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2013年8月21日 (水)

「権力を行使しない正義」の国ニッポン

もはや旧聞に属するが、上田英明人道人権大使が、522日、国連拷問禁止委員会の席上、「シャラップ!」と怒鳴って話題になった。

日弁連刑事拘禁制度改革実現本部に所属する小池振一郎弁護士のブログによると、「アフリカのモーリシャスのDomah委員(元判事)が…弁護人に取調べの立会がないなど、(日本の刑事司法は)自白に頼りすぎではないか。これは中世のものだ。中世の名残だ。こういった制度から離れていくべきである。日本の刑事手続を国際水準に合わせる必要がある」と発言したのに対して、上田大使が、「日本は、この(刑事司法の)分野では、最も先進的な国の一つだ」と発言し、会場から失笑が漏れると、上田大使は、「笑うな。なぜ笑っているんだ。シャラップ!シャラップ!」と二度叫んだという(動画はこちら)。

上田大使の発言は不遜かつ下品であり、弁護に値しない。だが、「日本の刑事司法は今や国際社会から恥ずかしいと見られていることを自覚すべき」(日弁連委員会ニュース)という小池弁護士も、ちょっと違う、と思う。

例えば米国と比較した場合、日本の刑事司法制度は、大幅に遅れていることになるのだろう。しかし、その米国では先年、死刑囚のうち124人が無実だったことが判明して大騒ぎになった。もちろん日本でも冤罪は生まれるが、米国より遙かに少ない。とすれば、冤罪率という視点で見る限り、日本の刑事司法は米国のそれより、ずっと先進的ということになる。被疑者被告人の人権保護という観点からは、日本は「最も先進的な国の一つ」なのだ。では、後進的な刑事手続しかない日本で、なぜ先進的な人権擁護が実現されているのだろう。

わが国の冤罪率が極めて低いのは、起訴率の低さに原因がある。平成21年の検察統計年報によると、送検された事件のうち、起訴率は22。送検されなかった事件も含めると、検挙された事件のほぼ9割が、起訴されずに終結している。つまり、ほぼ確実に有罪がとれる「筋のよい」「固い」事件しか起訴されないことが、低い冤罪率の原因なのだ。

被疑者を起訴するか否かが検察官の裁量に委ねられている制度を、起訴便宜主義という。日本における起訴便宜主義は、他国に比べ制度的に徹底されているうえ、その運用を見ても、日本の検察官は、起訴の権限をとても抑制的にしか行使しない。その結果、高い有罪率と低い冤罪率が保障され、検察に対する国民の信頼がもたらされている。簡単にいいかえると、日本の検察は、起訴権という権力を極めて抑制的に行使することによって、冤罪を回避し、その正統性を保っているのだ。

「伝家の宝刀」という言葉がある。「権力をなるべく行使しないことこそ正義」という考え方は、我々日本人にはなじみ深いが、世界的には、おそらく珍しい。世界標準の考え方は、「権力は、行使してこそ正義」であり、だからこそ、権力濫用を防ぐ仕組みが求められる。

これに対して、日本では、「権力をなるべく行使しないことこそ正義」が前提だから、権力者に与えられる権限は強力だし、濫用を防ぐ仕組みも不十分だ。しかし、権力が抑制的に行使される限りは、国家統治は円滑で、人権保護にも厚い。このやり方で、わが国は、おおむね上手く行ってきたのである。おおむね上手く行ってきた以上、国家が抜本的改革を必要としないと考えることは自然の成行だ。

小池弁護士と日弁連が直面する問題の本質は、まさにこの点にある。上田大使を糾弾したり、国際標準を説くだけでは、説得力がないことに、気づくべきであろう。

わが国統治機構の実態は、われわれが思っているものより、おそらくかなり、特殊な存在なのである。

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コメント

えん罪率が「極めて低い」というのは、どういう根拠でそういえるのでしょうか(米国に比べて低いというのは、結果としてはその通りかもしれませんが。)。<無実の者÷有罪判決を受けた者>がえん罪率だとして、分母は統計で把握できますが、分子は再審の結果として無実にでもならなければ確定できないでしょう(もっといえば、再審の結果として無実になってもそれは「無罪推定」の結果に過ぎないのかもしれません。)。
米国で「死刑囚のうち124人が無実だった」というのは、日本に比べて再審が認められやすいことの結果かもしれません。

投稿: マチ弁 | 2013年8月22日 (木) 00時58分

もちろん、推測です。具体的な根拠はありませんし、ご指摘の事情により、統計を取ることも不可能でしょう。ですが、世界中の国の中で(まあバチカン市国とかツバルとかを除けば)、日本より冤罪率の低い可能性のある国は、ドイツや、一部の北欧くらいではないかと思います。ちなみに米国はご承知のとおり、死刑制度のない州が多いですから、未決死刑囚にして124人であれば、他は推して知るべしだと思います。

投稿: 小林正啓 | 2013年8月22日 (木) 21時43分

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