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2014年6月30日 (月)

弁護士会による政治的意見表明について

619日、日弁連は、「リニア中央新幹線計画につき慎重な再検討を求める意見書」を理事会で採択し、国土交通省およびJR東海に提出した。

531日の日弁連総会では、「重ねて集団的自衛権の行使容認に反対し、立憲主義の意義を確認する決議」を採択している。

日弁連だけではない。例えば大阪弁護士会も、集団的自衛権の行使について、同様の会長声明を出した。

弁護士会が、政治的ともとれる意見を公表することについては、会員の中でも賛否の意見がある。1987年(昭和62年)の日弁連の定期総会で国家秘密法案に対する反対決議が採択されたのに対 して、1989年(平成元年)、111名の弁護士によって同決議の無効確認を求める訴訟が提起されたが、原告敗訴で確定した(一審は平成 4 130日東京地裁判決)。

追手門学院大学の上石圭一教授は、「『日弁連の役割』の社会的構築―総会決議無効確認訴訟をもとにして」(法政理論第381号 2005年)において、政治的意見の表明を正当化する日弁連の「自己像」は、この訴訟を通じて形成されたと分析している。その「自己像」とは、「日弁連は、高度な自治権を有する自律的組織であるから、その会内合意によって意見表明の可否が決せられるのであり、しかも、その決定は個々の会員を強制するものではない」というものであった。そして、東京地裁判決も、上記「自己像」に沿った見解を述べている。

今回の集団的自衛権行使容認反対決議や、リニア新幹線計画見直しの意見書について、若手弁護士の中から「政治的な問題は、日弁連がやるべきことではない」とか、「企業内弁護士が増えた今日、(リニア新幹線や原発問題など、企業の見解と対立する意見を日弁連が出すことは)、日弁連と企業内弁護士の間に緊張関係をつくり出す」とかいった意見が出されているが、この議論は、少なくとも裁判上は、一度決着している。経緯を踏まえ新たな議論を展開するなら建設的だが、そうでないなら、やや勉強不足であろう。

とはいえ、上記判決から20年経ってなお同じ批判が生じるのは、上記「自己像」が日弁連会員にすら共有されていないことを示すとともに、「自己像」の出発点となる弁護士自治の実体なり、弁護士会の求心力自体が大きく揺らいでいることを示すものであろう。

おそらく特に問題なのは、組織の自治である以上不可欠な「会内合意」の正統性あるいは政治学的権威が、ひどく低下している点だと思う。

たとえば大阪弁護士会の現および前会長は、無投票当選した会長であり、会内多数の支持を受けたという外形を欠いている。会長のなり手がなく、持ち回りや押しつけあいになっている地方単位会も少なくないと聞く。そのような会長が構成する日弁連理事会で、リニア新幹線見直しを決議したところで、会内合意手続を踏んだと言ってよいのか、疑問である。もちろん、無投票当選した会長の意見についても、同様だ。

ところで、国家秘密法案反対決議が採択された1987年を挟む86年と88年、日弁連会長選挙は、左翼系と非左翼系に分裂して熾烈な選挙を戦っていた。90年、両派の推薦を受け、圧倒的多数票を獲得して当選した故中坊公平氏は、「もっとも重要なことは14000人の弁護士が団結して仲間割れしないことです」と述べた(『こん日』74頁)。つまり中坊氏は、左右に分裂した日弁連を統合する役割を担ったのである。

リニア新幹線見直し意見書や、集団的自衛権行使容認反対決議に反発する弁護士は、若手に多いように思われる。思想的な問題というより、「高い会費を無駄に使いやがって」という経済問題だ。これに対してベテランが、「あらゆる人権侵害行為に反対するのは弁護士の使命」と説教して、若手を鼻白ませている。

こうして、これからの日弁連は、かつてのように左右にではなく、上下に分裂していくのだ。

 

 

 

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2014年6月23日 (月)

内藤頼博の理想と挫折(62)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

木戸幸一と内藤頼博(3

『木戸幸一日記』上、内藤頼博の名前が出てくるのは、昭和7921日につづき、昭和8年(1933年)228日(火)である。やや長文だが、この日の記載を転記すると、次のとおりだ。

