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2017年1月31日 (火)

テスラ車死亡事故に関する報告書について

2016年5月7日にアメリカ・フロリダ州で起きたテスラモデルSとトレーラーとの衝突死亡事故について、約6カ月間に及ぶ調査を実施していたNHTSAが、「現時点では、安全関連の欠陥は特定されていない」として、調査の打ち切りを公表した。

これを受けて、イーロン・マスクCEOは、「レポートのハイライトは、『テスラ車の事故率がほぼ40%低下したことをデータが示したことだ』」とツイートしたと報じられている。これを受けた1月20日のGigazineは、「テスラのオートパイロットに欠陥はなし、むしろ事故を40%も減らすとの調査結果」との見出しで報じている。

そこで、NHTSA報告書の原典に当たって確認してみた。

NHTSAとは、National Highway Traffic Safety Administrationの略で、直訳すれば「国家高速道路交通安全局」となる。国土交通省の自動車安全担当部署に該当する組織と思われる。

全13ページとなる報告書は、「テスラモデルSは、フロリダ州ウィリストンの西にある道路の信号のない交差点を横断するトレーラーと衝突し、テスラドライバーに致命傷を負わせました」から始まっている。「横断」とあるが、事故現場の見取り図をみると、左折する大型トレーラーの荷車部分に直進するテスラが突っ込んだ形で衝突したことが分かる(米国は右側通行だから、左折車は対向車線を横切ることになる)。報告書によれば、テスラ車から得られたデータより、①衝突時にテスラ車がオートパイロットモードであったこと、②自動緊急ブレーキシステムは警告または自動制御しなかったこと、③運転者は制動その他の事故回避措置を取らなかったこと、④最後に記録された運転者の行動は衝突前2分以内にクルーズコントロールの設定速度を時速74マイル(時速120㎞)に上げていたこと、が分かるという。また、事故当時は晴れで、道路は乾燥していたという。また、NHTSAが行った再現実験によれば、衝突の少なくとも7秒前からは、テスラ車のドライバーからトレーラーが見えたはずだ、ということである。

テスラは、見通しのよい道路の前方を横切るトレーラーが引く荷台の下に潜り込むように衝突した。自動ブレーキシステムはなぜ作動しなかったのか。オートパイロットに問題はなかったのか。報告書は、この2点を中心に分析を行っている。

第一に、自動緊急ブレーキ(AEB=Automatic Emergency Braking)システムについて、報告書は、AEBは前方障害物警告(FCW=Forward Collision Warning)、ダイナミックブレーキ補助(DBS=Dynamic Brake Support)、衝突直前ブレーキ(CIB=Crash Imminent Braking)の3システムによって構成されるとしたうえで、直角交差や左折車・対向車との衝突、木や電柱への衝突は守備範囲外と述べている。そして、本件事故についても、「フロリダの致命的なクラッシュに存在するような交差路衝突のブレーキングは、システムの期待される性能能力の範囲外である」と述べ、テスラ車のAEBシステムには問題がないとの見解を示した。

確かに、AEBの目的は、現在のところ追突防止であり、対向・右折・左折車との衝突や出合頭の衝突防止は、技術的に難易度が高い。そのため、米国の安全基準は本件事故が回避できるレベルでのAEBを求めていないので、テスラ車のAEBには問題がない、との結論になったものと思われる。

第二に、本報告書は、テスラのオートパイロットシステムはTACCTraffic Aware Cruise Control=同一車線内を、先行車と適切な間隔を空けて走行する)とオートステア(Autosteer=車線、標識、周囲の車の位置に基づき、最適な車線の中央を走行する)の二つによって成り立っているとしたうえで、双方について、マニュアル上ドライバーに対して「ハンドルを握り、周囲に注意」することを求める警告が記載されているとしている。また、ドライバーがハンドルから手を離すと、15秒後から警告が鳴り始め、その後10秒間に応答がなければ、その5秒後に減速が始まるよう設定されていると述べる。本件テスラ車のシステムが、これらの設定どおりに働いていたか否かについて、本報告書は具体的に言及していないが、おそらく、問題がなかったということなのだろう。なお、事故後の9月には、ドライバーが警告に対応しなかった場合、再度オートパイロットに変更しようとしてもできないという「ストライクアウト」にシステムがアップデートされたという。

上記2点を中心とする検討を踏まえ、報告書は「フロリダの死亡事故の原因は、少なくとも7秒間という長期の注意散漫によって引き起こされたように見える。7秒間もの注意散漫というのは、(注意散漫によって引き起こされる自動車事故の大半が、3秒程度の注意散漫であることに比べると)珍しいが、あり得ないことではない。」と述べている。このことと、テスラ車のシステムについて政府が定める基準違反が発見されなかったことをもって、「現時点では、安全関連の欠陥は特定されていない」と結論づけたものと思われる。

