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2014年8月20日 (水)

これからの「戦争」の話をしよう

816日、ニコニコ生放送これからの戦争話をしよう最新軍事テクノロジーと未来の戦争に出演した。

軍事評論家や兵器ジャーナリストらのゲストに混じって、いささか専門外の私の役割は、国際法の論点をお示しすることだったので、泥縄で勉強した内容をまとめておきたい。情報源は各HPのほか、書籍としてはP.W.シンガー著『ロボット兵士の戦争』と、京都産業大学の岩本教授の論文である。

 

2013423日、各国のNGOが終結して、「殺人ロボット阻止キャンペーン(Campaign to Stop Killer Robots, CSKR)」が発足した。背景には、急速に普及しだしたロボット兵器の存在と、それ(特にドローンと呼ばれる遠隔操縦型飛行兵器)による誤爆の問題が国際問題化してきたことがあると思われる。このような動きを受け、国連でも、特定通常兵器使用禁止制限条約(Convention of Certain Conventional Weapons, CCW非公式専門家会議が、2014513日から16日まで、ジュネーブで開催され、日本代表も出席した。米国は出席を渋ったが、検討対象を完全自律型のロボット兵器に限定することを前提に出席を決めたとも言われている。

この会議では、いわゆるロボット兵器を致死性自律型兵器システム(Lethal Autonomous Weapons System)と呼んでいる。略称はLAWS。法律家からは悪い冗談のようにも見える。

このLAWSは、不完全自律兵器と、完全自律兵器に分類されることがある。現在ロボット兵器と呼ばれているものは、ほぼ全部不完全自律兵器であり、目標の選定や攻撃の決定は人間が行うか、いつでも人間が介入できるようになっている(Human in/on the Loop Weapon)。

LAWSの利点は、味方兵士の命を救うこと、戦場の3DDirty, Dull, Dangerous)環境を機械に代替させられること、については、推進派・反対派とも争いがない。

また、意外なようだが「誤爆や無用な殺傷のリスクを減らす」ことも、推進派、反対派ともに認めているところだ。なぜなら、ロボット兵器は、戦場で自分の身が危険にさらされても、焦ったり慌てたりすることがないので、落ち着いて必要な目標を選定できるからである。

もっとも、遠隔操作型ロボット兵器の場合、操作する人間次第では、この「利点」が生かされないことも、指摘されている。たとえば、アフガニスタン上空を飛ぶプレデターの操縦者は、アメリカ本土にいて、自宅から車でコントロール室に「出撃」し、ゲリラと戦って2、3人殺害したあと、子どもが通う学校のPTAに出席したりしている。このような環境にある兵士にとっては、攻撃対象が兵士か民間人か区別することより、PTA会議に遅れず出席することの方が重要になったりするのだ。

ただ、誤爆の問題はロボットに限らず、ミサイルなどの遠隔攻撃兵器に常につきまとう問題であり、ロボット兵器の方が誤爆が多い、とは一概には言い切れない。もっとも、人間の判断ミスによる誤爆は、事後的に賠償や制裁が可能であり、それが誤爆回避にフィードバックされるのに対して、ロボットの判断ミスの場合には、人間に責任を追及できず、結果として誤爆回避に結びつかないという問題がある。人権団体が強く指摘するのはこの点のようだ。

完全自律型ロボット兵器の登場は、20年から30年先と言われているが、技術的・法的な問題点としては、第1に、敵味方の識別をどうするか、第2に、敵戦闘員と非戦闘員の識別をどうするか、第3に、攻撃してよい敵戦闘員と攻撃してはいけない(負傷している、降伏している)敵戦闘員をどうやって区別するか、という問題がある。これは戦時国際法(JUS IN BELLO)をロボット兵器にどうやって遵守させるかという問題だが、現在のところ、技術的に信頼できる解決の見通しは立っていない。