「午前九時半、犬養健君来訪、内閣の寿命、将来の政治動向等につき意見を交換す。十時半出勤。

正午、火曜午餐会に出席す。二荒伯と学習院問題につき語る。

同伯は自ら御用掛として改革の衝に当り度き希望あり。考慮を要する問題なり。

午後七時より華族会館に二荒、淺野(長武)、内藤、佐藤、入江(相政)、明石の諸君と会し、学習院の現状につき其の真相を聴き、改革の意見を交換す。要するに現在は山口(魏)事務官、馬場(轍)・石井(國次)両教授、所謂トリオを形成し専横を極むるものの如く、先決問題は馬場氏を勇退せしむることにして、之が空気を作るに寧ろ山口事務官をして其衝に当らしむるを可とすと云ふが余の意見なり。途中より辞去。

蜂屯に於ける原田の海軍大臣以下海軍首脳部招待会に出席、十時過帰宅す。」

二荒とあるのは、二荒芳徳伯爵(18861967)当時47歳。入江相政19051985)は戦後昭和天皇の侍従長を務めた人物として記憶されている方もあろうが、この時点では弱冠28歳だ。浅野長武(1895-1969。当時38歳)は広島藩主の嫡流、明石元長は第7代台湾総督明石元二郎の長男だが、戦後台湾独立運動を支援中42歳で急死した人物らしい。ここから逆算すると生まれは1910年頃、内藤とともに木戸幸一を訪れた折は23歳ということになる。「佐藤」だけでは、誰のことか分からない。いずれにせよ、この会合の中心人物は、名前の順番からしても年齢からしても、二荒芳徳伯爵だったと思われる。

一方、二荒らが糾弾した対象である山口魏とは宮内庁事務官であり、馬場轍石井國次はそれぞれ学習院大学の教授である。後世に残る業績は特にないようだが、国立国会図書館で著書の題名を検索すると、馬場の著書としては『純忠乃木精神』(1944)、石井の著書としては『今上陛下之御聖徳と皇道』(1937)『国民の覚悟 : 戦時教育』(1904)などがあるので、その思想的拠はだいたい知れよう。

さて、二荒らが木戸に訴えたところによると、当時の学習院は上記山口、馬場及び石井が専横を極めており、これを排除することが喫緊の課題であったらしい。同日昼の会談において、二荒は「自ら御用掛として改革の衝に当り度き希望」を木戸に述べたが、木戸は態度を留保し、夜の会談では「馬場氏を勇退せしむることにして、之が空気を作るに寧ろ山口事務官をして其衝に当らしむるを可とす」との意見を述べている。

33日の日記には、次の記述がある。

「午前十時官邸に湯浅宮内大臣を訪問。

学習院問題につき従来の経過を語り、今後の方針として先づ馬場教授を勇退せしむることにつき諒解を得、尚、宅野検挙に伴ひ宮内省内部の粛清の必要を力説す。尚、朝香宮殿下の過日漏されたる内大臣に対する御考へ及び国際聯盟の真相に関する御考へをも話て、対皇族問題の等閑に附し得ざる現状を説明す。」

つまり、木戸は内藤らと会った3日後には、馬場教授更迭を事実上差配している。馬場教授に関しては、翌昭和921日の日記に「朝、加藤鋭五君来訪、馬場(轍)元学生課長の娘の素行問題、之に関聯して昭和寮の風紀棄乱の状を話あり。実に驚き入りたることなり。」との記載がある。加藤鋭五は後に改名して京極高鋭となり、昭和の音楽評論家として名をなした人物だ。「風紀紊乱」の中身は分からないが、馬場教授の身辺には問題のあったことがうかがえる。

また、「宅野」とは、宅野田夫という画家であるが、この宅野の検挙と学習院問題、それに「宮内庁内部の粛清」とは、どういう関係があるのだろうか。

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2014年6月16日 (月)

