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2014年5月28日 (水)

汚れた手で歴史を綴ることについて

弁護士法人東京パブリック法律事務所所長の谷眞人弁護士が、NBLの5月15日号に『司法制度改革の「光」の部分』と題するコラムを載せている。

要約すると、「19996月から始まった司法制度改革審議会の日弁連委員のバックアップチーム」などに関わった経験から、司法制度改革を、「民主主義・国民主権の実質化、基本的人権の尊重という高い理想」からの改革と位置づけ、法テラスや扶助制度の充実、裁判員制度の実施といった「光」の部分も数多くある、という内容だ。

客観的な事実を淡々と積み重ねながら、全体としては明確なメッセージを発しており、弁護士としての力量をうかがわせる文章だと思う。

内容についても、特に異存はない。昔のアニメじゃないけれど、どんな制度にも歴史にも、光と影がある。戦後日本史にも光はあるし、原発推進政策にも、死刑制度にだって光はある。司法制度改革だって、影ばかりではないという指摘は、まことにごもっともである。

だが、私は谷弁護士を支持できない。彼の手は汚れているからだ。

谷弁護士は、199911月に発行された『日弁連五十年史』で、法曹人口問題の項を担当した。法曹人口問題史を概観し、日弁連内の増員賛成論と慎重論を紹介した後、こう記述している。

「(法曹人口問題をめぐり)会内では様々な討議が繰り返されたが、1994(平成6)年12月、および翌年11月の二度にわたり臨時総会が開催され、司法試験合格者を1000名程度まで増員させる一方、これを丙案廃止のための抜本的改革案として位置づける決議を行った」(243ページ)

これは、一見、客観的な事実を淡々と指摘しているように見えて、その実、199412月の臨時総会で議決された「800人×5年」の決議を故意に無視している。この決議は、付帯決議ながら、圧倒的多数に支持され、日弁連の総意として表明された。しかし、政府や世論の総スカンと大バッシングに遭い、弁護士法72条廃止論まで飛び出して、土屋公献執行部を無様に迷走させたあげく、翌年の総会で事実上撤回された。いわくつきの決議である。

この800人決議が、その後の日弁連の命運を決めた。その後の司法改革の歴史は、日弁連にとって、後退と敗北の歴史と言って過言でない。もちろん、裁判員裁判など、日弁連にとっての成果はゼロではない。敗北と後退の歴史にだって、光はある。

800人決議の歴史的意義については、もちろん、肯定的評価もあってよい。だから、800人決議を指摘したうえで、司法改革の光の歴史を書きたいなら、それでもよい。だが、日弁連のいわば正史である『日弁連五十年史』に、800人決議を一切書かないことは、歴史的事実の隠蔽にほかならない。谷弁護士の手が汚れていると書いたのは、自ら、歴史の隠蔽行為を行ったからである。

谷弁護士にも、「大人の事情」はあったかもしれない。なにしろ 、『日弁連五十年史』の編集委員長が、800人決議の立役者であった辻誠もと日弁連会長(当時89歳)だったのだ。当時若手だった谷弁護士に、編集委員長に逆らう選択肢があったとは思われない。だが、800人決議という最も重要な歴史的事実を隠蔽しつつ、客観的事実を羅列したような体裁で文章を運ぶ谷弁護士の記述ぶりは、はしなくも、この隠蔽行為に積極的に関わった事実を、示唆しているように思われる。

谷弁護士によれば、今回の司法制度改革は、「民主主義・国民主権の実質化、基本的人権の尊重という高い理想」からの改革なのだそうだ。だが、歴史の隠蔽された社会では、民主主義は機能しない。歴史を知らなければ、正しい判断ができないし、先人の失敗を繰り返すからだ。

歴史を隠蔽する者は、民主主義の敵である。民主主義の敵に、民主主義の理想を語る資格はないし、民主主義を実質化するための司法改革を語る資格もない。

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2014年5月26日 (月)

