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2013年8月30日 (金)

クレーマー主義について

松江市の教育委員会が、学校図書室での『はだしのゲン』の閲覧を制限し、後に撤回した。

この一連の騒動については、様々な意見があってしかるべきだと思う。いまのところ、閲覧制限を行った教育委員会を批判し、制限撤回を支持する見解が優勢のように見える。

私も、この教育委員会は最低だと思う。ただ、最低なのは閲覧制限したことでも、閲覧制限を撤回したことでもない。誰かに何かを言われると、組織的意思決定をころころと変える、そのこと自体が最低だと思う。それに比べたら、閲覧制限の方がマシである。

組織や個人が、依拠(よりどころ)とする行動規範を「主義」という。議論と多数決を意思決定の依拠とするのが「民主主義」で、出資額の多寡を依拠とするのが「資本主義」だ。声の大きな人の意見を意思決定の依拠とする主義を、私は「クレーマー主義」と呼ぶことにしている。

クレーマー主義にたつ組織には、定見がない。「残酷な場面を子どもに見せるのはいかがなものか」と言われると、それに従い、「学問思想の自由に反する」と言われると、それに従う。

クレーマー主義者にとって、判断基準は「声の大きさ」だけだ。中身は関係ない。松江市教育委員会は、閲覧制限を正しいと思ったのでもなければ、制限撤回が正しいと考えを改めたのでもない。単に、「こっちの方が声デカイから、言うこと聞こうね」と考えただけである。

教育委員会がどういう仕事をするのか、私はほとんど知らないが、きっと教育に関する仕事をするところなのだろう。教育の目的が、「声の大きな人に従う」国民を育成することにあるなら、クレーマー主義は賞賛されるべきだが、私は、教育の目的は他にあると思う。教育の目的が、たとえば「民主主義国家にふさわしい自律的な個人を育成する」ことにあるなら、教育委員会のクレーマー主義は最低である。

『はだしのゲン』閲覧制限撤回を歓迎するのは、やめたほうがよい。それは、「やっぱり声のでかい人の意見を聞いてよかったね!」と、クレーマー主義者を増長させるだけだからである。閲覧制限撤回によって、この問題が収束してしまったことこそ、問題なのである。なぜ教育委員会は、堂々と「閲覧制限して何が悪い」との論陣を張らなかったのか、そのことをこそ、しつこく問い続けるべきである。

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2013年8月21日 (水)

「権力を行使しない正義」の国ニッポン

もはや旧聞に属するが、上田英明人道人権大使が、522日、国連拷問禁止委員会の席上、「シャラップ!」と怒鳴って話題になった。

日弁連刑事拘禁制度改革実現本部に所属する小池振一郎弁護士のブログによると、「アフリカのモーリシャスのDomah委員(元判事)が…弁護人に取調べの立会がないなど、(日本の刑事司法は)自白に頼りすぎではないか。これは中世のものだ。中世の名残だ。こういった制度から離れていくべきである。日本の刑事手続を国際水準に合わせる必要がある」と発言したのに対して、上田大使が、「日本は、この(刑事司法の)分野では、最も先進的な国の一つだ」と発言し、会場から失笑が漏れると、上田大使は、「笑うな。なぜ笑っているんだ。シャラップ!シャラップ!」と二度叫んだという(動画はこちら)。

上田大使の発言は不遜かつ下品であり、弁護に値しない。だが、「日本の刑事司法は今や国際社会から恥ずかしいと見られていることを自覚すべき」(日弁連委員会ニュース)という小池弁護士も、ちょっと違う、と思う。

例えば米国と比較した場合、日本の刑事司法制度は、大幅に遅れていることになるのだろう。しかし、その米国では先年、死刑囚のうち124人が無実だったことが判明して大騒ぎになった。もちろん日本でも冤罪は生まれるが、米国より遙かに少ない。とすれば、冤罪率という視点で見る限り、日本の刑事司法は米国のそれより、ずっと先進的ということになる。被疑者被告人の人権保護という観点からは、日本は「最も先進的な国の一つ」なのだ。では、後進的な刑事手続しかない日本で、なぜ先進的な人権擁護が実現されているのだろう。