以下は感想となるが、確かに、直線で見通しが良いとはいえ、時速120キロで走行しながら7秒間以上前方を見ない、というのは、日本の高速道路でさえ、相当危険な行為であろう。まして、今回事故が起きた道路には所々交差点があって、対向車などが進入してくるというのだから、時速120キロで7秒間前方を見ないというのは、自殺行為と言われても仕方あるまい。その意味で、本件事故の主たる原因がドライバーにある、という報告書の結論に異論はない。

また、NHTSAの立場としては、テスラ車に装備されたAEBやオートパイロットのシステムが、国の基準を満たしていることが確認できたならば、それで調査を打ち切るのも当然といえる。

しかし、NHTSAが問題なしという報告書をまとめたのは、単に、現時点での国の基準に照らして問題がないことを認めたに過ぎないことには、注意する必要がある。NHTSAは、与えられた基準の中で当否を判断しているだけであって、その基準が、テスラのような自動運転自動車の(将来)あるべき基準として妥当か否か、という判断はしていない。

不幸なドライバーは、時速120キロで走行しながら少なくとも7秒間前方を見ない、という致命的なミスを犯した。だが、彼がなぜそのような無謀なことをしたかといえば、テスラ車の機能を信頼したからであろう。もし「AEBでは対向車との衝突を避けられない」ことを知っていたら、同じ行動に出ただろうか。AEBの限界はマニュアルに書いてあるのだから、読まない方が悪い、と断言してよいのだろうか。

さらに不幸なことに、衝突したトレーラーの荷台は、道路と床面との間が非常に広かったため、テスラ車は前方に障害物ありと認識しなかったものと思われる(障害物ありと認識してれば、結果的に衝突は避けられなかったかもしれないが、自動的に制動していたはずだ)。しかし、広いとはいえ運転席の屋根が丸ごと吹き飛ぶ程度の空間しかなかったのだから、この程度で障害物なしと認識されたのでは、完全自動運転に移行するのはまだまだ先と言わなければならない。また、イーロン・マスクCEOは、テスラ車が障害物と認識できなかった理由として「白く塗装された荷台が光を反射したため」と述べているが、少なくとも人間が障害物と認識できるものであれば、機械が障害物と認識できなくては困る。

報告書は確かに、オートパイロットシステムを導入したテスラ車の事故はほぼ40%低下したと述べている。だが、単純に事故数を引き算することは間違いだと思う。なぜなら、「4割の減少」は、実は「5割の減少と1割の増加」の結果かもしれないからだ。オートパイロットの導入によって、「いままで起きた事故が起きなくなった」だけなら、無条件に良いことといえるだろう。だが、もしかしたら、「今まで起きなかった事故が、起きるようになった」ことがあるかもしれない。それはたとえば、人間がシステムを信頼したがゆえに、自らハンドルを握っているときにはおよそ起こさなかった事故に巻き込まれる、ということであるかもしれない。「人間のミス」に起因する事故が5割減ったとしても、「機械のミス」に起因する事故が1割増えた場合、社会は「差し引き4割減ったから自動運転車の方がよい」として受け入れるとは限らない。

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2017年1月23日 (月)

弁護士自治必要論について

大阪弁護士会報の2016年12月号が、弁護士自治の特集記事を組んでいる。弁護士自治は「なぜ大切なのか」「どんな利点があるのか」「無くなったらどうなるのか」について考えてみる(前書きより)として、金子武嗣もと会長が弁護士自治の理論的根拠等を、日本を代表する刑事弁護士の一人である後藤貞人弁護士が刑事弁護との関係を、竹岡登美男もと副会長が弁護士法72条との関係を、それぞれ論じている。

特集が組まれた背景には、編集部も言及しているとおり、自治不要論が会員自身から発生している、という危機感がある。だが、不要論に対峙するそれぞれの論考は、首肯しうる内容を含んでいるものの、やや物足りない。問題は、「なぜ自治不要論が弁護士自身から出ているのか」という原因の特定ができていないからだと考える。端的に言えば、自治の対価としての会費が高すぎることが原因なのに、これに正面から向き合っていない。

