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2013年11月 7日 (木)

自動車の運転支援技術と事故の法的責任について

1023日のNHK「クローズアップ現代」は、『ここまできた自動運転 社会はどう変わるのか』と題して、次世代の自動車運転技術を取り上げていた。自動車のロボット化は、完全自動運転の実用化を視野に置きつつある。ゲストの新誠一電気通信大学教授によれば、今やガソリン車でさえ価格の4割が電子部品であり、自動車の電気製品化は今後ますます進化するだろうという。

番組が取り上げていたのは、Google carのような「完全自動運転車」と、日本のメーカーが開発にしのぎを削っている「運転支援技術」だ。このうち、完全自動運転車については、日本の公道を走るためには法整備が不可欠であることはすでに触れた

そこで、今回は運転支援技術について考えてみたい。

Googleが完全自動運転を目指しているのに対し、日本のメーカーが運転支援技術の開発に注力しているのは、技術的な問題もあろうが、法整備を必要としないから実用化が早い、と考えている節もある。

確かに、運転支援技術を装備した自動車が公道を走るについて、新たな法律が必要、ということはない。

だが、法整備を必要としないからといって、法的問題がないわけではない。むしろ、運転支援技術を搭載した自動車の事故の方が、法的には難しい問題を提起するように思う。なぜなら、完全自動運転車の場合、運転ミスの責任が搭乗者にないことは明らかだが(だって運転していないんだし)、運転支援技術搭載車の場合、責任の配分という、やっかいな問題が発生するからである。

たとえばトヨタが研究開発する高速道路の自動運転技術は、実用化ほぼ可能の段階まで来ている。放送を見る限り、技術的には完璧であり、運転席に人が座る必要すら感じられない。だが、現行法上は、運転席が無人であることは許されない。あくまで運転「支援」技術である以上、運転するのはあくまで人、というのが法の建前だからだ。

しかし、たとえば高速道路走行中に何らかの異常が起き、直ちに手動で対応すれば事故を避けられたにもかかわらず、運転手が寝ていたため事故になったという場合、法的には誰がどの程度責任を負うのだろうか。

トヨタは、全部運転者の責任、というつもりだろう。だが、運転席に座って車を監視しなさい、でも運転する必要はありませんといわれて、退屈のあまり寝てしまった人は、事故の責任を100%負って当然なのだろうか?

端的に説明するのは難しいけれども、そのような考え方は、人間を馬鹿にしていると思う。法律家の直感としては、メーカーも一定の法的責任を負うことにしないと、とてもバランスが悪い。

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コメント

「何らかの異常が起き」がPL法上の欠陥に該当しないことを前提にしますが、「運転席に座って車を監視しなさい、でも運転する必要はありませんといわれて、退屈のあまり寝てしまった」ことを根拠にメーカーにも責任を負わせるのは法律構成として無理筋だと思います。

例えば、信号機もなく、延々とまっすぐに進む道路上を運転していて眠くなって事故を起こした場合(この場合も運転行為としては殆どすることはなく、監視に近い状態です。)、眠くなるような変化のない道路をつくった国にも責任を負担させるべきかと言えば、そうはならないはず。

監視状態で眠くなったのであれば、その時点でそもそも手動に切り替えて運転するのが道具を扱う者の心得であり、それを怠った以上は、運転者が責任を全面的に負うのはむしろ当然だと思いますがね。

道具の副作用を根拠に直ちに製造者に責任を負わせるのは、単なる結果責任です。

投稿: | 2013年11月 7日 (木) 00時59分

そんな運転支援装置なら,ない方がいいですね。

投稿: | 2013年11月16日 (土) 17時27分

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