これは私見だが、現在の技術水準を前提にする限り、「攻撃されるまでは反撃しない」ことが唯一の解決策と思われる。そのためには、ロボット兵士は常にチームを組んで行動することになり、1台が破壊されたとき、はじめて反撃を開始するという戦い方になろう。

番組の最後に司会の宇野常寛氏も言っておられたが、これから起こりうる戦争の姿を考えずに、平和を語ることはできないと思う。戦争=赤紙・空襲という、戦中世代の戦争論は思考停止だし、多くの国民が飽き飽きしている。番組は、生放送で約2万人が視聴され、8割の人が「とてもよかった」と回答されたとのことだが、この番組のような試みが、若い人々にとって少しでも役立てばと思う。

 

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2014年8月18日 (月)

プロバイダ等による通信傍受の適法性について

Googleが、ヒューストンに住む容疑者のGmailアカウントに見つけた違法な画像を当局に通報したため、男が児童ポルノ保有の嫌疑で逮捕されたという。これを紹介する記事は、「それでGoogleを批判する者は一人もいないと思われるが、手がかりがあくまでも私信の中から見つけられたものであるだけに、そこで使われた方法について疑念を抱く者がいるかもしれない」が、「それらの疑問は、この逮捕の実現のためにGoogleが用いた技術を、よく理解していないために生じている」としている。

日本では、憲法212項が、「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを犯してはならない」と定めているし、電気通信事業法は、民間事業者も通信の秘密を守るべきことを定めている。とすれば、Googleの行なったことは、我が国では違法になるように思えるが、これも誤解なのだろうか。

記事によると、「Googleはその無料のサービスを支える広告の適切化(個人化)のために、ユーザのメール中のキーワードやフレーズを、人が介入しない自動化ソフトでスキャンしている。人間がユーザのメールを読んでいる、ということはない。またGoogleの技術者たち…つまり人間…がこの男のメールアカウントの中身を読んで、違法画像が共有されていることを見つけたのではない。さらにGoogleは、窃盗などの犯罪的行為を見つけることを目的としてユーザのアカウントを…自動化ソフト等で…スキャンしていることもない。今回のケース、および逮捕に結びついた技術は、児童ポルノの発見だけを目的とする、きわめて専門的限定的なアクション、ならびに技術だった」という。この日本語記事は「抄訳」とされているが、原文を見ても、特にそれ以上のことは書いていないように思われる。つまり、Googleの行為は、人間がメールを見ているわけではないことと、他の犯罪ではなく児童ポルノ発見だけを目的とするソフトの仕業であることから、正当化される、と言いたいようである。

そうだろうか。少なくとも日本では、極めて乱暴な議論だ。

まず、「人間ではなく、コンピューターがメールの中身をチェックしているだけだから、通信の秘密を害してはいない」という議論は成立しない。たとえば、反原発運動家同士のメールをチェックしたり、野党選挙事務所が送受信するメールをチェックしたりすることが、「人間がやったらダメで、コンピューターならOK」という議論は、絶対に成立しない。

次に、「児童ポルノ画像だけを探知するソフトの行いだから、許される」という議論も成立しない。確かに児童ポルノの蔓延は重要な社会問題だが、テロにしろ薬物問題にしろ、同程度またはそれ以上に重要な社会問題はいくらでもある。重大犯罪だから通信の秘密を侵してもよいという議論がまかり通るなら、憲法の条文は死文化するといって過言ではない。

したがって、我が国で同様のことが許されるためには、少なくとも立法が必要である。

しかし他方、コンピューターを使ったメールのチェックが、人間による盗聴や検閲と同レベルで禁止されるべきか、いいかえると、いわゆる盗聴法と同レベルの条件(犯罪の限定と令状主義)でのみ許されるか、というと、必ずしもそうは言い切れないところがややこしい。

