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2013年10月30日 (水)

明日の日弁連…

「ご隠居先生、お久しぶりです。裁判所の帰りに寄りました」

「熊君か。面白い話でもあったかい」

「いやね、おとつい、『明日の日弁連』がなんちゃらという会に行ってきましてね」

「『築く会』だろう?」

「それそれ。で、パンフもらって偉い人の話を聞いたんですがね。えらく過激ですね」

「パンフレットはうちの事務所にも来たが、過激だったかな?至って平凡だったように思うが」

「最初から、こうですわ。『アクセス障害はない』。もう、どこ探しても、お客さんになってくれる人はいないらしいです」

「そんなこと、書いてあったかな」

「二番目が、『若手弁護士はのたれ死に』、三番目が『法曹養成制度は破綻』。すごいでしょう?で、最後が『弁護士自治の崩壊』ときたもんだ」

「私に来たパンフレットとは全然違うみたいだが、どこに行ってきたって?」

「だから、その『明日の日弁連』がどうしたという会ですよ」

「そのパンフレットを見せてごらん。どれどれ…これはひどいな。」

「どうしました?」

「よく読んでみなさい。これは『明日の日弁連に気付く会』のパンフレットじゃないか」

「あたしゃてっきり『明日の日弁連を築く会』かと」

「ややこしいね。すると来年の選挙は、『築く会』と『気付く会』の戦いになるのかね」

「もう一つできるらしいですよ」

「なんて名前だい?」

「傷つく会」

このエントリはS.N.弁護士のアイデアを拝借したものです。この場を借りてお礼を申し上げます。

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2013年10月28日 (月)

米NSA、日弁連会長の携帯電話を盗聴していなかったことが判明

対立国のみならず、同盟国ドイツのメルケル首相の携帯電話を盗聴していたことが明るみとなった米国NSA(国家安全保障局)だが、日本も例外ではなかった。過去10年間の首相、政府高官や与野党幹部の携帯電話を傍受していたことが判明。しかし、日弁連会長の携帯電話を盗聴していなかったことがわかり、ごく一部に憶測を呼んでいる。

日弁連の担当幹部によると、日弁連はこの夏、「秘密保全法、集団的自衛権行使容認から憲法改正への米国政府の関与を明らかにするため」、米国政府に情報公開を要請。公開された1000ページを超える関係文書の中から、NSAが日本政府高官の携帯電話を盗聴していた事実を突き止めた。

注目を集めたのは、司法関係者も盗聴対象になっていたこと。最高裁判所長官や検事総長、警視庁長官の携帯電話も10年前から盗聴されていた。

ところが、その一方で、日弁連会長の携帯電話は一切盗聴されていなかったことが判明。「なぜウチだけ、盗聴されないのか?」と、日弁連幹部はいぶかる。

米国NSAの職員は、匿名を条件に本紙の取材に答え、「NSAにだって予算と優先順位がある。盗聴には費用がかかるから、盗聴価値のない活動はしない。盗聴されて怒るなら分かるが、盗聴されてないのに、文句を言われる筋合いはない」と述べた。

一方、ある日弁連幹部は、「日本で、ある意味最も反米的な活動をしている公的団体が日弁連。その会長の携帯電話すら盗聴しないなんて、失礼極まりない理解できない。本当に盗聴していないなら、もっと高度な、絶対分からない手段で監視しているに違いない」と怒りを隠せない様子。

日弁連は現在、米国政府に対し、「盗聴されていなかった」理由を明らかにするよう、正式に申し入れる方針だ。

注;このエントリはフィクションです。実在する個人や団体とは一切関係ありません。

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内藤頼博の理想と挫折(44)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

平沼騏一郎と内藤頼博(18)

さて、帝人事件については一旦筆を置き、無罪判決を出したため左遷された判事の事件として、石坂修一判事の河合栄治郎事件を紹介しておこう。

石坂修一判事は、1895年(明治28年)914日、富山県滑川市に生まれた。父石坂豊一(明治7年―昭和45年)は富山県庁職員から樺太開発計画に携わり、昭和13年に衆議院議員に初当選し、立憲政友会に所属し、戦後は参議院議員となった。名家ともいえるが、石坂修一本人は「井戸や壁すらなくなった」と述べている[1]

大正8年(1919年)に東京帝国大学法学部を卒業して、同年任官。横浜地方裁判所詰、東京地方裁判所予備判事を経て、大正104月東京地方裁判所判事、同年8月横浜地方裁判所判事、大正1312月東京地方裁判所判事、昭和99月東京地方裁判所部長、昭和105月東京刑事地方裁判所部長、昭和1112月東京控訴院判事、昭和148月東京刑事地方裁判所部長というのが、昭和15年までの経歴だ。転勤が東京都横浜の範囲内に限られていること、39歳で東京地方裁判所の部長職に就いていることからして、ほぼエリートコースと言って間違いないと思う。

