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2015年10月19日 (月)

ドローンの飛行許可・承認申請は15日より前であることが必要です。

12月初旬までに施行される改正航空法及び改正航空法施行規則(国土交通省令)によれば、要するに、都市部に住む国民の大半が、近所の広場でドローンを飛ばすことが禁止されることになるし、郊外で飛ばす場合でも、多くの場合、国土交通大臣の事前の承認が必要になる。そこで、国土交通省は、「無人航空機の飛行に関する許可・承認の申請・審査要領」の案文を公開し、国土交通省令に基づく通達を制定しようとしているが、これもまた、問題が多い。

ところで、上記のように「禁止」と書くと、お役人は必ず、「許可しているのだから禁止していない」と反論する。しかし、法律学の基本的約束として、「許可」とは「禁止の解除」なのだから、許可する以上は、禁止が前提になっているのだ。

話を戻すと、改正校区法条の飛行禁止空域にドローンを飛ばす場合には国土交通大臣の「許可」が必要であり、飛行可能空域でも、法の定めに従わない飛行を行う場合には、国土交通大臣の「承認」が必要となる。「許可」と「承認」の違いについて、「許可」とは禁止の解除であり、「承認」は行政機関の行う同意を意味するとされている。改正航空法132条は、飛行禁止区域における飛行許可なので、「許可」であることに違和感はないが、同法132条の2は、義務づけられた飛行方法以外の飛行方法を許すことなので、「許可」と定めてもよいのに、法文が「承認」と規定した理由はよくわからない。

いずれにせよ、国土交通省が案文を公表した「無人航空機の飛行に関する許可・承認の申請・審査要領」は、「許可」と「承認」を特段区別せず取り扱っている。

この申請だが、最大の問題は飛行予定日の15日より前とされていることだ。これは、「今度の日曜日は天気が良さそうだからドローンを飛ばしに行こう」という計画が許されないことを意味する。このドローンはラジコン飛行機やラジコンヘリを含むのだが、愛好者はどうするつもりなのだろう。多少知恵の回る人は、日付欄だけ空欄にした許可申請書をコピーしておき、毎週毎週、15日先の許可申請だけ行っておいて、たまたま天気が良いときだけ、ラジコン飛行機を飛ばすことになるだろう。その処理に国土交通省の職員が忙殺されるとすれば、ばかげた税金の無駄遣いというほかはない。

また、上記要領によれば「侵入者追跡」や「火山観測」、「山岳救助、水難社捜索、被災者捜索、ビル火災、トンネル内火災、交通事故現場検証」も15日より前の許可・承認申請が必要とされているが、「侵入者追跡」や「山岳救助」「被災者捜索」のために15日より前に許可申請を行うことなど、ナンセンスというほかはない。侵入者を発見してからドローンの飛行許可申請を出すなど、こういうのを「どろーん縄」というのだ。包括許可申請をしておけ、という趣旨なのかもしれないが、そうだとすれば、飛行範囲の記載はどうなるのだろう。おおざっぱで良いというなら、そもそも、なぜ許可申請が必要なのか。

 

もっとも、15日より前の申請には例外の定めがあり、「(ア)事故及び災害に際して緊急に支援活動をする必要がある場合、事故及び災害の報道取材のため緊急を要する場合、その他特に緊急を要する場合には、電子メール又はファクシミリによる申請で足りるとされ、(イ)災害対策基本法の定める災害に当たる場合又はこれに類する場合で、かつ、緊急に支援活動をする必要がある場合には、電話による申請で足りる」とされている。

