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2014年3月31日 (月)

第三者機関(プライバシー・コミッショナー)への「事前相談」と「通信の秘密」について

政府IT戦略本部が平成251220日に公表した「パーソナルデータの利活用に関する制度見直し方針」は、「パーソナルデータの保護と利活用の促進を図る」ため、第三者機関(プライバシー・コミッショナー)を設立するとともに、「プライバシーに配慮したデータ利活用の促進を図る観点」から、「罰則のあり方、法解釈・運用の事前相談の在り方」等を検討することを、政府の方針とした。

この第三者機関というのは、EUを中心とする諸外国ですでに導入されている「プライバシー・コミッショナー」制度の日本版である。行政組織ではあるが、政府の監督からは一定の独立を保っていて、パーソナルデータの流通を監督し、違法行為があれば、一定の命令や制裁を科すことができるし、捜査権限を付与された例もある。但し、「法解釈・運用の事前相談」制度を他国が導入しているかどうかは、不勉強にして知らない。

その「法解釈・運用の事前相談」というのは、たとえば、某鉄道会社が顧客の乗降履歴データを他社に譲渡する際、どの程度匿名化すれば適法になり、譲渡してよいのかを第三者機関に事前に相談する、というイメージなのだろう。相談を受けた第三者機関は、データの提供を受けてその内容を調査し、匿名化が十分かどうかを判断することになる。

だが、このような事前相談を第三者機関が行うことは、憲法の保障する「通信の秘密」を侵さないのだろうか。

「通信の秘密」は、憲法212項によって保障されている。

ここに「通信」とは、「郵便・電信・電話・信号などを使って意思や情報を伝達すること」(広辞苑)をさす。某鉄道会社が乗降履歴データを他社に譲渡することは、手段を問わず「通信」にあたる。

ちなみに、電気通信事業法41項は、「電気通信事業者の取扱中に係る通信の秘密は、侵してはならない」と定めており、違反者には2年以下の懲役又は100万円以下の罰金が科される(179条)という重い罰則が科せられる。たとえば、総務省の、「利用者視点を踏まえたICTサービスに係る諸問題に関する研究会 第二次提言」は、「DPI技術を活用した行動ターゲティング広告」について、問題となっているデータは通信の秘密の保護対象に該当するうえ、正当業務行為として一般的に違法性が阻却されるとはいえないから、個別の同意がない限り、電気通信事業法に違反すると結論づけた。

このように、情報流通の主務官庁といえる総務省は、電気通信事業者による通信の秘密の侵害について、厳格な態度で臨んでいる。

但し、これは民間事業者を規制する「法律」のお話し。憲法212項が直接禁止しているのは、政府機関による通信の秘密の侵害だ。第三者機関(プライバシー・コミッショナー)も、政府機関であることに変わりはないから、問題となるのは電気通信事業法ではなくて、憲法ということになる。そして、第三者機関が某鉄道業者から顧客の乗降履歴データの開示を受け、その内容について調査することは、憲法上保障された「通信の秘密」を侵害しているように見える。

もっとも、憲法上の保障といえども絶対ではなく、必要最小限度の制限は許される。たとえば捜査機関による盗聴(通信傍受)は、通信の秘密に対するれっきとした侵害行為だが、平成11年12月16日の最高裁判決は、重大事件などの厳格な要件をあげたうえ、捜査令状による通信傍受は合憲と判断したし、「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」は、武器・麻薬の密輸等の一定の組織的犯罪の捜査に限定して、傍受令状による通信傍受を認めている。

また、外為法25は、武器や武器製造技術など、一定の技術情報を外国人などに提供する際には、経産相の事前許可が必要と定めている。これも、情報移転に際して、その内容と譲渡の相手方とを政府機関に申告するよう義務づけるものだから、通信の秘密の侵害であることは明白だが、なにしろ「国際的な平和及び安全の維持」が目的なので、必要最小限度の事前規制はやむを得ないと解される。