一方の河合栄治郎(1891(明治24年)-1944年(昭和19年))は、1915年に東京大学法科大学政治学科を卒業した後、農商務省の官僚を経て、1920年に東京大学経済学部の助教授となり、1936年(昭和11年)には経済学部長。Wikipediaによると、学部多数派の領袖としてマルクス主義派と対峙していたという。その後ファシズムが伸張すると、川合はファシズム批判の論陣を張ったが、1938年(昭和13年)に『ファシズム批判』など4点の著作が内務省により発売禁止処分に付され、翌年これらの著作等における言論が「安寧秩序を紊乱するもの」として、出版法違反に問われ起訴された。これが河合栄治郎事件である。

裁判長裁判官が石坂修一、陪席が兼平慶之助と三淵乾太郎である。三淵乾太郎は、戦後初の最高裁判所長官となった三淵忠彦の子であり、内藤頼博との関係では、同じ「さつき会」に所属していた。また、兼平慶之助は昭和37215日、砂川事件の再戻し後控訴審で被告人に逆転有罪判決を下した担当裁判官である。

河合栄治郎の担当弁護人は海野晋吉。戦前・戦後を通じた社会派・人権派の弁護士として著名であり、晩年の内藤頼博とは親交を結んだようである。

昭和15107日、石坂修一裁判長は河合栄治郎に対して無罪を言い渡したが、控訴審で有罪となり、上告も棄却され、有罪が確定した。

これが、河合栄治郎事件である。


[1] 石坂豊一・修一追悼集収録『あの人この人訪問記』

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2013年10月23日 (水)

内藤頼博の理想と挫折(43)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

 

平沼騏一郎と内藤頼博(17)

 

「帝人事件」で被告人全員無罪の判決を出した藤井五一郎裁判長と、岸盛一補充判事は、判決の約2年後、蒙古連合自治政府司法部に転出させられた。一方陪席だった岡咲恕一判事は東京地方裁判所民事部の「司法書記官 民事局勤務」に、石田和外判事は東京刑事地方裁判所の予審判事に、それぞれ異動する。これらは全て「左遷」と評価されるし、無罪判決でメンツを潰された検察による報復人事である可能性が高い。

ところで、帝人事件では、東京地裁の両角誠英予審判事らが被告人らを起訴相当と決定し、その取調等の妥当性については、両角判事自身が公判廷に呼び出されるなど、異例の展開となった。

藤井五一郎裁判長らが左遷されたとすれば、両角判事はどうなったのだろう。

 

『司法大観』によれば、両角誠英判事(明治21年生)の経歴は次のとおりである。

 

大正3年 東京帝国大学法科卒業

同年 司法官試補

5年 判事

6年 検事 

同年 判事

同年 米沢区裁判所判事

8年 秋田地方裁判所判事

13年 仙台地方裁判所判事

昭和2年 東京区裁判所判事

5年 東京控訴院判事

同年 函館地方裁判所部長

7年 静岡地方裁判所部長

8年 東京控訴院判事

9年 東京地方裁判所判事

10年 東京刑事地方裁判所判事

12年 金沢地方裁判所長

14年 甲府地方裁判所長

 

その後、大審院判事に異動したのち、終戦前に退官している[1]

東京帝国大学法科を卒業してはいるが、卒業時の年齢は26歳と遅い。任地も、米沢・秋田・仙台・東京・函館・静岡であり、「どさ回り」というほどではないが、首都から離れないエリートとは全く異なる異動だ。注目すべきは、昭和10年に東京刑事地方裁判所に異動している点であり、これは帝人事件の勃発と時期が重なる。そして、帝人事件終了後の金沢地裁所長、甲府地裁所長への赴任は、明らかに栄転だ。

両角判事は、任官早々、司法界の頂点に君臨していた平沼騏一郎を挨拶に訪れ、恭順の意思を示したことを内外に語って憚らなかった人物である。その人物が、帝人事件の検挙と同時に担当予審判事に異動し、起訴後、金沢地方裁判所長に栄転したとなれば、この人事が意味するところは明らかであろう。

 

 



[1] 『法窓風雲録』293

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2013年10月21日 (月)

マイクつき監視カメラの合法性について

監視カメラ・防犯カメラの技術革新が進んできたようである。

アナログカメラからデジタルカメラに移行するのは当然として、高解像度・広視野・暗視機能などを備えるようになってきた。また、画像処理をサーバー側ではなく、個々のカメラが行うため、ネットワークにかかる負荷が軽減される機種も販売されている。

このような技術革新からすれば、マイクを備える監視カメラが登場するのも、当然といえよう。「マイクつき監視カメラ」で検索すると、多数の商品がヒットする。

だが、マイクつき監視カメラはかなり問題がある、と思う。

問題は二つある。

一つはプライバシー侵害の問題だ。

監視カメラが人のプライバシーを侵害する、という議論は、監視カメラ登場当初からあった。だが、店舗や公共の場所に設置してある監視カメラは、隠しカメラでないかぎり、撮影されている人の推定的承諾がある、との理屈で合法化することは一応可能だし、現に、多くの市民はあまり問題視していない。

