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2014年5月28日 (水)

汚れた手で歴史を綴ることについて

弁護士法人東京パブリック法律事務所所長の谷眞人弁護士が、NBLの5月15日号に『司法制度改革の「光」の部分』と題するコラムを載せている。

要約すると、「19996月から始まった司法制度改革審議会の日弁連委員のバックアップチーム」などに関わった経験から、司法制度改革を、「民主主義・国民主権の実質化、基本的人権の尊重という高い理想」からの改革と位置づけ、法テラスや扶助制度の充実、裁判員制度の実施といった「光」の部分も数多くある、という内容だ。

客観的な事実を淡々と積み重ねながら、全体としては明確なメッセージを発しており、弁護士としての力量をうかがわせる文章だと思う。

内容についても、特に異存はない。昔のアニメじゃないけれど、どんな制度にも歴史にも、光と影がある。戦後日本史にも光はあるし、原発推進政策にも、死刑制度にだって光はある。司法制度改革だって、影ばかりではないという指摘は、まことにごもっともである。

だが、私は谷弁護士を支持できない。彼の手は汚れているからだ。

谷弁護士は、199911月に発行された『日弁連五十年史』で、法曹人口問題の項を担当した。法曹人口問題史を概観し、日弁連内の増員賛成論と慎重論を紹介した後、こう記述している。

「(法曹人口問題をめぐり)会内では様々な討議が繰り返されたが、1994(平成6)年12月、および翌年11月の二度にわたり臨時総会が開催され、司法試験合格者を1000名程度まで増員させる一方、これを丙案廃止のための抜本的改革案として位置づける決議を行った」(243ページ)

これは、一見、客観的な事実を淡々と指摘しているように見えて、その実、199412月の臨時総会で議決された「800人×5年」の決議を故意に無視している。この決議は、付帯決議ながら、圧倒的多数に支持され、日弁連の総意として表明された。しかし、政府や世論の総スカンと大バッシングに遭い、弁護士法72条廃止論まで飛び出して、土屋公献執行部を無様に迷走させたあげく、翌年の総会で事実上撤回された。いわくつきの決議である。

この800人決議が、その後の日弁連の命運を決めた。その後の司法改革の歴史は、日弁連にとって、後退と敗北の歴史と言って過言でない。もちろん、裁判員裁判など、日弁連にとっての成果はゼロではない。敗北と後退の歴史にだって、光はある。

800人決議の歴史的意義については、もちろん、肯定的評価もあってよい。だから、800人決議を指摘したうえで、司法改革の光の歴史を書きたいなら、それでもよい。だが、日弁連のいわば正史である『日弁連五十年史』に、800人決議を一切書かないことは、歴史的事実の隠蔽にほかならない。谷弁護士の手が汚れていると書いたのは、自ら、歴史の隠蔽行為を行ったからである。

谷弁護士にも、「大人の事情」はあったかもしれない。なにしろ 、『日弁連五十年史』の編集委員長が、800人決議の立役者であった辻誠もと日弁連会長(当時89歳)だったのだ。当時若手だった谷弁護士に、編集委員長に逆らう選択肢があったとは思われない。だが、800人決議という最も重要な歴史的事実を隠蔽しつつ、客観的事実を羅列したような体裁で文章を運ぶ谷弁護士の記述ぶりは、はしなくも、この隠蔽行為に積極的に関わった事実を、示唆しているように思われる。

谷弁護士によれば、今回の司法制度改革は、「民主主義・国民主権の実質化、基本的人権の尊重という高い理想」からの改革なのだそうだ。だが、歴史の隠蔽された社会では、民主主義は機能しない。歴史を知らなければ、正しい判断ができないし、先人の失敗を繰り返すからだ。

歴史を隠蔽する者は、民主主義の敵である。民主主義の敵に、民主主義の理想を語る資格はないし、民主主義を実質化するための司法改革を語る資格もない。

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