金子もと会長は論考の中で一カ所のみ会費の問題に触れ、「(弁護士会費は)合理的なものでなければなりませんが、安ければいいということにはならない」と述べている。しかし、この言い回しは論点を微妙にはぐらかしていると思う。「安ければいい」かどうかが問題ではない。「高すぎる」か否かが問題なのだ。知らない人のために付言すれば、年額60万円(東京大阪などの場合)ないし100万円超(地方弁護士会の場合)もの会費を負担するくらいなら自治はいらない、という会員の声に、どう答えるかが問題なのだ。さらにいいかえるなら、弁護士自治は、年会費60万円ないし100万円超に値するのか、という問題である。

金子もと会長は、弁護士自治の理論的根拠として、「弁護士の地位(ステータス)が高いのは、国家権力から独立した弁護士や弁護士会の活動が市民に信頼されているから」であると述べる。ここでいう地位(ステータス)とは何を指すのか、はたして「高い」といえるのか、市民から信頼されているして、その根拠が弁護士会活動にあるのか、など、検証を要する点が多々あることは差し置いても、仮にそうだとして、それが現在の自治制度を論理必然的な前提にしているのか、については、さまざまな批判が可能だろう。たとえば医師や高級官僚の「地位(ステータス)」が高いことや、彼らの社会的意義に異論はないと思うが、だからといって彼らの所属する組織が弁護士会並みの自治権を保障されているかといえば、そんなことはない。

竹岡もと副会長は、最高裁判小昭和46年7月14日判決を引用し、「弁護士は、基本的人権の擁護と社会正義の実現、ひろく法律事務を行うため厳格な資格要件が設けられ、かつ、かつ、その職務の誠実適正な遂行のため必要な規律に服」しているからこそ、法律事務の独占(弁護士法72条)が認められている、と説く。たしかに、この判決は当時の弁護士自治に基づく「規律」の存在を前提としているが、職務独占に必要な「規律」が論理必然的に「自治がされた弁護士会による規律」を意味するわけではない。いいかえれば、弁護士による職務独占を法定する以上、弁護士の質の確保は国民に対する国家の義務であるが、その手段を弁護士自治に委ねるのか、そうでないかは政策問題である。

弁護士自治必要論は、必ず英国における弁護士自治崩壊に言及する。金子元副会長の論考も例外ではない。だが、「弁護士自治が崩壊して誰がどのように困ったのか?」まで調査しなければ、弁護士自治必要論の論拠にはならない。英国における弁護士自治崩壊(2007)から10年経つのだから、評価は可能なはずであるが、寡聞にして「自治崩壊(剥奪)は失敗であった」との論調を聞かない(EU加盟は失敗であった、との論調は聞くのに!)。誰も困らなかったなら、英国の弁護士自治はその程度だったことになる。いうまでもないが、困ったのが弁護士だけだとしても、政策的失敗とは言わない。

弁護士自治必要論は、「基本的人権の擁護と社会的正義の実現のために、わが国は世界最高度の弁護士自治を保障した」と述べる。だが、それならば、弁護士自治獲得からほぼ70年経った今、わが国では弁護士自治によって、世界最高度の人権と社会正義が実現されたのか?という問いに、真摯に向き合わなければならない。もしそうでないとすれば、何が間違っていたのか、何が不足なのか、何が余計だったのかが論じられなければならない。

私の考えでは、弁護士自治は、憲法が定める司法権の独立の一環として、保障されるべきものであろう。その意味では、刑事弁護活動の自由を守るため弁護士自治が必要とする後藤弁護士の論考に異論はない(もとより、刑事弁護に限られる問題ではないが)。したがって、弁護士自治の本質は、弁護士の訴訟活動の独立に存在することになろう。訴訟活動の独立を保障するためには、訴訟に関連する活動の独立も保障されることが望ましい。そして、これらの独立を保障する限りにおいて、弁護士会の懲戒権は、国家権力から独立していなければならない。但し、訴訟活動と無関係な非行に関する懲戒権まで弁護士会が独占することは、弁護士自治の本質的要請ではない。

また、懲戒権の独占を含む自治権が保障されていることを前提とした場合、弁護士会が会員に対する監督を怠り、そのために国民の弁護士に対する信頼が低下すれば、弁護士法72条の廃止が俎上に上ることになろう。しかし、国民の弁護士に対する信頼を確保する手段が、弁護士自治に限られないとすれば、弁護士自治と弁護士法72条は関係がない(少なくとも関係が薄い/直接の関係はない)ということになる。そうだとすれば、弁護士自治がどの程度保障されなければならないか、いいかえれば、世界最高度の弁護士自治まで必要か否かは、会員から見ればコストメリットの問題に帰着することになる。たとえば極端な話、弁護士会が人事権の自治を一部放棄して法務省や裁判所から全国で数百人規模の天下りを受け入れれば、法曹人口問題など、あっという間に解決するだろう。そちらのメリットが大きいということになれば、喜んで自治放棄に応じる弁護士は少なくないと思う。

