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2014年7月28日 (月)

『私たちはこれから何をすべきなのか―未来の弁護士像』(金子武嗣弁護士著)

金子武嗣弁護士から、著書『私たちはこれから何をすべきなのか―未来の弁護士像』(日本評論社)をご恵贈いただいた。

金子弁護士は今年66歳。2010年度大阪弁護士会会長で、2016年の日弁連会長選挙出馬が噂されている。弁護士としての人格識見に優れていることはもちろん、実直な性格とフットワークの軽さをあわせ持ち、とても尊敬している弁護士の一人である。

さて本書の構成は、260頁の前半分以上を、明治時代から現在に至る弁護士制度の歴史の記述にあてている。その意味では、司法改革―日弁連の長く困難なたたかい』(大川真郎弁護士 2007年)『こんな日弁連に誰がした?』(拙著 2010年)に続く「歴史系」といえる。弁護士や弁護士会の現在や未来を語るうえで、歴史の探究は不可欠であり、何度でも、さまざまな視点で語られるべきだと思う。その意味で、「歴史系」の再登場を率直に喜びたい。

歴史の記述は客観的記述を旨としているが、全体としては弁護士自治を勝ち取った先人の努力に焦点を当てたものとなっている。また、昭和以降のいくつかのトピックについては、著者の評価が明示されている。いわゆる反臨司路線に対して否定的な評価を下している点は拙著の立場と同じであり、19941221日の日弁連(土屋公献会長)総会での800人決議が失敗だったと総括している点は、拙著や大川真郎弁護士と同じ。その意味では「反虎系」に分類される。

中坊公平も矢口洪一も出てこない点や、東西冷戦と55年体制の終結といった背景事情に触れない点は、拙著と異なる。これは良し悪しの問題というより、会長選挙出馬を控えた筆者の立場の問題と思われるが、意見対立の火種を慎重に避けたとの印象もある。

日弁連にとっての「司法改革」の出発点を1989年の「松江市の人権大会宣言」としている点は、翌1990年の「高知市での日弁連総会」での「司法改革宣言」とする大川真郎弁護士と微妙に違う。評価の理由は、それまでの言いっ放し、何でも反対の宣言ではなく、有言実行だったからだという。ただ、司法改革の旗手であった中坊公平氏が日弁連会長に就任したのは、松江市の人権大会の翌年だ。この差に「微妙」な違いの原因を求めるのは、穿ちすぎだろうか。

終章は、書籍名と同じ「私たちはこれから何をすべきなのか弁護士の未来像」という題名だ。政策提言集というべきところだが、その内容を乱暴に要約すると、①業務拡大に最大のページを割き、次いで②司法試験合格者年1500人の実現と若手弁護士の支援、③弁護士を身近にする広報、④政策実現のための説得力と自己犠牲、⑤憲法を守り、立法活動を強めると続き、最後に⑥弁護士の未来を見据えよう、と結んでいる。

この提言の部分については、正直、若干の物足りなさを禁じ得ない。弁護士の業務拡大が必要なのはその通りだが、弁護士会はこの10年、必死で取り組んできて、成果を上げられなかった。なるほど組織内弁護士は全国で1000人を超えようとしているが、弁護士全体が2万人近く増えた中では焼け石に水だし、増加率の頭打ちも近いといわれている。司法試験合格者1500人というのは、現執行部と同意見だが、景気がよほど劇的に好転しない限り、1500人を維持したのでは弁護士の窮状は解決しない。それは弁護士個人の生活の問題ではなく、弁護士を目指す優秀な若者を減らしているし、「自治」の対価である馬鹿高い弁護士会費の引き下げ圧力となっていて、筆者自身が最大の価値を置く自治権を崩壊させようとしている。もちろん著者自身、よく分かっておられると思うが、政策提言を従前の「主流派」の枠組みに収めてしまったあたり、自ら手足を縛っているように見える。

また、人口問題に言及しながら、法科大学院等法曹養成問題に一切言及しない点、ご自分がかかわられた給費制問題についての提言がない点についても、大人の事情と思いつつ、不満が残る。

