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2016年3月 3日 (木)

台湾雑感

弁護士会の会派の親睦旅行で台湾を訪れた日が、たまたま2月28日だった。二・二八事件を記憶するため、台湾が喪に服する日である。

 

1947年2月28日、台北から始まった民衆の暴動は、蒋介石率いる中華民国軍による弾圧と虐殺を招いた。犠牲者数は政府見解ですら、1万8000人から2万8000人とされている。しかし、二・二八事件を知り、台北中心部にある記念公園を訪れる日本人は僅かだ。

 

台湾は、終戦までの50年間、日本の統治下にあった。政治的自由は抑圧されていたが、民主化も少しずつ進んでいたし、経済的にも豊かになりつつあった。終戦後、同胞の中国人から日本を凌ぐ搾取と圧政を受けるとは、思いもしなかったろう。中華民国政府が闇タバコの摘発中に罪なき女性を射殺したことから、台湾人の怒りが爆発する。ラジオ放送を通じて、反乱は台湾全土に広がった。しかし蒋介石は大陸から派兵して暴動を鎮圧し、不満分子やエリートに対する徹底した弾圧を行った。

 

反乱を呼びかけたラジオ放送局は、二・二八記念公園の一角に保存され、公開されている。日本語の解説文もあるし、粛清された裁判官の写真もある。

公園の中央には記念塔があり、円形の基盤には水が張られ、無数の百合が飾られていた。傍に設けられたコンサート会場には大勢の市民が集まり、追悼の演奏会が催されていた。日本の戦前の歌もある。と思って聞いていたら、初老のサックス奏者が『涙そうそう』を演奏しだしたのには驚いた。外国に蹂躙され続けた台湾の哀しみは、沖縄の哀しみと共通するのかもしれない。

後ろでは、「台湾独立」の旗を掲げた若者が、演奏を邪魔しないよう、無言で練り歩いていた。ぴりぴりした雰囲気はないし、カップルや子ども連れも多い。怒りというより、悲しみを静かに共有したいという空気が伝わってくる。

 

二・二八記念公園のわずか2ブロック先には、蒋介石を祀った中正(蒋介石の本名)記念堂がある。白亜の大理石で飾られた本堂には、蒋介石の巨大な座像が安置されている。衛兵の交代式は圧巻で、観光名所の一つであり、日中の観光客であふれていた。対日賠償請求を放棄した蒋介石を、恩人と慕う日本人は多い。

だが、台湾人の評価は複雑だ。蒋介石は数度の戦争で中国共産党を退けて台湾を守り、今に続く経済的繁栄の基礎を築いた。他方、台湾にはわずか13%しかいない「外省人」(中国大陸からの移住者)の頭領にして、二・二八事件の最高責任者であり、80年代まで戒厳令を敷き自由を抑圧した人物でもある。

しかも、彼は台湾を愛していなかった。遺体は台湾の土に還ることを拒み、しかし帰郷も許されず、未だ埋葬されていない。

 

蒋介石の座像の真下、つまり中正記念堂の一階では、「抗日戦争特別展」が開催されていた。会場の中心には、日本と中国大陸を描いた巨大なジオラマが設置され、大陸のあちこちには赤い火柱が立っていて、戦闘や日本軍による破壊、虐殺があったことを示している。一方日本の本土では、ワタでできたキノコ雲が二つ、広島と長崎に貼りつけられていた。解説文には、抗日戦争を戦った蒋介石を讃える文言が記載されている。政権交代を控える台湾人に配慮し、大陸(中国共産党)との連帯を訴える展示だが、階上の蒋介石や、日本と戦った記憶のない台湾市民は、どう見るのだろうか。

 

台湾の心は複雑だ。日本への愛情は本物だが、それは、最愛の同胞に裏切られた悲しさと一体のものだと思う。

 

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