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2015年3月16日 (月)

ヒューマノイドは、クラウドと人間とを繋ぐインターフェースになるか

サムスンが、「スマートTV」に搭載されている音声認識機能について、ユーザーの「私的な会話や重要な情報を含め、言葉を発すればその情報がデータとして傍受され、音声認識機能を通じて第三者に送信されますのでご注意ください」と呼びかける内容の注意喚起を行ったことを、210日のCNN報じた

CNNでは、女性キャスターの横に、60年代を彷彿とさせる白黒テレビを据え、人間の耳を大写ししたうえ、ジョージ・オーウェルの「1984」に言及するなど、ややおどろおどろしい演出であった。CNN12日にも、「Your TV may be watching you」と題する署名記事を公表した。

サムソンが当然行うべき注意喚起を怠ったのか否か、そのあたりの経緯は不明だが、現時点での汎用音声認識機能では誤認識が頻発することは自明だから、ユーザーの音声をクラウドに集積して分析することは、メーカー側の考えとしては、当然ともいえる。他方、このようなメーカー側の事情が、ユーザー側から見れば「聞き耳」「盗聴」と理解され拒否されうる、ということも、当然のように思える。

他方、ソフトバンクのPepperに代表される、いわゆるコミュニケーションロボットは、ユーザーとの会話を、分析のためクラウドにアップロードすることを、当然の前提にしている。このことは、ソフトバンク自身が、堂々と公表していることだ。そして、Pepperが会話をクラウドにアップロードしたからといって、これをプライバシーの侵害だとか、監視社会だとして批判する言説は、今のところ皆無だ。

すると、ユーザーの会話内容をクラウドにアップロードすることを、テレビがやると炎上するのに、Pepperがやると許容されることになる。技術的には何ら変わらないことなのに、何故この差が出るのかは、大変興味深い問題だ。

一つの仮説としては、人間は本能的に、人型(厳密に人間型である必要はない。アニメキャラのようなものでもよいし、動物型でも何でも、とにかく『人格』を感じさせるもの)の相手に対しては、ある種、心を許すのではないか、というものが考えられる。人は、テレビが人の会話を聞いているとは思わないが、人型ロボットなら、人の会話を聞いても当然と思うのかもしれない。もしこの仮説が成り立つなら、サムソン製スマートテレビの傍らにヒューマノイドを置いて、ユーザーからの指示に対応させたり、画面の一部にオペレーターを表示して、ユーザーに応答させたりするならば、CNNから糾弾されることもなかった、と言いうる。

もちろん、違う仮説もありうる。いまPepperが相手の会話をクラウドにアップロードしても非難されないのは、Pepperが公の場所でのみ人と会話しているからであって、一般家庭などのプライベートの場所での会話がクラウドにアップロードされることに対しては、拒否反応があるはず、という仮説も成り立つ。確かに、「イブの時間」にでてくるようなメイド型ロボットや、近い将来必ず登場するであろう性的玩具型ロボット、いわゆる「セクサロイド」との会話がクラウドにアップされることを、条件付にせよ、ユーザーは許容するだろうか。

私自身、確たる見解をもつわけではないし、法律家の管轄を外れた問題かもしれないが、先日、電子情報通信学会でこの話をしたら、強い興味を持たれたので、一応、記しておくことにした。

 

 

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2015年3月12日 (木)

弁護士会広報のあり方について

大阪弁護士会の来年度会長予定者である松葉知幸弁護士は、同会7つの派閥のうち、「友新会」に所属している。

その友新会が昨年11月に『公報問題最前線~弁護士のことを「正しく」知ってもらうために~』と題するシンポジウムを開催した。いわば、次年度会長会派としての勉強会だ。

このたび、友新会がこれをまとめた冊子を発行したので読んでみたが、大変残念な内容であった。

残念な理由はいろいろあるが、3つだけ指摘しておきたい。

第一は、基調講演を行った弁護士が、2000人の一般市民に聞いた弁護士のイメージに対するアンケート結果は、「頭が良くて社会のエリートだけど尊敬できない、ずるがしこいと考えているという衝撃の結果」が出たと報告し、「弁護士は社会に必要不可欠である(という)イメージを世間の多くの方々に持っていただくために我々は何をすべきか(が)シンポジウムのテーまである」と問題設定した点だ。これは明らかに間違っている。

