« 2015年10月 | トップページ | 2016年2月 »

2015年11月24日 (火)

「空」とは何か?(再)―改正航空法施行規則の解釈について―

ドローンを『無人航空機』として規制する改正航空法が1210日に施行されるのに伴い、航空法施行規則(国土交通省令)が改正され、国土交通省がその「解釈」や「Q&A」を公表した。

本エントリでは、その中で「空」の問題に再度触れておきたい。

というのは、Q&A上、「ゴルフ練習場のようにネットで囲われたようなところで飛行させる場合も許可 が必要ですか」という問いに対して、「無人航空機が飛行範囲を逸脱することがないように、四方や上部がネット等で囲われている場合は、屋内とみなすことができますので、航空法の規制の対象外となり許可は不要です」という回答が掲載されていたからだ。

この回答は、形式論理上は、「屋内は空ではないから、航空法の適用がない」という理解を前提にしている。だが、屋内とは、建物の内部をいう。わが国で建物といえるためには、「屋根壁を備え、風雨をしのげること」が要件とされている。ネットで囲われた空間は、風雨をしのげないので、建物とはいえないから、その内部も屋内ではない。それにもかかわらず、ネットに覆われた空間を国土交通省が屋内と見なすのは、実質的に見て、無人航空機が外部に飛び出すことがない以上、周囲の安全に影響がないからであろう(ちなみに、国土交通省は「四方や上部がネット等で囲われている」と記載しているが、「や」ではなく「と」の誤りと思われる)。この見解によれば、仮に、1キロ四方をネットで囲んだドローン練習場を造れば、その内部では、許可なくドローンを飛行させることができることになる。

ところで、同じQ&Aには、「地上とワイヤー等でつながれているような無人機も「無人航空機」に含まれますか」という問いに対して、「地上とワイヤー等でつながれているような無人機も無人航空機」に含まれます」との回答が掲載されている。これは「無人航空機」の定義に関する問答という体裁をとっているが、「地上とワイヤー等でつながれているような無人機」にも航空法の適用があるという趣旨であろう。しかし、地上とワイヤーでつながれていれば、その長さ以上には飛び出せないから、ワイヤーの長さが適切なものである限り、周囲の安全に影響はない。つまり、「ネットで囲われた空間でドローンを飛行させること」と、「地上とワイヤーでつないだドローンを飛行させること」は、周囲の安全という観点から差異がないにもかかわらず、国土交通省は、その取り扱いを異にしていることになる。いいかえるなら、国土交通省は、周囲の安全という実質的な観点よりも、「囲われた空間は屋内、囲われていない空間は空」という形式論理を優先させたことになる。

ところが、別のQ&Aでは、「航空法に従って飛行すれば、第三者が所有する土地の上空を飛行してもよいのでしょうか」という問いに対し、「航空法の許可等は地上の人・物件等の安全を確保するため技術的な見地から行われるものであり、ルール通り飛行する場合や許可等を受けた場合であっても、第三者の土地 の上空を飛行させることは所有権の侵害に当たる可能性があります」との回答が記載されている。しかし、この回答が正しいとすれば、同じ空を飛行している一般の有人航空機も、所有権侵害の疑いを免れないことになろう。国土交通省は、「許可を受けて空を飛行している以上所有権者は文句が言えない」という航空法の形式論理より、土地所有権者の立場を優先しているように思える。

民法207条は「土地の所有権は、法令の制限内において、その土地の上下に及ぶ」と定めている。土地の所有権は理論上、地球の中心から宇宙の果てまで及ぶ。航空法は、これに対する「法令の制限」を定めたものと理解されている(他の制限としては、「大深度地下の公共的使用に関する特別措置法」や「鉱業法」などがある)。すなわち航空法の適用される「空」の航行には地上の所有権は及ばないので、土地所有者は上空の飛行を違法と主張できない。「囲われていない空間は空」という国土交通省の見解に従えば、ドローンが許可・承認に従い適法に飛行する空間においては、土地所有権を主張できないと回答しなければ、一貫しない。

以上からうかがい知れることは、国土交通省の「空」の定義が曖昧だ、ということである。果てのない(=物理的に区切られていない)空間が空だというなら、土地所有権の主張を否定するべきだし、地上の安全を重視するというのなら、ワイヤーでつながれたドローンには航空法の適用がないと言うべきである。

