« 自動運転自動車に轢かれた方が損、という法解釈は受け入れられるか | トップページ | テスラ車死亡事故に関する報告書について »

2017年1月23日 (月)

弁護士自治必要論について

大阪弁護士会報の2016年12月号が、弁護士自治の特集記事を組んでいる。弁護士自治は「なぜ大切なのか」「どんな利点があるのか」「無くなったらどうなるのか」について考えてみる(前書きより)として、金子武嗣もと会長が弁護士自治の理論的根拠等を、日本を代表する刑事弁護士の一人である後藤貞人弁護士が刑事弁護との関係を、竹岡登美男もと副会長が弁護士法72条との関係を、それぞれ論じている。

特集が組まれた背景には、編集部も言及しているとおり、自治不要論が会員自身から発生している、という危機感がある。だが、不要論に対峙するそれぞれの論考は、首肯しうる内容を含んでいるものの、やや物足りない。問題は、「なぜ自治不要論が弁護士自身から出ているのか」という原因の特定ができていないからだと考える。端的に言えば、自治の対価としての会費が高すぎることが原因なのに、これに正面から向き合っていない。

金子もと会長は論考の中で一カ所のみ会費の問題に触れ、「(弁護士会費は)合理的なものでなければなりませんが、安ければいいということにはならない」と述べている。しかし、この言い回しは論点を微妙にはぐらかしていると思う。「安ければいい」かどうかが問題ではない。「高すぎる」か否かが問題なのだ。知らない人のために付言すれば、年額60万円(東京大阪などの場合)ないし100万円超(地方弁護士会の場合)もの会費を負担するくらいなら自治はいらない、という会員の声に、どう答えるかが問題なのだ。さらにいいかえるなら、弁護士自治は、年会費60万円ないし100万円超に値するのか、という問題である。

金子もと会長は、弁護士自治の理論的根拠として、「弁護士の地位(ステータス)が高いのは、国家権力から独立した弁護士や弁護士会の活動が市民に信頼されているから」であると述べる。ここでいう地位(ステータス)とは何を指すのか、はたして「高い」といえるのか、市民から信頼されているして、その根拠が弁護士会活動にあるのか、など、検証を要する点が多々あることは差し置いても、仮にそうだとして、それが現在の自治制度を論理必然的な前提にしているのか、については、さまざまな批判が可能だろう。たとえば医師や高級官僚の「地位(ステータス)」が高いことや、彼らの社会的意義に異論はないと思うが、だからといって彼らの所属する組織が弁護士会並みの自治権を保障されているかといえば、そんなことはない。

竹岡もと副会長は、最高裁判小昭和46年7月14日判決を引用し、「弁護士は、基本的人権の擁護と社会正義の実現、ひろく法律事務を行うため厳格な資格要件が設けられ、かつ、かつ、その職務の誠実適正な遂行のため必要な規律に服」しているからこそ、法律事務の独占(弁護士法72条)が認められている、と説く。たしかに、この判決は当時の弁護士自治に基づく「規律」の存在を前提としているが、職務独占に必要な「規律」が論理必然的に「自治がされた弁護士会による規律」を意味するわけではない。いいかえれば、弁護士による職務独占を法定する以上、弁護士の質の確保は国民に対する国家の義務であるが、その手段を弁護士自治に委ねるのか、そうでないかは政策問題である。

弁護士自治必要論は、必ず英国における弁護士自治崩壊に言及する。金子元副会長の論考も例外ではない。だが、「弁護士自治が崩壊して誰がどのように困ったのか?」まで調査しなければ、弁護士自治必要論の論拠にはならない。英国における弁護士自治崩壊(2007)から10年経つのだから、評価は可能なはずであるが、寡聞にして「自治崩壊(剥奪)は失敗であった」との論調を聞かない(EU加盟は失敗であった、との論調は聞くのに!)。誰も困らなかったなら、英国の弁護士自治はその程度だったことになる。いうまでもないが、困ったのが弁護士だけだとしても、政策的失敗とは言わない。

弁護士自治必要論は、「基本的人権の擁護と社会的正義の実現のために、わが国は世界最高度の弁護士自治を保障した」と述べる。だが、それならば、弁護士自治獲得からほぼ70年経った今、わが国では弁護士自治によって、世界最高度の人権と社会正義が実現されたのか?という問いに、真摯に向き合わなければならない。もしそうでないとすれば、何が間違っていたのか、何が不足なのか、何が余計だったのかが論じられなければならない。

私の考えでは、弁護士自治は、憲法が定める司法権の独立の一環として、保障されるべきものであろう。その意味では、刑事弁護活動の自由を守るため弁護士自治が必要とする後藤弁護士の論考に異論はない(もとより、刑事弁護に限られる問題ではないが)。したがって、弁護士自治の本質は、弁護士の訴訟活動の独立に存在することになろう。訴訟活動の独立を保障するためには、訴訟に関連する活動の独立も保障されることが望ましい。そして、これらの独立を保障する限りにおいて、弁護士会の懲戒権は、国家権力から独立していなければならない。但し、訴訟活動と無関係な非行に関する懲戒権まで弁護士会が独占することは、弁護士自治の本質的要請ではない。

また、懲戒権の独占を含む自治権が保障されていることを前提とした場合、弁護士会が会員に対する監督を怠り、そのために国民の弁護士に対する信頼が低下すれば、弁護士法72条の廃止が俎上に上ることになろう。しかし、国民の弁護士に対する信頼を確保する手段が、弁護士自治に限られないとすれば、弁護士自治と弁護士法72条は関係がない(少なくとも関係が薄い/直接の関係はない)ということになる。そうだとすれば、弁護士自治がどの程度保障されなければならないか、いいかえれば、世界最高度の弁護士自治まで必要か否かは、会員から見ればコストメリットの問題に帰着することになる。たとえば極端な話、弁護士会が人事権の自治を一部放棄して法務省や裁判所から全国で数百人規模の天下りを受け入れれば、法曹人口問題など、あっという間に解決するだろう。そちらのメリットが大きいということになれば、喜んで自治放棄に応じる弁護士は少なくないと思う。

金子もと会長や竹岡もと副会長には、個人的にも大変お世話になっているので、公然と異論を述べることはやや憚られるが、笑って許してくれるものと思う。なぜなら、これらの論考をまともに読んで批判してくれるだけ、自治必要論にとってありがたいことだからだ。多くの会員、特に若手の大部分は、もはや自治なんてどうでもよいと思っている。要否程度を議論する手間暇が鬱陶しいだけだ。

弁護士自治にとって最大の脅威は、不要論があることではなく、会員の無関心なのである。

 

|

« 自動運転自動車に轢かれた方が損、という法解釈は受け入れられるか | トップページ | テスラ車死亡事故に関する報告書について »

コメント

自治不要論の一点は会費かもしれませんが、弁護士会自体が政治活動を始めた事にもあるのでは?
信条異なる政治活動を代表として行われたら、不要と言う話は出るかと。
弁護士会に所属していないと弁護士として活動出来ないと聞いたこともあります。
そうした場合信条が異なるから脱退しますが言えません。
というか、弁護士会が総意を纏めることなく、政治活動していいんですか?

投稿: | 2017年6月16日 (金) 11時08分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/192469/64796853

この記事へのトラックバック一覧です: 弁護士自治必要論について:

« 自動運転自動車に轢かれた方が損、という法解釈は受け入れられるか | トップページ | テスラ車死亡事故に関する報告書について »