以前のエントリにも書いたが、弁護士の仕事は、本質的に「相対善」である。依頼者のためには「善」であっても、相手方にとっては「悪」だし、その相手方にしてみれば、相手の弁護士は悪の手先だ。これは医師とは全然違う点である。医師の仕事が「絶対善」であることに比べ、「相対善」であることが、弁護士の仕事の特質である。弁護士が医師より格下だとか、そんな話をしているのではない。かつて司法改革論者は弁護士を「社会生活上の医師」などと述べたが、恥ずべき医師コンプレックスであると同時に、弁護士の仕事の本質を見誤っている。弁護士の仕事は医師の仕事よりは、店にとっての用心棒、村にとっての傭兵(『七人の侍』)、国家にとっての軍隊に近い。平たく言えば、相手に憎まれ、畏れられてナンボ、なのである。

「弁護士は社会に必要不可欠である」と思ってもらうとか、弁護士に良いイメージを持ってもらいたいとか、いう願いを持ちたいことは分かるが、それはいわゆる「承認要求」であり、幼児的との誹りを免れない。

私の思うところ、弁護士の存在意義は、相対善を止揚したところに存在するが、当の弁護士がこの程度の理解では、一般市民に理解できる筈もない。

第二は、他会派から招待された大阪弁護士会のもと広報室長の発言が意味不明であったこと。おそらく一番字数が多いのに、何を言っているのか分からない。コーディネータを務める松葉次期会長から「(広報室は)何を伝えようとしているのかが、今まで何も見えてこなかった」とか、広報室がはじめたメルマガの会員数が「400(人)だとほとんど意味が無い」とか、厳しい言葉が投げかけられているのに、「制約された状況の中で、いろいろな立場や要請があり、広報室はその狭間で苦労していた」と弁解するのが精一杯で、具体的な問題点を何も指摘できていない。相対立する議論があったなら、その中身を具体的に述べなければ、聞いている方は問題の所在を把握できない。

第三に、これが最も残念な点だが、会場に、このシンポジウムの企画責任者として三木秀夫もと副会長がいたのに、だれ一人、三木弁護士に発言を求めたり、この弁護士の仕事を話題にしたりしなかったことである。言うまでもなく三木弁護士は、昨年の大阪弁護士会で、いや、日本中の弁護士の中で、最も一挙手一投足が注目され、発信力のあった弁護士の一人だ。

同弁護士は昨年47日、大阪弁護士会のブログに『小保方靖子氏の代理人として』と題する記事を掲載し、同ブログとしては初の13万アクセス越えを達成した。とはいえ、いわゆるアルファブロガーやタレントが毎日100万を超えるアクセス数を稼ぐのに比べれば微々たる数であり、普段のアクセス数がせいぜい数百であることに比べてのことに過ぎないが。

「たかだか」34万のアクセス数であったし、同ブログには従前より、記事は投稿者の見解であって弁護士会は一切の責めを負わない旨明記されていたにもかかわらず、弁護士会上層部は三木もと副会長の投稿を問題視し、以後、同ブログへの投稿には事前検閲が課されることになり、個別の事件に言及した投稿は、おそらく禁止された。もし、当時三木弁護士が1週間に一度のペースで投稿していたら、大阪弁護士会ホームページは、それ以前に百倍する広報力を得たであろう。残念なことである。

もとより、個々の事件を弁護士会広報に利用することの是非は、議論されてしかるべきである。私自身は、弁護士は依頼者の代理人であるときが最も輝くのだから、個々の担当事件を広報せずして弁護士会広報は成立しないと考えているが、異論があることも承知している。

大事なことは、この問題を正面から議論することであり、本シンポジウムは、その絶好の機会であったにもかかわらず、誰も、そのことに思い至らなかったらしい。とても残念である。

 

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2015年3月 9日 (月)

ドローンを川の上に飛ばせたらどうだろう?