だが、その監視カメラが、実はマイクを備えていて、撮影されている人の会話を録音しているとしたらどうだろうか。公共の場所や店舗で、監視カメラに撮影されていることは気にかけない人でも、会話を録音されていると知ったら、衝撃を受ける人は少なくないと思う。つまり、録音は、推定的承諾を受けないのである。

また、外見に比べ、会話は、プライバシー性が高い。平たくいえば、歩行者天国を恋人と歩く姿は撮られて差しつかえなくても、その恋人との会話は録音されたくない、というのが通常の感覚である。

したがって、監視カメラにつき属した録音機能は、よほどの正当性が無いかぎり、プライバシー権侵害を正当化することはできないと思う。

もう一つは萎縮効果の問題だ。

これも監視カメラとともに発生した問題だが、萎縮効果とは、撮影することによって特定の行動をやめさせる効果を言う。たとえば、学生が反原発デモに参加し、その様子が撮影されると、就職できなくなる危険があるから、参加しない、といった効果である(これはあくまで例であり、反原発デモに参加した学生が就職差別を受けているか否かは知らない)。このように、監視カメラは、犯罪に対する抑止効果だけではなく、適法な行動、特に政治的表現活動を萎縮させる効果があると指摘されている。

萎縮効果の問題は、プライバシーの問題とは違う。その差は、偽装カメラ(デコイ)において顕著となる。中身がない偽装カメラは、プライバシーを侵害しないが、そこにカメラがあると思う以上、萎縮効果はある。つまり案山子と同じである。また、隠しカメラは、プライバシーを侵害するが、「隠しカメラがある」ということを被撮影者が知らない限り、萎縮効果はない。しかし、「隠しカメラがあるが、どこにあるのかは分からない」となれば、プライバシー侵害は、カメラの画角内に限定されるが、萎縮効果はあらゆる場所に及ぶ。

ところで、監視カメラに内蔵されたマイクは、隠しカメラと同じ萎縮効果がある。もし、マイクつき監視カメラが広く普及し、集音性能が高まれば、人は、どこで会話をして良いか、分からなくなるかもしれない。まして、大きな声を出せば、どこの監視センターのアラームが鳴り響くか分からないから、ひそひそ声で会話をするようになるだろう。

かつて、監視カメラの普及が監視社会をもたらすと言われたが、実際にはそうでもなかった。だが、マイクつき監視カメラの普及は、もしかしたら本当に、監視社会をもたらすかもしれない。

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2013年10月16日 (水)

『やさしいライオン』の失われたページ

やなせたかし氏が亡くなられた。大往生とはいえ、喪失感は大きい。ご冥福をお祈りしたい。

いまの子どもにとって、やなせたかしは当然アンパンマンだが、私にとっては『やさしいライオン』だった。いつも震えている雄ライオンのブルブルは、犬のムクムクに育てられるが、大きくなると、引き離され、サーカスに売られてしまう。だがある雪の夜、ブルブルは母親の子守歌を夢に見て、檻を飛び出し、母犬のもとに駆けつける。だが、たてがみをなびかせて駆け抜けるライオンに街は大騒ぎ。軍隊が出動してブルブルを追う、というお話だ。

小学生にはなっていたと思うが、その衝撃は、後の『デビルマン』や『ミノタウロスの皿』に匹敵し、大人になっても、全ての場面を明確に記憶していた。

父は転勤族で、引越の度に大量の本を捨てていた。だが子どもにとっての名作は、親にとっても捨てがたいのか、子どもがみな絵本を卒業しても、『やさしいライオン』は、我が家に残されていた。だが、きっと本がぼろぼろだったのだろう、いつの間にか捨てられ、記憶だけの存在となっていた。

実は、私がamazonで最初に買った本が『やさしいライオン』だった。ネット上で再会したうれしさの余り、親の分と二人の弟の分をあわせ、計4冊を購入して配った。親兄弟も思い入れがあったらしく、大変喜んでくれた。時代を越えて残る本というのは、そういうものなのだろう。

だが、一点、腑に落ちないことがある。私の記憶にあるページが、購入した本にはないのだ。サーカスを脱出し、母親のムクムクと再会したライオンのブルブルは、兵士に囲まれてしまう。撃たれる直前、ページいっぱいにブルブルの顔が描かれる、そのページが、記憶にあるのに、本にはない。たてがみを逆立て、怒りに燃えるような、悲しみにうちひしがれたような、何とも言えない『やさしいライオン』の顔。このページは、どこに行ったのだろう。初版にはあったのに改訂版から消えたのか、紙芝居にだけあったのか、それとも、子どもの私が作り出した偽の記憶か。私にとっては、謎のままである。

 

 

