« 小学校の人文字撮影や企業内運動会等撮影目的のドローン飛行に国土交通省の承認は必要か | トップページ | 社会参加型機械学習について »

2016年7月12日 (火)

人工知能が実現するのは「理想の社会主義国家」か

人工知能学会の倫理委員長を務める松尾豊東京大学准教授と、MITメディアラボ所長の伊藤穰一対談が公開されている。その中で松尾教授は、「AI普及の先に、社会主義国家が成功する可能性がある」と述べた。「これまでの社会主義国家は、労働に応じて富を分配していた。しかし、集団作業の中では働かずに報酬を得る、いわゆる『フリーライダー』が発生したため、労働者の間で不公平感が生じ、国家制度としてはうまく機能しなかった国が多い。しかし、AIによって『きちんと働いているか』を認識できるようになれは、努力に応じて報酬が再分配されるようになる。『理想の社会主義国家』が実現する可能性がある」とのことだ。

突っ込みどころが多すぎて、やれやれ、である。

まず、「AIによって『きちんと働いているか』を認識できるようになれは、努力に応じて報酬が再分配されるようになる」との発言から見てみよう。この文では、その前の文章に出てくる「労働」という言葉が「努力」に言い換えられている。いうまでもなく、「努力」と「労働」は違う概念だが、ここは記者のミスかもしれないから、指摘だけにしておこう。そうだとしても、AIが認識(計測)するのが「努力(労働)」なのか、「成果」なのかは、重大な問題だ。真面目な農夫が、一夜の台風で農作物をすべて失ったとき、「努力(労働)に応じて報酬が得られる」のか、「成果に応じて報酬が得られるのか」は、天と地の違いをもたらす。前者だとするなら、台風で農作物を失った農夫が、失わなかった農夫と同じ報酬を得ることが、松尾准教授の言う「理想の社会主義国」のあり方ということになる。

松尾准教授がAIによって「きちんと働いているか」を認識するという趣旨は、おそらく「努力(労働)」の計測なのだろう。「成果」の計測は、多くの場合、AIがなくても可能である(金額に換算できるから)し、成果が計測できたとしても、富の公平な再配分とは結びつかないからだ。そうだとしても、全体として一つの成果を出した組織内で富を配分するに際し、「努力(労働)した割に成果を出せなかった」労働者と、「努力(労働)しなかった割に成果を出した」労働者の、どちらに多く報酬を出すべきかを、AIが決めることができるのだろうか。

それでも、労働者のヒエラルヒーが同列の場合はまだ簡単だ。たとえばある博士が、数人のポスドクを雇って、ある技術の開発に取り組んだとしよう。ポスドクは毎日研究室に泊まり込んで研究漬けの日々を送る一方、博士は最初にアイデアを出し、研究予算を獲得したあとは、全国を飛び回り、ときどき研究室に顔を出しては進捗の指示を出すだけだとする。この研究が10億円の成果を出したとき、その富を博士とポスドクは、どう配分したら公平なのだろうか。いうまでもないが、「努力(労働)」に応じて再配分するなら、博士の取り分はほとんどなくなるが、松尾准教授は、それでよしとするのだろうか。

松尾准教授は、「同一レベルの労働であれば、労働時間を計測して比較すればよい。労働のヒエラルヒーが異なる場合は、労働時間に配分率を乗じればよい。上の博士の例で言えば、博士の労働時間は短くても、高い配分率を乗じることにより、公平な富の再配分が実現できる」と言うかもしれない。だが、その配分率は、誰がどうやって決めるのだろうか。ちなみに、社会主義国がうまくいかなかったのは、「集団作業の中では働かずに報酬を得る、いわゆる『フリーライダー』が発生した」からではない。配分率の決定権限を持つ人間が、自分らだけめちゃくちゃ高い配分率を割り当てて「赤い貴族」になったため、富の配分が不公平になったからである。

それならば、配分率の決定を、人間にやらせず、AIに決定させたらどうか。だが、配分率の決定基準は誰が決めるのか。いうまでもなく、配分率は、人間の労働意欲に決定的な影響を与える。配分率が高ければ、人間はなるべく少ない労働で高い成果を得ようとするし、配分率が低ければ、馬鹿馬鹿しくなって、労働をやめてしまう。

では、AIに任せて、配分率の高低が人間の労働意欲に与える影響を勘案したうえ、集団として最も利益率が高くなるポイントを探し出し、そのポイントから配分率の決定基準を算定するようにしたらどうか。技術的には、10年以内には、可能になるかもしれない。その結果、上の例でいえば、博士とポスドクの取り分は、AI導入以前のそれとは異なる結果となるかもしれない。だがそれには誰も一切文句を言わないこととする。これなら、「理想の社会主義国家」は成立するのではないか。

そうかもしれない。だが、松尾准教授の主張は、そこでさらに高い壁に遭遇することになる。それは、「理想の社会主義国家は、理想の国家なのか?」という問題だ。

政治とは何か、という問題に、たった一言で答えるならば、それは「富の配分権限の奪い合い」である。松尾准教授のいう「理想の社会主義国家」は、富の配分権限をAIに委ね、人間は政治に一切関与しない国家と同義だ。これは、人間が民主主義を手放すことを意味するし、歴史的には、政治的決定を神託に委ねた古代の政治体制に戻ることを意味する。「AIを占いと同視しないでくれ。占いは当たるも八卦だが、AIは常に正しい」と松尾准教授は言うかもしれない。だが。AIの決定が正しいと、いったい誰が保障するのだろうか?

AIの正しさを、人間は誰も保障できないなら、そのAIは神とどこが違うのだろうか。

 

|

« 小学校の人文字撮影や企業内運動会等撮影目的のドローン飛行に国土交通省の承認は必要か | トップページ | 社会参加型機械学習について »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/192469/63894508

この記事へのトラックバック一覧です: 人工知能が実現するのは「理想の社会主義国家」か:

« 小学校の人文字撮影や企業内運動会等撮影目的のドローン飛行に国土交通省の承認は必要か | トップページ | 社会参加型機械学習について »