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2013年11月15日 (金)

医療過誤訴訟と『善きサマリア人の法』について

1113日の毎日新聞朝刊に、埼玉県済生会栗橋病院院長輔佐の本田宏氏による『善きサマリア人の法 医療事故調査報告書は非開示に』とする主張が掲載されていた(もとネタはこちらのようである)。

「善きサマリア人の法」とは、出典により多少の違いはあるが、本田氏によると、「災難に遭った人や急病人を救うため、緊急で善意の行動をとった場合、『良識的かつ誠実にできることをしたのなら、たとえ失敗しても、その結果に責任を問われない』とすることで、その場に居合わせた人による傷病者の救護を促進しようという考え方」とのことである。本田氏によれば、米国やカナダでは、この概念を現実化した法律が成立しており、2005年(平成17年)に成立した「患者安全と質改善法」により、医療事故調査で得られた資料は、航空機事故調査資料と同様、秘密とされ、訴訟での使用が禁じられているし、WHOもこれを推奨しているという。

そして本田氏は、日本では『善きサマリア人の法』は立法の予定がなく、医療事故調査結果は訴訟での使用が可能となっており、このままではわが国の「医療崩壊が加速」するとして、政府に対し、米加の制度の導入を求めている。

この主張の論理は正しいだろうか。

まず、数字の話をしよう。

最高裁判所の統計によれば、わが国の医療過誤訴訟の新受件数は、平成16年(2004年)の1110件をピークに減少に転じ、平成24年には793件となっている。

一方、このブログによれば、「善きサマリア人の法」が存在する米国では、2009年(平成21年)時点で結審し、医師に何らかの支払が生じた医療訴訟の数が10772件であり、ここから逆算すると、提起された訴訟件数は35000件を超えることになる。

米国では1970年代以降、医療過誤訴訟の頻発と賠償額の高騰が社会問題となり、様々な制度改革が行われた。その結果、米国の医療過誤訴訟は減少し、上記ブログによると、10年間で約3分の2に減ったという。

それでも年35000件の提訴件数は、わが国の40倍を超える。勝訴率や賠償額についての資料はないが、私は、米国の方がどちらも高いと推察する。

では米国の医療は崩壊したのだろうか?米国の40分の1の訴訟件数で医療崩壊の警鐘が鳴るくらいなら、米国の医療制度はとっくの昔に崩壊していなければならない。だが、医療危機の声はすれど、崩壊したという話は聞かない。

次に、本田氏が「善きサマリア人の法」と主張される「患者安全と質改善法」について、述べておきたい。

私は、この法律そのものに関する知見を持たないが、並べて紹介されている航空機事故調査の方は少し知っている。肝心な点は、航空機事故調査資料が秘密とされたり、ヒヤリハット経験を申告した操縦士等が保護されたりするのは、将来の同種事故を防ぐため、という点だ。いいかえるなら、航空機事故調査資料が秘密とされるのは、機長を「善きサマリア人」とみなして免責するためではない。もし、機長が過ちを告白しても一切責任を問われないなら、『フライト』というハリウッド映画は成立しない(そもそもこの映画では、事故調査委員会の調査資料が機長の責任追及の証拠に使われていたように思うが)。

そこから類推する限り、「患者安全と質改善法」の目的も、同種事故の防止であって、医師の免責ではない。この法律は、「善きサマリア人の法」ではないと思う。念のためお断りしておくが、私は医師に「善きサマリア人の法」が不要だと主張しているのではない。

もちろん、目的がどうであれ、医療事故調査報告書の訴訟での使用が禁止されているのは事実なのだろう。だが、米国の訴訟制度では、患者側が医療機関側の資料を収集する制度が、日本とは段違いに充実している。だから、医療事故調査報告書を証拠に使えないからといって、日本よりも患者が訴訟上不利になるわけではない。そのことは、日本の40倍以上という医療過誤訴訟件数が証明している。

本田氏は米国の制度を見習えと主張するが、医療過誤訴訟件数を40倍に増やせ、と言っているのではあるまい。それならば、彼我の実情を無視して、一つの制度についてだけ、米国の制度に従え、でないと医療崩壊が加速する、と主張するのは、いかがなものであろうか。

とはいえ、かくいう日本の弁護士も、かつておんなじような論理を振り回して、結果として自分の首を絞めているんだけどね。その話はまた別の機会に。

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