わが国の冤罪率が極めて低いのは、起訴率の低さに原因がある。平成21年の検察統計年報によると、送検された事件のうち、起訴率は22。送検されなかった事件も含めると、検挙された事件のほぼ9割が、起訴されずに終結している。つまり、ほぼ確実に有罪がとれる「筋のよい」「固い」事件しか起訴されないことが、低い冤罪率の原因なのだ。

被疑者を起訴するか否かが検察官の裁量に委ねられている制度を、起訴便宜主義という。日本における起訴便宜主義は、他国に比べ制度的に徹底されているうえ、その運用を見ても、日本の検察官は、起訴の権限をとても抑制的にしか行使しない。その結果、高い有罪率と低い冤罪率が保障され、検察に対する国民の信頼がもたらされている。簡単にいいかえると、日本の検察は、起訴権という権力を極めて抑制的に行使することによって、冤罪を回避し、その正統性を保っているのだ。

「伝家の宝刀」という言葉がある。「権力をなるべく行使しないことこそ正義」という考え方は、我々日本人にはなじみ深いが、世界的には、おそらく珍しい。世界標準の考え方は、「権力は、行使してこそ正義」であり、だからこそ、権力濫用を防ぐ仕組みが求められる。

これに対して、日本では、「権力をなるべく行使しないことこそ正義」が前提だから、権力者に与えられる権限は強力だし、濫用を防ぐ仕組みも不十分だ。しかし、権力が抑制的に行使される限りは、国家統治は円滑で、人権保護にも厚い。このやり方で、わが国は、おおむね上手く行ってきたのである。おおむね上手く行ってきた以上、国家が抜本的改革を必要としないと考えることは自然の成行だ。

小池弁護士と日弁連が直面する問題の本質は、まさにこの点にある。上田大使を糾弾したり、国際標準を説くだけでは、説得力がないことに、気づくべきであろう。

わが国統治機構の実態は、われわれが思っているものより、おそらくかなり、特殊な存在なのである。

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2013年8月19日 (月)

『風立ちぬ』と『秒速5センチメートル』

宮崎駿の『風立ちぬ』を見たので、感想めいたことを書こうと思う。

ただ、ありきたりなことを書いてもつまらないので、ちょっと違う視点から。

それは、新海誠監督の『秒速5センチメートル』(2007)との関係である。

テスト機を工場から飛行場まで運搬するシーンがある。見送りながら、主人公の親友が、「牛に引かせて時速3キロで運ぶんだ」と吐き捨てるところだ。

これとほぼ同じ台詞が、『秒速5センチメートル』に登場する。種子島の女子高生が、片想いする主人公と二人で帰宅する途中、運搬途中のロケットに遭遇する。女子高生は、『(運搬速度は)時速5キロなんだって』とつぶやくのだ。

文脈は違うが、どちらも、高速で飛翔する最新鋭の機体が徒歩程度の速度で移動するギャップを指摘している。そして、宮崎駿が新海作品を見ていないとは考えられない。そうだとすれば、この台詞は、新海作品に対する表敬、もしくは挑戦ではないだろうか。ありていに言い直せば、宮崎監督は、新海作品への強烈な嫉妬、ないし対抗心を抱いているのではないだろうか。『風立ちぬ』は『秒速5センチメートル』に対する、宮崎監督からの回答であるとともに、日本アニメ界を牽引すべき者としてなされた、挑戦でもあるのではないだろうか。

宮崎監督は、本作品で、二つの挑戦をしていると思う。

一つは、これでもか、というほど緻密な、風景や現象の描写だ。夜空をはじめとする空間と自然の圧倒的な描写力が新海監督の十八番であることは論を俟たない。『風立ちぬ』で、宮崎監督は、突風や通り雨、明治を彷彿とさせる旧家など、随所に圧倒的な描写を尽くしてみせる。