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2013年10月15日 (火)

内藤頼博の理想と挫折(42)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

平沼騏一郎と内藤頼博(16)

「帝人事件」で被告人全員無罪の判決を出した藤井五一郎裁判長と、岸盛一補充判事は、判決の約2年後、蒙古連合自治政府司法部に転出させられた。一方陪席だった岡咲恕一判事は東京地方裁判所民事部の「司法書記官 民事局勤務」に、石田和外判事は東京刑事地方裁判所の予審判事に、それぞれ異動する。

これは、無罪判決によりメンツを潰された検察による報復人事であり左遷であるのだろうか。

これを評価する一つのアプローチとして、昭和15年発行の『司法大観』に掲載された、大審院長以下、司法次官、各控訴院長という、トップエリートの経歴と比較してみると、次のとおりだ。

大審院長 泉二新熊(明治9年生)

明治35年東京帝国大学法科大学卒業

同年10月司法官試補

384月検事

408月兼司法省参事官

453月欧米各国へ出張

大正26月東京控訴院検事

45月判事 大審院判事

131月司法省行刑局長

148月欧米各国へ出張

昭和22月司法省刑事局長

昭和43月朝鮮及品支那へ出張

69月判事 大審院部長

1112月検事 検事総長

142月判事 大審院長

司法次官 岩村通世(明治16年生)

明治437月東京帝国大学法科大学卒業

同年司法官試補

大正元年検事 東京地方裁判所予備検事

2年 東京区裁判所検事

9年 司法省参事官 刑事局兼務

10年 監獄局兼務

12年 兼司法大臣秘書官 秘書課長

13年 欧米各国へ出張 検事兼司法省参事官兼司法大臣秘書官

14年 兼司法書記官 刑事局勤務

15年 保護課長

昭和2年 東京控訴院検事

6年 名古屋地方裁判所検事正

9年 東京地方裁判所検事正

10年 司法省刑事局長

12年 大審院検事

12年 司法次官

東京控訴院長 霜山精一(明治17年生)

明治43年東京帝国大学法科大学卒業

同年 司法官試補

2年 東京地方裁判所判事

4年 司法省参事官 法務局兼務

13年 大審院判事

9年 口頭試験臨時委員

同年 札幌控訴院長

10年 廣島控訴院長

12年 大審院部長

14年 東京控訴院長

東京民事地方裁判所長 佐々木良一(明治24年生)

大正6年 京都帝国大学法科大学卒業

同年 司法官試補

8年 東京地方裁判所予備判事

同年 東京地方裁判所判事

大正13年 東京地方裁判所部長

昭和2年 司法官書記官兼司法大臣秘書官

同年 大臣官房秘書課長

6年 欧米各国へ出張

8年 東京控訴院部長

14年 東京民事地方裁判所所長

東京刑事地方裁判所所長 島保(明治24年生)

大正5年東京帝国大学法科大学卒業

同年 司法官試補

7年 東京地方裁判所予備判事

同年 東京地方裁判所判事

12年 欧米各国へ出張

同年 東京地方裁判所部長

13年 司法書記官兼東京地方裁判所検事

昭和2年 東京地方裁判所部長 刑事局 調査か事務嘱託

5年 東京控訴院判事

6年 東京控訴院部長

8年 東京地方裁判所部長

10年 大審院判事

同年 司法制度調査会幹事

13年 東京刑事地方裁判所長

大阪控訴院長 長島毅(明治13年生)

明治39年東京帝国大学法科大学卒業

44年司法官試補

大正2年 判事

同年 東京地方裁判所判事

同年 横浜地方裁判所判事

大正5年 司法省参事官

大正10年 東京地方裁判所検事

同年 欧州へ出張

昭和2年 大審院検事

3年 司法省民事局長

5年 札幌控訴院長

9年 廣島控訴院長

10年 司法次官

12年 大阪控訴院長

大阪地方裁判所長 赤羽煕(明治10年生)

明治42年 東京帝国大学法科大学卒業

同年 司法官試補

45年 東京地方裁判所予備判事

大正元年 大阪地方裁判所判事

2年 大阪区裁判所判事

8年 大阪地方裁判所判事

12年 検事兼司法省参事官

13年 専任司法省参事官

15年 欧米各国へ出張

昭和3年 東京控訴院部長

9年 大審院判事

10年 神戸地方裁判所所長

同年 横浜地方裁判所所長

14年 大阪地方裁判所所長

名古屋控訴院長 大森洪太(明治20年生)

明治45年 東京帝国大学法科卒業

同年 司法官試補

大正3年 東京地方裁判所予備判事

同年 東京地方裁判所判事

7年 東京地方裁判部長

9年 検事兼司法省参事官 民事局兼務 東京地方裁判所検事

14年 東京控訴院判事

15年 検事兼司法書記官 東京控訴院検事 民事局兼刑事局勤務

昭和3年 大審院判事

8年 司法省民事局長

14年 名古屋控訴院長

廣島控訴院長 鈴木秀人(明治14年生)