たとえば、朝の電車で化粧に勤しむ若い女性がいる。彼氏の前では絶対にやらないであろう、基礎工事から平気で行っている。この事例は、「赤の他人の前では、プライバシーの意識が薄れる」ことを端的に示している。だとすれば、この女性は、コンピューターしか見ていない場所なら、素っ裸でも恥ずかしいとは思わないだろう。また、街頭防犯カメラについても、「犯罪が起きない限り、画像を人が見ることはないから」許せる、と考える人は多い。

したがって、日本でも、「人間は関与せず、コンピューターしかメールの中身を見ない」という事実は、通信の秘密の侵害を正当化しうる理由の一部にはなりうるのだろう。また、児童ポルノに限らず、テロにせよ薬物問題にせよ、メールをチェックして犯罪等を予防し捜査する社会的要請は、一定程度あると言わざるを得ない。

結局のところ、この問題に関する私の結論は、「人が見ず、児童ポルノ摘発専用ソフトだからOK」という議論はあまりに乱暴であり、法律の根拠がなければ許されないが、その法律は、特定犯罪捜査のため人間が盗聴をする場合に比べ、ある条件のもとでは、緩い要件での運用が許される余地がある、ということになる。その条件とは、適切な運用を担保する制度ということになろう。どんな制度か、という議論になると、さらに難しいので、それはまた別の機会にしたい。

いずれにしろ、通信の秘密に関する限り、米国のプライバシー保護の程度は、日本より遙かに薄い。欧州はどうなのだろうか。「我が国では、いわば、「通信の秘密」が、タブーとなっていて、十分な研究がなされていないところである。しかも、それは、昭和40年代までに比較して、さらに昭和後半などからは、ほとんど研究の対象とされておらず、比較法的な研究というのにいたっては、ほとんど、存在しないものに近い」(高橋郁夫弁護士「通信の秘密」の比較法的研究・序説)との指摘もある。プライバシー保護法制の国際比較は一筋縄ではいかない、ということかもしれない。

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2014年8月17日 (日)

ロボット兵器に関する国際会議についての覚書

国連の特定通常兵器使用禁止制限条約会議は、2014513日から16日までの4日間、「自律的致死性兵器」(Lethal Autonomous Weapons System(略称LAWS)に関する専門家会議を、ジュネーヴで開催した。

Geneva Centre for Security PolicyNils Melzer博士によれば、ロボット兵器とは、遠隔操作され、又は事前にプログラムされた機械であって、人間の監督の下に、さまざまなレベルで自律的な動作を行うものをいい、次の3つに大別されるという。

1は、Human-controlled(“human-in-the-loop”)systemsであり、一定の自律的動作を行うものの、人間のリアルタイムな指示に依拠するタイプ。

2は、Human-supevised(“human-on-the-loop”)systemsであり、照準プロセスを自律的に行うが、ロボットの判断に優先する人間の操縦者が常に監督しているタイプ

3は、Autonomous(“human-out-of the-loop)systemsであり、攻撃目標の探索、特定、選択と攻撃を、人間の指示なしに行うタイプ

ロボット兵器に関連する国際法は、二つある。第1は、1949年のジュネーヴ諸条約1977年追加議定書36条だ。

36条の原文は、次のとおり。

Article 36 -- New weapons

In the study, development, acquisition or adoption of a new weapon, means or method of warfare, a High Contracting Party is under an obligation to determine whether its employment would, in some or all circumstances, be prohibited by this Protocol or by any other rule of international law applicable to the High Contracting Party.