だが、第三者機関(プライバシー・コミッショナー)が守る法益は、国民のプライバシーだ。たしかにプライバシーも大切な基本的人権だが、政府機関による事前調査や判断を一般的に適法にするほどのものだろうか。もし、プライバシー権保護を理由とする政府の事前規制が許されるなら、名誉毀損のおそれのある表現や報道の事前規制も許されてよいことになるが、これを是とする見解は、ごく少数だろう。

では、政府が掲げるのは、「法解釈・運用の事前相談」であって任意だから、通信の秘密の侵害にはあたらない、という考えはどうだろうか。たしかに、電気通信事業法の保護する通信の秘密は、事前同意があれば侵害されない。しかし、国家機関についても、同じ考えでよいのだろうか。「新」個人情報保護法は、一定の匿名化処置を施したデータは自由に譲渡できると定めることが予想されているが、必要とされる匿名化の程度は曖昧であり、しかも、違反者に莫大な課徴金が課せられるとなれば、企業が第三者機関に事前相談を行わないという選択肢は、事実上存在しないだろう。つまりは任意の事前相談とはいえ、事実上の強制にほかならない、という指摘は成り立ちうるところだと思う。

最後に、「通信の秘密」を保護する憲法は、事前のみならず事後規制も禁止している。したがって、譲渡された情報が国民のプライバシー権を侵害したとして、事後的に情報の内容を取り調べることも、通信の秘密への侵害行為となりうる。だが、第三者機関(プライバシー・コミッショナー)を設け、パーソナルデータの流通を監督させる以上は、当然、必要最低限の事後規制は許されることになろう。しかし、事前規制については、事後規制とは異なる検討がなされて然るべきではなかろうか。

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2014年3月27日 (木)

クリミヤ弁護士会、独立へ

大阪弁護士会に所属する弁護士の一部が、独立して新たな弁護士会を結成する見通しとなった。弁護士会の分裂は、戦後初。

ことの発端は、大阪弁護士会と法テラス(日本司法支援センター)との対立に遡る。法テラスは、経済的弱者への司法支援として、弁護士費用の立て替えを事業としているが、この弁護士費用の査定基準が不透明で安すぎるとして、多くの弁護士が不満を募らせていた。

半年前、法テラスとの対決を公約に掲げた小浜弁護士が大阪弁護士会会長に就任し、法テラスに対して査定基準の透明化と高額化を要求。これに反発した法テラスは、「報酬査定に異議を述べない」との念書を出さない弁護士には事件を配点しない、として対抗した。小浜会長は、会員に対して念書を出さないよう要求し、「念書を出した弁護士は懲戒する」との強硬姿勢で臨んでいた。

これに音を上げたのが若手弁護士。「法テラスから事件をもらわなければ生活できない」として、相次いで念書を提出。大阪弁護士会から独立し、新たな弁護士会を結成するため、発起人会を設立した。新弁護士会は会館を持たず、会費は年12万円程度になるという。

会の名称は未定だが、当面、発起人代表の名前をとって「クリミヤ弁護士会」を名のる。発起人代表の栗宮美麗(くりみや・みはる)弁護士(34)は、「大阪弁護士会は、年60万円もの会費を取るくせに、われわれの生活を全く考えない」と述べ、独立の正当性を訴えたが、記者からの質問は、東大法科大学院のミスコンで優勝した経歴や、「萌えキャラ」が出回っている現状に集中し、栗宮弁護士を困惑させていた。

弁護士法上、弁護士会が設立されるためには、法務局が登記を受け付けることが必要。法務局と法テラスを管轄する法務省の風鎮(ふうちん)法務大臣は、「クリミヤ弁護士会が設立登記を申請すれば受け付ける。これは若手弁護士の自主的かつ民主的な決定である」と述べ、クリミヤ弁護士会の独立を全面支持する立場を明確にした。