内藤頼博の理想と挫折(59)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

『家永史観』批判(2

戦前戦後の司法権の歴史を学ぶ上で、教科書的位置にあるのが、家永三郎著『司法権独立の歴史的考察』である。本論考にも、この本の記述を基盤として論を進めた箇所がある。

しかし、戦前の裁判官が時の権力に対抗した一連の裁判を分析してみると、同著に著された歴史観には、異議を唱えざるを得ない。

象徴的なのはこの記述だ。「(裁判所)独立論者は制度の改革に関しては勝利を占めたが、反対論者はそのしかえしとして、細野長良らの最高裁裁判官就任を阻止する策動を行い、その結果裁判所独立のために戦ってきた細野らはことごとく裁判所を追われて下野せざるをえなかったのである。[1]

この記述によれば、細野らを追い落としたのは「裁判所独立の反対論者」だということになる。また、家永によれば、これら「反対論者」は戦争中、消極的にせよ軍部を支持したことが示唆されている。しかし、河合栄治郎事件で無罪判決を書いたため左遷された石坂修一は、反細野派として活動した[2]。資料はないが、石田和外や、岸盛一も、その思想的立ち位置からして、反細野派に属していたものと思われる。また、尾崎不敬事件で軍部に逆らった三宅正太郎は、戦後公職追放されていたが、内藤頼博の述懐によれば、最高裁判所長官の選定では、反細野の立場で活動した。つまり、反細野派は、決して「裁判所独立論」の反対論者ではなかったのであるし、ましてや、戦時中、軍部による裁判所支配を是としていた者でもなかったのである。

家永史観は、故意か過失か、このあたりを全く無視し、反細野派をまるで、裁判所独立を否定する勢力と位置づけてしまっている。しかし、細野派に勝利し裁判所を支配したのが裁判所独立を否定する勢力であるなら、その勢力の中心でとんとん拍子に出世したのが石田和外である説明がつかない。家永史観は、明らかな事実誤認を冒していると断ぜざるをえない。

戦前から戦中にかけて、司法をめぐる勢力分布は、裁判所独立派か反独立派かという二項対立では説明できず、より詳細な分析が必要である。

少なくとも、当時の司法省を牛耳っていた平沼騏一郎と軍部はことあるごとに対立していた。そして、司法内部でも、裁判所は、平沼が支配する司法省との間に、微妙な緊張関係を保ち続けていた。裁判所内部には、進んで平沼に媚を売った両角誠英のような者もいたが、決して平沼になびこうとしない藤井五一郎や石田和外のような裁判官も少なくなかった。また、平沼や軍部に対し面従腹背の態度をとり続け、裁判所独立の機運を伺っていた三宅正太郎は、裁判所の中で隠然たる勢力を持っていた。

細野派と反細野派の対立は、裁判所独立派と半独立派の対立ではなく、裁判所独立派同士による、独立のあり方をめぐる対立と理解するべきである。


[1] 家永三郎『司法権独立の歴史的考察』92

[2] 『ある裁判官の歩み』223

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2014年5月19日 (月)

内藤頼博の理想と挫折(58)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

『家永史観』批判(1

ここまで、戦時中に時の権力者に対抗する裁判に関わった数人の裁判官を紹介した。時系列に従い簡単にまとめるとこうなる。

藤井五一郎(明治25年-昭和44年)は、平沼騏一郎の政治的策謀である帝人事件(昭和9年)の裁判長を務め、全員無罪の判決を出すが、昭和12年、蒙古連合自治政府の司法部次長に「左遷」された。これを「左遷」というか否かについては争いがあるが、藤井自身は日本政府の占領政策に嫌気がさしており、敗戦後被占領民としてみじめな思いをするのは嫌だと、裁判官を辞している。この帝人事件の陪席を務めた3人の内、岸盛一(明治41年-昭和54年)も藤井と同様蒙古自治政府に「左遷」され(但しすぐ帰国)、石田和外も、一時的に予審判事に「降格」された。