確かに、空は海とは違い、どこからが空、というはっきりした境界がない。しかし今後、ドローンのように低高度を飛行する機械が登場した以上、どこからが航空法の適用される「空」で、どこからが「空」ではないか、法律上明記する必要があるように思われる。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年11月 2日 (月)

完全自動運転自動車とトロッコ問題について

開催中の東京モーターショーでは、自動運転自動車が話題だ。

自動運転自動車を実用化するためには、様々な法的問題を検討しなければならないが、その一つに、「トロッコ問題」というものがある。

トロッコ問題とは、線路を走るトロッコが制御不能で止まれなくなり、そのまま走ると線路の先の5人の作業員を轢いてしまうが、線路の分岐点で進路を変えると、その先の1人の作業員を轢いてしまうとき、進路を変えることが正しいか否か、といった思考実験だ。

これを自動運転自動車に応用すると、たとえば、道路が突然陥没し、ブレーキをかけても間に合わず、直進すれば穴に落ちて搭乗者が死んでしまうというときに、方向転換すれば助かるが、その先にいる5人の小学生を轢いてしまうという場合、自動車の人工知能はどちらを選択すべきか、という問題になる。

最近、この問題に関する海外の研究成果が報道された。仏トゥールーズ第一大学のJean-Francois Bonnefon心理学博士が率いる研究チームが数百人を対象に実施した調査結果によれば、被害者を最小限にするように全自動運転カーはプログラムされるべきという考えが支持された。ただし、同博士は「自分自身は全自動運転カー乗りたくないという意見がありました」と語ったそうである。

この問題を日本の刑法学の立場から考えると、緊急避難(刑法371項)の問題となる。

まず、自動運転ではなく、人間が運転していた場合、上記の事例でどうなるかを考えてみる。刑法371項は、「生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない」と定めているから、穴に落ちて死ぬ搭乗者と、ハンドルを切った先でひき殺される歩行者の数の比較となり、後者が多ければ、緊急避難は成立しない(本当は法解釈上ややこしい議論があるのだけれど、割愛する)。ただし、歩行者の被害の方が多かったとしても、法は「情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる」と定めているから、具体的事情によっては、処罰されない可能性もある。例えば、あなたが産気づいた妻を乗せて病院に向かっているとき、赤の他人の小学生のために、妻と子どもを犠牲にできるか?と言った、よりシビアな問題になる。

次に、これを自動運転自動車に応用できるかを考えてみよう。

刑法学上の理論を単純に当てはめれば、「特定の危険回避措置を取らなかった場合に搭乗者が被る被害と、取った場合に通行人等が被る被害を比較し、後者の被害が少ない場合のみ、危険回避措置を取る」というプログラムを組むべし、という結論になる。

しかし、この結論はおそらく間違いだ。理由の第一は、彼我の被害予測を正確に行うことは、いかに人工知能が発達したとしても無理という、技術的な理由である。第二は、そのようなプログラムを実装したのでは、自動運転自動車は売れないからだ。Bonnefon博士の言葉が示すとおり、そのような自動車には乗りたくないというのが、人間の心理だからである。

おそらく、完全自動運転自動車は、搭乗者の安全を最優先に考えて行動すべしという思想のもとに、プログラムされるべきなのだろう。そして、搭乗者の安全が確保されているときに、車外の損害を最低限度に押さえるよう、プログラムされるべきなのだろう。そして、自動車メーカーやプログラマーは、結果として車外に発生させた被害について、法的責任を問われないよう、必要な法整備を行うべきことになる。同時に、センサーや人工知能の安全規格をもうけ、その基準を満たす限り、避けられなかった被害については「不可抗力」として責任を問わないという制度も検討されるべきことになろう。

ただし、仮にこの考え方を取る場合、有人走行の場合と無人走行の場合とでは、適用される優先順位を別にしなければならない、という技術的課題が発生する。また、任務遂行中の緊急車両については、通常車両とは別のプログラム思想が適用されるべきことになるかもしれない。

また、このようなプログラム思想は、車種共通、メーカー共通、世界共通でなければならない。だって、高級車は搭乗者の命を優先するが、軽自動車は逆、とかでは困るからね。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年10月 | トップページ | 2016年2月 »