もう一つは、現実的でリアルな、普通で平凡な人間そのものの描写に挑戦したところだ。帽子を追いかけて灌木に突っ込むといった漫画的な表現の合間に、どきっとするほどリアルな描写をしてみせる。それは寝返りや、煙草を吸う仕草といった何気ない所作だが、まるで人間そのもののような動きは、宮崎が紛れもなく、天才アニメーターであることを証明している。

『風立ちぬ』の主人公は、平凡で普通の人間だから、普通の人間並みに愚かでもある。宮崎は、火の粉が降りそそぐ火事場や、結核を病む妻の傍らで煙草を吸うシーンなどを通じて、主人公がごく普通の人間であることを繰り返し確認している。『風立ちぬ』の主人公は、漫画映画の主人公のような、理想像ではない。実写映画なら当たり前のことだが、アニメでは約束だった。この映画は今までのアニメとは違う、ということを、念押しする必要があると考えたのだろう。

ところで、普通の人間をアニメの主人公にするとき起きる問題は、話が二時間持たないことだ。その証拠に、ごく普通の人間を主人公とする新海作品は、おおむね短編である。そこで宮崎は、激動の昭和初期と悲恋を舞台に設定し、主人公の生きた時代そのものを描くことによって、完成度の高い一つの物語を成立させたのだと思う。「映像作家」である新海監督に対する、「ストーリーテラー」である宮崎監督の、面目躍如といったところだろうか。

普通の人間をリアルに描くことによって、アニメ映画は、大人向けの実写映画に接近していくことになる。それと同時に、「なぜ実写すればすむ画を手間暇かけて描くのか」という問いを抱え込むことになる。だが、自然や風景や建物は、どれほど緻密に描いても、実写にはならず、アニメ独自の世界を展開させることができる。このことは、宮崎アニメだけでなく、新海監督の描く風景(『秒速5センチメートル』)、細田守監督の描く里山(『おおかみこどもの雨と雪』)などが証明している。

そうだとすれば、ごく普通の人間を、リアルに表現したアニメもまた、実写映画とは違う表現手段たり得るのではないか。少なくとも挑戦する意義はある。成功すれば、アニメは「大人の映画」になり、市場を大きく広げることができる。宮崎監督は、こう考えたと思う。

『アバター』に代表される実写映画のアニメ化、日本の少子化と若手アニメーター不足など、宮崎監督は日本アニメの将来に、かなり切迫した危機感を抱いている。『風立ちぬ』は、日本アニメ界の先導者である宮崎監督の、一つの挑戦であり、答えでもある。

この挑戦が成功するか否かは、まだ分からない。だが私は、挑戦そのものを、支持したいと思う。

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2013年8月15日 (木)

終戦記念日と美人と作られた常識(再掲)

815日になると必ず放送される、皇居前広場で敗戦を嘆く人びとの映像がある。

その中に、子どものころから不思議だった場面がある。

下のYouTubeでは403秒から出てくる、妙齢の女性が泣くシーンだ。

顔を隠しているとはいえ、美人であることは明らか。いかなる状況でも、美人を撮るのが、カメラマンの本能だ。だが、不思議なのはこの点ではない。

この女性は、パーマをかけている。

日本史では、戦時中の昭和18年末に電髪(パーマのこと)禁止令が出された、と教わった。また、東京一帯は空襲で焼け野原になった、と教えられた。だがこの女性は、パーマをかけている。ということは、このとき、(おそらく)東京都内で美容室が営業され、パーマが行われていたことを示している。しかも、禁止されたパーマをかけて東京都内を歩く女性を「非国民」と指弾する者も、いなかったことになる。