小浜大阪弁護士会長は、風鎮法務大臣に抗議文書を渡すなど、対決姿勢を明確にしているが、決め手に欠けるのが現状。クリミヤ弁護士会員になれば、年会費が12万円と格安のうえ、法テラス事件を受任できるならばと、移籍を検討する弁護士も増えており、内部分裂を食い止めるのが精一杯だ。

クリミヤ弁護士会は、大阪法務局の隣の雑居ビルに事務局を設ける。家賃や事務局員の人件費、水道光熱費は弁護士会の負担だが、なぜかガスだけは、法務局が無償で供給するという。

 

 

このエントリはフィクションです。実在の人物や団体とは一切関係ありません。

 

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2014年3月20日 (木)

事務所における女性弁護士の比率を2割以上に

ボス弁;「集まってもらったのはほかでもない。この文書を読んでくれ」

イソ弁A;大阪弁護士会からですね。『男女共同参画推進基本計画に基づき、事務所の女性弁護士の数を2割以上にしてほしい』という内容ですね」

ボス弁;「そうだ。ところで、わが事務所の女性弁護士比率を知っているか?」

イソ弁B;「はい。女性は1人で、残り8名が男性です」

ボス弁「そうだ。女性の比率が2割に達していない。そこでだ」

イソ弁C;「分かりました。来年は女性弁護士を採用する、ということですね」

ボス弁;「違う。イソ弁の採否は私が決める。そんな相談なら、君たちに聞かない」

イソ弁D;「では、どうすればよいのでしょう」

ボス弁;「察しが悪いな。君たち4人はみな男だ。ついては今月いっぱいで辞めてもらいたい」

イソ弁ABCD;「えー!?」

ボス弁;「残念だが、弁護士会からの要請であれば、断るわけにはいかない。幸いなことに、君たち4人が辞めれば、我が事務所の女性比率は2割になる。男女共同参画推進のためだと思って、辞めてくれ」

イソ弁A;「そんな…。女性弁護士をもうひとり採用すればいいじゃないですか」

ボス弁;「君もわが事務所の経営状態は分かっているだろう。もうひとり雇うなんて、無理だよ。」

イソ弁B;「僕らだって、いま辞めたら食べていけません」

ボス弁;「気の毒だが、文句は弁護士会に言ってくれ」

イソ弁C;「分かりました。それなら、ぼくたち4人で共同事務所を作って独立します」

ボス弁;「そうしたまえ。但し、女性弁護士をひとり採用しないと、大阪弁護士会から怒られるぞ」

 

注:このエントリはフィクションです。元ネタはこちら

「20140320ONEGAI.pdf」をダウンロード

 

 

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2014年3月19日 (水)

クレーマー主義について 再

山梨市が、18日に予定していた社会学者上野千鶴子氏の講演会を急遽中止した。314日の産経新聞のニュースサイトによると、「市民から『問題発言の多い上野さんを公費で呼ぶことはおかしい』などの意見が複数寄せられ」たからだという。

ところが、317日の朝日新聞によると、同日になって山梨市は一転して、開催を決定した。朝日新聞のニュースサイトによると、「市民から開催を求める意見が相次いだことから、市の担当者が望月清賢(せいき)市長に翻意を促し、一転、開催が決まった」のだという。

やれやれ、である。

人や集団が、物事に関する意思を決定する際に依拠(よりどころ)とする行動規範を「主義」という。議論と多数決を意思決定の依拠とするのが民主主義で、出資額の多寡を依拠とするのが資本主義だ。これに対して、その時々に浴びせられる大声を意思決定の依拠とする行動規範を、私は「クレーマー主義」と呼ぶことにしている。

昨年も、松江市の教育委員会が、学校図書室での『はだしのゲン』の閲覧を制限し、後に撤回した。これもクレーマー主義が、上野千鶴子氏の件で山梨市が依拠とした行動規範も、典型的なクレーマー主義といえる。

