« 「権力を行使しない正義」の国ニッポン | トップページ | 内藤頼博の理想と挫折(37) »

2013年8月30日 (金)

クレーマー主義について

松江市の教育委員会が、学校図書室での『はだしのゲン』の閲覧を制限し、後に撤回した。

この一連の騒動については、様々な意見があってしかるべきだと思う。いまのところ、閲覧制限を行った教育委員会を批判し、制限撤回を支持する見解が優勢のように見える。

私も、この教育委員会は最低だと思う。ただ、最低なのは閲覧制限したことでも、閲覧制限を撤回したことでもない。誰かに何かを言われると、組織的意思決定をころころと変える、そのこと自体が最低だと思う。それに比べたら、閲覧制限の方がマシである。

組織や個人が、依拠(よりどころ)とする行動規範を「主義」という。議論と多数決を意思決定の依拠とするのが「民主主義」で、出資額の多寡を依拠とするのが「資本主義」だ。声の大きな人の意見を意思決定の依拠とする主義を、私は「クレーマー主義」と呼ぶことにしている。

クレーマー主義にたつ組織には、定見がない。「残酷な場面を子どもに見せるのはいかがなものか」と言われると、それに従い、「学問思想の自由に反する」と言われると、それに従う。

クレーマー主義者にとって、判断基準は「声の大きさ」だけだ。中身は関係ない。松江市教育委員会は、閲覧制限を正しいと思ったのでもなければ、制限撤回が正しいと考えを改めたのでもない。単に、「こっちの方が声デカイから、言うこと聞こうね」と考えただけである。

教育委員会がどういう仕事をするのか、私はほとんど知らないが、きっと教育に関する仕事をするところなのだろう。教育の目的が、「声の大きな人に従う」国民を育成することにあるなら、クレーマー主義は賞賛されるべきだが、私は、教育の目的は他にあると思う。教育の目的が、たとえば「民主主義国家にふさわしい自律的な個人を育成する」ことにあるなら、教育委員会のクレーマー主義は最低である。

『はだしのゲン』閲覧制限撤回を歓迎するのは、やめたほうがよい。それは、「やっぱり声のでかい人の意見を聞いてよかったね!」と、クレーマー主義者を増長させるだけだからである。閲覧制限撤回によって、この問題が収束してしまったことこそ、問題なのである。なぜ教育委員会は、堂々と「閲覧制限して何が悪い」との論陣を張らなかったのか、そのことをこそ、しつこく問い続けるべきである。

|

« 「権力を行使しない正義」の国ニッポン | トップページ | 内藤頼博の理想と挫折(37) »

コメント

貴殿の言うクレーマー主義の指摘は概ねそうだと感じてます。今回はそれが如実に顕在化致しました。

>なぜ教育委員会は、堂々と「閲覧制限して何が悪い」との論陣を張ら
>なかったのか、そのことをこそ、しつこく問い続けるべきである。
そもそも閲覧制限をする決定フローもしくは閲覧指針をキチンと決めていなかったから風見鶏のような対応になるんだと思います。またその指針があっても曖昧なもので恣意的判断の領域が多いものだったのかもしれません。クレーマーの声にはクレームを受けた側が「痛い所を突かれた」という場合が多いのも事実です。またこうした意見の受理や対応に慣れていないと過剰反応しがちなものです。クレームを受けても1つの意見として冷静に客観視し、他の実体と合わせて判断する際にどう取り込むかを受理側がキチンと体制作りしていない空白部分を突かれたのが今回の事例だったんだと感じております。

投稿: コロン | 2013年8月30日 (金) 09時43分

議論こそが民主主義の本質です。
しかし教育委員会はそれを理解していないと思います。確たる証拠はありませんが、もし教育委員会がそのことを本当に理解していて民主主義に価値があると考えるならば(現行憲法下で公務員がこれと反対の考えで施策を実行するこは許されないと思いますが)、民主主義を担う個人を育てるために、学校教育の中に議論のルールと方法についての授業をもっと取り込もうとするはずではないでしょうか。

議論は根源的には自分の考えを理解して欲しいという欲求から生じるものだと思います。教育委員会はきっと自分の考えを理解して欲しいとは思っていないか、もしかしたら自分たちの考えが何なのかすらわかっていないのかもしれません。

議論ができないことが問題なのは、そのような集団や個人は、問題を解決していくことが難しくなってしまうからです。議論がなければ批判や反論を通じてベストの選択肢を模索することができないし、選択についてコンセンサスを得られません。
教育委員会だけでなく私たちの社会には議論自体が存在しないか非常に希薄であるということを自覚することから始める必要があると思います。その点で先生のご指摘は重要です。

投稿: y | 2013年8月30日 (金) 13時51分

閲覧制限を撤回した後,さらに大きな声が聞こえてきたので,再度閲覧制限をしたのであれば,まさに筆者のいうような「クレーマー主義」と考えてよいと思う。
しかし,間違いを正すべきと思った時に,たまたま考え直す,きっかけが「大きな声」だったときに,間違いを正しては,いけないのだろうか。
報道によると,当初の閲覧制限は,教育長と事務局だけで決めてしまったものであり,教育委員会(教育委員の合議体)の議論を経ていなかったように聞いている。外野の声の大小にかかわらず,正すべきことは正す・・・が真に正しいのではないかと思うが,いかがか。

投稿: | 2013年8月30日 (金) 22時39分

しかし、反天皇制の漫画を置くなら、天皇制賛美の漫画もおいて、多様な主張に触れることができるようにする必要がありますね。例えば、小林よしのりの『戦争論』などが考えられます。

個人的には戦争賛美に共感はできませんが、『はだしのゲン』を置くなら反対の見方をする漫画も置いて考える機会を保証することが必要ですね。

投稿: sate | 2013年9月 7日 (土) 22時53分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/192469/58090106

この記事へのトラックバック一覧です: クレーマー主義について:

« 「権力を行使しない正義」の国ニッポン | トップページ | 内藤頼博の理想と挫折(37) »