« 顔認証について | トップページ | 『やさしいライオン』の失われたページ »

2013年10月15日 (火)

内藤頼博の理想と挫折(42)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

平沼騏一郎と内藤頼博(16)

「帝人事件」で被告人全員無罪の判決を出した藤井五一郎裁判長と、岸盛一補充判事は、判決の約2年後、蒙古連合自治政府司法部に転出させられた。一方陪席だった岡咲恕一判事は東京地方裁判所民事部の「司法書記官 民事局勤務」に、石田和外判事は東京刑事地方裁判所の予審判事に、それぞれ異動する。

これは、無罪判決によりメンツを潰された検察による報復人事であり左遷であるのだろうか。

これを評価する一つのアプローチとして、昭和15年発行の『司法大観』に掲載された、大審院長以下、司法次官、各控訴院長という、トップエリートの経歴と比較してみると、次のとおりだ。

大審院長 泉二新熊(明治9年生)

明治35年東京帝国大学法科大学卒業

同年10月司法官試補

384月検事

408月兼司法省参事官

453月欧米各国へ出張

大正26月東京控訴院検事

45月判事 大審院判事

131月司法省行刑局長

148月欧米各国へ出張

昭和22月司法省刑事局長

昭和43月朝鮮及品支那へ出張

69月判事 大審院部長

1112月検事 検事総長

142月判事 大審院長

司法次官 岩村通世(明治16年生)

明治437月東京帝国大学法科大学卒業

同年司法官試補

大正元年検事 東京地方裁判所予備検事

2年 東京区裁判所検事

9年 司法省参事官 刑事局兼務

10年 監獄局兼務

12年 兼司法大臣秘書官 秘書課長

13年 欧米各国へ出張 検事兼司法省参事官兼司法大臣秘書官

14年 兼司法書記官 刑事局勤務

15年 保護課長

昭和2年 東京控訴院検事

6年 名古屋地方裁判所検事正

9年 東京地方裁判所検事正

10年 司法省刑事局長

12年 大審院検事

12年 司法次官

東京控訴院長 霜山精一(明治17年生)

明治43年東京帝国大学法科大学卒業

同年 司法官試補

2年 東京地方裁判所判事

4年 司法省参事官 法務局兼務

13年 大審院判事

9年 口頭試験臨時委員

同年 札幌控訴院長

10年 廣島控訴院長

12年 大審院部長

14年 東京控訴院長

東京民事地方裁判所長 佐々木良一(明治24年生)

大正6年 京都帝国大学法科大学卒業

同年 司法官試補

8年 東京地方裁判所予備判事

同年 東京地方裁判所判事

大正13年 東京地方裁判所部長

昭和2年 司法官書記官兼司法大臣秘書官

同年 大臣官房秘書課長

6年 欧米各国へ出張

8年 東京控訴院部長

14年 東京民事地方裁判所所長

東京刑事地方裁判所所長 島保(明治24年生)

大正5年東京帝国大学法科大学卒業

同年 司法官試補

7年 東京地方裁判所予備判事

同年 東京地方裁判所判事

12年 欧米各国へ出張

同年 東京地方裁判所部長

13年 司法書記官兼東京地方裁判所検事

昭和2年 東京地方裁判所部長 刑事局 調査か事務嘱託

5年 東京控訴院判事

6年 東京控訴院部長

8年 東京地方裁判所部長

10年 大審院判事

同年 司法制度調査会幹事

13年 東京刑事地方裁判所長

大阪控訴院長 長島毅(明治13年生)

明治39年東京帝国大学法科大学卒業

44年司法官試補

大正2年 判事

同年 東京地方裁判所判事

同年 横浜地方裁判所判事

大正5年 司法省参事官

大正10年 東京地方裁判所検事

同年 欧州へ出張

昭和2年 大審院検事

3年 司法省民事局長

5年 札幌控訴院長

9年 廣島控訴院長

10年 司法次官

12年 大阪控訴院長

大阪地方裁判所長 赤羽煕(明治10年生)