石坂修一(明治28年-昭和44年)は、不敬罪で起訴された河合栄治郎京大教授に対して、昭和13年、無罪判決を下したが、時の平沼騏一郎内閣の圧力を受けて、姫路支部長に左遷された。

吉田久(明治17年-昭和46年)は、いわゆる翼賛選挙下で、軍の露骨な選挙介入が行われた鹿児島二区の選挙に対し、昭和20年、無効判決を下した。判決後すぐ辞職したため、判決後に人事的不利益を受けた形跡はなく、また、判決前から無効判決が予想されたにもかかわらず、更迭などの政治的圧力を受けることはなかった。

細野長良(明治16年-昭和25年)は、廣島控訴院長だった昭和193月、司法は軍に協力せよという東條英機の演説に単身抗議した。批判も起きたし、本人も暗殺を覚悟したと思われるが、しかし人事上の報復は受けなかった。

三宅正太郎(明治20年-昭和24年)は、藤井五一郎らを帝人事件の担当裁判官にする人事や、石坂修一の左遷人事に直接関わった人物であるが、自らは、大審院判事として、昭和19年、石坂修一の無罪判決を覆した高裁判決を支持し、他方、不敬罪で起訴された尾崎行雄に対して、原審を覆し無罪判決を出した。三宅は戦後公職追放を受けるが、それ以前、不利益な人事を受けた形跡はない。

これらの事例を総合すると、明らかに一つの傾向が見て取れる。それは、「軍との関係では、裁判所の独立は保たれていたが、平沼騏一郎ないし司法省との関係では、裁判所の独立は保たれていなかった」という点である。いいかえると、軍との関係では、司法の独立は保たれていたが、司法内部では、裁判所の独立は司法省によってたびたび侵されていた、ということだ。

そしてもう一つ、平沼騏一郎の圧力を受けて「左遷」された岸盛一、石田和外、石坂修一は、いずれも戦後、最高裁判所判事に就任した。また、藤井五一郎は公安調査庁の初代長官に就任している。すなわち、平沼騏一郎の逆鱗に触れ「左遷」された判事たちは、戦後、その不利益を補う人事的厚遇を受けた。戦前から異例の出世を果たした石田和外の例にも見えるとおり、裁判所内部には、司法省の圧力に対抗する勢力があったことが分かる。

さらに、藤井・石田・岸・石坂の4人の裁判官は、いずれも政治的には保守に属し、戦後のいわゆる「逆コース」を担ったことが分かる。

これらの事実を、どう考えたらよいだろうか。

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2014年5月13日 (火)

Killer robots に関する国際会議について

ロボット兵器(Killer robots)に関する国連での議論が、13日から4日間、ジュネーブで開催される。わが国でこのニュースを報じているのは日経だけのようだが、興味深い点がいくつかあるので、ご紹介しておきたい。

第一は、ロボット兵器の定義を、完全自律型兵器、すなわち敵を攻撃するか否かの判断を人間に頼らず、ロボット自身が判断する兵器に限定している点だ。この点は、日経の記事もBBCも同じだ。半年前は、ロボット兵器というと、まずプレデターなどの遠隔操作兵器が紹介されていたが、これらは攻撃判断を人間が行っているので、厳密にはロボット兵器ではない。このような意味での完全自律型兵器は、現時点では、どの国も実用化していない。昨年9月26日のNHK番組は遠隔操作兵器と自律型兵器を混同していた。また、人権団体Human Rights Watchも、以前は遠隔操作兵器とロボット兵器を混同していたが、いまはちゃんと理解しているようだ。このあたりの誤解が一斉に払拭されている事実は,国連が念入りに記者レクを行ったからと推測される。