外務省による訳文は、次のとおり。

36条 新たな兵器

締約国は、新たな兵器又は戦闘の手段若しくは方法の研究、開発、取得又は採用に当たり、その使用がこの議定書又は当該締約国に適用される他の国際法の諸規則により一定の場合又は全ての場合に禁止されているか否かを決定する義務を負う。

もう一つは、国際人権法(International Human rights Law)と国際人道法(The Martens Clause)であり、こちらは特定の具体的な法典はない。また、会議で頻繁に用いられている”Jus in Bello”というラテン語は、「戦時国際法」(Law of War)という意味である。

会議は、各国代表等による総論的な意見交換(General Exchange)の後、分科会を行った。米国代表団意見は、大要、次のとおり。

「我々は、3つの視点を呈示した後、1つのポイントを指摘したい。第1に、LAWSを明確に定義しなければならない。我々は、未来の武器を議論するのであって、遠隔操作の飛行兵器を議論するためにここにいるのではない。第2に、議論は始まったばかりであり、性急な結論は控えるべきである。第3に、ロボット兵器の規制は、民生技術開発を制限しうることを念頭に置くべきである。重要なポイントとは、リスクである。LAWSの持つリスクを軽減するための法整備は、非常に重要である」

米国は、この会議がプレデターなどの遠隔操作兵器の規制に及ぶことや、民生技術の規制に及ぶことを警戒していることが分かる。また、米国の言う「リスク」の意味は分かりにくいが、上記発言で引用された国防総省通達3000.09によると、リスクとは、「予期しない戦闘を行ったり、システムのコントロールを失わせたりする故障のリスク」を意味するようである。

ちなみに、日本代表団の意見は、大要、「LAWSの定義が重要。日本としては、完全自律兵器に限定するべきだと考える」というものと、「自律システムの平和利用は、人類に幸福をもたらす。福島原発事故で活躍したロボットのように」というものであった。他国の意見までは見ていないが、米国と同調しているように見受けられる。

このほか、会議にはロシアや中国の代表団も出席しているが、開催時のスピーチは行わず、閉会時のスピーチは原稿が公開されていないため、内容は分からない。

分科会は、技術問題、哲学・社会学的問題、法的問題、運用・軍事的問題に分かれ、法的問題は、国際人権法部会と、その他の法の部会に分かれて意見交換が行われた。

国際人権法部会では、まず、上述したGeneva Centre for Security PolicyNils Melzer博士によって、「LAWSの使用は一般的に違法か?と、LAWSは違法に使用されることがあるか?という二つの問題がある」と指摘された。続いて、コロンビア大学のMatthew C. Waxman教授は、「国際人権法は、①武器の禁止、②国際人道法、③武器の使用規制、④武器の法的評価を要求しており、LAWS もその対象になる」とした。ジュネーヴ国際法大学Marco Sassòli教授は、LAWSの開発・運用に伴う国際人権法上のさまざまな問題点を指摘した。特に、攻撃が許される条件としての「敵対行為」の問題点に焦点を当てている。その後、オーストラリア代表団からは民間人の戦闘行為参加の問題、ドイツ代表団からは無差別攻撃への懸念、スウェーデン代表団は、「人間の関与しない殺害行為は独特の問題を提起するだろう」を指摘し、「国際人権法)36」という団体は、最終的には人間に責任を負わせるため、同条項は人間がコントロールする武器の使用を前提としている(=法律の根拠なき限りLAWSの使用は禁止される)との主張を展開した。

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2014年8月11日 (月)

日本の弁護士自治は、イギリスの後を追うのか?

金子武嗣弁護士著『私たちはこれから何をすべきなのか』は、弁護士と弁護士会の歴史を紐解きつつ、弁護士自治を守ることの重要性を訴えている。そして、「(弁護士自治には)外からの危機もあるが、弁護士自身の不祥事(成年後見人の横領など)により、これを放置しておけば内部からの崩壊する危険性がある。英国の弁護士自治が崩壊していった経過は吉川精一(第二東京弁)の『英国の弁護士制度』(日本評論社)に詳しい。他山の石とすべきである」と述べる。