明治42年 東京帝国大学法科大学卒業

同年 司法官試補

45年 東京地方裁判所予備判事

大正元年 大阪地方裁判所判事

2年 大阪区裁判所判事

8年 大阪地方裁判所判事

12年 検事兼司法省参事官

13年 専任司法省参事官

15年 欧米各国へ出張

昭和3年 東京控訴院部長

9年 大審院判事

10年 神戸地方裁判所所長

同年 横浜地方裁判所所長

14年 大阪地方裁判所所長

名古屋控訴院長 大森洪太(明治20年生)

明治45年 東京帝国大学法科卒業

同年 司法官試補

大正3年 東京地方裁判所予備判事

同年 東京地方裁判所判事

7年 東京地方裁判部長

9年 検事兼司法省参事官 民事局兼務 東京地方裁判所検事

14年 東京控訴院判事

15年 検事兼司法書記官 東京控訴院検事 民事局兼刑事局勤務

昭和3年 大審院判事

8年 司法省民事局長

14年 名古屋控訴院長

廣島控訴院長 鈴木秀人(明治14年生)

明治39年 京都帝国大学法科大学卒業

同年 司法官試補

41年 判事

42年 大阪地方裁判所判事

4年 廣島地方裁判所判事

6年 廣島控訴院判事

7年 大阪控訴院判事

10年 大阪地方裁判所部長

12年 欧米各国へ出張

同年 大阪区裁判所監督判事

14年 大審院判事

昭和5年 廣島地方裁判所所長

7年 神戸地方裁判所所長

10年 大阪地方裁判所所長

13年 宮城控訴院長

14年 廣島控訴院長

長崎控訴院長 三宅正太郎(明治20年生)

明治44年東京帝国大学法科大学卒業

同年 司法官試補

大正2年 東京地方裁判所予備判事

同年 東京地方裁判所判事

7年 東京地方裁判所部長

8年 検事兼司法省参事官

同年 講和条約実施準備事務のため欧州各国へ出張

11年 刑事局兼務

同年 満州支那へ出張

13年 司法大臣秘書官 大臣官房秘書課長

昭和2年 大審院検事

同年 名古屋控訴院部長

4年 大審院判事

同年 東京地方裁判所長

10年 札幌控訴院長

12年 大審院部長

14年 長崎控訴院長

宮城控訴院長 鬼頭豊隆(明治16年生)

明治43年東京帝国大学法科大学卒業

同年 司法官試補

大正元年 判事

2年 大阪区裁判所判事

8年 大阪地方裁判所判事

同年 大阪地方裁判所部長

10年 司法省参事官 東京地方裁判所検事

同年 函館地方裁判所長

6年 札幌地方裁判所長

7年 横浜地方裁判所長

10年 東京刑事地方裁判所長

13年 大阪地方裁判所長

14年 宮城控訴院長

札幌控訴院長 日高要次郞(明治14年生)

明治35年 日本法律学校卒業

36年 判検事登用第一回試験及第

同年 司法官試補

38年 判事

39年 久留米区裁判所判事

40年 福岡地方裁判所判事

45年 長崎控訴院判事

大正2年 長崎地方裁判所判事

4年 鹿児島地方裁判所部長

6年 長崎控訴院判事

8年 函館控訴院判事

10年 函館控訴院部長

11年 名古屋控訴院部長

13年 大審院判事

昭和9年 会計検査官懲戒裁判所予備裁判官

12年 札幌控訴院長

こうしてみると、東京帝国大学法科卒、司法試験現役合格、東京初任、早期に検事となり司法省に転籍、外国視察というエリートコースが浮かんでくる。そしてもちろん、予審判事も、書記官も、エリートコースには出てこない。いうまでもなく予審判事も、書記官も、職制としては公判担当判事より下だ。石田和外判事自身、『私の履歴書』に「刑事裁判官の進路の一つだった予審掛を命ぜられ(た)」と記し、わざわざ「進路の一つ」と言い訳めいた形容詞を付していることからも、石田自身、予審判事への異動を左遷と認識していたことを窺わせる。

|

« 顔認証について | トップページ | 『やさしいライオン』の失われたページ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/192469/58385792

この記事へのトラックバック一覧です: 内藤頼博の理想と挫折(42):

« 顔認証について | トップページ | 『やさしいライオン』の失われたページ »