ところで、事故又は災害の場合における捜索・救助活動にドローンを使用することについては、航空法132条の3が、同法132条及び132条の2の適用除外を明記しているから、消防や自衛隊等が事故・災害の際にドローンを飛行させることは、もともと許可・申請の対象外だ。それ以外の私的団体や私人が、上記の緊急事態においてドローンを飛行させる場合があるとは想定しがたいし、仮にあるとしても、事前に電子メール又はファックスによる許可手続きをとることはないだろうし、仮に許可・承認をとらなくても、真に必要な救助等の活動のためにドローンを飛ばせば、緊急避難や正当業務行為として違法性が阻却され、法的責任を問われることはない。したがって、上記の条文は基本的に空文であり、ただ、報道取材を認める限度でのみ、意味があることになる。

ところで、報道のためドローンの飛行が許可される場合としては、「事故及び災害の報道取材のため緊急を要する場合」と定められているから、事故や災害の報道取材のためでなければ、許可されないし、緊急を要する場合でなければならないから、取材用ヘリを飛ばせる場合にドローンの使用が許されるかについては、疑問がある。もっとも、報道機関が取材のためドローンを飛ばすことについて、国土交通省が細かく関与することは、おそらくないだろう。

 

15日より前の許可申請が致命的なのは、子どもが近所でドローンを飛ばすことが、事実上全面的に禁止されるからだ。大人なら、自動車で郊外へ行き、許可対象地域外で飛行させることもできようが、子どもにはできない。以前書いたことだが、ドローンを産業として発展させる最大のカギは、操縦と開発の才能を持った若者を育てることにある。わが国の行政は、その芽をすべて摘み取る気であるといってよい。

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2015年10月13日 (火)

「ロボット法学会設立準備会」に寄せて

1011日、お台場の科学未来館で開催されたロボット法学会設立準備会に出席し、10分ほど話す機会をいただいた。以下は、その際話したことを多少修文したものである。

 

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本日は、「なぜロボット法学が必要なのか?」という問いに対して、私なりに考えた「4つのNEW」という話をしたいと思います。

 

第一は、NEW Machineです。

機械は、かつて道具でした。有史以来、機械は複雑化の一途をたどり、人間に莫大な力を与えてきましたが、それでも、人間に完全に服従していました。機械が他人に危害を加えることもありましたが、そのとき法律は、機械を支配していた人間の責任を問えば足りました。「あいつを撃ったのは私ではなくピストルです」と弁解する人はいなかったのです。

しかし、技術の発達は人工知能を生み、人工知能を備えたロボットを登場させようとしています。これらのロボットは、自分で考え、自分で判断し、自分で動作するという「自律性」を備えています。たとえば、昨年プロ棋士を破った電脳戦に登場したロボットは、制作者が強く育て上げたわけではありません。制作者が教えたのは、将棋を勉強する方法であり、あとは人工知能が自分で勉強して、自分で強くなったのです。プロ棋士を破ったロボットのプログラマーはこう言っています。「勝ったのは私ではありません。このロボットです」と。

同じことが、将棋以外の世界でも現実化しようとしています。「あいつを殺したのは私ではありません。ロボットです」という弁解が生まれることになります。そのとき、我々はロボットに責任を問うべきでしょうか。おそらくそれは、数十年早いでしょう。そうだとすれば、責任を問われるのは、人間でなければなりません。責任の根拠は、製造責任、教育責任、監督責任といったものになるでしょう。いずれにせよ、この点に関する法律的研究は、まだ全くなされていません。NEW Machineの登場は、新たな法律学を必要としています。

たとえば、80歳の老人を乗せた完全自動運転自動車が走行中、対向車のトラックがセンターラインをオーバーしてきたとします。ブレーキをかけても間に合いません。ハンドルを右に切れば衝突を避けられますが、その先には登校中の小学生の列があります。この状況において、自動車の人工知能は、どのような判断をするべきでしょうか。