明治39年 京都帝国大学法科大学卒業

同年 司法官試補

41年 判事

42年 大阪地方裁判所判事

4年 廣島地方裁判所判事

6年 廣島控訴院判事

7年 大阪控訴院判事

10年 大阪地方裁判所部長

12年 欧米各国へ出張

同年 大阪区裁判所監督判事

14年 大審院判事

昭和5年 廣島地方裁判所所長

7年 神戸地方裁判所所長

10年 大阪地方裁判所所長

13年 宮城控訴院長

14年 廣島控訴院長

長崎控訴院長 三宅正太郎(明治20年生)

明治44年東京帝国大学法科大学卒業

同年 司法官試補

大正2年 東京地方裁判所予備判事

同年 東京地方裁判所判事

7年 東京地方裁判所部長

8年 検事兼司法省参事官

同年 講和条約実施準備事務のため欧州各国へ出張

11年 刑事局兼務

同年 満州支那へ出張

13年 司法大臣秘書官 大臣官房秘書課長

昭和2年 大審院検事

同年 名古屋控訴院部長

4年 大審院判事

同年 東京地方裁判所長

10年 札幌控訴院長

12年 大審院部長

14年 長崎控訴院長

宮城控訴院長 鬼頭豊隆(明治16年生)

明治43年東京帝国大学法科大学卒業

同年 司法官試補

大正元年 判事

2年 大阪区裁判所判事

8年 大阪地方裁判所判事

同年 大阪地方裁判所部長

10年 司法省参事官 東京地方裁判所検事

同年 函館地方裁判所長

6年 札幌地方裁判所長

7年 横浜地方裁判所長

10年 東京刑事地方裁判所長

13年 大阪地方裁判所長

14年 宮城控訴院長

札幌控訴院長 日高要次郞(明治14年生)

明治35年 日本法律学校卒業

36年 判検事登用第一回試験及第

同年 司法官試補

38年 判事

39年 久留米区裁判所判事

40年 福岡地方裁判所判事

45年 長崎控訴院判事

大正2年 長崎地方裁判所判事

4年 鹿児島地方裁判所部長

6年 長崎控訴院判事

8年 函館控訴院判事

10年 函館控訴院部長

11年 名古屋控訴院部長

13年 大審院判事

昭和9年 会計検査官懲戒裁判所予備裁判官

12年 札幌控訴院長

こうしてみると、東京帝国大学法科卒、司法試験現役合格、東京初任、早期に検事となり司法省に転籍、外国視察というエリートコースが浮かんでくる。そしてもちろん、予審判事も、書記官も、エリートコースには出てこない。いうまでもなく予審判事も、書記官も、職制としては公判担当判事より下だ。石田和外判事自身、『私の履歴書』に「刑事裁判官の進路の一つだった予審掛を命ぜられ(た)」と記し、わざわざ「進路の一つ」と言い訳めいた形容詞を付していることからも、石田自身、予審判事への異動を左遷と認識していたことを窺わせる。

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2013年10月11日 (金)

顔認証について

108日、J-WAVEのMORNING VISIONという番組で、俳優の別所哲也さんと、電話で話をする機会があった。

話題は顔認証。

顔認証とは、カメラで人の顔を撮影すると、自動で誰かを認証するシステムである。既に、アルバム整理ソフトなどに導入されているが、撮影状態が良ければ、9割以上の確率で本人認識が可能だ。

顔認識のやり方は、目を中心とする顔の特徴点をとらえ、その位置関係をもとに本人を割り出す。目の位置は変えられないから、整形手術や多少の変装では、コンピューターを騙せない。現在は、防犯カメラ画像から指名手配犯人を捜したり、入国審査時に、テロリストやフーリガンを摘発する用途で実用化されている。

顔認証が社会に本格的に導入されれば、免許証やパスポート、会員権などが不要になる。文字通り「顔パス」になるのだ。印鑑や、預金通帳すら不要になるかもしれない。

しかし、よいことばかりではない。顔認証の浸透した社会は、全部顔パスの便利な社会かもしれないが、いつどこにいても監視される、重苦しい社会かもしれない。問題になるのはプライバシー権との関係だ。

トム・クルーズが主演した映画「マイノリティリポート」は、虹彩認証で市民を管理する監視社会が舞台だ。無実の罪を着せられ追われる身となった主人公は、ヤミで眼球を取り替える手術を受ける。だが、顔認証の場合、おいそれと顔を取り替えるわけにはいかない。まあ、眼球を取り替えるのも無理だが。

コンビニなどでは、客の顔画像から性別や年代を割り出し、マーケティングに使用するシステムが導入されている。こう聞くと気持ち悪がる人もいるかもしれないが、個人を特定しないので、法的には問題ない。