金子もと会長や竹岡もと副会長には、個人的にも大変お世話になっているので、公然と異論を述べることはやや憚られるが、笑って許してくれるものと思う。なぜなら、これらの論考をまともに読んで批判してくれるだけ、自治必要論にとってありがたいことだからだ。多くの会員、特に若手の大部分は、もはや自治なんてどうでもよいと思っている。要否程度を議論する手間暇が鬱陶しいだけだ。

弁護士自治にとって最大の脅威は、不要論があることではなく、会員の無関心なのである。

 

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2017年1月16日 (月)

自動運転自動車に轢かれた方が損、という法解釈は受け入れられるか

法律専門雑誌『ジュリスト』2017年1月号に、藤田友敬東京大学教授が「自動運転と運行供用者の責任」と題する論考を寄せている。このうち、「自動運転自動車の事故に自賠法を適用することが可能か」という論点については、前回のエントリで触れた。今回は、「自賠法がどのような形で適用されるか」についての教授の主張について検討したい。

自賠法は、自動車の「運行供用者」に対して、交通人身事故の損害賠償義務を課している(3条)。ただし、次の三要件を満たす場合には、免責するとしている。民法上の損害賠償責任に比べると、原則と例外が逆転しているのだ。その理由は、被害者保護と、自動車運送の健全な発達(1条)にある。

自賠法が定める免責の三要件は、次のとおりだ。
①自己及び運転者が注意を怠らなかったこと
②被害者又は運転者以外の第三者に故意又は過失があったこと
③自動車に構造上の欠陥又は機能の障害がなかったこと

ちなみに、自賠責保険制度を運営する損害保険料率算出機構が作成した統計情報によると、平成25年度の交通事故死者数は4373人、負傷者数は118万5334人、自賠責保険支払件数は死者について4125件、負傷者について78万1494件とのことである。つまり、自賠責保険の不払件数は死者248件、負傷者40万3840件となっている。負傷者についての不払い件数は年々増加傾向にあるが、死者についてはそうでもない。なお、自賠責保険の収支状況は、平成24年度末で類型5175億円の赤字ということである。

さて、藤田教授によれば、上記3要件のうち②「被害者又は運転者以外の第三者に故意又は過失があったこと」は自動運転自動車だからといって影響を受けるものではない。残りの①③のうち、①の「自己及び運転者が注意を怠らなかったこと」については、完全自動運転自動車については「もはや問題にならず、運行供用者・運転者が何もしなかったとしても注意を怠ったことにはならない」としている。つまり、完全自動運転自動車の場合、②の要件は常に満たされるということだ。

そして③の「自動車に構造上の欠陥又は機能の障害がなかったこと」については、3つの具体的設例を検討しつつ、かかる欠陥または障害がなかったと認められる場合もあろうとしている。たとえば、「前方トラックの荷台の乱反射を障害物と誤解したことにより、突然ブレーキが制動し急停車したため追突された」事例においては、「このような制動が行われる可能性は僅かであり、かつ、そのような制動は設計上避けがたく、しかも平均してみると事故防止あるいは損害軽減の効果が大きいという場合には、構造上の欠陥・機能の障害は認められないと考える余地があるかもしれない」とのことだ。

大変興味深い問題提起だとは思うが、その示唆するところについては、いくつか気になる点がある。

上記の例に即していえば、素朴な疑問として、「同じ事故を人間のドライバーが起こした場合はどうなるのか?」が思い浮かぶ。いうまでもなく、この場合に自賠責保険が免責されるということはあり得ない。同じ事故を起こし、被害者救済のため同じ法律が適用されるにもかかわらず、一般の自動車なら有責、完全自動運転自動車なら免責、という結論を取る解釈論は受け入れられないだろう。

また、上記の例に限らず、藤田教授の論考は、一般の自動車に比べ、自動運転自動車が事故を起こした場合の自賠責保険免責の範囲を広げることを指向しているように見受けられる。しかし、自動運転自動車が社会に受け入れられる一つの根拠は、安全すなわち事故率の低さにある。安全性を謳っておきながら、いざ事故を起こした場合の救済範囲が一般の自動車に比べて狭いということになれば、被害者側から見れば「自動運転自動車に轢かれた方が損」ということになる。そのようなことで、自動運転自動車が社会に受け入れられるのであろうか。