内藤頼博の理想と挫折(61)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

木戸幸一と内藤頼博(2

「木戸幸一日記」を全ページスキャンしてOCRをかけ、「内藤頼博」で検索した作業だが、実際のところ、木戸幸一日記に内藤頼博が登場したのは3回しかない。

一回目は、昭和7921日である。「午後7時より、内藤(頼博)、明石(元長)両君其他3氏来訪、桜友会の改革につき意見を聴く。理想のみに走らず実行可能なるものより徐々に着手することを勧む。」とある。

昭和711月といえば、明治41年生まれの内藤は24歳。昭和5年に司法試験に合格し、昭和712月から東京地裁で予備判事として勤務する直前ということになる。

桜友会とは、学習院の同窓会である。桜友会ホームページによれば、「弘化4年(1847)京都で主に公家対象の学習所としてスタートした学習院が、維新後の明治10年(1877)東京・神田錦町に再興されて間もなく、卒 業生有志によって「学習院同志会」が設立されました。その学習院同志会は、明治33年(1900)に、規模を拡大「学習院同窓会」と改称、さらに21年後 の大正10年(19211月には抜本的な組織改変が行われ、今日の学習院同窓会である「桜友会」が誕生しました。」とある。内藤自身、昭和55526日から昭和621130日まで、桜友会会長を務めている。

平成2年に発刊された『櫻友会史』に内藤頼博が登場するのは、昭和5年から7年までの理事就任(841頁)及び昭和8年のことである。『桜友会史』183頁によると、従前卒業生相互の親睦組織であった桜友会が、「時代の変遷とともに大学進学等後輩指導の必要性を生じ、昭和81018日開催の通常総会において事業の一つとして、学生部を新設するに至った」とある。そして、初代学生部委員は「吉田清風、戸田吾郎、松平乗光、渡邊八郎、戸沢冨壽、岡部長景木戸幸一浅野長武三宅正太郎、内藤頼博、長崎守一柴山昌生、林秋義、相澤忠男、榊原政春、山根三郎、鮫島武久、杉浦正三」とある。なお、「時代の変遷とともに大学進学等後輩指導の必要性を生じ」とあるのは、その後の学生部の活動から推察するに、当時熾烈となってきた受験戦争の中で、東大や京大を志望する学習院学生を確保する必要性が生じてきたことを意味するようだ。

桜友会学生部の初代理事には、蒼々たる名前が続くが、注目すべきは木戸幸一、三宅正太郎、内藤頼博の3名であろう。内藤は任官前から、木戸や三宅と知己があったことを裏付けている。

そして、昭和711月に内藤が木戸を訪問したことは、当時桜友会理事であった内藤が、学生部創立の企画や、委員就任について、大先輩(19歳上)の木戸に意見具申や要望を行ったことを示すと思われる。これに対して木戸が「理想のみに走らず実行可能なるものより徐々に着手することを勧む」と応えたのは、若く理想に燃える内藤を、木戸が多少諫めた、というところだろう。

これは、昭和7年の時点で、内藤と木戸がかなり親しかったことを示すエピソードと思われる。

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2014年6月 9日 (月)

内藤頼博の理想と挫折(60)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

木戸幸一と内藤頼博(1

木戸幸一は、1889年(明治22年)、侯爵木戸孝正の長男として生まれた。明治の元勲木戸孝允(桂小五郎)は、祖母の兄にあたる[1]。学習院高等科では近衛文麿の一学年上で親交があり、卒業後、京都大学法科大学政治学科に入学し、河上肇に私淑した。農商務省、商工省を経て内大臣府秘書官長に就任し、1939年(昭和14年)の平沼大臣で内務大臣を歴任。1940年(昭和15年)から内大臣を務め、元老西園寺公望が同年11月に死去した後は、昭和天皇が最も信頼を置く「最後の内大臣」となり、東條英機を首相に推挙したことでも知られるが、戦況悪化後は早期和平に尽力した。終戦後、戦犯として逮捕され東京裁判で終身刑の判決を受けるが、その際証拠として提出された木戸幸一日記は、戦前戦中の実情を記した一級の資料として知られている。