最近、クレーマー主義が話題になる回数が増えてきているような気がする。特に、安倍首相の思想や表現に関わる分野で、クレーマー主義の集団が増えている。非常に危険だと思う。

クレーマー主義はなぜ危険なのだろう。それは、民主主義の仮面をかぶりながら、その実、民主主義とは対極の本質を持つからだ。こういう面従腹背の怪物に比べたら、裏表のない独裁君主の方が、よほどつき合いやすい、と私は思う。

民主主義の特質は、意思決定に時間がかかる、という点にある。なぜかというと、構成員それぞれに、考えが違うからだ。健全な教育を受け、一定以上の知的能力を持つ個人が集まれば、一人ひとりの意見が違って当然である。だから時間をかけて説得し、利害を調整し、多数を獲得する手続が必須となる。その結果、極端な意見は淘汰されていく。近代民主主義は、このような自律的個人の存在を前提にしている。

ところが、クレーマー主義者が多数を占める集団では、説得と利害調整はほとんど必要ない。必要なのは、「デカイ声」だけだ。それだけで、クレーマー主義者は争ってその意見に従い、ただちに圧倒的多数派が形成されるだろう。つまりクレーマー主義は、一見、民主主義と同じプロセスを辿りながら、その実、多数派ですらない意見に、多数派の権威を与えてしまう。その結果、極めて極端な意見が、いかにも熟議の結果のような顔をして、集団の意思とされていくことになる。

だから戦前に戻る、また戦争になる、という類の言説を、私は好まない。しかし、こういった事例に接すると、戦後民主主義なり、近代的国家化の失敗を感じざるをえない。自治体の首長や、教育委員会がクレーマー主義を標榜する国家において、自律的個人が育つはずはないのだから。

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2014年3月17日 (月)

環境省、(ワ)号事件を絶滅危惧種に指定へ

関係筋によると、環境省は、(ワ)号事件を絶滅危惧種に指定する方向で検討に入った。

(ワ)とは、裁判所の「事件記録符合」の一つ。明治時代の裁判所発足以来、事件の種類ごとに符合が決まっている。行政事件と民事事件はカタカナで、刑事事件はひらがな。たとえば地方裁判所の破産事件は(フ)で、刑事公判請求事件は(わ)。

(ワ)とは、地方裁判所が受理した通常の第一審民事訴訟事件を示す符合であり、これに、その年最初に受理した事件から順番に番号を振る。たとえば、東京地方裁判所で今年123番目に受理した損害賠償請求事件の事件番号は、「東京地方裁判所(ワ)第123号損害賠償請求事件」となる。

その(ワ)号事件を含む民事訴訟事件が、近年、激減している。

山梨県弁護士会によると、平成24年度の民事・行政事件の前裁判所新受件数は、10年前に比べ、実に51.7%と半減したという。その中でも(ワ)号事件の減少は顕著で、近年は前年比7割のペースで減少を続けているとの指摘もある。

一方、(ワ)号事件を主食とする弁護虫は、大発生した「カバライ」のため、この10年間で倍増したが、「カバライ」が食い尽くされたため深刻な飢餓に陥っており、一部には共食いも発生している。さる環境省筋は、「食いはぐれた弁護虫が新たな食料探しに向かう可能性もある。(ワ)号事件の減少は、生態系に深刻な影響を及ぼす」と懸念を露わにした。

環境省としては当面(ワ)号事件減少の原因を調査し、絶滅を回避する方策を検討する。「場合によってはトキのように、外国から事件を連れてきて繁殖させることも考える」(環境省筋)という。

日弁連評論家の小林正啓弁護士「やはり(ワ)という文字が良くないと思いますね。ワは和に通じますから。代わりに(ダーッ)はどうでしょう。『東京地方裁判所平成26年損害賠償事件、123(ダーッ)』なんて、闘魂がみなぎってよろしい。」