第二に、現時点で実用化されていない完全自律型兵器について、なぜ今から、国際的議論がはじめられるのか。それは確かに、人道的見地からだが、だからといって、ロボット兵器を全否定するものではない。平和国家日本では、戦争イコール悪だから、ロボット兵器も禁止せよ、という議論に陥りがちだが、この考え方は世界のスタンダードでないことに注意する必要がある。

国際的な常識からすれば、ロボット兵器は自国の兵士の命に代わるものだから、善である(善であるという言い方に語弊があるなら、必要悪でもよい)。ただし、現代戦では、民間人を巻き込むことが厳しく禁止されている。たとえば、地雷は極めて原始的な完全自律型ロボット兵器といえるが、攻撃対象を全く選ばず、現に戦争終了後も多くの民間人を攻撃し続けているため、国際条約で禁止された。クラスター爆弾も、不発弾が地雷と化すため、禁止に向けた国際的な動きが進行している。ロボット兵器も、ともすれば、兵士と民間人を区別せず攻撃しかねない。なにしろ、軍服を着た兵士同士が戦う近代戦と異なり、現代戦はゲリラ戦や市街戦が主流なので、敵兵と民間人を区別することがとても困難だからだ。したがって、実戦配備されるロボット兵器には、戦時国際法や交戦規定を厳格に守らせる必要がある。いいかえれば、戦時国際法や交戦規定を遵守するロボット兵器の開発が進められることになるだろう。

第三に、日経によれば、「米国は何らかの規制を検討しても良いという立場」だという。言うまでもなく、米国はロボット兵器開発の最先進国だ。その米国が、なぜロボット兵器の規制に前向きなのだろうか。私はここに、問題の本質があると思う。

少しおさらいをしておこう。戦場で、ロボット兵士と人間の兵士が対峙したとき、先に引き金を引くのはどちらだろうか。答えはロボット兵士である。なぜなら、ロボットの方が、判断速度が速いからだ。上述したとおり、ロボット兵士には、交戦規定を遵守するための高度なプログラムが搭載されることになるだろうが、それでも、判断速度は人間より遙かに早い。

では次の問題。戦場で、交戦規定を厳格に遵守する高度なプログラムを搭載したロボット兵士と、適当にしか守らない低レベルのプログラムを搭載したロボット兵士が対峙した場合、先に引き金を引くのはどちらだろうか。明らかに後者である。なぜなら、後者の方が、判断速度が(何万分の一秒か)早いからだ。つまり、戦場では、高レベルの判断プログラムを有するロボット兵器の方が、低レベルのロボット兵器より弱い、という逆説が発生してしまうことになる。それなら低レベルのロボットを作ってしまえ、ともいえるが、「世界の警察」を自他共に認める米国では、そんな適当なロボットは作れない。そこで、仮想敵国が、低レベルのロボット兵器を開発しないように、今からルールを設定しておく必要がある。もし、民間人を誤射するようなロボットを実戦配備したら、直ちに国際的な非難が渦巻くようにしておくのだ。

これが米国の戦略であるとみて、間違いないと思う。先進国が工業製品の国際規格を高く設定して競争力を保つのと同じことである。

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2014年5月12日 (月)

3Dプリンターで弁護士バッジ偽造

大阪府警は11日、自称弁護士の居村河内護(いむらこうち まもる)容疑者(31)を弁護士法違反で逮捕した。3Dプリンターで弁護士バッジを作成し、弁護士を名乗って事務所を開き、法律相談業務などを行っていた疑い。

容疑者は、弁護士を目指して法科大学院を卒業したものの、司法試験に3回失敗して受験資格を喪失した。しかし、「司法試験が弁護士資格の取得を制限するのは、職業選択の自由を定める憲法違反」を持論とする担当教授に感化され、弁護士バッジの偽造を思いついたという。通信販売で金属用3Dプリンターを約30万円で購入し、丸一日かけて作製。自宅近くに事務室を借り、法律事務所の看板を掲げて、一年間で50人ほどの相談に応じていたほか、ブログを開設し、弁護士を名乗って記事を公開していた。

