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2013年11月25日 (月)

内藤頼博の理想と挫折(47)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

平沼騏一郎と内藤頼博(21)

昭和13年(1938年)、ファシズム批判の論陣を張り出版法違反に問われた河合栄治郎東京帝国大学経済学部教授は、石坂修一裁判長のもとで、無罪判決を受けた。判決文で石坂裁判長は、刑罰法規の恣意的運用を厳しく諫めた。

しかし、この無罪判決は控訴審で敗れ、昭和161023日、罰金の有罪判決が下される(担当裁判官は小中公毅、八木田政雄、坂本英雄[1]であった(昭和161023)。さらに上告棄却で有罪判決は確定した。控訴審で有罪判決が出たとき、石坂は兼平裁判官宛の手紙に、「われらの判決敗れて土崩瓦解す」と記し、無念を露わにしたという[2]。大審院で河合栄治郎事件を裁いたのは、三宅正太郎であり、尾崎行雄の不敬事件では無罪判決を下しているが、河合栄治郎事件では有罪の控訴審判決を維持した。石坂自身は、大審院で有罪が維持された理由について、「(控訴審で)罰金になったしね」と述べている[3]

入江曜子『思想は裁けるか 弁護士海野晋吉伝』によると、東京高等裁判所の小中正毅裁判長は、当時人口に膾炙した超国家主義のスローガンを羅列して河合を断罪し、法廷の誰もが実刑判決を予測したその時、「罰金300円」との判決が下されたという。裁判所は、検事と河合、両方の顔を立てたのだ。

そして、一審判決を担当した石坂修一判事は姫路支部長に左遷された。

伊達秋雄判事は、「司法大臣柳川平助中将は、枢密院会議における同顧問官大島健一中将(当時の大島駐独大使の巌父)の、あのような裁判官(筆者注;石坂判事のこと)を東京地裁におくことはけしからんとの弾劾に動かされて、地方転出による昇給を理由として(石坂氏は二回試験の成績の理由もあって、後輩の佐藤藤佐氏や飯塚敏夫氏らよりもおくれ、2級俸にとどまっていたので)石坂氏を姫路に左遷させてしまったのである。…もし大臣を輔佐した三宅正太郎次官が、右の事情を知って大臣の処置に賛成されたとすれば、同氏は私どもが裁判官の模範として最も尊敬してきた人であるだけに、いかに時代の思潮というものが個人の行動に大きな影響を与え、その人の主体性を喪わせるものであるかと空恐ろしくなるのである」と述べている[4]


[1] 中田直人は『国民のための刑事法学 その理論と闘い』の中で、坂本英雄判事を、ファシズム礼賛の思想判事と厳しく弾劾しているが、左陪席であったことからして、河合栄治郎の有罪判決にどの程度影響したかにはやや疑問が残る。

[2] 石坂豊一・修一追悼集106

[3] 石坂豊一・修一追悼集258頁『あの人この人訪問記』より

[4] 伊達秋雄『退官の弁』判例時報263

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2013年11月20日 (水)

利用できるパーソナルデータと、できないパーソナルデータの境目

必要があって、総務省「パーソナルデータの利用・流通に関する研究会報告書」(平成256月)を読んでいるのだが、腑に落ちない点がある。

ライフログビッグデータという言葉が示すように、個人がビジネスや生活の過程で残す足跡をデータとして集積したとき、莫大な経済的価値を生むと期待されている。他方、これらのデータはプライバシーと直結しうるから、「パーソナルデータの利活用促進」と「プライバシー保護」との調整という、やっかいな問題が生じる。そこでこの報告書は、保護されるべきパーソナルデータとは何か、という問題について、次のように述べている(下線は筆者)。

******************************

保護されるパーソナルデータの範囲については、現行個人情報保護法と同様、個人識別性を有するものとすることが、基本的には妥当である。

ただし、個人識別性は実質的に判断される必要がある。実質的個人識別性を有するパーソナルデータ以外のパーソナルデータは、保護されるパーソナルデータにあたらず、自由に利活用できる。