もちろん、この映像に疑問を差し挟む余地は多い。「玉音放送」の音声がかぶせられることの多いこの映像だが、昭和20815日当時、玉音放送が降伏の表明であることを事前に知る者はごく少数だったから、この女性が玉音放送前に皇居に駆けつけ、放送を聞きながら泣いた可能性は低い。降伏を知ってから皇居前に出かけたのだろう。だが、それならこの女性は、この時たまたまパーマをかけていたか、あるいは、終戦を知り、皇居前に出かける際、身だしなみとしてパーマをかけたかのいずれか、ということになる。いずれにしても、授業で習った戦時・戦後下の風景とはずいぶん違う。

不思議と言えば、同じく815日に撮影されたという、この写真も不思議だ。

Photo

寄り添って泣く3人の女学生だが、手前の女学生は、半袖の白い薄手のブラウスを着ており、華奢な背中に下着の肩紐が透けて見えている。中学生男子のリビドーを、いたく刺激する格好だ。また、よく見ると、柄物のスカートを穿いている。やはりカメラマンの本能として、その場にいた最も「絵になる」被写体を撮ったと思われるが、それにしても、「国民服にモンペを強制されていた」という教科書的常識とは、ずいぶん違う。また、教科書的常識に照らせば「ど派手」な格好なのに、「はしたない!」と叱る大人がいなかったと見える。

戦時中の日本は軍部独裁の暗い時代だった、という「常識」は、おそらく間違いである。より正確にいうなら、「作られた常識」だ。たとえば、「鬼畜米英」「撃ちして止まむ」などの悲壮な標語は、その多くが昭和18年以降に生まれている。つまり、本当に暗かったのは、負けが決まった後、つまり終戦前の2年ほどに過ぎない。また、軍部が独裁色を露わにしたのは、戦局が不利になり責任論が浮上した後のことだ。しかも一般国民は、政府がヒステリックに叫ぶ「電髪禁止令」や「国民服にモンペ」を適当に受け流し、それなりにおしゃれや贅沢を楽しんでいたし、それを非国民と指弾する声も小さかった。そのあらわれが、婦人のパーマであり、女学生のブラウスと下着の肩紐ではないか。

もちろん、たったこれだけの資料から、何かを断言することはできない。だが少なくとも、教科書的「常識」を疑う必要を、これらの写真から読み取るべきだと思う。

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2013年8月 9日 (金)

大阪弁護士会、天満警察署旧庁舎を購入へ

大阪弁護士会が、弁護士会館の西隣にある天満警察署の建物の購入を検討していることが、関係者への取材で判明した。

天満警察署の現庁舎は、昭和37年の建築。老朽化が著しく、耐震基準も満たしていないため、移転して新庁舎を建設することになっていた。

旧庁舎は取り壊しが予定されていたが、これに待ったをかけたのが、東隣に会館を持つ大阪弁護士会。旧庁舎の取り壊しを求めず、建物ごと敷地を購入するとの意思を表示したため、敷地を管理する大阪府も、優先的に大阪弁護士会に売却するべく、交渉を進めているという。

大阪弁護士会は、旧庁舎を耐震補強した上、取調室や被疑者の勾留施設を一般市民に公開したいとしている。大阪弁護士会の可視化実現本部に所属する弁護士は、「取調室の狭さや暗さ、ここで取り調べを受ける被疑者の心理を体感してもらうには、本物の取調室を公開するのが一番。弁護士会がなぜ、取調の可視化を主張し、取調室にビデオカメラの設置を求めるのか、理解してもらえると思う」と、購入の動機を語る。隣の弁護士会館から、カツ丼の出前も行う予定という。

また、5階の講堂は、剣道や柔道の練習場としても使われていたが、「警察官に負けない屈強な弁護士を育てるため」、練習場として残す方針だ。

気になる費用は、土地建物と耐震工事費用を合算して約20億円。大阪弁護士会の福原田会長は、「4000人の会員数で割れば一人たったの50万円。年会費の5万円値上げを10年間お願いする予定です。会員弁護士には負担となるが、人権意識を広げるため必要な負担として、理解は得られると思う」と述べた。