降ってわいたようなドローンブームで、この2週間、マスコミから毎日のようにコメントを求められた。だが、話題先行の誹りは免れまい。何より実際のドローンは、雨の日に飛べない。風の日も飛べないし、雪にも夏の暑さにも弱い。丈夫な体をもたないと、商業利用といっても、せいぜい、部屋の中で靴を運ぶ程度のものになるし、早晩飽きられるだろう。「ドローン」だけに、煙のように消えた、ということになりかねない。

それはさておき、法律上、ドローンは航空機ではなく、航空法上の模型飛行機に該当する。だからラジコンヘリと同様、現在は、法律のさまざまな壁のせいで、自宅の庭でなければ、河原などの許可された公共の場所でしか飛ばせない。

法律の壁はまず「高さ」。航空法上の模型飛行機にあたるドローンは、原則として地表又は水面から250メートル以上の高さの空域を飛ばすことはできない(航空法施行規則209条の41項第3号、同項1号ハ)。「海抜」ではなく「地表または水面」なので、現行法上も山頂の撮影などは可能だ。また、空路の下や、空港の近辺では、より厳しい規制がある。

次は「横」の規制。民法上、土地の所有権は「法令の制限内において、その土地の上下に及ぶ」(207条)と定められているから、土地所有権者の権利は理論上、地球の中心から宇宙の果てまで及ぶ。ちなみに航空法は『法令の制限』の一つだから、航空機は他人の土地の上を飛べるのだ。しかし航空法上の航空機でないドローンは、他人の土地の上を飛べない。法改正すれば飛べるけれども、他人の土地の上は高層ビルやアンテナ、送電線などがあって衝突の危険があるから現実的でない。また、道路の上を飛ぶことは、道交法上の許可が必要、というのが警察の見解になると予想される(異なる見解を述べる法律事務所のWebサイトがあるが、間違いだと思う)。

以前のエントリで、ドローンは道路の上を飛ばすのが現実的ではないか、と書いたが、衝突や墜落の危険がある以上、道交法を管掌する警察を説得するのは難儀かもしれない。

それならば、河川の上を飛ばしたらどうだろう。河川の上に、電波で空路を設定し、その空路の中でドローンを飛行させるのだ。もちろん空路は全て立体交差になっているから、離着陸時以外は停止する必要はない。河川の上に限定する以上、必然的に離着陸場(ドローンポート)は河川敷に設けられることになり、ドローンが積み卸しする荷物は、離着陸場まで自動車が運搬することになる。そのため、利用形態はB to Bになり、免許を取った宅配業者がドローンを利用することになるだろう。道路全般の上に空路を設定することに比べたら不便だが、東京・大阪をはじめ、世界中の都市には川があるから、河川の上に空路を設定する方法は、世界標準になるかもしれない。

河川の上に空路を設定することのメリットは二つある。一つはいうまでもなく、墜落時のリスクを減らせることだ。もう一つは、国土交通省主導で法整備ができる点である。もちろん、橋の上を飛行するときを想定した警察との協議や、空路設定用の電波帯域割り当てに関する総務省との協議は必要だろうが、裏を返せば、それ以外は、国土交通省の主導で進めることができる。その意味では、自律運転自動車のための法整備より楽かもしれない。

わが国が河川を物流のインフラとして利用するのは、おそらく明治以来だ。また、川の上をドローンが飛び交う光景は、社会に大きなインパクトを与える。もちろん国土交通省にも、莫大な省益をもたらす。

どうですか国土交通省さん、ドローンを川の上に飛ばすアイデア、一度お考えになってみては。

 

 

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