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2013年11月18日 (月)

内藤頼博の理想と挫折(46)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

 

平沼騏一郎と内藤頼博(20)

 

東京帝国大学経済学部の学部長として、マルクス経済学派と対立していた河合栄治郎教授は、後年ファシズム批判の論陣を張り、大学を追放され(平賀粛学)、政府にも睨まれて出版法違反の罪に問われ、予審取調の後、石坂修一裁判長のもとで刑事裁判の被告人席に座った。河合は相次ぐ取調に辟易していたが、石坂裁判長の対応によって、法廷闘争に希望を見いだしたようである。

入江曜子『思想は裁けるか 弁護士海野晋吉伝』は、河合栄治郎事件を、次のように描写している。

 

第一回の公判は、予審で河合が述べた思想についての調書を裁判長が読みあげ、その細部についての質疑応答という型通りにおわった。しかし、すでに警視庁で一二回、検事局で一二回、さらに予審で一二回におよぶ取調を受けてきた河合としては、この調書に自分の真意が盛り込まれていないことを知って、重ねて法廷で陳述することに嫌気がさしたのであろう。

第二回の法廷の冒頭で昂然と言い切った。

「これから尋問事項についてお答えいたしますが、思想傾向を異にする人には理解されないかと思います」

この傲慢ともとれる発言にたいする石坂裁判長の対応は見事であった。

「この裁判は、被告の書かれた四冊の著書が法律に触れるか否かを判断するものであり、思想によって法律を左右するのではありません。躊躇することなく思うままを陳述するように」

この一言が河合に力をあたえた。海野もこの法廷に、信頼にあたいする手ごたえを感じた。この予感は、裁判が進行するにつれて実感となっていく。

 

河合栄治郎自身、「弁護人に於て幸福であったのみでなく、裁判長に於て亦幸福であった。石坂裁判長は正義に強い入のようである。然し謙遜で、少しも強がったり威張ったりすることはなかった。被告をして飽くまで語らしめようとされた。実際十二回の訊問で、私に分かったから簡単にとか、もうよろしいなどと言ったことは一度もなかった。兼平・三淵の両陪席判事の態度も熱心で気持がよかった。自分は今度の法廷を見て、法廷が日本で一番自由な空気だと思った。そして、旧本の司法官に敬意を表した。まだ日本にも頼もしいものがある」と絶賛した[1]

 

一方の石坂は、「個人としての印象は、そう印象のいい人ではないですよ。理屈っぽい人ですね。そして、自分の才能を鼻にかけるようなところがありましてね。個人的にはあまり感じがよくないですね[2]」と実も蓋もない言い方ながら、裁判については、「私は、どんどん審理してみて、これは無罪だと思いましたよ」と述懐している[3]。合議も無罪と決まり、3人で手分けをして判決文を起案した。そして、その最後には、石坂裁判長自身の筆による次の文言があるという。

「非違の嫌疑あるときはあくまでもこれを糾弾して可なり。しかれども法を適用するには常に仁義に立脚せざるべからず。いやしくも罰せられる者をして岡(あみ)せられたるの想いあらしめ、傍観する者をして国法が苛虐なりとの感を抱かしむるがごとき解釈は、我が国にいてはまさに避くべきものなりとす」

右陪席の兼平慶之助判事は、「石坂さんという人は、非常に漢学の素養がおありだったし、この結びなどは、石坂さんの面目躍如たるものがあると思う」と評価している[4]

 


[1] 河合栄治郎『公判の記』(河合栄治郎全集20176頁)

[2] しかし、石坂は特別弁護人であった木村健康をことのほか尊敬して事件後親交を結び、石坂の子である石坂昭三筑波大学教授の同級生であった小宮隆太郎東京大学教授を木村教授に紹介したという。

[3] 石坂豊一・修一追悼集257頁『あの人この人訪問記』より

[4] 石坂豊一・修一追悼集104

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