さらに、著者は「弁護士自治は先輩が勝ち取ったものであり、維持する努力を怠れば失われる」と警鐘を鳴らしていて、その点に異存はないが、弁護士自治がいまどのような危機に晒されているのか、なぜ守らなければならないのか(年間60万円から100万円も支払って!)、について、掘り下げた見解が示されていない。このあたりについては、私も追って、論点を分けて意見を述べていきたい。

『こん日』に示した弁護士の未来は、とても暗い。これに対して金子弁護士は、ほぼ同じ歴史認識に立ちながら、あえて明るい未来を描こうとしている。私はその立場を否定するつもりはない。評論家の気楽さとは違うのだし、未来は暗いと言って何もしないのでは敗北主義だからだ。だが、気楽な評論家だからこそ言えることもあろう。その意味で、ご恵贈いただいた本については、建設的な議論をしていきたいと思う。

 

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2014年7月10日 (木)

内藤頼博の理想と挫折(63)

占領下の日本で、裁判所法起草の中心となり、給費制を創設するなど、現代司法制度の礎を創ったのは、内藤頼博(よりひろ)判事ら、戦後の日本人法曹である。彼らが描いた理想と挫折の軌跡を追う。

木戸幸一と内藤頼博(4

美術人名辞典によると、宅野田夫(たくのでんぶ)は、「画家。明治28年(1895)東京生。名は清征。岡田三郎助に洋画、田口米舫に日本画、王一亭・呉昌碩等に南画を学ぶ。また、頭山満・後藤新平らとも交際があった。画風は自由奔放で、幻想画・洋画・水彩画・南画を能くした。歿年未詳。」とされている。

交際があったとされる後藤新平18571929)は、「台湾総督府民政長官。満鉄初代総裁。逓信大臣、内務大臣、外務大臣。東京市第7代市長、ボーイスカウト日本連盟初代総長。東京放送局(のちの日本放送協会)初代総裁。拓殖大学第3代学長を歴任した。」(wikipedia)とされ、日本の大陸進出や植民地経営を推し進めた人物であった。

東山満18551944)は、「明治から昭和前期にかけて活動したアジア主義者の巨頭。玄洋社の総帥。号は立雲。玄洋社は、日本における民間の国家主義運動の草分け的存在であり、後の愛国主義団体や右翼団体に道を開いたとされる。、教え子の内田良平の奨めで黒龍会顧問となると、大陸浪人にも影響力を及ぼす右翼の巨頭・黒幕的存在と見られた。一方、中江兆民や吉野作造などの民権運動家や、アナキストの伊藤野枝や大杉栄とも交流があった。また、鳥尾小弥太・犬養毅・広田弘毅など政界にも広い人脈を持ち、実業家(鉱山経営者)や篤志家としての側面も持っていた。条約改正交渉に関しては、一貫して強硬姿勢の主張をおこない、また、早い時期から日本の海外進出を訴え、対露同志会に加わって日露戦争開戦論を主張した。同時に、韓国の金玉均、中国の孫文や蒋介石、インドのラス・ビハリ・ボース、ベトナムのファン・ボイ・チャウなど、日本に亡命したアジア各地の民族主義者・独立運動家への援助を積極的に行った。」(wikipedia)とされる。

また、柏書房株式会社のサイトによれば、宅野は右翼思想家蓑田胸喜(18941946)の盟友として『新聞と社会』という右翼系新聞批評紙の顧問として参加しており、「宅野田夫の手によって蓑田の天皇機関説排撃活動の裏舞台がリアルタイムで報告されて」いるとのことである。その「舞台裏」に触れた別サイトには、宅野は西園寺(公望?)に対して、天皇機関説排除の目的を伝えたとある。

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2014年7月 7日 (月)