しかし、ブログの記事に法律上の間違いが多く、「あんた本当に弁護士なのか」というコメントが相次いだほか、相談者がインターネットで知った知識をぶつけたところ、急にしどろもどろになるなどしたため、疑いを持った相談者が弁護士会に問い合わせてニセ弁護士であることが発覚。その間、国選弁護事件も担当していていたが、当時の被告人(服役中)は取材に対し、「よく面会に来て、親身に話を聞いてくれた。あの人がニセ弁護士だったなんて、信じられない」と驚いていた。

居村河内容疑者は容疑を認め、「バッジの偽造に30万円以上かかったうえ、事務所の家賃などがかさみ、ずっと赤字経営だった。国選事件も、一生懸命やったのに報酬は7万円ほどで、焼け石に水。(弁護士が)こんなに儲からないなら、カネをかけてバッジなんか偽造しなければ良かった」と言って反省しているという。

注;このエントリはフィクションであり、実在する個人及び法人には一切関係ありません。ニセ弁護士が国選弁護事件を受任することは、現実には不可能です。

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2014年5月 9日 (金)

アディーレ法律事務所が長野県・千葉県弁護士会を提訴した件について

伝聞だが、アディーレ法律事務所が長野県弁護士会に対して訴訟を提起したとのことだ。また、千葉県弁護士会に対しても訴訟を起こしており一審で敗訴し控訴中とのことである。提訴理由も伝聞だが、支店を出すに当たり、弁護士会の許可が不当に遅延した、ということのようだ。

いずれの訴訟も、アディーレ法律事務所の敗訴に終わるだろう。だが、この訴訟は弁護士自治に関する重大な問題をはらんでいる。

弁護士自治と聞くと、懲戒権の独占がどうやら、とオウム返しに言い出す弁護士がいる。こういう弁護士はかなり頭が悪い。懲戒権の独占は、弁護士自治の、ほんの一部に過ぎない。

弁護士会はもちろん、組織の自治権は、次の4つの独立要件を満たす必要がある。

第一に、人事権の独立。
第二に、予算編成権の独立。
第三に、規則制定権の独立。
第四に、建物の独立。

最後の要件については、異論があるかもしれないが、一から三について、異論はないだろう。懲戒権は、人事権と規則制定権の一部をなす権限に過ぎない。

人事権の独立は、入会を許し、退会を強制する権利の独立を含む。従って、誰を入会させるか、させないかを決めるのは、自治権の本質的内容だから、当該自治団体の裁量に属する。もっとも、弁護士会は純粋な私的団体ではなく、弁護士法に基づき設立された公的団体なので、職業選択の自由などの憲法上の規定に服する(=その限りで自治権は制限される)から、誰を入会させるかは、原則として当該弁護士会の裁量に属するが、濫用にわたり、憲法上の規定に違反する場合に限り、その裁量が違法となる場合がありうる、ということになる。「アディーレ法律事務所の敗訴に終わるだろう」と書いたのは、こういう意味である。

ただし、問題の本質はこの点にはない。アディーレ法律事務所が敗訴するのは、あくまで、長野県ないし千葉県弁護士会の自治を前提にした場合の話である。だが、この前提自体を疑えば、話は全然違ってくる。

弁護士自治が弁護士会に認められているのは、国家権力をはじめとする第三者から、個人の人権を守るためには、依頼された弁護士の独立と、その弁護士が属する弁護士会の自治が不可欠だからと理解されている。だが、この目的のためなら、日本に存在する弁護士自治は一個でよい。各単位会の弁護士自治は不要だ。法曹以外の人には初耳かもしれないが、長野県弁護士会などの地方弁護士会と日弁連とは、上命下服の関係にない。それぞれに独立した別組織であり、全国の弁護士は、それぞれの地方弁護士会と、日弁連の二つに加入しているのである。だが、弁護士自治の目的からすれば、必要なのは日弁連だけで、地方弁護士会は不要という結論が、論理的に導かれる。