その木戸幸一日記には、内藤頼博との面会記録も記されている。

日記には、戦前戦中に木戸幸一が面会した相手やその内容が克明に記されている。同日記は現在公刊されており、天皇はもちろん近衛文麿など著名人との面会記録については索引が設けられ、検索が容易になっている。ただし、面会の相手は全員が索引に網羅されている訳ではない。そこで、図書館から借りてきた木戸幸一日記の全ページをOCRにかけて文字を読み取り、検索することによって、索引にない人物との面会記録を追うことにした。昨今OCRの性能が上がったとはいえ、「小林」のように画数の少ない漢字は正確に読み取るものの、「内藤頼博」のような画数の多い漢字は誤読しがちである。また、氏名が行をまたぐ場合には認識できない。このような制限付きながらも、いくつかの興味深い記述に巡り会うことができたので、以下、ご紹介したい。


[1] 但し、『木戸幸一日記』3頁には「木戸孝允の孫に当たる」と明記されている。

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2014年6月 6日 (金)

感情認識ロボットと銀座のクラブのお姉さんとの共通点について

ソフトバンクが、感情を認識するロボット“Pepper”を発表したというので、プレゼンを見た。

印象に残ったのは2点。1点目は、上半身の極めてなめらかで、人間的な動きである。2点目は、人間とのとても自然な会話だ。どの程度シナリオがあるのか分からないが、全部台詞が決まっていたとしても、会話の間の取り方などは、雨上がり決死隊の宮迫が賞賛するほどだった。

とはいえ、このロボットのウリは、「感情を認識する」という、ロボット初の機能である。具体的には、人の発する言葉や表情、声のトーンなどから感情を読み取り、対応できる機能と思われる。そのうえ、対話記録をクラウドに上げ、分析することを通じて、どのように対応すれば人が満足するかのノウハウを築き、個々のPepperにフィードバックする機能を備えているようだ(このあたりは、プレゼンを見ただけでは明らかではないが、私自身、半年ほど前に同じアイデアを思いつき、ロボット業界人にぶつけて回っていた。ソフトバンクは同じアイデアに、数年前から取り組んできたと思われる)。つまり、クラウドとの間で集合知を送受信し続けることによって、個々のPepperが成長していくのである。そして、クラウドとの常時接続を本質とするロボットである点にこそ、通信事業者であるソフトバンクが、ロボット事業に進出した理由があるのだろう。

一応法的問題を指摘しておくと、クラウドと接続される以上、プライバシー保護は重要である。人間とPepperの一対一の会話の多くは、いわば「ピロートーク」となるだろうから、その会話の持つ機微性は極めて高い。同意を得て収集するにせよ、極めて厳重な管理が必要だ。

人間の感情認識機能を備えたPepperだが、Pepper自身は、成長すれば、感情を持つのだろうか。ソフトバンクの孫社長は肯定していたが、科学的な意味での「感情」とは別物と思われる。とはいえ、「あたかも感情を持っているかのように振る舞う」ことができる以上、Pepperとの間に「感情の交流を持てた」と感じる人間は増えるだろうし、そのような感情は、いつ愛情に変わってもおかしくない。

考えてみれば、話の中身を理解できなくても、適切なタイミングで相づちを打ち、なめらかに会話をつなげ、然るべきところで一緒に笑い、相手を励ますノウハウは、銀座のクラブのお姉さんたちが習得するそれと同一である。だから、Pepperが成長すれば、銀座のクラブのお姉さんと同じように、オーナーとの恋愛関係に発展することも、大いにありうることになる。銀座のお姉さん達との恋愛と同様、疑似恋愛かもしれないが、そんなことは、Pepperのオーナーにとって、どうでも良いことだ。

次世代ロボットの将来像を聞かれるたび、私はこう答えてきた。コンピューターとインターネットの登場は、情報の世界に、革命をもたらした。これに対して、次世代ロボットの登場は、人間の感情世界に、革命をもたらすだろう。コンピューターとインターネットが、さまざまな情報関係法の改正をもたらしたように、次世代ロボットは、人間の感情にかかわるさまざまな法制度に影響を与えるだろう。それが具体的にどのようなものか、今は想像できない。だが、これだけは予言しておく。

数年以内に、メイドロボットと心中するオタクが現れる。これだけは間違いない。

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2014年6月 5日 (木)