また、パチンコ店では、いわゆる「ゴト師」の顔を登録していて、店の防犯カメラに写ったら警報が発せられる仕組みを導入し始めている。

指名手配犯人を顔認証システムで追い詰めることは歓迎だが、トム・クルーズ演じた主人公のように、無実の罪を着せられないとも限らない。指名手配犯によく似ているというだけで、しょっちゅう警報を鳴らす人がいるかもしれない。反原発デモに参加した大学生が、当局によって顔を撮影されたために、就職の機会を失うかもしれない。

つまり、顔認証システムを導入するためには、プライバシー保護法制の整備が不可欠である。しかし、わが国のプライバシー保護法制は、欧州などに比べ、とても遅れている。個人が、不当に顔認証システムに登録されないように自衛する手段はほとんどない。せいぜい、ネットに不用意にプライバシー情報を公開しないことくらいしかないだろう。

だいたいこんなことを話した。それにしても、別所哲也さんは、ベテラン俳優だと思っていたが、年下だったのには驚いた。そこかい。

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2013年10月 9日 (水)

内藤頼博の理想と挫折(41)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

平沼騏一郎と内藤頼博(15)

「帝人事件」で被告人全員無罪の判決を出した藤井五一郎裁判長と、岸盛一補充判事は、判決の約2年後、蒙古連合自治政府司法部に転出した。これは左遷であり、無罪判決でメンツを潰された司法省による報復人事と思われる。

では、藤井五一郎裁判長の下、右陪席を務めた岡咲恕一判事と石田和外判事はどうか。

昭和15年に発行された『大日本司法大観』によると、岡咲恕一判事は、昭和1212月東京控訴院判事に、134月に「司法書記官 民事局勤務」となっている。昭和1212月は、16日に帝人事件無罪判決のあった年であること、岡咲判事はもともと民事畑の判事だったことから、同年12月の東京控訴院判事は、民事畑に戻るための「つなぎ」の人事とみるべきだ。したがって、考察の対象になるのは昭和134月の「司法書記官」への異動となる。

次に石田和外判事についてみると、『大日本司法大観』によれば、昭和8年東京地裁判事となったあと、「昭和169月東京刑事地裁部長」と記載されており、その間の異動がない。だが、『私の履歴書』(1972年)には、「藤井裁判長のもとで約三年半陪審判事を務めたのち、そのころ刑事裁判官の進路の一つだった予審掛を命ぜられ、約二年足らずで抜擢されて事実上の裁判長として公判へまわされ、やがて形のうえでも部長判事として正式に刑事第十部の裁判長となった。これは昭和十六年九月一日のことで、このとき私は39歳。今では思いもよらぬ若さであった」と述べている。

帝人事件の公判開始は昭和106月であり、藤井五一郎裁判長が蒙古連合自治政府に転出したのが昭和149月である。石田和外はこれに先立つ昭和13年末ころ、予審掛を命じられたことになる。そして、『私の履歴書』によれば「二年足らず」予審判事を務めたのち「事実上の裁判長に抜擢された」というのだから、昭和15年末ころまでが予審判事時代だったことになる。

さて問題は、岡咲恕一判事の「司法書記官 民事局勤務」と石田和外判事の「予審判事」とへの異動が、帝人事件で無罪判決を書いたことへの報復人事と言えるか、という点である。

正直なところ、この評価はとても難しいし、軽々にしてよいのか疑問もある。戦後の裁判所には相応する裁判官の地位がないので、現代裁判制度に引き直して考えるのも難しい。だが、結論からいえば、これらの人事は「報復人事」と評価してよいと考える。

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2013年10月 7日 (月)

ターミネーターはよいサラ・コナーとわるいサラ・コナーを見分けられるか?

926日のNHKクローズアップ現代は、「ロボット兵器が戦争を変える」と題して、進捗著しいロボット兵器に対して警鐘を鳴らしているが、ちょっと残念な内容だった。

番組が主として指摘した問題点は、遠隔操作性と自律性の2点だ。

遠隔操作性の代表として、米軍の無人機「プレデター」が登場し、テロとの戦いに戦果を挙げる一方、絶えない誤爆や、攻撃者と被攻撃者の極端な安全性の不均衡を指摘している。安全性の不均衡とは、被攻撃者はまるで無防備なのに、操縦者は米国本土のオフィスでコーヒーを飲みながらジョイスティックを操作している、ということだ。番組によれば、ある米軍退役軍人は、「勤務時間中」には戦争を「勤務時間外」にはデートをして、退役時には「君は1600人を殺した」と上司に褒められたと言う。

一方、自律性とは、攻撃するか否かを自分で判断する能力のことである。ロボット走行車を開発するイスラエルのメーカーの社長は、「技術的にはすぐにでも実現可能」と胸を張っていた。

