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2013年11月 1日 (金)

三権分立ではなく三権対立である

最高裁判所大法廷は9月、民法の婚外子相続分の規定は憲法違反であると判断したが、政府与党では、民法改正に抵抗する声が強いらしい。

報道によれば、自民党の保守系有志議員から、「家族制度が壊れる」「正妻の子と愛人の子を同じ扱いにしていいのか」との異論が噴出した、とのことである。

法曹関係者や法律家の間では、保守系有志に対する批判が強い。町村教授は、国会議員の思い上がりだと、厳しく批判している。

私も弁護士の端くれであり、司法に属する人間だから、最高裁の判断に、国会が従ってくれたらよいと思う。だが一方、国会議員の反応が間違っているとは思わない。じゃあどういうことかというと、こういうことである。

日本国憲法上、最高裁判所は、「一切の法律…が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所」(81条)であり、かつ、司法権は裁判所が独占しているから(76条)、最高裁大法廷が婚外子差別規定を憲法違反と判断した以上、今後の裁判は全て、該当条文は違憲無効として取り扱われる。

では、国会がこの条文を改廃する法的義務を負うかというと、憲法には、そうは書いていない。憲法41条は、「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」と定めている。唯一の立法機関ということは、法律の制定改廃について、他のいかなる機関の指図にも従わないということだから、最高裁判所が無効と判断したからといって、改廃義務はない。つまり、国会は、最高裁の違憲判決が気に入らなければ、法律の改廃を拒絶し続けても、憲法上は問題がない。一方では、裁判所は、最高裁の判断に従い、当該法律が無効であることを前提とした判決を出し続けることになる。

それでは、国会と裁判所が意地を張り続けたらどうなるか。憲法上は、国会が勝つのである。なぜなら憲法は、国会が内閣を信任し、内閣は最高裁判所裁判官を指名または任命すると定めているからだ(62項、791項)。つまり内閣は、気に入らない最高裁判所裁判官を更迭できないが、誰を任命するかは自由だ。最高裁判事の首を順次すげ替えていって、婚外子差別が妥当と思う裁判官が最高裁判所の過半数を占めれば、大法廷で憲法判断を覆し、差別規定を復活させることができる。

最後は国会が勝つ、というのが、憲法の決めたルールなのである。それが、憲法が国会を「国権の最高機関」と定めた趣旨なのだ。

われわれは中学校で、このような制度の名前は「三権分立」だと教えられた。だが、「分立」では、三権それぞれが「分かれて立って」いて、互いに干渉しないような印象がある。しかし、憲法の定めはそうではない。三権それぞれが、互いに牽制しあい、衝突し合う制度なのである。「三権分立」と教えるより、「三権対立」と教えた方がよいのである。最高裁が決めたら国会は無条件に従う、という大人しい関係ではなく、互いに喧嘩し合う関係こそ、憲法上は健康なのである。特に、議院内閣制のため行政と国会の対立が表に出にくい日本の場合、喧嘩が期待されているのは司法と行政、そして司法と国会の間なのだ。

そして、最後に勝つのは国会であり、国会議員を決めるのは、われわれ国民なのである。これが、憲法の定める三権分立(対立)と民主主義のカタチなのである。

結局のところ婚外子問題はどうなるかって?国会は、最高裁判決が気にくわないなら、とことん反発したらよろしい。最高裁も、どんどん違憲判決を出したらよい。最後には国会が勝つ。ということは、国会議員を選ぶわれわれこそ、国政の最終決定権を持つ、ということなのだ。

 

 

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コメント

正妻の子も愛人の子も、同じ父親から受けられるであろう権利を同等に扱う事のどこがいけないのか。
愛人の子というだけで、差別されなくてはいけないのか。
家庭がありながら、別所帯をもつほど経済力があるのだから、正妻、愛人関係なく、平等にすべき。
経済力もないくせに愛人などもつのは、言語道断。
昔の男は、どちらの家庭も過不足なく渡り歩いたものだ。
私の父がその見本だ。

投稿: はるな | 2014年3月15日 (土) 10時15分

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