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2013年7月29日 (月)

Schlze氏のご意見について

前エントリ「法曹養成関連閣僚会議の決定について」について、Schulze氏が基本的に同意を表明されつつ、一部異見を留保しておられるのでコメントしたい。とはいえ、反論というより、摺り合わせ程度の意見であることを、あらかじめお断りしておく。

さて、Schulze氏は、前エントリについて、「政府は法科大学院制度を見直す考えは微塵もなく、適正な数、すなわち『定評ある』法科大学院のみを残そうとしている」等とまとめたうえ、「このストーリーどおりに事が進むかどうかは、微妙」であるとして、法科大学院制度そのものが破綻する可能性を示唆しておられるように思う。だが、このまとめが間違っているという程ではないけれど、私は「定評ある法科大学院」という言葉は使っていない。また、法科大学院がいくつ潰れようが、法科大学院「制度」は破綻しない。極端な話、東大法科大学院1校だけ生き残っても、法科大学院「制度」は残る。文科省と井上教授は、それでも最低ラインは確保した、と考えるだろう。

1校だけ残すならいっそ法科大学院「制度」を廃止してしまえって?文科省の発想では、そうはならない。一校だけでも残すことは、とても大事である。なぜなら、将来、司法試験合格者を増やす方向に政策転換したとき、一校だけでも残しておけば、法科大学院制度を前提にした制度設計が当然になるからである。「将来、司法試験合格者を増やす方向に政策転換」なんてありえないって?そうかもしれないが、くどいようだけれど、文部官僚はそうは考えない。TPPの結果、国内のリーガルリスクが飛躍的に高まり、法律専門家への需要が増える可能性だってある。そう考えている。可能性がある以上、手がかりとなる所轄を手放すことは絶対にしない。官僚的発想とは、そういうものである。

もちろん、政府文科省は、一校だけ残ることを望んでいるわけではない。おそらく旧帝大プラスα、全部で10校から20校が理想と考えている。しかし、現在なお60校以上あるから、最低でも30校は退場してもらわなければならない。文科省はかつて、23年あれば20校以上潰れると予測した筈だが、下位校が案外しぶとかったため、この予測は外れた。これからの5年というのは、30校を潰すため与えられた猶予期間である。文科省はおそらく、下位校の退場と、「看板の掛け替え」(『こんな日弁連に誰がした?』231ページ)を促すために、相当ドラスティックな手を打つと思う。

Schulze氏が予測するとおり、今後も法曹志望者は減少する可能性が高い。法科大学院の定員数が減り続ければ、法科大学院数削減とのいたちごっこになってしまう。政府はもちろん、こうなる事態を予測している。そのため、政府の下に「有識者会議」を置き、「法曹有資格者の活動領域の拡大を図る」こととしているのだ。なんとしてでも「出口」を増やし、法曹志望者数を確保しよう、というわけである。

そんな苦労をするくらいなら、2000人を諦めて、1500人とか、1000人にすればよい、という意見もあろう。だが、くどいけれど、官僚的発想ではない。もともと、法科大学院制度が発想される以前に、1500人までは決定されていた。法科大学院制度は、歴史的に、司法試験合格者数が年1500人を超えることを前提に構想された制度である(『こんな日弁連に誰がした?』133ページ)。だから、法科大学院制度を残す以上、司法試験合格者数が1500人以下になることは、あり得ないのである。1500人以下にすることは、法科大学院制度の必要性を決定した政府の誤りを認めることになってしまうからである。政府にとって、自らの無謬性を守ることは、何より大事なことの一つだ。

この歴史的事実と、政府の無謬性との整合性を保つには、ぎりぎり、1750人だが、いかにも収まりが悪い。政府文科省は必死で、2000人の維持を図るだろう。

とはいえ、Schulze氏の指摘を待つまでもなく、司法試験受験生が2000人を割れば、合格者数2000人の維持は、物理的に不可能だ。そして、法科大学院の入学者数が数年後に2000人を割ることもありうる。政府文科省も、当然、その可能性は予測している。だが、司法試験受験界には、まだ、滞留した受験資格保持者が1万人以上いる。念のため、受験資格制限も3回から5回に緩和して、滞留受験生数を増やすことにした。その結果として、今後5年間は、司法試験合格者数年2000人を維持できる数的基盤は確保された、と文科省は考えている(余談だが、司法試験合格者数の削減を主張しつつ、受験資格制限の緩和にだけは賛成、と言っている弁護士もいるが、その脳みその構造は理解できない。きっとお花畑なのだろう)。もちろん、受験資格制限緩和の意味するところは、このまま法曹志望者が減れば、今後5年間、物凄い勢いで受験生の質の低下が進む、ということだが、文科省にとっては、そんなことは、基本的にどうでもいいのである。

言うまでもないことだが、5年という数字は、法科大学院制度の永続を望む文科省と、「なんとかせい」という文科省外の声との妥協の産物だから、5年経てば、ことが収まるかどうか、それは当の官僚を含め、誰にも分からない。共通到達度確認試験が5年後に実施されるか否か、それすら不明である。文科省にとって、最も大事なことは、法科大学院制度の維持であり、「5年後の共通到達度確認試験試行」は、その手段にすぎない。だが、その手段を目標に、様々な施策をちりばめた政府決定を行った以上、この5年間は、おいそれと政策変更はできないだろう。前述したとおり、政府とは、無謬性をとても大事にする組織だからである。

確実なことは、政府が5年間の現状維持を決定したこと、この1点である。

そして、この1点だけでも、絶望するに十分である。

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