全体として、「ロボット兵器とはなんて恐ろしい!」と訴えかける内容だが、「残念」と評価せざるを得ないのは、ピントがずれているからだ。

まず遠隔操作性だが、攻撃者と被攻撃者の安全性の不均衡や、誤爆の問題は、ロボット兵器に限った話ではないし、ロボット兵器に限って深刻ということもない。遠隔操作兵器とは、要するに「飛び道具」のことであって、そのもたらす攻撃者と被攻撃者の安全性の不均衡は、投擲器や投げ槍の発明、つまりは人類史と同じくらい昔から発生していた。誤爆も、航空爆撃やミサイルの登場とともに発生していた問題であって、ロボット兵器に特有の問題ではない。インタビューに答えたプレデターのもと操縦者は、テレビゲーム感覚で戦争をしてしまうと訴えていたが、弾道ミサイルの発射ボタンを押す兵士に比べれば、まだ、人間くさい戦争といえる。

次に自律性だが、これも、ロボット兵器に限った話ではない。自律性を持つ兵器とは、要するに「罠」のことであり、これもまた、人類史と同じくらい古い。近代兵器に限ってみても、地雷は典型的な自律兵器だが、普通はこれを「ロボット兵器」とは言わない。

つまり、番組が指摘するロボット兵器の恐ろしさや問題は、ロボット兵器特有のものではないし、今に始まった問題でもないし、ロボット兵器に限って深刻な問題でもないのだ。「ピントがずれている」と言ったのは、そういう意味である。

では、ロボット兵器の本当の問題は何か。それは、現在の技術水準では、攻撃対象識別能力に信用がおけない、という点にある。平たくいうと、そのロボット兵器が「敵」と「味方」と「第三者」を正確に識別して攻撃したりしなかったりすることが、完全には保証されていない、ということだ。味方に電子タグを持たせれば良いというかもしれないが、そのセンサーが正常に作動している保証はない。保証がないとなれば、そのロボットは、突然自分に発砲するかもしれない。これではひとりで歩き回る地雷や、頭のいかれた兵士や、猛獣が近くにいるようなものであり、剣呑この上ないのである。

軍の立場で見ても、いつ味方に発砲するか分からないロボット兵器では、同じ戦場に生身の兵士を投入できないことになる。民間人が多くいる市街や、自国民や同盟国民がいる可能性のある場所でも、ロボット兵器を使用できない。これでは戦争には使えない。逆説的だが、兵器の第一条件は、使用者にとって「安全」だということであり、ロボット兵器も例外ではない。完全自律型ロボット兵器の制式採用は、まだまだ先のことだろう。

番組では、「今年5月、国連の専門家は、人間の判断なしに攻撃を行うロボット兵器の開発は、凍結すべきだとする提言を出しました」と述べているが、提言のサマリーを読む限り、完全凍結ではなく、戦時国際法や交戦法規を遵守できるロボット兵器の開発を指向するものであって、NHKの指摘とはだいぶんニュアンスが異なるように思う。

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2013年10月 1日 (火)

ロイヤーズ・インターンシップのキックオフ・ミーティング

929日(日)、東京丸の内にて、ロイヤーズ・インターンシップのキックオフ・ミーティングが行われた。私も発案者の光栄を賜り、冒頭の挨拶を行ったので、そのとき話したことをやや要約して掲載する。風邪気味で声がつかえ、ぼろぼろになってしまったが、言いたかったことは下記のとおりであった。

やや驚いたのは、司法修習に行かないという司法試験合格者がいたこと。彼は20歳代半ばにして外国弁護士の資格を持ち、TOEICも超高得点で、司法試験も上位合格しているが、来春から商社に就職するという。私が宣伝しなくても、司法試験合格を履歴書の肥やしとしか考えない若者は、確実に増えているのだ。

 

                                      記

 

司法試験合格、おめでとうございます。

私は、大阪で小さな法律事務所を営む44期の弁護士です。本日は、ロイヤーズ・インターンシップの発案者として、冒頭の挨拶を務めることになりました。そこで、私がロイヤーズ・インターンシップを発案し、形になるまでの経緯について、お話をしたいと思います。

 

さて、私は、23年前に司法試験に合格し、その後は司法修習がはじまるまで、遊んで過ごしました。自分は裁判官か弁護士のどちらかになると信じて疑いませんでしたし、その未来が暗いなどとは、全く思っていませんでした。

しかし、皆さんの未来は、ご承知のとおり、決して明るいものではありません。まず、弁護士志望の方々には、就職難が待ち構えています。65期は、昨年12月の時点で、500人以上が弁護士登録できませんでした。弁護士業界が深刻な不況のため、新人を採用する体力を失っているのです。アベノミクスで景気が劇的に回復しない限り、今年も来年も、500人を超える未登録者が発生すると予想されます。弁護士登録できた人の中にも、待遇や評判の悪い「ブラック事務所」に無理して就職した人が多くいますし、廃業する若手弁護士も増えているといわれています。