ショッピングモールにおける顔認証システムの導入について

イオンモールなどの警備を請け負うイオンディライト株式会社(本社 大阪市中央区南船場)は、2014年度2月期決算短信において、「イオンモール大日にて顔認証システムの導入が決定した」と公表した。

イオンモール大日は、大阪府守口市にある大規模商業施設である。

顔認証システムの詳細は不明。特定顧客の顔認証情報を登録しておいて、その顧客が来店したときに、警備員の注意を喚起するシステムと想像される。ワオンカードとの連携も、技術的には不可能ではないが、現在の技術水準では精度が足りないし、管理が面倒だし、法的問題もあるので、実施しているか否かはわからない。

顔認証システム導入と運用の目的は、主として万引対策だろうが、クレーマーを含む不良顧客や不審者対策、顧客に対する痴漢や盗撮等の不法行為対策などもあり得るだろう。逆に、超お得意様対策も、技術的には可能だ。

このシステムに、法的問題はないだろうか。防犯カメラそのものの設置や運用には問題ないことを前提として考えてみる。

まず、個人の顔画像や顔認証情報は、それによって特定の個人を判別できるものである限り、個人情報に該当するから、みだりに取得することは、個人情報保護法違反や民法上の不法行為を構成する可能性がある。従って、あらゆる顧客の顔認証情報を無許可かつ一律に取得することは、明らかに違法だ。一方、万引や痴漢などの現行犯の顔画像を保存したり、そこから顔認証情報を取得したりすることは、許されるだろう。クレーマーなどの問題顧客を登録することは、利用目的を公表していない限り、個人情報保護法に違反する可能性があるが、民法上の不法行為に該当するか否かについては、微妙な部分もあろう。

顔認証情報の取得や保存が合法でも、法人格をまたいで他の店舗等に提供することは許されない。ただ、その法人が警備を請け負う他の店舗で使用することは、現行法上は問題ない。

万引犯などの可能性があるというだけで顔認証情報を取得することは違法だろうか。一見明らかに違法にみえるが、そうとも断言できない。警備の実態に即して考えてみれば、万引対策は、まず挙動不審者の顔認証情報を取得し、その顔認証情報をもとに、その後の立ち寄り先の動静を監視することによって現行犯逮捕に至ると想定されるからだ。かつてスリ専門の警察官に教えてもらったが、「スリと痴漢は目を見りゃわかる」らしい。したがって、挙動不審者の一時的な顔認証情報登録は許さざるをえないが、犯罪者等でないことが明らかとなった時点で登録解除されるべきであろう。

問題なのは、問題顧客の顔認証情報登録や解除が適正になされているか否かを確認する手段がないことだ。登録したことを通知するといっても、万引の現行犯で取り押さえられた顧客には通知可能だろうが、逃げおおせた者もいるだろうし、決定的な場面を録画されずに済んだ者も多いだろう。悪質なクレーマーなどの問題顧客に「あなたは顔認証システムに登録されました」と告知するというのも、現実的ではない。

警備会社の立場からすれば、「私は顔認証システムに登録されていますか、登録されていませんか?」と聞かれても、答えることはできない。悪用されるリスクが高いからだ。また、個人情報保護法上の開示請求(24条)を行うことができるかについては、防犯カメラの映像は「保有個人データ」(個人情報取扱事業者が、開示、内容の訂正、追加又は削除、利用の停止、消去及び第三者への提供の停止を行うことのできる権限を有する個人データ(個人情報データベース(特定の個人情報を電子計算機を用いて検索することができるように体系的に構成したもの)等を構成する個人情報)であって、その存否が明らかになることにより公益その他の利益が害されるものとして政令で定めるもの又は一年以内の政令で定める期間(6ヶ月)以内に消去することとなるもの以外のもの)に該当しないから開示義務はないという見解がありうる(おそらく裁判例はないが)し、仮に開示義務があるとしても、「記録されていません」と回答された場合、強制的に確認する法的手段が存在しない。

したがって、現行法を前提にする限り、ある人が顔認証システムに登録されたか否かを確認することは、事実上不可能ということになる。

「私は全く身に覚えがないから関係ない」と思われる人が大半だろうが、そうともいえない。間違って登録されることもあるし、他人の登録情報と似ているというだけで、システムが人違いを起こすこともあろう。