この問題には、いろいろな答えがあってよいと思います。ただここで指摘したい重要なことは、第一に、人工知能は、危機的事態における判断の優先順位を、あらかじめ教えられていなければならない、ということです。第二に、その優先順位は、自動車やメーカーによってまちまちであってはならない、ということです。したがって、そのルールは世界共通であることが求められます。このようなルールを策定するためには、どうしても法律家が必要です。ちなみに、わが国の磁土運転に関する国交省の会議には、法律家が一人も参加していません。わが国の自動車産業は、知能化でイニシアティブをとらなければ、家電産業と同じ運命をたどることに、気づいていないのでしょうか。

 

第二は、NEW Relationshipです。何の関係かというと、人間とロボットとの関係です。かつて蒸気機関は産業革命を、コンピューターは情報革命を起こしました。ロボットは感情の世界に革命を起こすと、私は予想しています。ヒューマノイドが普及すれば程なく、メイドロボットと心中する青年が現れるでしょう。

ロボットが人間と感情的な交流を行うためには、相手の様々なプライバシー情報を取得する必要があります。たとえば私が新保先生と親しくお話ができるのは、顔と名前が一致するからであり、性別年齢など基本的な属性や、社会的地位を承知しているからであり、以前の会話の内容を覚えているからです。しかし、ロボットに同じことをさせようとすると、様々な法的問題にぶつかります。

2013年秋、NICTが大阪駅で行おうとした顔認証の実証実験は、マスコミや市民団体などの反発を浴び、延期を余儀なくされました。このように、顔認証の技術は市民の反発を買いやすく、具体的なルールがないことが問題を深刻にしています。われわれ法律家は、人間とロボットがプライバシー情報をやりとりすることについて、適切なルールを策定しなければなりません。法律家の中にも、顔認証技術はおよそ禁止するべきだという人もいます。しかしそれでは、鉄腕アトムもドラえもんも生まれないことになります。

人間とロボットの関係は、良い関係ばかりではないかもしれません。たとえば今のカーナビは、ドライバーがルートに従わなくても文句を言いませんが、これからのカーナビは、文句を言ったり怒ったりするかもしれません。さらに進んで、営業車を運転するドライバーに、寄り道をするな、スピード違反をするな、上司に報告するぞと脅すようになるかもしれません。このように、人工知能を備えたロボットが、いわば中間管理職のような立場で現場の人間を管理する未来は、すでに実現しつつあり、私はこれを「洗練された奴隷制」と呼んでいます。法律家は、このような時代に即応した労働法の考察を求められています。

 

第三は、NEW Lawです。以上述べたNEW MachineNEW Relationshipは、新しい法律を必要としています。一方、既存の法律で対処できる場面も多くあります。また、既存の法律で対処できるが、解釈を変更しなければならない場合もありうるでしょう。

たとえば、ロボットに命じて人を殺したら殺人罪、ものを盗ませたら窃盗罪が成立します。これは既存の刑法で十分対処できます。しかし、ロボットに命じて他人の家に侵入させても、既存の刑法解釈を前提にする限り、住居侵入罪は成立しません。それではおかしい、ということであれば、従前の法解釈を変更しなければなりません。

また、自動車同士が衝突すれば、追突事故など一方が100%悪い、という事故でない限り、両方の自動車の運転手に、相応の過失があるとされます。これを過失相殺と言いますが、完全自動運転自動車同士の事故の場合にも、過失相殺の考え方が適用されるかもしれません。しかし、そのとき法律家は、機械の過失とは何か?という疑問と向き合うことになります。

 

第四は、NEW Generation です。

ロボット法学は、人間のための学問ですが、人間の中でも、次の世代のために、必要です。

私自身の経験で言えば、子どものころ電車を見るのが大好きでしたし、飛行機の離発着に心躍る少年でしたし、アポロ11号の月着陸に興奮した世代でした。ロボットは、今の子どもたちに、かつての子どもが味わったような興奮と、未来への希望を与えてくれると、私は確信しています。ロボット法はそのために存在するのであり、決して、子どもからロボットを奪うようなものであってはならないと思います。

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2015年10月 5日 (月)