「地方弁護士会の自治権が無いと、(多数の弁護士がいる)東京の思うままになってしまうではないか」と言い出す弁護士も多いが、こういう弁護士も、かなり頭が悪い。上述した弁護士自治の目的の中に、「東京の思いのままにさせない」などという目的はないからだ。もしこれも目的の一つというなら、地方弁護士会の弁護士自治は、国家権力等からの独立だけでなく、日弁連を含む他の弁護士会からの独立をも意味することになる。すると、日弁連は、各都道府県に居住する国民の人権を侵害する潜在的危険を保有している、という矛盾が発生してしまう。

現実には、地方の弁護士会は、人事でも予算でも建物でも、日弁連を含む他の弁護士会から独立している(規則については制限がある)。だが、この独立は、人権擁護という憲法上の目的から論理的に導かれるものではなく、歴史的なものでしかない。平たく言えば、既得権に過ぎない。そうでなければ、東京に三つも弁護士会が存在する理由の説明がつかない。その歴史的な根拠は、戦前の通信・交通手段を前提にしており、現代社会に通用するものではない。だから、交通や通信の発達に乗じて全国展開しようとする弁護士法人の戦略を、各地方の弁護士会が結果的にせよ妨害しているというのであれば、長期的に見れば、負けるのは弁護士法人ではなく、地方弁護士会の自治権である。

 

 

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2014年5月 7日 (水)

自動運転自動車が事故を起こした場合の法的責任について

自動車の自動運転技術が、実用化の域に達しつつある。ただし、事故が起きた場合の法的責任については、検討すらなされていないというのが、わが国の現状のようだ。

たとえば、 Google car のような完全自律運転自動車が事故を起こした場合、被害者は、誰に対して損害賠償請求できるのだろうか。完全自律運転自動車ではなく、運転支援技術が使われている場合はどうだろうか。

完全自律運転自動車の場合、運転していない人間には、原則として、法的責任はない。例外として、事故前から自動車の異常に気づいていて、しかも、緊急停止や手動切り替えが可能であったのに行わなかった、というような場合には、法的責任を負う場合があり得る。 Google car のビデオをよく見ると、運転席と助手席の間に目立つ赤いボタンがあり、非常停止ボタンと推測される。だが、これはあくまで例外であり、完全自律運転である以上、搭乗する人間が事故の法的責任を負うことはないのが原則だ。

そこで被害者としては、自動車のメーカーや販売者に対して、法的責任を追及することが考えられる。この場合考えられる法的構成は、過失を理由とする不法行為責任と、欠陥を理由とする製造物責任だが、現行法を前提とする限り、過失または欠陥の立証責任は、被害者側にある。では、被害者は、コンピューターの過失を、どうやって立証するのだろう?また、「過失」と「欠陥」の関係はどうなるのだろうか?これは、非常に難しい問題である。

伝統的な考え方に従えば、「過失は人間を前提とする概念だから、コンピューターの過失は観念できない」ということになるだろう。この考え方に従えば、完全自律運転自動車のメーカーや販売者が事故の法的責任を負うか否かは、設計者の「過失」またはコンピューターの「欠陥」の有無によってのみ決まる、ということになる。だが、たとえば、「蛇行する対向車に「気を取られて」(正確にはCPUまたはメモリに負荷がかかって)前方道路を横断する人間を認識して減速するタイミングが遅れた」というような場合、それは、その自動車自身の「過失」ではないのだろうか?それとも、「同時多発的異常事態に完全に対応できない欠陥」もしくは、「そのような欠陥を持つコンピューターを設計した過失」と言うべきなのだろうか。仮にそうだとして、そこまで立証する責任を被害者側に負わせることは、フェアとはいえないのではないだろうか。