そこで、吉川誠一弁護士著『英国の弁護士制度』を読んでみた。

同書によれば、「2007年法的サービス法の実施により、弁護士の規律はLSB(法的サービス局Legal Service Board)の監督に服することになった。したがって、今後は、弁護士資格賦与制度、職業倫理、業務規則の変更にはLSBの許可を受けなければならない。また、ロー・ソサイエティやバー・カウンシルが会員から徴収する会費の使途についても同様である」という。ちなみに「LSB12人から16人の委員で構成され…委員の過半数及び、会長、事務局長は法律職でない者が占める」とされる、政府から独立した国家機関である。

以前も書いたが、組織が自治権を持つために最低必要な三要件は、「人事権の独立、規則制定権の独立、予算編成権の独立」である。ところが、吉川によれば、英国の弁護士会は、人事権、規則制定権、予算編成権の独立をいずれも奪われたわけであるから、「自治権を失った」との評価は正鵠を得ていることになる。

英国弁護士会が自治権を失った原因として、吉川は①古色蒼然たる弁護士制度、②ソリシターに対する苦情の多発とロー・ソサイエティへの不信の増大、③消費者主権主義の抬頭、④1960年代以降における弁護士批判勢力の登場、⑤弁護士という職業の変容と弁護士会の弱体化、⑥サッチャー、ブレア政権による「伝統の破壊」、⑦法律扶助制度をめぐる政府と弁護士との攻防、を挙げている。注目されるのが、ソリシター人口が1980年の3万7000人から2006年の10万人へと約3倍に増え(イギリスの人口は日本の約半分)、性別、人種、所属社会集団等の差が拡大し、特にシティーファームの弁護士と町弁の解離と、シティーファーム弁護士による弁護士自治への関心低下が顕著になったことだ。吉川は、「シティーファーム弁護士と町弁護士との間の二極化は不可逆的であり、今後一層進行し、シティーファームのソリシターと町弁護士たるソリシターが同一の職業に属するという実態も観念も希薄になるであろう」と予測している。

日本の弁護士会も、イギリスの弁護士会と同じ運命だろうか。

一概に同視できない点としては、まず、イギリスの弁護士自治崩壊は、サッチャー・ブレア政権の強い意志によることが挙げられる。いいかえれば、英国病といわれた長い閉塞状況を脱するために弁護士制度の改革が不可欠という信念であり、保守党・労働党を問わず共有されていた、ということだ。日本の弁護士会は、良くも悪くも、国家社会の在り方にそれほど強い影響力を持っていないから、時の政権がガチで勝負を挑んでくる可能性はとても低いと思う。

次に、イギリスの弁護士制度改革は、法律扶助予算の削減とワンセットであったことが挙げられる。吉川によれば、イギリスの民事法律扶助予算は1970年の1400万ポンド(21億円)から1983年の14400万ポンド(216億円)と10倍に、刑事扶助予算は1970年の270万ポンド(45000万円)から6200万ポンド(93億円)と20倍に激増し、2005年には総額20億ポンド(3000億円)に達し、これを抑止することが弁護士制度改革の一つの目的であった。

その結果どうなったか。池田知樹弁護士『緊縮財政下のイギリス法律扶助の変容と持続性を追求する他国の取組』によれば、2013年現在、イギリスの法律扶助費用総額は18億ポンド(約2700億円)にまで減少しているという。

一方、平成24年度法テラス業務実績報告書によれば、予算総額は460億円弱、うち民事法律扶助事業経費が200億円余、国選弁護人確保事業経費が12億円余であり、単純比較はいろいろ問題あるとはいえ、どう見てもイギリスに及びもつかない。その意味でも、政府に弁護士改革を決意させる動機に乏しいことになる。

他方、弁護士数の急拡大と、それに伴う弁護士間格差の拡大や分散化、自治への執着心の低下等は、イギリスとまるで同じだ。しかも、日本の弁護士会は、イギリスの弁護士会ほどの歴史もないし、政治的実力もないから、政府がガチで勝負を挑まなくても、指先一本で自治権を剥奪できる、とも考えられる。