注;このエントリは、静岡のS弁護士からの情報をもとに創作したフィクションです。実在する団体や個人とは一切関係ありません。

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2014年3月10日 (月)

内藤頼博の理想と挫折(54)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

 

平沼騏一郎と内藤頼博(28)

 

戦後を代表する最高裁判所長官の一人である石田和外(明治36520日-昭和5459日)は、福井県に生まれ、旧制一高から一浪して東京帝国大学に入学し、大正15年に司法科試験に合格、昭和2年に任官している。初任が福島地方裁判所、次が長野という赴任地から推して、司法試験と二回試験の成績が芳しくなかったことは間違いないと思われる。ところが、昭和10年、帝人事件を担当した藤井五一郎裁判長の陪席判事に抜擢されたことが、その後の石田の運命を大きく変える最初の転機になった。

藤井によれば、石田を陪席に指名したのは当時の三宅正太郎所長であったという[1]。三宅正太郎所長としては、平沼騏一郎の政治的策謀と噂され、司法に対する政治介入の危険が極めて大きかった帝人事件の担当裁判官として、試験成績の良し悪しではなく、いかなる政治的圧力にも左右されない剛胆な精神の持主を選任したのである。石田和外の精神の剛胆さは、その生い立ちと剣道によって培われたものである。

福井藩士の家に生まれた石田は、祖父石田磊が福井第九十二国立銀行の初代頭取、福井市議会議長等を務めたものの、父親が早世し、経済的に困窮する中、猛勉強で旧制一高に合格する。一高では、剣道に熱中し、佐々木保藏に師事して、その娘恭子と昭和6年に結婚し、一高撃剣部の主宰を継いだ。ちなみに、後に石田の最高裁入りと深く関わることになる木村篤太郎もと司法大臣(後の検事総長)は、佐々木保藏の友人であり、その関係で石田とは知り合いであったと述べる[2]。第一生命地下4階道場での毎週1回の朝稽古は、GHQによる接収期間を除き、その前後40年間、欠かすことなく続けられたという。退官後の昭和493月、に木村篤太郎の後任として全日本剣道連盟会長に、一刀正伝無刀流の第五代宗家を務めているから、剣道の腕は相当なものだったのだろう。

石田自身は、剣道の極意について「どこまでも正々堂々、充実した満身の気迫をもって相手と相対し、あるいは相手のひるむところ、あるいは相手が仕掛けてくるその出はなを、真正面から正しく打ち込むこと。そのためには相打ちとなることも辞せぬ」と述べている[3]

いつから呼ばれたか、あだ名はトラフグ。そのココロは、一見愛嬌があるが、呑んでかかると命を取られる[4]

その剛胆さ、ブレのなさを示すエピソードは数多いが、戦前のものとしては、平沼騏一郎首相暗殺未遂事件(昭和16年8月14日)を担当した昭和1812月、東條首相の宿敵である中野正剛代議士に対する証人尋問を行った際、軍側が裁判非公開を強く求めたが、石田裁判長は最後まで認めず、裁判公開の原則を貫いた、という[5]。平沼騏一郎に関わる事件を二度も担当したばかりか、二度目もまた、首相の権威や軍の圧力を全く意に介しない、この胆のすわりかたは尋常ではない。

中野次雄判事(明治43年-平成11年)は、司法修習生時代、当時の三宅正太郎東京刑事地方裁判所所長より「どの部長も石田和外君を陪席にほしがる。諸君も二回試験のことなど心配せずに、石田君のような裁判官になるように心掛けなければいけない」と諭されたことがある、と述懐している[6]

帝人事件での無罪判決後、石田は東京地裁の予審判事へ異動した後、2年足らずで「事実上の部長職」へ抜擢される。つまりこの出世は、平沼騏一郎や司法省に配慮した微温的な降格人事とワンセットの昇格であり、これを差配したのは、確証はないが、三宅正太郎であったと見て間違いないと考える。

 