来るべき戦争のありかたを具体的に予測することについて

100年前の6月28日、ボスニアで起きた暗殺事件をきっかけにして、第一次世界「大戦」がはじまった。もっとも「大戦」と呼ばれたのは後の話。当時、ほとんどの人は、この戦争が1000万人を超える死者を出す悲惨な大戦争になるとは思っていなかった。しかし、機関銃の登場が、文字通り死体の山を築き、これに対抗するため掘られた塹壕を攻撃する毒ガスが用いられ、多数の兵士を殺した。戦争の長期化と戦線の拡大は、多くの一般国民を戦場に投入させ(発達した交通機関がそれを可能にした)、莫大な人的損失と、国家財政の破綻をもたらした。

一方、このとき日本軍は、来るべき戦争の形態を的確に予想していた。その10年前の旅順攻略戦で、機関銃で守られたロシア要塞を攻略しあぐね、膨大な人的損害を被っていたからだ。第一次世界大戦中、青島での対独戦を指揮した神尾光臣中将は、「慎重作戦」と揶揄されながら、多数の長距離砲の設置を優先し、砲弾の力でドイツ軍を圧倒した。

もっとも、このような洗練された戦いができたのは、第一次世界大戦が日本にとっては局地戦だったから。総動員戦となった第二次世界大戦には通用しなかった。ただし、その中でも、機動部隊を使った海上航空戦という戦争のありかたを考案したのは日本海軍であり、一時的に英米軍を圧倒したのは著名なエピソードである。

まとめると、100年前の兵器と交通手段の飛躍的発達が、戦争の形態を根本から変えた。それは、第二次世界大戦まで続いたが、その最終局面において、再度、戦争の形態を根本から変える兵器が登場した。核である。

核兵器(とその輸送手段である長距離爆撃機と弾道ミサイル)の発達により、核兵器保有国同士の全面対決は、全人類の滅亡に直結することになった。そのため、皮肉なことに、核兵器が戦争を抑止することになり、第二次世界大戦以後80年間、「大戦」は起きなかった。

もちろん、その間「戦争」は起きている。だが、ベトナム戦争と湾岸戦争は、戦争の形態が全く異なるし、湾岸戦争とイラク戦争も違う。湾岸戦争当時の「パウエル・ドクトリン」を否定したラムズフェルドは、その正しさをイラク戦争で証明したが、フセイン政権打倒後の占領政策では失敗を認めざるを得なかった。

これらのエピソードが示す教訓は、「来るべき戦争のありかたは予測できる。ただし、常に当たるとは限らない」ということだ。

さて、わが国では、集団的自衛権行使容認によって、「戦争」に巻き込まれると懸念する声が強い。その懸念は尊重に値するけれども、もっと大事なのは、「どのような戦争」に巻き込まれるかを具体的に予測することではないか、と思う。

安倍首相は記者会見で、「戦争になることは絶対にない」と断言した。この言い方が使い古されたマヤカシであることは、「戦争」を「原発事故」に置き換えてみれば明らかだ。しかし他方、反対する側も、「どのような戦争」になるかの予測を怠っている点では、政府と同罪である。実体験に基づいて、「赤紙、焼夷弾、民間人を巻き込む悲惨な地上戦」と言う人がいるけれど、それは、過去の戦争(人類史上、たった50年間にしか起きなかった戦争)であって、未来の戦争ではないと、私は思う。他方、洗練された局地戦のみとも思われない。大量破壊兵器や、無差別攻撃兵器が実際に使用される可能性は否定できない。

過日、韓国の軍関係企業のプレゼンをみたが、彼らはとても具体的に、来るべき戦争のありかたを予測していた。戦う相手も戦う場所も、ほぼ決まっているわけだから、具体的に予想できて当然だが、わが国でも、当面具体化しそうな戦争のありかたを予測することは可能だろう。というより、政府には具体的に予測しておいてもらわないと、困るのである。そして、政府の予測が正しいとは限らないし、性質上公開できない部分もあるだろうから、民間シンクタンクによる予測が不可欠だ。

外国では、来るべき戦争の形態を真剣に検討している民間人や民間のシンクタンクがあると聞く。日本ではどうなのだろう。「民間企業が請負う航空戦だけの戦争」や、「公務員どうしのゆるーい内戦」といった、非現実的な予測しかないのだろうか。

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2014年7月 2日 (水)

「月5万円の法律事務所」を考えてみませんか?