「空(そら)」とは何か? ―ドローンの飛行規制について―

ドローンを「無人航空機」として規制する改正航空法が公布され、本年1211日までに施行される。これをうけ、国土交通省令である改正航空法施行規則案の内容が公開され、1016日までのパブリックコメントに付されている。本エントリでは、その中の「飛行高度」について触れたい。

まず「上限高度」については、改正航空法1321項に基づき、省令により、地表又は水面から150メートル未満と定められる見通しとなった。これは、航空法81条と航空法施行規則174条の定める有人航空機の最低安全高度が地表又は水面から150メートル以上と定められているためである。ドローンによる事故のうち、最も重大なのは航空機と衝突することと思われるから、この基準は支持できる。

これに対して問題は、ドローンの「最低高度」だ。パブコメ中の改正航空法施行規則案は、「無人航空機と地上又は水上の人又は物件との間に保つべき距離を、30mと定める」こととしており、これによらない飛行の場合には、国土交通省所定の書式による、15日以上前の承認申請が必要となる。

だがこれは低すぎるだろう。これでは、ドローンによる工場や建物、橋梁などの外壁検査は全部、承認なしではできなくなってしまう。条文には「地上又は水上の人又は物件」とあり、この「物件」に土地そのものは含まれないとしても、建物や立木が含まれる以上、地上30メートル未満を飛ばすことは、よほどの辺地でなければ不可能だ。これでは、産業としてのドローンの発展に、大きな足かせとなると懸念される。

そこで、この点に関し、航空法の適用範囲である「空(そら)」とは何かという問題を提起してみたい。

航空法1条は、「航空機の航行の安全」を図ること等を目的にしている。「航空機」の定義は2条が定めているが、読んで字のごとく「空を航(わた)る機械」のことだ。ここで「航(わたる)」という漢字は、もともと船が進むことをいい、転じて空を進むことも意味するようになったが、面白いことには、「航海」「航空」という熟語はあるのに、船が河川や湖沼を進むことを「航川」「航河」「航湖」「航池」「航沼」とは言わない。つまり、「航」という漢字は、もともと、「果てがない場所を進む」という意味を持つ。

同じことは空にもいえる。智恵子は「東京には空がない」と言ったそうだが、ビルの谷間から見上げる空は、果てがないようには見えない。屋内も空ではない。従って東京ドームの中でドローンを飛ばすことについて、航空法上の許可は不要だ(もちろん、ドーム管理者の許可はいる)。

エアカーはどうだろう。スターウォーズエピソードの前半に出てくるような、地上数十センチを進むエアカーは、「航空機」ではないから、道路交通法等が適用されるというべきだろう。これに対して、エピソードⅠに出てくる、地上数百メートルを進むエアカーは、車体こそオープンカーに似せてあっても、航空法上の「航空機」にあたるというべきだろう。もちろん、現行道路交通法や航空法はエアカーを予定していないから、どちらも立法論としては、という前提での話だが。

以上の思考実験から明らかになることは、屋内はもちろん、地上に近い空間は「空(そら)」ではない、という素朴な感覚である。では地上何メートル以上が空なのか、と聞かれると難しいが、少なくとも、どんな地方都市でも五階建て十階建てのビルが当たり前に建つわが国では、地上30mまでは「空(そら)」ではない、という余地は十分にあると思われる。そうだとすれば、地上30m未満を飛行するドローンには、航空法の適用がないので、省令の規定にかかわらず、国土交通省の許可承認は不要という解釈は成り立ちうるのではないだろうか。また、ワイヤーなどで係留し、一定の距離以上に飛び去らず、落下しないようにしたドローンは、「航空機」に当たらないので、航空法上の許可は不要、という解釈も成り立ちうるのではないだろうか。

なお、以上はあくまで筆者の個人的見解であり、国土交通省や裁判所の解釈ではないから、本エントリの解釈に従ってドローンを飛ばした場合でも、一切責任は負いません。

 

 

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