あるいは、藤田教授のご意見は、自賠責保険の免責範囲が広がる部分は、任意保険でカバーするからよい、ということかもしれない。だが、自賠責が免責なら、任意保険は当然免責になる。したがって、任意保険でカバーするということは、任意保険に無過失責任を導入することを意味する。偶然にも、同じ『ジュリスト』の特集で、東京海上日動火災保険株式会社の池田裕輔氏が、ドライバー無過失の場合でも支払われる保険新商品を紹介している。藤田教授も、自動運転自動車の事故について、任意保険を無過失責任化することによって被害者を救済するというお立場であるなら、それも一つのあり方だとは思う。ただし、任意保険である以上、未加入の場合は、被害者は自賠責からも保険金を受け取れなくなる。

藤田教授の考えを推し進めると、結局、自動運転自動車に轢かれた方が損の場合が発生する、という結論になるのではないか。この結論は、自動運転自動車の普及を妨げるベクトルとして働くのではないかと懸念される。

 

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2017年1月10日 (火)

完全自動運転自動車と自賠法の適用について

法律専門雑誌『ジュリスト』の2017年1月号が「自動運転と民事責任」の特集記事を組んだ。特集の中で、藤田友敬東京大学教授が「自動運転と運行供用者の責任」と題し、「自動運転が行われた場合に、自賠法を適用することが可能か、またどのような形で適用されるかについて検討」している。

自賠法は、交通事故の人身損害について、「自己のために自動車を運行の用に供する者」(運行供用者)に対して賠償責任を課している(3条)。ここに「運行」とは、「人又は物を運送するとしないとにかかわらず、自動車を当該装置の用い方に従い用いること」(2条2項)だ。そこで藤田教授は、一部自動化された自動車はもちろん、「完全自動運転も、この定義を満たす」から、「自賠法上の「運行」が存在することに疑いがない」と述べている。

全7ページの論考中はじめの1ページなのだが、早くもここで引っかかってしまった。とはいえ、「運行」の解釈については、特段異論はない。引っかかったのは、論考が「完全自動運転自動車は自賠法の『自動車』なのか?」という論点を、完全にスルーした点にある。

自賠法2条1項は、「この法律で『自動車』とは、道路運送車両法第二条第二項 に規定する自動車(農耕作業の用に供することを目的として製作した小型特殊自動車を除く。)及び同条第三項 に規定する原動機付自転車をいう」と定義している。要は、道路運送車両法にいう「自動車」ということだ。そこで道路運送車両法2条2項を見ると、「この法律で『自動車』とは、原動機により陸上を移動させることを目的として製作した用具で軌条若しくは架線を用いないもの又はこれにより牽引して陸上を移動させることを目的として製作した用具であって、次項に規定する原動機付自転車以外のものをいう」と定義している。

この文言だけでは、道路運送車両法にいう「自動車」に完全自動運転自動車が含まれるか否かは分からない。だが、道路運送車両法41条は、「自動車は、次に掲げる装置について、国土交通省令で定める保安上又は公害防止その他の環境保全上の技術基準に適合するものでなければ、運行の用に供してはならない」と定めたうえで、「装置」の具体例として「操縦装置」「制動装置」「前面ガラス」「警音器その他の警報装置」等を列挙している。いずれも、車内に運転者が存在することを前提とする装置だ。

以上からすれば、現行道路運送車両法は、人間の運転者による運転を想定しているから、グーグルカーのごとき、操縦装置をもたない完全自動運転自動車は、道路運送車両法上の定める「自動車」に該当しない、ということになる。もし「自動車」に該当しないということになれば、自賠責保険締結義務(自賠法5条)が発生しないから、事故を起こしても、「運行」の要件を満たすか否か以前の問題として、自賠法の適用がない。

「グーグルカーにハンドルはなくても、人工知能が操作する『操縦装置』は備えているから、自賠法上の自動車と認めるのに何ら問題はない」との反論もあり得よう。だが、昭和26年に制定された同法が、人にあらざるものによる操縦を念頭に置いた条文を規定している、と考えるのは、かなり無理があると思う。百歩譲って、道路運送車両法または自賠法を改正しなくても完全自動運転自動車に適用されうるとの結論を採るとしても、少なくともこの論点についての議論は必要であろうし、法改正による解決の当否に触れるのが筋であろう。それにもかかわらず、「完全自動運転自動車は自賠法上の『自動車』にあたるか」という点を一顧だにせずスルーするというのは、いかがなものであろうか、と思う。

ちなみに私自身は、完全自動運転自動車については、道路運送車両法及び自賠法を改正して、完全自動運転自動車の保有者(オーナー)に自賠責加入を義務づけたうえ、事故が起きた場合には、有人運転の場合に準じて、自賠責保険が支払われる制度設計を行うべきであると考える。

 

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