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2015年3月12日 (木)

弁護士会広報のあり方について

大阪弁護士会の来年度会長予定者である松葉知幸弁護士は、同会7つの派閥のうち、「友新会」に所属している。

その友新会が昨年11月に『公報問題最前線~弁護士のことを「正しく」知ってもらうために~』と題するシンポジウムを開催した。いわば、次年度会長会派としての勉強会だ。

このたび、友新会がこれをまとめた冊子を発行したので読んでみたが、大変残念な内容であった。

残念な理由はいろいろあるが、3つだけ指摘しておきたい。

第一は、基調講演を行った弁護士が、2000人の一般市民に聞いた弁護士のイメージに対するアンケート結果は、「頭が良くて社会のエリートだけど尊敬できない、ずるがしこいと考えているという衝撃の結果」が出たと報告し、「弁護士は社会に必要不可欠である(という)イメージを世間の多くの方々に持っていただくために我々は何をすべきか(が)シンポジウムのテーまである」と問題設定した点だ。これは明らかに間違っている。

以前のエントリにも書いたが、弁護士の仕事は、本質的に「相対善」である。依頼者のためには「善」であっても、相手方にとっては「悪」だし、その相手方にしてみれば、相手の弁護士は悪の手先だ。これは医師とは全然違う点である。医師の仕事が「絶対善」であることに比べ、「相対善」であることが、弁護士の仕事の特質である。弁護士が医師より格下だとか、そんな話をしているのではない。かつて司法改革論者は弁護士を「社会生活上の医師」などと述べたが、恥ずべき医師コンプレックスであると同時に、弁護士の仕事の本質を見誤っている。弁護士の仕事は医師の仕事よりは、店にとっての用心棒、村にとっての傭兵(『七人の侍』)、国家にとっての軍隊に近い。平たく言えば、相手に憎まれ、畏れられてナンボ、なのである。

「弁護士は社会に必要不可欠である」と思ってもらうとか、弁護士に良いイメージを持ってもらいたいとか、いう願いを持ちたいことは分かるが、それはいわゆる「承認要求」であり、幼児的との誹りを免れない。

私の思うところ、弁護士の存在意義は、相対善を止揚したところに存在するが、当の弁護士がこの程度の理解では、一般市民に理解できる筈もない。

第二は、他会派から招待された大阪弁護士会のもと広報室長の発言が意味不明であったこと。おそらく一番字数が多いのに、何を言っているのか分からない。コーディネータを務める松葉次期会長から「(広報室は)何を伝えようとしているのかが、今まで何も見えてこなかった」とか、広報室がはじめたメルマガの会員数が「400(人)だとほとんど意味が無い」とか、厳しい言葉が投げかけられているのに、「制約された状況の中で、いろいろな立場や要請があり、広報室はその狭間で苦労していた」と弁解するのが精一杯で、具体的な問題点を何も指摘できていない。相対立する議論があったなら、その中身を具体的に述べなければ、聞いている方は問題の所在を把握できない。

第三に、これが最も残念な点だが、会場に、このシンポジウムの企画責任者として三木秀夫もと副会長がいたのに、だれ一人、三木弁護士に発言を求めたり、この弁護士の仕事を話題にしたりしなかったことである。言うまでもなく三木弁護士は、昨年の大阪弁護士会で、いや、日本中の弁護士の中で、最も一挙手一投足が注目され、発信力のあった弁護士の一人だ。

同弁護士は昨年47日、大阪弁護士会のブログに『小保方靖子氏の代理人として』と題する記事を掲載し、同ブログとしては初の13万アクセス越えを達成した。とはいえ、いわゆるアルファブロガーやタレントが毎日100万を超えるアクセス数を稼ぐのに比べれば微々たる数であり、普段のアクセス数がせいぜい数百であることに比べてのことに過ぎないが。