裁判官、検察官に任官した人も、決して安泰とは言えません。例えば裁判所は、約100人の司法修習生を採用していますが、地方裁判所は、全国に54しかないのです。単純計算すれば、同期の中で地裁所長になれるのは半分ですが、地裁所長の任期は1年以上なので、2年としても確率は4分の1になります。

もちろん皆さんは、「所長になりたくて裁判官を目指すわけではない」というお考えでしょう。その意気は大いに結構です。しかし、私が言いたいのは、任官直後から、熾烈な出世競争が始まる、ということです。学歴社会で育ってきた皆さんには、しんどいことですよ。かといって、裁判官を辞めて弁護士になるという選択肢はほぼありません。弁護士になっても食えないからです。

 

こんなことになってしまったのは、一言でいうと、需要を遙かに上回るペースで、司法試験合格者を増やしてしまったからです。誰が増やしたかと言えば、「弁護士や法律家を増やせば増やしただけ、社会全体に正義が行き渡る」と考えた人たちです。今でこそ司法試験合格者を1500人以下にしろと言っている日弁連ですが、2000年当時は自ら3000人の旗を振っていたのです。その経緯を、日弁連に視点を置いて解説したのが、本日お配りした拙著『こんな日弁連に誰がした?』です。

でも、弁護士や法律家を増やせば増やすほど正義が行き渡るような、そんな単純な社会では、日本はないのです。民事裁判は一見増えたように見えますが、過払ブームが終われば激減します。刑事裁判も減ります。格差社会化により犯罪が増えることもあり得ますが、基本的には少子化で、犯罪者予備軍である若者が減るからです。端的に言えば、日本の司法には未来がないといって過言ではありません。

 

暗い話ばかりで申し訳ありません。

もちろん私は、君たちに未来はないと言うために、はるばる大阪から、日曜日に、自腹をきってやってきたわけではありません。

いま私は日本の司法には未来がないと言いました。しかし、君たちに未来がないとは思いません。未来がないのは、司法、すなわち最終的には裁判を使って紛争を解決するする国家制度だけです。君たちは、資格試験として最高峰といわれる司法試験の合格者です。地頭の良さはもちろん、事務処理能力や法的論理的思考に優れた能力を有する、最高レベルの人材です。先輩からいろいろと不景気な話を聞いていると思いますが、君たちは日本のトップエリートであることを、自信を持って、かつ謙虚に、自覚してほしいと思います。

 

では、最高レベルの人材である君たちが、なぜ、就職活動という社会人への第一歩で、躓かなければならないのでしょうか。そこには明らかに、需要と人材のミスマッチが発生しています。君たちは、優秀な人材であるにもかかわらず、受入先が十分には見つけられません。一方社会には、優秀な人材をほしいほしいと言っているのに、君たちの存在に気づいていないところがたくさんあります。この二つを引き合わせることはできないだろうか、と思いついたのが昨年の夏でした。そこで、このアイデアをNPO法人ドットジェイピーの佐藤大吾代表にお話ししたところ、すばらしい企画だから是非協力したいと言っていただき、民間部門はインテリジェンス様にバックアップをいただいて、本年からの開始にこぎ着けた次第です。

 

君たちは、民間企業と、国会議員の秘書と、在外公館にインターンシップに行くと伺いました。たった1ヶ月ですが、貴重な経験になることは疑いないと思います。是非、よい経験を積んで下さい。

 

私からお願いが3つあります。一つは、インターン先で、君たちがどのように評価されるかを、君たち自身で、見極めてほしいということです。インターン先は、司法試験合格者である君たちに対して、一定の敬意を払ってくれる筈です。他方、いつメッキがはがれるかと、観察されることもあるでしょう。その環境の中で、君たちにどれほどの市場価値があるのか、自信を持って挑戦してみて下さい。

二つめは、インターンシップを経験したうえで、ご自分の進路を、もう一度見つめ直してほしいということです。もちろん、司法修習生となり、法曹になるのも一つです。しかし、司法修習を終えた後、弁護士登録をせず、法曹以外の世界で活躍するのも、立派な一つの選択肢です。さらに、司法修習を受けないで就職するという選択肢もあります。1年の時間を使い、貸与金として300万円もの借金を増やし、数十万円の弁護士会入会金と、年60万円から100万円もの会費を支払って弁護士になる価値があるのか、よく考えていただきたいのです。それに、私の予想では、20年後には司法研修所はなくなっていますから、司法修習を受けなくても、将来は弁護士登録できるかもしれませんよ。

最後のお願いは、このインターンシップの経験を、来年受験する友人や後輩に話してほしい、そして、是非ロイヤーズ・インターンシップへの参加を勧めてほしい、ということです。2000人の司法試験合格者のうち、500人が参加してくれれば、日本の司法は変わる、と私は考えています。そうなれば、君たちは栄えある前衛を務めた一期生となります。

 

ご清聴ありがとうございました。君たちのこれからの経験が実り多きものとなることを祈念して、ご挨拶といたします。

 

 

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