結局、日本の弁護士会は、イギリスの弁護士会と同様、自治権を失う環境が整いつつある、という見方が、いちばん実態に近いのだろう。

いずれにせよ、弁護士自治は、弁護士のための制度ではなく、国家国民のための制度である。世界最高度といわれる自治権を獲得した日本の弁護士会だが、そのために、日本が世界最高度の人権国家になったという話は聞いたことがない。そうだとすれば、日本の弁護士会は、いずれ、身分不相応に高度な自治権を剥奪されることになる、と考える方が自然だろう。

 

 

 

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2014年8月 5日 (火)

自動車ナンバーの自動読み取りビジネスについて

727日毎日新聞は、「顧客分析 車のナンバーで 自動読み取り、車検証情報と照合 進むビジネス化」と題する記事を載せた。店舗備え付けのカメラで自動車のナンバーを読み取り、オンラインで照会すると、「車種とメーカー、町名や大字までの住所が返信される」ため、これに基づいて顧客分析を行うという。違法ではないが、記事は「いい気持ちはしない」という男性の感想を載せたうえ、「一部企業には車検情報へのアクセス権を認め、個人には認めない不公平が問題だ」と結んでいる。

問題提起という意味では良記事だが、惜しいことに、微妙に外していると思う。私の考えでは、本質は二つあるが、記事は二つを不当に混同している。

本質の第一は、自動車登録情報制度公開の問題だ。自動車登録情報や、車のナンバーは、個人情報保護法に照らせば個人情報または識別情報にあたるけれども、道路運送車両法上、個人情報保護法の適用が排除され、公開情報とされている。弁護士としてすぐ思いつく同様のものとしては、不動産登記情報や、商業登記情報がある。ここでは、所有者や代表者の氏名住所が一般に公開されている。

これらの制度が個人情報を公開する原理は「責任」だ。つまり、不動産の所有者や、会社の代表者には、責任者が誰かを公示するべきである、という社会的要請があって、その要請は個人情報保護の要請を上回る。

ただ、自動車については、2006年の法改正によって、登録情報の公開範囲が大幅に制限された。改正の背景には悪用事例の多発があったとされ、個人情報保護の側に重心を移動させたわけだが、本当にそれで良いのかは、記事指摘のとおり、疑問が残る。「自動車所有者の責任が問題となるのは事故の時で、その時は警察が所有者を把握しているから、一般に公開しなくても良い」という意見もありうるが、事故だから必ず警察が出てくるとは限らないし、犯罪にならない迷惑行為や、民事紛争の相手が誰かを知るために、自動車登録情報が必要な場合だってある。なにより、個人情報保護の名目で、特定の組織が個人情報を独占的に管理させることが、本当に個人情報保護になるのか、という根源的な問題がある。

本質の第二は、顧客のプライバシーの問題だ。記事は自動車ナンバーのオンライン照会制度に焦点を当てているが、そんな制度がなくたって、同様のビジネスモデルは実施可能だ。車種やメーカーは、改造車でない限り、画像から判別できるし、登録地域はナンバープレートに記載してある。顔認証システムや、ポイントカード情報と連動させれば、詳細な顧客分析が可能になる。もちろん、このようなシステムを不愉快に思う顧客もいるだろう。だが、このようなシステムを正面から違法といえるほど、我が国の法制度は整備されていない。無断で顔認証による顧客管理システムを導入することについては、違法とする見解もあろうが、顔認証システムを導入しなくても、数%の割引や景品と引き換えに、ポイントカードに個人情報を登録する顧客はいくらでもいるだろう。

つまり、自動車登録情報(またはそのオンライン照会制度)の持つ問題点と、「自動車ナンバー自動読み取りによる顧客分析」のビジネスモデルが持つ問題点は、別の問題である。いいかえれば、前者は「プライバシーと責任」の問題であり、後者は「プライバシーとマーケティング」の問題だ。この二つを区別せず論じてしまったことが、記事の残念なところだと思う。

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