大阪弁護士会は、大阪府と購入条件を詰めたうえ、臨時総会を開催して天満警察署旧庁舎の購入を決定する。

日弁連評論家の小林正啓弁護士「じぇ、じぇ、じぇえっ!?」

このエントリは完全なフィクションであり、実在の個人や団体と一切関係ありません。なお、天満警察署庁舎は現地立替の予定です。ローカルなネタで申し訳ありません。

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2013年8月 5日 (月)

内藤頼博の理想と挫折(36)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

平沼騏一郎と内藤頼博(10)

ところで、藤井五一郎の言葉だけ聞いていると、帝人事件は無罪で当然、という「誤解」が生じかねないから、異説も紹介しておこう。

例えばもと検事総長の佐藤藤佐(さとう・とうすけ)氏は、「帝人事件というのがありまして、一審で無罪になりました。これはいまから見てもずいぶんどうか、と思ったけれどもね。予審判事まで証人に呼んでね。それで、予審で自白したことを公判のときにみんな否認した。それで否認のとおり検察や予審が空中楼閣を作ったというような判決を下したのですが、ずいぶん思い切った判決を下したものだと思うのです。当然控訴するところを、あのときの検事正は岩村通世さんで、塩野さんが大臣でしたが、塩野さんが大乗的見地に立って“控訴するな”という命令をしたわけで、検事正はそれに従って控訴しなかった。あのときは、やはり岩村(検事正)さんの人柄がいいから国会でも問題にならなかったのでしょう。ただ、むしろ、塩野(司法大臣)さんの決済が政治的な決済ではないかという批判をする人もありましたけれども。そういうように検察は一種の行政だから、大臣の指揮権に従うのは当然だという考えがあったから、大臣の方でもやすやすと指揮したわけです。」[1]と述べている。

佐藤藤佐氏の経歴は下記のとおりであり、帝人事件に直接関与したわけではないから、事実関係をどれほど知っていたかは分からない。また、上記の独白は、自身が検事総長時代、造船疑獄事件で当時の佐藤栄作自民党幹事長の逮捕を企図したが犬養健法務大臣による指揮権発動のため果たせなかったことと対比する文脈で述べている。したがって、判決そのものを批判する趣旨とまでは断言できないが、検察として当然控訴すべき事案と考えていることは明らかであり、その限りでは完全な冤罪とは考えていないことが分かる。

また、戦前のもと検事で、岡田啓介内閣(昭和978日~昭和1139日)の司法大臣であった小原直(明治10124日―昭和4298日)は、『小原直回顧録』256ページで、次のように述べている。

「この大疑獄事件については、世間に、いろいろと批判がある。無論司法部としては、大いに反省すべきであるが、一面において、検事の捜査に幾多の欠点があったことを想察し得ると同時に、他面、裁判所が釈放後における被告人の供述や手記に捉われて、判断の適正を欠いた結果、事ここにいたったものと思われ、本判決に対しては、断然控訴の上、公正なる上級審の判断を受けるべきであったにも拘わらず、それをなさず、悔を千歳に残したことは、遺憾千万といわなければならない」

佐藤藤佐の昭和10年までの経歴

明治2717日生

秋田県由利郡小出村

大正144月東京帝国大学法学部卒業

同年5月司法官試補 横浜地方裁判所詰

大正113月東京地方裁判所詰

大正123月判事東京地方裁判所予備判事

大正125月東京地方裁判所判事

大正153月刑事局事務嘱託

昭和62月東京控訴院判事

昭和71月検事兼司法書記官

昭和71月刑事局勤務

昭和85月刑法並監獄法改正委員会幹事

昭和105月独逸伯林第11回国際刑法並監獄会議帝国委員


[1] 『法窓風雲録 あの人この人訪問記(下)』野村正男244

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