具体的には、PCやスマホの端末ID、購買・貸出履歴、視聴履歴、位置情報等は実質的個人識別性がある。IPアドレスやクッキーは、グレー。国の統計情報など、再識別化不可能なデータは、保護されるパーソナルデータにあたらない。連結による再識別化の可能性がある匿名化されたパーソナルデータについても、適切なセーフガードを設定すれば、実質的個人識別性はないから、保護されるパーソナルデータにあたらない。

******************************

理解できた?理解し易いようにまとめたつもりだが、本文はもっとややこしい。平たくいうと、パーソナルデータには、保護されるべきものと、されなくてよいものがある。保護されるべきものは、本人の承諾などがなければ利用できない。ここまではよい。では、保護されるべきパーソナルデータと、そうでないものは、どうやって区別されるのか?

報告書は、「実質的」に判断される必要がある、というのである。

では「実質的」とはなにか?分からない。報告書には、ここが分水嶺だとも、こういう考え方で区別すべきとも、書いていない。つまりは、総務省に聞かなければ、あるいは裁判で白黒つけなければ、分からないのである。「連結による再識別化の可能性のある匿名化されたパーソナルデータ」については、「適切なセーフガードを設定する」との条件付きで、実質的個人識別性が無くなるという。だが、「適切」とは何かについては、何も書いていない。結局のところ、「使えるデータ」と「使えないデータ」の境界は、「実質的」とか「適切」とかいうあいまいな基準で分けられており、何が実質的で何が適切かは、データを分析する側には分からないこととなっている。

これでは、データの利活用を促進するという、この報告書の目的が泣くというものであろう。データの利活用を促進するなら、利用して良いデータと、悪いデータとを区別する基準は、一般社会人の常識に照らして、容易に判断できるものである必要がある。

夙に指摘されているとおり、ビッグデータの真価は、「トライアンドエラー」を重ねて経験値を集積することにある。様々な種類のデータを、とっかえひっかえ組み合わせては試し、組み合わせては試すところに、存在意義がある。その際、利用して良いのか悪いのか、判断のつかないデータがあれば、大半の日本人は、利用しないだろう。安全か危険か判断がつかないとき、安全側を選ぶのが、日本人の特質だからだ。その結果、利用できるデータの範囲は、とても狭くなる。実際、報告書も、自由に利活用できるパーソナルデータとして、「一般に公開されている国の統計情報」を挙げるのみだ。しかし、国の統計情報程度しかないなら、わが国ではビッグデータの利用はできません、と言っているのと同じことではないのだろうか。

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2013年11月18日 (月)

内藤頼博の理想と挫折(46)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

 

平沼騏一郎と内藤頼博(20)

 

東京帝国大学経済学部の学部長として、マルクス経済学派と対立していた河合栄治郎教授は、後年ファシズム批判の論陣を張り、大学を追放され(平賀粛学)、政府にも睨まれて出版法違反の罪に問われ、予審取調の後、石坂修一裁判長のもとで刑事裁判の被告人席に座った。河合は相次ぐ取調に辟易していたが、石坂裁判長の対応によって、法廷闘争に希望を見いだしたようである。

入江曜子『思想は裁けるか 弁護士海野晋吉伝』は、河合栄治郎事件を、次のように描写している。

 

第一回の公判は、予審で河合が述べた思想についての調書を裁判長が読みあげ、その細部についての質疑応答という型通りにおわった。しかし、すでに警視庁で一二回、検事局で一二回、さらに予審で一二回におよぶ取調を受けてきた河合としては、この調書に自分の真意が盛り込まれていないことを知って、重ねて法廷で陳述することに嫌気がさしたのであろう。

第二回の法廷の冒頭で昂然と言い切った。

「これから尋問事項についてお答えいたしますが、思想傾向を異にする人には理解されないかと思います」

この傲慢ともとれる発言にたいする石坂裁判長の対応は見事であった。

「この裁判は、被告の書かれた四冊の著書が法律に触れるか否かを判断するものであり、思想によって法律を左右するのではありません。躊躇することなく思うままを陳述するように」

この一言が河合に力をあたえた。海野もこの法廷に、信頼にあたいする手ごたえを感じた。この予感は、裁判が進行するにつれて実感となっていく。

 