[1] 『藤井五一郎の生涯』193

[2] 『法曹あの頃』下80頁。もっとも、『先輩佐々木保藏追悼号』に木村篤太郎は寄稿していない。

[3] 『私の履歴書』127

[4] 『最高裁長官の戦後史』113

[5] 『法曹あの頃』(野村二郎)上35頁もっとも、中野正剛は昭和181027日に割腹自殺したとされているから、平成1812月との指摘は誤りである可能性がある。また、『石田和外追想集』70頁にも、石田自身の感想として、同一事件のものと思われる記載がある。また、内藤頼博は『石田和外追想集』296頁にて、「平沼騏一郎暗殺未遂事件を担当されたとき、証人に政界要路の人を次々に喚問した。当時の暗黒の政情を解明して、大御所平沼氏の地位を明確にする意図のようにみえた。それは、当時タブー視されていたことである。ある枢密顧問官の人が私に言った。「石田っていう裁判官は大丈夫か?あの調子じゃァ、いまに天皇陛下まで証人にお呼びするんじゃないか」

[6] 『石田和外追想集』461

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2014年3月 6日 (木)

Google glassは違法か?

今年中の一般販売が噂されるgoogle glassだが、機能的には、ビデオカメラを縛り付けたメガネと同じで、顔の向いた先を常時撮影録音(以下撮影等という)することができる。当然、多くの他人が撮影されることになるから、これらの人びとのプライバシー権との関係上、違法ではないかが論じられている。

まず、人は、プライバシー権の一つとして、その意思に反して撮影等されない法律上の権利(=みだりに撮影等されない権利)を有する。もちろん、法律上の権利を有するといっても、例外なく100%保証されるのではなく、他のさまざまな権利や利益と調整するため制限を受ける。そこで、google glassによる撮影等を正当化する理由や理屈や条件が見つかるか、が問題となる。

たとえば、「公共の場所ならgoogle glassによる撮影等は許される。なぜなら公共の場所で人びとは撮影等されない権利を放棄しているからだ」という理屈がありうる。この理屈は、米国では通じるかもしれないが、少なくとも日本では通じないだろう。google glassを装着して他人に面と向かうことは、その他人にテレビカメラとマイクを突きつけていることと同じだ。公共の場所であろうと、テレビカメラとマイクを突きつけられて拒否する権利が無い、という理屈は成り立たない。承諾がなくては、撮影等することは許されないのが原則なのである。

承諾が必要、という考えに対しては、「たとえば観光地で記念写真を撮れば、背景に他人が写ってしまうこともよくあるが、そんなときでも承諾なく撮影しているではないか」という反論もあろう。しかし、観光地の場合は、口に出さずとも、互いに撮影等を承諾しあっているのであり、この理屈を公共の場所一般に当てはめることはできない。

「観光地でなくても、今やあらゆる道路や商店街に防犯カメラが設置され、通行人の承諾なく全てを撮影している。google glassで撮影しても同じではないか」という意見もあろう。確かに、街頭防犯カメラは、通行人の承諾なく撮影を行っている。しかも、街頭防犯カメラを一般的に適法とする法律も裁判例も、日本にはない。

しかし、街頭防犯カメラは、防犯という公共目的に基づく撮影を行っている点で、google glassとは異なる。この理屈では、たとえば勤務中の警察官がgoogle glassを装着することは許されるが、一般人が身につけることは許されない、ということになる。

「いまや通行人の大半はビデオカメラ付きの携帯電話を所持しており、頻繁に撮影しているではないか。ビデオカメラ付き携帯電話とGoogle glassとの違いは、いつでも撮影できるか、常時撮影しているかの違いだけではないか」という指摘もありうる。

確かにそのとおりだ。ただ、ビデオカメラつき携帯電話での撮影等は、外見から明瞭に分かる。そのため、撮影されたくない人は、避けることができるし、拒否することもできる。これに対して、google glassの場合、撮影等の行われていることが、外見からは明瞭には分からない(らしい)。いいかえれば、google glassの場合、撮影される人に、承諾したり拒否したりする機会が与えられていないということだ。