大阪弁護士会の月報6月号に、標記の文章が掲載されたので転載します。末尾に書いてあるとおり、参加したいと思われる若手弁護士のご連絡をお待ちしています。ただ性質上、大阪弁護士会員に限られます。

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弁護士業務改革委員会第7部会では、「月5万円の法律事務所」を企画したいと考えており、興味ある会員の参加を募集します。

「月5万円」とは、なかなか刺激的だと思います。その必要性と可能性をご説明しましょう。

弁護士はこの10年で倍増しましたが、民事事件数は、過払事件の枯渇に伴い、急速に減少しています。収入が減る以上、生き残る術は、経費節減しかありません。経費の大半を占めるのは、家賃と人件費です。これらを徹底的に切り詰めたオフィスを構想する必要があります。

「アドレスフリー」というオフィス形態があります。これは、専用の机がなく、空いている席で執務する形態です。弁護士は、事務所を留守にする時間の長い職業です。留守の間、執務スペースはカラ家賃を払っています。30人の弁護士が、15の机を共有すれば、事務所の家賃は大いに節約できるはずです。また、IT化を推し進めれば、事務員は不要です。会費や電話代を合計して、固定経費を月10万円に収めれば、30万円の売上で、十分生活できます。

5月初旬、グランフロント大阪にあるインキュベーションオフィスを見学しました。最先端のビルだけあって、天井が高くて明るく、開放的な雰囲気です。ITベンチャーを中心に約70人の会員が、50脚以下の机を共有しているとのことでしたが、見学した時にはその半分も埋まっていませんでした。什器はカラフルで機能的なものが多く、IKEAか中古家具店で購入したとのこと。36524時間使用可能で、打ち合わせスペースやセミナールーム、複合機や電子レンジ、私書箱とロッカー、電源やWI-FI等が無料。電話の取次やお茶だしはなく、会員は自分のPCと携帯電話ですべての仕事をこなし、使用料は月額38000円。つまり、月額5万円の法律事務所は、決して不可能ではないのです。単純計算すれば、坪1万円なら、30人で100坪借りておつりが来る、ということになります。

アドレスフリーには他の利点もあります。それは、利用者同士の相談や雑談が、互いのスキルを高め、精神の安定をもたらすことです。見学したインキュベーションオフィスでも、会員同士で打合せを行う様子が普通に見られましたし、意気投合し共同して独立した例もあるとのこと。ブラック事務所や、インターネットカフェのような事務所に一人でいるよりは、精神衛生に良いはずです。

もちろん、問題もあります。たとえば、書面はすべてデータ化してクラウドに置き、原本は自宅に保管し、タブレットとノートPCで出廷することになりますが、それで事務処理が可能か、検証する必要があります。また、本は電子書籍か、「自炊」することになります。顧客のプライバシー確保も問題になります。

法制度上の問題もあります。たとえば、このようなオフィスを事務所住所として登録することは可能でしょうか。見学したインキュベーションオフィスは、法人の住所地として登記することを認めていましたが、法律事務所の場合、規制を受ける可能性があります。このほか、セキュリティの維持や、チャイニーズ・ウォールのあり方なども、検討を要する課題です。

このような問題点を洗い出し、解決の道筋を探ることが、この企画の当面の目的です。業界全体が地殻変動を迎え、良くも悪くも根本的な変革が求められているいま、何が悪しき旧弊かを見極め、変えていきたいのです。

この企画を進めるには、若手弁護士の参加が不可欠です。もし実現しなくても、固定経費を徹底的に切り詰めたオフィスの構想は、必ず役に立つはずです。参加希望のご連絡をお待ちしています。

弁護士業務改革委員会第7部会

副委員長 弁護士 小林正啓(44期)

kobayam@gold.ocn.ne.jp

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