そのうえ、ある種の精神疾患を患っている人が、些細な出来事をきっかけに、「顔認証システムに登録されたに違いない」と思い込むことがある。実際、私の事務所には、最近、このようなご相談が複数よせられている。医師に相談しなさいと申し上げているのだが、ご本人は確信しているから、皆、絶対に間違いない、何とかしてくださいと言い張る。そのような方の多くは善良でまじめだから、間違いを起こすことはないが、絶対とは言い切れない。

顔認証システムと情報開示の運用については、知恵を出し合って、適切なルールを定めておかないと、近い将来、思わぬ悲劇を招く可能性がある。

 

 

 

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2014年6月 2日 (月)

宮澤節生教授の法社会学国際賞受賞について

日本ではまだ報道されていないが、宮澤節生青山学院大学法科大学院教授が、わが国とアジアにおける法社会学の普及と組織化の業績を評価され、法社会学会の国際賞を受賞されることが、29日、決定されたという。日本人では千葉正士東京都立大学名誉教授に続いて二人目という名誉。この場を借りて、お祝いを申し上げたい。

宮澤節生教授は、法科大学院制度創設の功労者として知られる。法科大学院制度創立後、自らも早稲田大学、大宮法科大学院大学と渡り歩き、現在は青山学院大学法科大学院教授の職にある。

もっとも、昨今の法科大学院問題に関して、宮澤教授は沈黙しているように見える。マスコミに対する宮澤教授の発言としては、「日経テレコン21」で調べた範囲では、「弁護士過疎の解消、被疑者国選弁護の拡大、裁判員裁判の導入など、多くの弁護士を必要とする司法制度改革の実施が迫っており、3000人合格の目標は死守すべきだ。現在の法科大学院の定員を維持したままでは、新試験の合格率は2割台に低下する。実質的な予備校化が進行すれば教育の理想から遠ざかり、法曹を志す者の減少が続く。全校が大幅な定員削減に取り組むべきだ」(200918日毎日新聞)、「(法科大学院の)「定員削減はまだ不十分。現状を放置すれば法曹志望者は今後も減り、特に未修者が遠ざかって、多様な法曹を養成できなくなってしまう」(2009923日東京読売新聞)が最後のようだ。

これらの発言に対する私の感想は、「宮澤節生教授の変節と破綻」に書いたとおりであり、特に変更する必要を感じないから、ここでは述べない。

一方、法科大学院問題では沈黙している宮澤教授だが、最近は犯罪学の分野で積極的に発言されているようだ。特に、「厳罰化ポピュリズム」に対し警鐘を鳴らしているとのことである。

2009514日の朝日新聞によると、同年3月に龍谷大学で開催されたシンポジウムにおいて、宮澤教授はこう述べたという。「(日本でも)凶悪犯罪の被害者が声を上げるようになる中で『被害者は仲間。それに対決する弁護士は敵』と考える空気が市民に生まれ、裁判官もポピュリズムにかじを切った」と分析し、「この流れで、何の対策もなく裁判員制度が導入されれば、厳罰化の方向へ進む懸念が強まっている」と危惧を示したという。また、宮澤教授は、市民参加が「絶望的な刑事司法」を変える、と司法制度改革を推進してきた。「裁判員制度をつくる段階では予想できなかった。だが、裁判員が、被害者だけでなく被告(人)も『市民の一人』だととらえられるようになれば、流れは変わるかもしれない」と述べたという。

実務家の感覚からすれば、一般市民に量刑させた場合、厳罰化することは当然予測できたはずだし、当時そのような議論がなかったはずはないと思うが、宮澤教授には予想できなかったらしい。

そうなると、宮澤教授はどのような国家社会を目標として、司法改革を推進されたのか、問い直したくなる。何を予想し、何を予想できなかったのか。予想できなかった原因は何か。日本を代表する法社会学者となった以上、司法制度改革を総括することは、宮澤教授の責務である。法曹養成制度がこうなっちゃったことを、まさか予想できなかったということもあるまいが。

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