あるいは、当該自動運転自動車が交差点に進入した時点で赤信号だったことは、ドライブレコーダーなどから明らかだが、プログラムにバグは見つからず、また、同一の状況で再現実験を繰り返しても赤信号無視は発生しなかったとする。この場合、「欠陥」が立証できず、コンピューターの「過失」は観念しえない以上、メーカーが責任を負うことはない、と考えるべきなのだろうか。

私がこの点にこだわるのは、自律運転自動車が事故を起こした場合、被害者が自動車の「欠陥」または設計者の「過失」を証明することは、自動車自身の「過失」を証明することより難しいのではないか、と思われるからだし、だからといって被害救済の幅を狭めることは正しくない、と考えるからである。

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2014年5月 6日 (火)

防犯カメラと肖像権とプライバシー権について

いわゆる防犯カメラは、肖像権を侵害するとも言われるし、プライバシー権を侵害するとも言われる。どちらが正しいのだろうか。あるいは、肖像権とプライバシー権とは、同じ権利なのだろうか。

答えは、「肖像権とプライバシー権とは別の権利であり、防犯カメラは、その両方を侵害する。但し、本質はプライバシー権の侵害にある」だ。

防犯カメラの画像と、肖像写真とを比較して論証しよう。

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1993年、イギリスで2歳の男の子(James Patrick Bulger)が2人の少年に誘拐され殺害された。この写真は、誘拐の瞬間を撮影した防犯カメラの画像とされている。捜査機関は、撮影時間や場所と照らし合わせて、画面中央の幼児を被害者と推定できる。そして、その手を引く人物が誘拐犯であり、この人物は小柄な男性、おそらく少年と見当をつけるとともに、服装や体格などといった、犯人を特定する情報や、撮影時、どちらに向かって歩いていたかを知ることができる。また、少年と対向して歩く女性が、誘拐犯の人相を見ているかもしれない、という情報を得るとともに、その女性の体格やおおよその年齢を推定できる。

すなわち、この防犯カメラ画像にとって最も重要な情報は、被害者・犯人・目撃者を特定する情報であり、彼らが撮影当時、どこで何をしていたかという情報である。そして、これらの情報を導き出すために重要なのは、この写真がいつどこで撮影されたかというメタ情報であり、これがなければ、防犯カメラ画像はほとんど何の意味も持たない。

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一方、こちらの画像は、典型的な肖像写真である。われわれは、撮影された男性の表情、服装、所持品、皺の一本一本から、この人物の人間性や人生、社会的地位、あるいは人間的・性的魅力の有無や程度を読み取ることができる。すなわちこの画像の本質的要素を一言で言うと、撮影された人物の人格である。そしてその人格は、その人の外貌と分かちがい。肖像権が法律上、人格権といわれるゆえんがここにある。

一方、この写真が何時どこで撮影されたか、この人物がどこの誰であるか、撮影された当時、この人物が何をしていたかは、本質的要素ではない。もしかしたらこの男性は歴史上の有名人かもしれないが、それが分からなかったからといって、この写真の価値(記録された被撮影者の人格)が無くなるわけではない。

このように、防犯カメラの画像と、肖像写真とは、本質的に異なる。本質的に異なる以上、両者に反映された法律上の権利は異なる。これに基づいて整理すると、プライバシー権とは、みだりに特定されず、その行動を記録されない権利であり、肖像権とは、みだりにその外貌を記録されない権利であるといえる。

通行する人間を撮影する防犯カメラは、人の行動を記録するとともに、その外貌をも撮影する。したがって、防犯カメラはプライバシー権と肖像権の両方を侵害している(その侵害が許されるか否かは次の問題だ)。ただし、防犯カメラ運用者にとって、撮影された人間の人格的評価は何の意味もないし、そもそも、人格的評価が可能なほどの精度で撮影されることは希だ。上記防犯カメラ画像に至っては、犯人は後ろ向きで、その人格評価はほとんど不可能である。このように、防犯カメラの本質は、人の行動を記録することにあり、また、その人が誰であるかを知るための情報を記録することにある。

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