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2013年10月21日 (月)

マイクつき監視カメラの合法性について

監視カメラ・防犯カメラの技術革新が進んできたようである。

アナログカメラからデジタルカメラに移行するのは当然として、高解像度・広視野・暗視機能などを備えるようになってきた。また、画像処理をサーバー側ではなく、個々のカメラが行うため、ネットワークにかかる負荷が軽減される機種も販売されている。

このような技術革新からすれば、マイクを備える監視カメラが登場するのも、当然といえよう。「マイクつき監視カメラ」で検索すると、多数の商品がヒットする。

だが、マイクつき監視カメラはかなり問題がある、と思う。

問題は二つある。

一つはプライバシー侵害の問題だ。

監視カメラが人のプライバシーを侵害する、という議論は、監視カメラ登場当初からあった。だが、店舗や公共の場所に設置してある監視カメラは、隠しカメラでないかぎり、撮影されている人の推定的承諾がある、との理屈で合法化することは一応可能だし、現に、多くの市民はあまり問題視していない。

だが、その監視カメラが、実はマイクを備えていて、撮影されている人の会話を録音しているとしたらどうだろうか。公共の場所や店舗で、監視カメラに撮影されていることは気にかけない人でも、会話を録音されていると知ったら、衝撃を受ける人は少なくないと思う。つまり、録音は、推定的承諾を受けないのである。

また、外見に比べ、会話は、プライバシー性が高い。平たくいえば、歩行者天国を恋人と歩く姿は撮られて差しつかえなくても、その恋人との会話は録音されたくない、というのが通常の感覚である。

したがって、監視カメラにつき属した録音機能は、よほどの正当性が無いかぎり、プライバシー権侵害を正当化することはできないと思う。

もう一つは萎縮効果の問題だ。

これも監視カメラとともに発生した問題だが、萎縮効果とは、撮影することによって特定の行動をやめさせる効果を言う。たとえば、学生が反原発デモに参加し、その様子が撮影されると、就職できなくなる危険があるから、参加しない、といった効果である(これはあくまで例であり、反原発デモに参加した学生が就職差別を受けているか否かは知らない)。このように、監視カメラは、犯罪に対する抑止効果だけではなく、適法な行動、特に政治的表現活動を萎縮させる効果があると指摘されている。

萎縮効果の問題は、プライバシーの問題とは違う。その差は、偽装カメラ(デコイ)において顕著となる。中身がない偽装カメラは、プライバシーを侵害しないが、そこにカメラがあると思う以上、萎縮効果はある。つまり案山子と同じである。また、隠しカメラは、プライバシーを侵害するが、「隠しカメラがある」ということを被撮影者が知らない限り、萎縮効果はない。しかし、「隠しカメラがあるが、どこにあるのかは分からない」となれば、プライバシー侵害は、カメラの画角内に限定されるが、萎縮効果はあらゆる場所に及ぶ。

ところで、監視カメラに内蔵されたマイクは、隠しカメラと同じ萎縮効果がある。もし、マイクつき監視カメラが広く普及し、集音性能が高まれば、人は、どこで会話をして良いか、分からなくなるかもしれない。まして、大きな声を出せば、どこの監視センターのアラームが鳴り響くか分からないから、ひそひそ声で会話をするようになるだろう。

かつて、監視カメラの普及が監視社会をもたらすと言われたが、実際にはそうでもなかった。だが、マイクつき監視カメラの普及は、もしかしたら本当に、監視社会をもたらすかもしれない。

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