河合栄治郎自身、「弁護人に於て幸福であったのみでなく、裁判長に於て亦幸福であった。石坂裁判長は正義に強い入のようである。然し謙遜で、少しも強がったり威張ったりすることはなかった。被告をして飽くまで語らしめようとされた。実際十二回の訊問で、私に分かったから簡単にとか、もうよろしいなどと言ったことは一度もなかった。兼平・三淵の両陪席判事の態度も熱心で気持がよかった。自分は今度の法廷を見て、法廷が日本で一番自由な空気だと思った。そして、旧本の司法官に敬意を表した。まだ日本にも頼もしいものがある」と絶賛した[1]

 

一方の石坂は、「個人としての印象は、そう印象のいい人ではないですよ。理屈っぽい人ですね。そして、自分の才能を鼻にかけるようなところがありましてね。個人的にはあまり感じがよくないですね[2]」と実も蓋もない言い方ながら、裁判については、「私は、どんどん審理してみて、これは無罪だと思いましたよ」と述懐している[3]。合議も無罪と決まり、3人で手分けをして判決文を起案した。そして、その最後には、石坂裁判長自身の筆による次の文言があるという。

「非違の嫌疑あるときはあくまでもこれを糾弾して可なり。しかれども法を適用するには常に仁義に立脚せざるべからず。いやしくも罰せられる者をして岡(あみ)せられたるの想いあらしめ、傍観する者をして国法が苛虐なりとの感を抱かしむるがごとき解釈は、我が国にいてはまさに避くべきものなりとす」

右陪席の兼平慶之助判事は、「石坂さんという人は、非常に漢学の素養がおありだったし、この結びなどは、石坂さんの面目躍如たるものがあると思う」と評価している[4]

 


[1] 河合栄治郎『公判の記』(河合栄治郎全集20176頁)

[2] しかし、石坂は特別弁護人であった木村健康をことのほか尊敬して事件後親交を結び、石坂の子である石坂昭三筑波大学教授の同級生であった小宮隆太郎東京大学教授を木村教授に紹介したという。

[3] 石坂豊一・修一追悼集257頁『あの人この人訪問記』より

[4] 石坂豊一・修一追悼集104

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2013年11月15日 (金)

医療過誤訴訟と『善きサマリア人の法』について

1113日の毎日新聞朝刊に、埼玉県済生会栗橋病院院長輔佐の本田宏氏による『善きサマリア人の法 医療事故調査報告書は非開示に』とする主張が掲載されていた(もとネタはこちらのようである)。

「善きサマリア人の法」とは、出典により多少の違いはあるが、本田氏によると、「災難に遭った人や急病人を救うため、緊急で善意の行動をとった場合、『良識的かつ誠実にできることをしたのなら、たとえ失敗しても、その結果に責任を問われない』とすることで、その場に居合わせた人による傷病者の救護を促進しようという考え方」とのことである。本田氏によれば、米国やカナダでは、この概念を現実化した法律が成立しており、2005年(平成17年)に成立した「患者安全と質改善法」により、医療事故調査で得られた資料は、航空機事故調査資料と同様、秘密とされ、訴訟での使用が禁じられているし、WHOもこれを推奨しているという。

そして本田氏は、日本では『善きサマリア人の法』は立法の予定がなく、医療事故調査結果は訴訟での使用が可能となっており、このままではわが国の「医療崩壊が加速」するとして、政府に対し、米加の制度の導入を求めている。

この主張の論理は正しいだろうか。

まず、数字の話をしよう。

最高裁判所の統計によれば、わが国の医療過誤訴訟の新受件数は、平成16年(2004年)の1110件をピークに減少に転じ、平成24年には793件となっている。

一方、このブログによれば、「善きサマリア人の法」が存在する米国では、2009年(平成21年)時点で結審し、医師に何らかの支払が生じた医療訴訟の数が10772件であり、ここから逆算すると、提起された訴訟件数は35000件を超えることになる。

米国では1970年代以降、医療過誤訴訟の頻発と賠償額の高騰が社会問題となり、様々な制度改革が行われた。その結果、米国の医療過誤訴訟は減少し、上記ブログによると、10年間で約3分の2に減ったという。

