、昭和37年(1962年)まで務める。つまり、60年安保闘争当時の公安調査庁長官だったということだ。公安調査庁長官に任命したのは、戦後初の検事総長で、内藤らと厳しく対立することになる木村篤太郎である。

また、『藤井五一郎の生涯』の賛同者リストは下記のとおりだ。生前、相当慕われていたことが窺われる。リストを見ると、政財界の著名人のほか、公安警察関係者と軍人、著名なヤクザまでいて、もと裁判官としては尋常でない人脈が垣間見える。多くは公安調査庁長官時代に培われた人脈だろうが、旧陸軍関係者により創立されたとされる公安調査庁初代長官に就任したこと自体、藤井が長州出身であることと無縁ではなかろう。

余談になるが、藤井によれば、ドイツ留学中、日本人に騙されたというドイツ人女性歯科医の訴えを聞いているうちに深い仲になり(ちなみに留学前に結婚していた)、旅費の1500円を彼女に進呈して船では帰れなくなり、シベリア鉄道で自炊しながらの貧乏旅行。中国では奉天で豪遊し、下関に帰ってきたときには15銭しか持っていなかったという。帝人事件の後、満州に勤務した際、クラブの女性と深い仲になり、昭和21年に妻が病死した後、この女性と再婚している。後妻の恵子氏が『藤井五一郎の生涯』に藤井との交際と結婚生活について記しており、本の性質上、相当オブラートに包んだ書き方をしているものの、再婚後の藤井の女性遍歴は直らず、恵子氏は相当焼餅に悩まされたようである。

これらもまた、藤井五一郎という人物の人となりを示すエピソードとして、とても興味深い。

 

『藤井五一郎の生涯』賛助者名簿

 

裁判官

安倍恕(裁判官、司法研修所所長)

石田和外(最高裁長官)

岡咲恕一(裁判官)

岸盛一(裁判官)

下村三郎(最高裁判事)

本間喜一(最高裁初代事務総長)

前沢忠成(判事、司法研修所所長)

 

政治家・実業家

愛知揆一、(政治家)

荒木万寿夫(政治家、国家公安委員会委員長)

池田秀雄(政治家)

石井光次郎(政治家)

植木庚子郎(昭和期の政治家、財務官僚。元法務大臣・大蔵大臣)

太田政明(日本の内務官僚、政治家。警視総監、台湾総督、貴族院議員)

岸信介(政治家)

鈴木昇(気仙沼市長)

千葉三郎(衆議院議員、宮城県知事)

徳永笹市(政治家?)

徳永正利(政治家)

中川以良、(四国電力社長、参議院議員)

柳田誠二郎(日本航空社長)

 

 

 

弁護士

猪俣浩三、(弁護士、社会党衆議院議員)

岩田春之助(弁護士)

富田康次(弁護士?)

 

 

軍人

烏古廷(中華民国の軍人)烏藻瑞、

高橋節雄(海軍軍人)

甲谷悦雄(軍人)

松崎陽(陸軍軍医)

登東洋夫(陸軍参謀本部)

 

検事・警察官・公安調査庁

荒井道三(中部公安局長)

臼田彦太郎(検事)

大泉重道(検事)

柏村信雄(警察庁長官)

梶川俊吉

川口光太郎(検察官)

木内曽益(検事 血盟団事件担当)

関之(検事、公安調査庁)

木村篤太郎(検事総長、政治家)

竹内寿平(検事)

竹原精太郎(検事?)

土田義一郎(検事)

長山頼正(公安警察官?)

沼田喜三雄(警察官)

野村佐太男(検事)

長谷川瀏(検事)

馬場義續(検事総長)

畠中達夫(警視庁)

弘津恭輔(公安警察?)

深沢保二郎(検事)

正木亮(検察官)

丸物彰(検事)

吉橋敏雄(公安調査庁長官)

 

 

 

 

ジャーナリスト

梅原一雄(東京新聞主筆)

水島毅(雑誌編集長)

萱原宏一(ジャーナリスト)

 

 

担当刑事事件被告等

小沼広晃(血盟団事件被告)

大久保偵次(大蔵官僚。帝人事件被告)

古内栄司、(血盟団事件被告)

町井久之(ヤクザ・実業家)

四元義隆(血盟団事件被告)

 

 

 

 

学者、その他

大塚喜一郎(法学者)

佐々木実義(学者)

佐藤和男(法学者)、

常盤敏太(法学者)

白井烟嵓(日本画家)

伊達巽(神社本庁主事)

 

その他(検索できなかったもの)

阿部裕、青本敏彦、秋山次郎、天野厚、有村秀夫、安西辰二、井口弘、井出忠夫、井上芳男、井ノロ易男、五十川和、伊藤清、伊藤広治、石井治助、石塚長治郎、石原一彦、市原感一、市村隆吉、今村幸雄、笛吹亨三、上原晃、梅沢正男、小関正二、尾崎米一、大内逸郎、大川梅太郎、大川貞雄、大沢一郎、大沢鎌次郎、大森義一、岡崎勲、甲藤楠喜、金田耕作、鐘尾儀蔵、川邨留治、木原憲爾、菊池長晴、菊地喜作、金藤一郎、工藤芳四郎、楠木光雄、鞍谷良行、栗坂諭、小島卓俊、小島芳雄、粉川正、後藤富男、国分則夫、近堂義雄、近藤松久、金野三郎、佐久間幾雄、佐久間一明、佐藤寅佐武朗、佐藤直吉、斉藤三郎、坂井改造、酒井茂登栄、定宗美義、清水信蔵、柴岡浩、島田純一郎、島田忠次、下村亮一、菅原晋、鈴木二郎、鈴木末男、鈴木富来、住安国雄、妹尾勊、田中健次、田中征次郎、田中政応、田中清馬、田中孝、田渕一夫、田村隆治、高岡直寿、高橋一郎、高橋善見、高橋直、高橋真清、立花正三郎、橘源治、谷村正二、茶原義雄、津崎稔、月ヶ瀬利雄、土橋強、土岐龍雄、泊正徳、

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