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2014年3月10日 (月)

内藤頼博の理想と挫折(54)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

 

平沼騏一郎と内藤頼博(28)

 

戦後を代表する最高裁判所長官の一人である石田和外(明治36520日-昭和5459日)は、福井県に生まれ、旧制一高から一浪して東京帝国大学に入学し、大正15年に司法科試験に合格、昭和2年に任官している。初任が福島地方裁判所、次が長野という赴任地から推して、司法試験と二回試験の成績が芳しくなかったことは間違いないと思われる。ところが、昭和10年、帝人事件を担当した藤井五一郎裁判長の陪席判事に抜擢されたことが、その後の石田の運命を大きく変える最初の転機になった。

藤井によれば、石田を陪席に指名したのは当時の三宅正太郎所長であったという[1]。三宅正太郎所長としては、平沼騏一郎の政治的策謀と噂され、司法に対する政治介入の危険が極めて大きかった帝人事件の担当裁判官として、試験成績の良し悪しではなく、いかなる政治的圧力にも左右されない剛胆な精神の持主を選任したのである。石田和外の精神の剛胆さは、その生い立ちと剣道によって培われたものである。

福井藩士の家に生まれた石田は、祖父石田磊が福井第九十二国立銀行の初代頭取、福井市議会議長等を務めたものの、父親が早世し、経済的に困窮する中、猛勉強で旧制一高に合格する。一高では、剣道に熱中し、佐々木保藏に師事して、その娘恭子と昭和6年に結婚し、一高撃剣部の主宰を継いだ。ちなみに、後に石田の最高裁入りと深く関わることになる木村篤太郎もと司法大臣(後の検事総長)は、佐々木保藏の友人であり、その関係で石田とは知り合いであったと述べる[2]。第一生命地下4階道場での毎週1回の朝稽古は、GHQによる接収期間を除き、その前後40年間、欠かすことなく続けられたという。退官後の昭和493月、に木村篤太郎の後任として全日本剣道連盟会長に、一刀正伝無刀流の第五代宗家を務めているから、剣道の腕は相当なものだったのだろう。

石田自身は、剣道の極意について「どこまでも正々堂々、充実した満身の気迫をもって相手と相対し、あるいは相手のひるむところ、あるいは相手が仕掛けてくるその出はなを、真正面から正しく打ち込むこと。そのためには相打ちとなることも辞せぬ」と述べている[3]

いつから呼ばれたか、あだ名はトラフグ。そのココロは、一見愛嬌があるが、呑んでかかると命を取られる[4]

その剛胆さ、ブレのなさを示すエピソードは数多いが、戦前のものとしては、平沼騏一郎首相暗殺未遂事件(昭和16年8月14日)を担当した昭和1812月、東條首相の宿敵である中野正剛代議士に対する証人尋問を行った際、軍側が裁判非公開を強く求めたが、石田裁判長は最後まで認めず、裁判公開の原則を貫いた、という[5]。平沼騏一郎に関わる事件を二度も担当したばかりか、二度目もまた、首相の権威や軍の圧力を全く意に介しない、この胆のすわりかたは尋常ではない。

中野次雄判事(明治43年-平成11年)は、司法修習生時代、当時の三宅正太郎東京刑事地方裁判所所長より「どの部長も石田和外君を陪席にほしがる。諸君も二回試験のことなど心配せずに、石田君のような裁判官になるように心掛けなければいけない」と諭されたことがある、と述懐している[6]

帝人事件での無罪判決後、石田は東京地裁の予審判事へ異動した後、2年足らずで「事実上の部長職」へ抜擢される。つまりこの出世は、平沼騏一郎や司法省に配慮した微温的な降格人事とワンセットの昇格であり、これを差配したのは、確証はないが、三宅正太郎であったと見て間違いないと考える。

 


[1] 『藤井五一郎の生涯』193

[2] 『法曹あの頃』下80頁。もっとも、『先輩佐々木保藏追悼号』に木村篤太郎は寄稿していない。

[3] 『私の履歴書』127

[4] 『最高裁長官の戦後史』113

[5] 『法曹あの頃』(野村二郎)上35頁もっとも、中野正剛は昭和181027日に割腹自殺したとされているから、平成1812月との指摘は誤りである可能性がある。また、『石田和外追想集』70頁にも、石田自身の感想として、同一事件のものと思われる記載がある。また、内藤頼博は『石田和外追想集』296頁にて、「平沼騏一郎暗殺未遂事件を担当されたとき、証人に政界要路の人を次々に喚問した。当時の暗黒の政情を解明して、大御所平沼氏の地位を明確にする意図のようにみえた。それは、当時タブー視されていたことである。ある枢密顧問官の人が私に言った。「石田っていう裁判官は大丈夫か?あの調子じゃァ、いまに天皇陛下まで証人にお呼びするんじゃないか」

[6] 『石田和外追想集』461

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