それでも年35000件の提訴件数は、わが国の40倍を超える。勝訴率や賠償額についての資料はないが、私は、米国の方がどちらも高いと推察する。

では米国の医療は崩壊したのだろうか?米国の40分の1の訴訟件数で医療崩壊の警鐘が鳴るくらいなら、米国の医療制度はとっくの昔に崩壊していなければならない。だが、医療危機の声はすれど、崩壊したという話は聞かない。

次に、本田氏が「善きサマリア人の法」と主張される「患者安全と質改善法」について、述べておきたい。

私は、この法律そのものに関する知見を持たないが、並べて紹介されている航空機事故調査の方は少し知っている。肝心な点は、航空機事故調査資料が秘密とされたり、ヒヤリハット経験を申告した操縦士等が保護されたりするのは、将来の同種事故を防ぐため、という点だ。いいかえるなら、航空機事故調査資料が秘密とされるのは、機長を「善きサマリア人」とみなして免責するためではない。もし、機長が過ちを告白しても一切責任を問われないなら、『フライト』というハリウッド映画は成立しない(そもそもこの映画では、事故調査委員会の調査資料が機長の責任追及の証拠に使われていたように思うが)。

そこから類推する限り、「患者安全と質改善法」の目的も、同種事故の防止であって、医師の免責ではない。この法律は、「善きサマリア人の法」ではないと思う。念のためお断りしておくが、私は医師に「善きサマリア人の法」が不要だと主張しているのではない。

もちろん、目的がどうであれ、医療事故調査報告書の訴訟での使用が禁止されているのは事実なのだろう。だが、米国の訴訟制度では、患者側が医療機関側の資料を収集する制度が、日本とは段違いに充実している。だから、医療事故調査報告書を証拠に使えないからといって、日本よりも患者が訴訟上不利になるわけではない。そのことは、日本の40倍以上という医療過誤訴訟件数が証明している。

本田氏は米国の制度を見習えと主張するが、医療過誤訴訟件数を40倍に増やせ、と言っているのではあるまい。それならば、彼我の実情を無視して、一つの制度についてだけ、米国の制度に従え、でないと医療崩壊が加速する、と主張するのは、いかがなものであろうか。

とはいえ、かくいう日本の弁護士も、かつておんなじような論理を振り回して、結果として自分の首を絞めているんだけどね。その話はまた別の機会に。

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2013年11月11日 (月)

たたかえジンケンマン

ジンケンマンは悩んでいました。

「みんなの幸せのため、こんなにたたかっているのに、なぜみんなは僕を好きになってくれないのだろう」

「修行が足りないにちがいない」

ジンケンマンは、福岡の山で修行して、必殺わざの「当番パンチ」を編みだしました。

「パンチのエネルギーはどうやって補充するのですか?」

新聞記者の質問に、ジンケンマンは、自分の顔をむしり取って、食べました。

「なんとすばらしい奉仕の精神だろう」

フラッシュの雨の中で、ジンケンマンは幸せでした。

ジンケンマンは人気者になりました。「ひまわりパンチ」とか、「こうせつパンチ」などの必殺わざを、次々とあみだしました。

エネルギーが足りなくなったときは、自分の顔をむしり取って食べました。

ジンケンマンの顔は、どんどん小さくなっていきました。

「パン屋さん、新しい顔に取りかえてくれませんか?」

パン屋さんはこたえました。

「すまんが、パン生地が足りないのだ。いま、ジンケンマンジュニアをたくさん作っていてね。せかいのすみずみに、ジンケンマンジュニアを送り込むためさ」

「ジンケンマンジュニア!すばらしいですね」

ジンケンマンは目を輝かせました。

「ぼくも、がんばらなくっちゃ」

そう言うと、ジンケンマンは、顔の一部をむしり取って食べてから、飛んでいきました。

「がんばってねー」

子どもたちが叫びました。でも、パン屋さんは、首を振りながら言いました。

「言っても無駄だよ。ジンケンマンは今、自分の耳を食べたから、もう何も聞こえないんだ。いまに脳みそも食べつくすだろう」

「かわいそう。ジンケンマン、死んじゃうの?」

パン屋さんはこたえました。

「ジンケンマンは死なない。成仏するんだ」

ジンケンマンの飛び去った空を、夕日が赤く染めていました。

おしまい

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2013年11月 7日 (木)