このように考えてくると、google glassも、撮影等を行っていることが、外見から明瞭に分かるようにすれば、被撮影者の承諾ありとみなされ、合法とされるという考えは成り立ちうるだろう。具体的には、たとえば撮影等しているときには赤いLEDが点灯するような機構を義務化することにより、撮影等を行っているか否かが、外見上明瞭に判別できるようにことが考えられる。

…とまあ、法論理的には、たぶんこういう考え方が正しい。ただ、現実世界が法論理通りに動くとは限らない。思い起こせば街頭防犯カメラは、法律的にも判例上も、違法としか考えられなかったのに、これを受容する社会的合意が形成され、今更違法にする訳にもいかないのが現状だ。とすればgoogle glassも、その圧倒的な魅力が、これを受容する社会的合意を形成すれば、法論理を覆し、合法的地位を獲得する、ということも、あるかもしれない。

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2014年3月 3日 (月)

絶望のたりない『絶望の裁判所』

瀬木比呂志『絶望の裁判所』を読んだ。

構成は大きく二つに分かれている。前半は裁判所という組織や、組織に属する裁判官批判だ。そして後半では、裁判所を再生し市民のものにするには、法曹一元制度が不可欠と主張している。

隠然たる支配を行う最高裁事務総局と、その気配をうかがう「ヒラメ裁判官」。多くの裁判官にとって事件は処理の対象でしかなく、官僚統制と厳格な組織ヒエラルヒーの中で、幼児化した自我を肥大させる裁判官や、精神を病み自滅していく裁判官。これらの描写は、筆者がナマで経験したためか、とてもリアルだし、ほぼ特定が可能な裁判官も多く、話題呼んでいるようだ。

だが、我々弁護士から見れば、裁判所が官僚統制の牙城と化していることは周知の事実だし、弁護士を何年か経験すれば、トンデモ裁判官の5人や10人は見ているので、これらのエピソードは、特段珍しいものではない。

多少の新味があったのは、2000(平成12)の司法制度改革以降、裁判所の官僚支配が強化された、という指摘だった。このとき日弁連は「法曹一元」を錦の御旗に掲げ、官僚司法打破を目指し大騒ぎしていたことは、『こん日』に記したとおりだ。瀬木氏の指摘が正しいとすると、官僚司法打破のための司法制度改革は、官僚司法をより強化する結果に終わったことになる。司法官僚のしたたかさも相当なものだが、一方、勝ち目のない攻城戦を挑み、かえって守りを強化させてしまった、日弁連の罪は重い。

他方、本書で最も物足りないのは、法曹一元を導入すべきだと主張する、瀬木氏の主張の薄さだ。いまの裁判制度や裁判所、裁判官は酷いことばかりだから法曹一元にすべきだ、という主張は、戦争は悲惨だから平和がいいよね、という主張と同じである。説得力がありすぎて、反論する気力もない。

上述したとおり、2000年の司法制度改革も法曹一元導入を(途中までは)第一目標に掲げていたし、1960年代の臨司意見書も、法曹一元の導入を望ましいと認めた。戦後すぐである1945年(昭和20年)には、若きエリート裁判官である内藤頼博らが、人格識見に優れた弁護士を相次いで裁判所の要職に抜擢し、人事運用によって法曹一元を実現させようとした。だが、これらの試みはいずれも失敗した。法曹一元が望ましいといったところで、この歴史を踏まえなければ、何の意味もないし、法曹一元を唱えさえすればいつか実現するというなら、『絶望』との書名が泣くだろう。

瀬木氏の主張に最も欠けているのは、なぜ、わが国では法曹一元導入の試みが、ことごとく失敗したかという問いに対する研究である。学者裁判官を自負される以上は、この研究を尽くした上で、法曹一元を論じられたい。

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