「たかだか」34万のアクセス数であったし、同ブログには従前より、記事は投稿者の見解であって弁護士会は一切の責めを負わない旨明記されていたにもかかわらず、弁護士会上層部は三木もと副会長の投稿を問題視し、以後、同ブログへの投稿には事前検閲が課されることになり、個別の事件に言及した投稿は、おそらく禁止された。もし、当時三木弁護士が1週間に一度のペースで投稿していたら、大阪弁護士会ホームページは、それ以前に百倍する広報力を得たであろう。残念なことである。

もとより、個々の事件を弁護士会広報に利用することの是非は、議論されてしかるべきである。私自身は、弁護士は依頼者の代理人であるときが最も輝くのだから、個々の担当事件を広報せずして弁護士会広報は成立しないと考えているが、異論があることも承知している。

大事なことは、この問題を正面から議論することであり、本シンポジウムは、その絶好の機会であったにもかかわらず、誰も、そのことに思い至らなかったらしい。とても残念である。

 

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コメント

どちらにしろ無能な奴に当たったら、医者だろうが弁護士だろうが、まちがいなく悪だろう。
考えてもみたまえ、散々、テレビで過払い金の宣伝しておきながら、回収したその金まで弁護士が横領してるんじゃあ、もはや弁護士なんかいらない。
国もこれほどまで事件が多発しているのに手を打たないのは、国の責任でもある。

投稿: はるな | 2015年3月14日 (土) 10時34分

第二、第三の点は事情がよく分かりませんが、第一の点は全くそのとおりだと思います。

投稿: y | 2015年3月15日 (日) 15時57分

>弁護士の仕事は、本質的に「相対善」である。

これは決して、弁護士全体の見解ではないでしょう。一部の弁護士の見解を前提に、基調講演を行った弁護士を批判するのは、おかしな気がします。

多くの弁護士が、弁護士の仕事を「人権保護」をする「絶対善」と捉えています。良くも悪くも、「人権ありて、顧客なし」ということです。保護に値しないと判断された顧客の依頼は断るというのが、弁護士の矜持だったはずです。

そんなことをしていたら、普通の自由競争の社会ではやっていけません。そんな弁護士が十分に生活できる前提が、独占と寡占でしょう。弁護士に対する需要よりも、供給を少なく制限することで、弁護士の「人権主義に基づく殿様商売」が可能になっていたのです。

現在、弁護士の独占と寡占が崩れてきています。その中で、基調講演をした弁護士は、「(人権保護をする)弁護士は社会に必要不可欠である」というイメージを社会に浸透させたいと主張したのでしょう。それがとりもなおさず、弁護士の独占と寡占にに繋がるからです。

小林先生のお考えのように、弁護士は「相対善」の存在だとしたら、その様な弁護士に、何故特権を与え、国費をつぎ込まないといけないのか、納得のいく理由が見つからないでしょう。

少なくとも、弁護士の存在が「相対善」か「絶対善」かについては、争いがあるところです。自分の立場が絶対正しいという前提で、そもそも違う前提で論を進めている他者を批判するのは、如何なものかと思います。

投稿: | 2015年3月16日 (月) 18時31分

別に小林先生が自分のブログで意見を述べているだけであって、弁護士全体の意見を述べた訳じゃないですよ。
ブログ主が自分の意見を正しいという前提で書くのは当たり前ですよね。
そもそも、あなたが「多くの弁護士」といかにも自分が多数派であるかのように言うのは自己矛盾ですね。

弁護士は「相対善」だからこそ、負け筋当事者や不合理な否認をしている被告人の主張を無視して、自分が正しいと判断した主張をすれば懲戒処分を受けるんでしょ。
だから私も、弁護士は「相対善」だと思いますよ。
弁護士は社会正義や弱者の味方ではなく、依頼者の味方だと考えてます。
まあ、何が「善」かの解釈によって違うのかもしれませんが。

投稿: 大阪の弁護士 | 2015年3月30日 (月) 11時17分

今どき、弁護士が正義の味方なんて思っている奴などいない。無理筋の案件は受任しないから、まあ、無難な依頼者の味方というところ。
だいたい裁判官が書面読まないだから、誤判があって当たり前の世界。
当事者どうしの話し合いが一番安上がりなのに

投稿: はるな | 2015年4月 2日 (木) 15時13分

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