自動車の運転支援技術と事故の法的責任について

1023日のNHK「クローズアップ現代」は、『ここまできた自動運転 社会はどう変わるのか』と題して、次世代の自動車運転技術を取り上げていた。自動車のロボット化は、完全自動運転の実用化を視野に置きつつある。ゲストの新誠一電気通信大学教授によれば、今やガソリン車でさえ価格の4割が電子部品であり、自動車の電気製品化は今後ますます進化するだろうという。

番組が取り上げていたのは、Google carのような「完全自動運転車」と、日本のメーカーが開発にしのぎを削っている「運転支援技術」だ。このうち、完全自動運転車については、日本の公道を走るためには法整備が不可欠であることはすでに触れた

そこで、今回は運転支援技術について考えてみたい。

Googleが完全自動運転を目指しているのに対し、日本のメーカーが運転支援技術の開発に注力しているのは、技術的な問題もあろうが、法整備を必要としないから実用化が早い、と考えている節もある。

確かに、運転支援技術を装備した自動車が公道を走るについて、新たな法律が必要、ということはない。

だが、法整備を必要としないからといって、法的問題がないわけではない。むしろ、運転支援技術を搭載した自動車の事故の方が、法的には難しい問題を提起するように思う。なぜなら、完全自動運転車の場合、運転ミスの責任が搭乗者にないことは明らかだが(だって運転していないんだし)、運転支援技術搭載車の場合、責任の配分という、やっかいな問題が発生するからである。

たとえばトヨタが研究開発する高速道路の自動運転技術は、実用化ほぼ可能の段階まで来ている。放送を見る限り、技術的には完璧であり、運転席に人が座る必要すら感じられない。だが、現行法上は、運転席が無人であることは許されない。あくまで運転「支援」技術である以上、運転するのはあくまで人、というのが法の建前だからだ。

しかし、たとえば高速道路走行中に何らかの異常が起き、直ちに手動で対応すれば事故を避けられたにもかかわらず、運転手が寝ていたため事故になったという場合、法的には誰がどの程度責任を負うのだろうか。

トヨタは、全部運転者の責任、というつもりだろう。だが、運転席に座って車を監視しなさい、でも運転する必要はありませんといわれて、退屈のあまり寝てしまった人は、事故の責任を100%負って当然なのだろうか?

端的に説明するのは難しいけれども、そのような考え方は、人間を馬鹿にしていると思う。法律家の直感としては、メーカーも一定の法的責任を負うことにしないと、とてもバランスが悪い。

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2013年11月 5日 (火)

内藤頼博の理想と挫折(45)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

平沼騏一郎と内藤頼博(19)

石坂修一の任官は大正8年であり、藤井五一郎の一年後輩にあたる。昭和10年の帝人事件では、機械的に配点されず、藤井に裁判長の白羽の矢が立った。これに対して石坂修一がなぜ河合栄治郎事件(昭和15年)の担当裁判長になったかについては、記録がなく、分からない。

但し、陪席裁判官の兼平慶之助と三淵乾太郎は、河合栄治郎事件を担当するために異動させられている。兼平は、「(石坂裁判長の)部に行ってみたら、河合事件があるというので、唖然とした。とても僕には、と言ったら、石坂さんに、逃げる奴があるか、と一喝された」と述懐しているし、当時東京民事地方裁判所にいた三淵乾太郎は、「二年でいいから刑事に行ってこい、と言われて刑事に行き、石坂さんの部にやられたら河合事件が配点になっていた。正直言って、とんでもないところに来たものだと思ったね」と述べている[1]

兼平慶之助と三淵乾太郎を河合栄治郎事件に配点した当時の東京刑事地方裁判所長は島保。昭和22年から35年まで最高裁判所判事を務めたが、河合栄治郎事件への関与については記録がなく、帝人事件における三宅正太郎東京地方裁判所長(当時)の関与に比べ、地味な印象がある。

1回公判は昭和15423日、結審は723日、その間十数回の公判を行って、107日に判決がなされた。判決まで半年以内というスピード審理は、当時としても珍しかったようである[2]

スピード審理であったにもかかわらず、二人の陪席裁判官が口を揃えて難事件だという理由は、事実認定で大半の決着がつく通常の刑事事件と異なり、基本的な事実関係には争いなく、専ら、出版物に記載された文言の法的評価が問題となる事件だった点にある。

もちろん、極めて政治色の強い事件であったことも、「難しい」と言わしめた一因であろう。


[1] 石坂豊一・修一追悼集 金隆史『石坂裁判官の追憶』99

[2] 石坂豊一・修一追悼集 金隆史『石坂裁判官の追憶』100

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2013年11月 1日 (金)

三権分立ではなく三権対立である

最高裁判所大法廷は9月、民法の婚外子相続分の規定は憲法違反であると判断したが、政府与党では、民法改正に抵抗する声が強いらしい。

報道によれば、自民党の保守系有志議員から、「家族制度が壊れる」「正妻の子と愛人の子を同じ扱いにしていいのか」との異論が噴出した、とのことである。

法曹関係者や法律家の間では、保守系有志に対する批判が強い。町村教授は、国会議員の思い上がりだと、厳しく批判している。

私も弁護士の端くれであり、司法に属する人間だから、最高裁の判断に、国会が従ってくれたらよいと思う。だが一方、国会議員の反応が間違っているとは思わない。じゃあどういうことかというと、こういうことである。

日本国憲法上、最高裁判所は、「一切の法律…が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所」(81条)であり、かつ、司法権は裁判所が独占しているから(76条)、最高裁大法廷が婚外子差別規定を憲法違反と判断した以上、今後の裁判は全て、該当条文は違憲無効として取り扱われる。

では、国会がこの条文を改廃する法的義務を負うかというと、憲法には、そうは書いていない。憲法41条は、「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」と定めている。唯一の立法機関ということは、法律の制定改廃について、他のいかなる機関の指図にも従わないということだから、最高裁判所が無効と判断したからといって、改廃義務はない。つまり、国会は、最高裁の違憲判決が気に入らなければ、法律の改廃を拒絶し続けても、憲法上は問題がない。一方では、裁判所は、最高裁の判断に従い、当該法律が無効であることを前提とした判決を出し続けることになる。

それでは、国会と裁判所が意地を張り続けたらどうなるか。憲法上は、国会が勝つのである。なぜなら憲法は、国会が内閣を信任し、内閣は最高裁判所裁判官を指名または任命すると定めているからだ(62項、791項)。つまり内閣は、気に入らない最高裁判所裁判官を更迭できないが、誰を任命するかは自由だ。最高裁判事の首を順次すげ替えていって、婚外子差別が妥当と思う裁判官が最高裁判所の過半数を占めれば、大法廷で憲法判断を覆し、差別規定を復活させることができる。

最後は国会が勝つ、というのが、憲法の決めたルールなのである。それが、憲法が国会を「国権の最高機関」と定めた趣旨なのだ。

われわれは中学校で、このような制度の名前は「三権分立」だと教えられた。だが、「分立」では、三権それぞれが「分かれて立って」いて、互いに干渉しないような印象がある。しかし、憲法の定めはそうではない。三権それぞれが、互いに牽制しあい、衝突し合う制度なのである。「三権分立」と教えるより、「三権対立」と教えた方がよいのである。最高裁が決めたら国会は無条件に従う、という大人しい関係ではなく、互いに喧嘩し合う関係こそ、憲法上は健康なのである。特に、議院内閣制のため行政と国会の対立が表に出にくい日本の場合、喧嘩が期待されているのは司法と行政、そして司法と国会の間なのだ。

そして、最後に勝つのは国会であり、国会議員を決めるのは、われわれ国民なのである。これが、憲法の定める三権分立(対立)と民主主義のカタチなのである。

結局のところ婚外子問題はどうなるかって?国会は、最高裁判決が気にくわないなら、とことん反発したらよろしい。最高裁も、どんどん違憲判決を出したらよい。最後には国会が勝つ。ということは、国会議員を選ぶわれわれこそ、国政の最終決定権を持つ、ということなのだ。

 

 

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